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ぐちゃぐちゃ20
そんな、色々なことが起こった二度目の出会いであったが、春見は頑張った。
随分失礼なことを言われたものの、すぐに水に流して、自己紹介をした。友達になるにはお互いに名前を知らなければならないからだ。何度も頭の中で考えたそれをようやく言うことができた。

「おいは春見ちよって言うっちゃっ」
「……月島基や」
「月島基……基ちゃんやね!」

確か、あの小屋でもう一人の子も「基」と呼んでいた。名前をちゃんと聞けたのが嬉しく、浮かぶ笑みをそのままに名前を呼べば、また少年は目を丸くしていