- ナノ -

ぐちゃぐちゃ21
近頃月島が出会った少女は、他の島の子供とは少し――いや、かなり違った。
出会いが月島が彼女を助けたせいか、それとも少女自身の性格か。少女は月島を見つけると嬉しげに近づいてきた。
好意的に近づかれて無碍にするほど月島は冷たくはなく、時間も無駄に余っていたので、普段は聞かない話を彼女から聞いた。いわゆる『普通の家庭』の話であった。その代わりというように月島も話を聞かれ、話したくないこと以外をいくつか答えた。
話を聞けば聞くほど、話せば話すほど二人の差は大きく、話も合わないように思われた。しかし少女は興味深そうに月島の話を聞いて、驚きはしても、怖がったり、次から話しかけてこないということはなかった。
恵まれた少女は、しかし虐められているようで少年たちにちょっかいを出されていることがある。髪がどうとか言われていたが、月島にとっては何に対して言っているかもわからない。ただ髪は髪で、それが真っ直ぐだとかうねってるとか、気にすることではない。清々しいほどに外見の特徴に頓着しない月島の感性は、近くに常に袋をかぶっていた少年がいたせいかもしれなかったが、本人は当然知らぬことだった。ただ、そういう場面に出くわしたら、気に入らない島の連中を月島は叩きのめした。
だから、というわけではない。ただ島の住人にしては本当に珍しく友好的で、月島の話を真剣に聞いて、ちゃんと答えをくれる。
だからもう、一人で抱えるには大きすぎる荷物について、尋ねてみた。

『おいはその子が基ちゃんのこと、嫌になると思えんよ』

少し前の月島だったら、同じことを考えていただろう。
苦崎が自分のことを嫌いになるわけがない。海には水が満ちているような、純粋な自信だった。
少女――春見に月島は、『あの言葉』の意味を尋ねた。母にまで尋ねてくれた春見が伝えた内容は、想像通りで、想像以上だった。

(なして俺は男なんじゃ)

春見と別れ、家へ戻った。そこには父はおれど、苦崎はいなかった。それに安堵しながら、他を探す。
基地を回りながら、月島は男だとか女だとか、そんな詮無いことをぐるぐると考えていた。
男であるのだから、もう男でしかない。その他の何かにはなれやしない。それは月島も理解していた。それでも、春見から聞かされた「あの言葉」の意味に、そう思わざるを得なかった。
男でなかったら、苦崎に嫌な思いをさせる不安を持たなくてすむ。
男でなかったら――胸の中に巣食っていた、よくわからぬ感情も抱かずに済んだかもしれなかった。
入念に磨り潰したそれに――もし苦崎が気づいていたら、どうすればいいのだろう。
そうであったら、もう、元には戻れないだろうと思う。あの色のない瞳で、己が父のように罵られることがあるかもしれないと、あの時の光景が脳裏によぎって、足が止まりそうになった。

「……見つけた」

それでも歩いて行った先、一番家から遠い基地に苦崎はいた。
仰向けになって、動かない。どうやら寝ているようだった。袋は被ったままで、目の部分が影になって中身がよく見えない。
みなと、と月島は呼びかけたが、苦崎はピクリとも動かなかった。よくよく見れば胸が上下するのもあまり確認できず、息をしているのだろうかと月島は少し焦った。息をしないと死んでしまう。それは当然のことで、月島は基地に入って呼吸の確認のため苦崎に触ろうとした。しかし、触れようとして、手が止まる。
月島は手を引っ込めて、しかし、ならどうやって息をしているか確かめればいいのかと頭を悩ませた。
それから、息をしているなら顔の袋が動くはず。と襤褸布の口部分に、触れるか触れないか程度の細やかさで手のひらを置いた。
しかし、どうにも布ごしでは息がわからない。手の角度を変えたりしていると、フハッと声が聞こえて肩がびくついた。

「くすぐってぇ、何やってるんだ?」

穴から茶色の瞳が見えて、月島の手が止まる。その腕を苦崎が掴んだ。月島は内心、心臓が跳ねるほど驚いたが、顔には出さないように耐えた。
苦崎が顔の前から手を退かし、袋を嘘のようにするりと脱いだ。白い肌と黒髪が現れる。

「なんか袋についてたのか?」

襤褸布をしげしげと見つめる苦崎に、月島は咄嗟に首を横に振った。

「動かんし、息しちょるか気になったんじゃ」
「息?」

ピンとこない、という顔で返してきた言葉に頷けば、苦崎は少し思案した後に、「次から揺り起こしてくれよ」と言った。

「そいは……」

手が触れることになる。
苦崎は続けた。

「それか、頬引っ張るのでもいい」

そう言って、自分の頬を引っ張った。むにゅりと白い頬が横に伸びる。それを見て、苦崎にしていたことを月島は思い出した。
勝手に喧嘩してくる苦崎を怒りたくて、しかし痛い思いをさせたくなくて、彼の頬を伸ばした。顔を好きにいじられるのは嫌だろうと思ったが、あまり苦崎は嫌がっているようには見えなかった。けれど効果があって、一時的に喧嘩をしなくなったことが思い出される。少しすると、効果も無くなってしまっていたが。
――嫌われていない、触られるのを嫌がられていない、気味悪がられていない――気付かれていなかった。
ホッと息が漏れる時に、首が少し下に動いた。それが承諾に見えたのか、苦崎が「さっきのはくすぐったいから、それでよろしくな」と言って襤褸布を被ったかと思えば、モゾモゾと基地を出ていく。

「ど、どこいくっちゃ」
「ちょっと走ってくる。休んじまったし」

それだけ残して、パッと走り出してしまった苦崎に、月島は一人基地に置き去りにされる。
行き先も言わずに行ってしまった。
颯爽と走り去る後ろ姿は、確かに男に見えた。春見と出会ったこともあって、男と女はこうも違うのだと月島はようやく理解してきた。女はもっと細いし、あんなに早く走らないし、着物がぐちゃぐちゃになるようなこともしない。もちろん血が流れるような喧嘩も。
口調を変えて、態度を変えて、苦崎はもっと男らしくなった。それを彼が望んだからそうなった。
舐められないように、身を守るために。
それに、月島が何かをいう権利などないのだ。





苦崎への不安を少し払拭できた月島は、抱えていた胸の重みが軽くなるような心地だった。元から胸にあった何かが消えて、風が通り過ぎるような心地にもなったが、それは深く考えないようにした。
助言をしてくれた春見は、それ以降も月島と会って話をしたり、月島が遊び方を教えたメンコをしたり、逆に春見が教えた遊びをしたりするようになった。
いご草と揶揄われた髪は、どうやら子供たちの間に広まってしまったらしく、春見は外に出る度に心無い子供にそう言われた。
示し合わせて会うことが常になって、そう揶揄される時には月島がいつも隣にいるようになった。その揶揄に黙っている彼ではなく、少しでも嫌味な事をいう連中は下駄で追い返してやった。

そういう事が多く続いたある日、月島が苦虫を噛み潰したような顔をして春見に聞いた。

「嫌か?」
「なんがさ?」
「……俺が代わりに喧嘩すんの」

質問の意味がよく分からず、春見は首を傾げる。揶揄された時、春見は逃げるしか手段がなかった。辛いし悲しいしけれど、言い返したら相手から手が出てくるし、喧嘩なんて出来ないからそうするしかない。そんな春見を月島は助けてくれる。確かに、やりすぎかもと思ったり、彼が代わりに怪我をするのは悲しかったが、それよりも有り難さや嬉しさの方が大きかった。
けれど、春見が揶揄される度に喧嘩をしていたら、彼はもっと島で遠巻きにされてしまうのでは、とも思った。春見は自分のことしか考えていなかったけれど、そうならば、自分のことは自分でどうにかしないといけないのかもしれない。

「おいは嬉しいけど――」

でも、基ちゃんが、と続ける前に、糸が解けるように緩まった面持ちを見て、春見の言葉は止まってしまった。

「ならええ」

心底安堵したような表情の裏に、どこか言いようのない色を垣間見て、春見は何をいうべきかわからなかった。
何があったんだろうと思う。第六感が根拠もなく囁くのは、もう一人の子と関係がありそうだ、ということだった。気になる気持ちは確かにあったが、その子とちゃんと会ってもいないのに聞くのは失礼な気がして、春見は疑問を飲み込む。
月島と毎日のように会うようになって、もう数週間が経っていた。けれど、春見は袋の子には会えていない。
月島と彼は一緒の印象だったため、いつか会えるのではと思っていた彼女の思惑は見事に外れていた。当初は二人の仲が微妙になってしまっていたせいだと思っていたが、「嫌われてなかった」と月島から聞き、喜んでいた彼女は、それからしばらく経っているのにどうして一度も姿を見ないのだろうと内心で首を傾げていた。
喧嘩の話は春見が言葉を返さなかったために流れて、月島は今日はどこへいくかと思案している。
その姿に、彼女は雷に打たれたように気づいてしまった。

「は、基ちゃん」
「なんや?」
「基ちゃんが、もう一人の子と遊べないの、おいのせいっちゃ!?」
「あ?」

友達になりたいと探し回っていた自覚のあった春見は、自身の中で導かれた解答に戦慄していた。
つまり、春見が月島と会うようになり、話したり遊んだりしているから、彼がもう一人の子と遊ぶ時間が無くなってしまった。
邪魔するつもりなんてなかったのに! と春見がワナワナと震えていれば、顔を訝しげに歪めた月島が何事かと聞いてくる。

「なしてそうなるんじゃ」
「やって、基ちゃん、もう一人の子と遊んでるところ、全然みんし……」

そう春見が眉を下げながら言えば、なぜか彼は怒ったような――傷ついたような顔になった。

「基ちゃん?」
「……俺と一緒にいるのか、楽しくないんや、みなとは」

みなと――あの袋の子の名前だ。『あいつ』等と呼んで、名前を口にしてこなかった月島からようやく名前を耳にすることができ、春見は場違いにも少し喜んでしまった。
しかし、楽しくないとは。

「なんでそう思うっちゃ?」
「……最近、一人でとっとと外に行って、俺と一緒にいようとせん」
「そうけぇ……」

とりあえず自分が原因でないことに内心安堵しつつも、袋の子の行動を考えて頬に手を当てる。
そういえば、春見が最初に見つけた時もその子が一人で小屋にいて、それを彼が見つけていた。

「前からそうじゃなかったん?」
「……そういうとこも、あった」
「んだら、変わっとらんよ」
「じゃあ、前から楽しくなかったんや」

春見は、一日に二度雷に打たれた感覚を味わうことになった。
あの袋の子が、彼といることが、楽しくなかった――!? 春見は月島が本気でそんなことを言ったのかと、自分の耳を疑った。しかし簡単な言葉であったそれらは一言一句間違えなく聞き取れたはずだった。
しかし、それは、あまりにも――あり得ない!

「そ、そんなわけねぇっちゃ!!」
「うお!?」
「基ちゃんっ、本気でゆってるんか!? ダメや! よくないっちゃ!」
「わ、おいっ! 急になんじゃ!」

あの子は、あんなに嬉しそうに、楽しげにしてたのに! あの空間に、あの二人に憧れたのに!
それは憧れをひっくり返されそうになった八つ当たりでもあった。けれど春見は我慢ならなかった。あんなに二人とも幸せそうにしていたのに、どうしてそんな嘘を言うのかと。
一通り両手を振り回し、月島を威嚇した後、はぁはぁと息を荒げながら春見は提案した。

「ちゃんと、はぁ、遊びに誘えばいいんじゃ」
「遊びに誘う?」
「そうや。ちゃんと誘わんと、ひまな時間が合わんのは当然っちゃ」
「そげなことしたことねぇ」

月島にとって、同じ家に住んでいる苦崎とは一日に一回は必ず顔を合わせる。以前はそこで話をして、何をするか考えていた。約束ほど固いものではなく、けれど確かに一緒に過ごすのだという流れがあった。けれどそれは最近めっきり減って、顔を合わせはすれど、その日に何をしたか聞く程度のものになっていた。苦崎からは月島が怪我をしている時ぐらいしか、何をしていたか尋ねてくることもない。
時間を合わせて遊びに誘うなんていうことは、したことがない。
約束をしたことがないという月島に、春見は驚いた顔をした後に「んだら、するっちゃ!」と拳を震わせた。





春見に背を押され、家に戻った後に月島は苦崎を誘うことにした。しかしなんの遊びに誘えばいいのか。
悩んだ月島はふと閃いた。春見と苦崎を会わせてみよう、と。
春見は女である。だから、苦崎もなんの不安もなく仲良くなれるのではと思った。春見が悪いやつでないことは月島はもうよくわかっていた。それに、とうの春見もなんだか苦崎に興味があるようで、月島が彼の話をするときには目を輝かせていた。

「みなと、おめに会わせてぇやつがいるんじゃ」

そう誘ってみた時、苦崎は袋越しに――その日は父親が家にいた――目を見開いて、それからギュッと目を瞑った。
それが肯定か否定かわからず、困惑しながら眺めていれば、苦崎は薄目を開いて「どこで会う?」と尋ねてきた。

「基地に、連れてってやりてぇんやけど」

それまで月島は春見を基地へ連れて行ったことはなかった。あれは、苦崎と一緒に作ったひみつの(・・・・)基地であるから。
けれど、苦崎と会うのなら基地の方がいいように思った。苦崎は一日中袋を被っていることが多くなったが、袋を外す時もある。それは父のいない我が家か、二人きりの基地だ。
それに、基地では身を隠せる。島にいるとどうしても子供らにみつかり、月島や春見が絡まれることがあった。大人に見つかっても白い目で見られる。もちろん、春見になら基地を教えても悪いことはしないだろうという確信もあった。
苦崎は月島の言葉を聞くと、またギューッと目を瞑った。先ほどよりも強く閉じられた目に、嫌なのかと内心で焦る。

「わかった。日付が決まったら教えてくれ」

そう口にして、苦崎はサッと布を敷いただけの薄っぺらい布団へ入ってしまった。
しかし、その声がどこか弾んでいたような気がして、月島の頭はこんがらがる。
とりあえず、断られなかったことだけは確かなようだった。

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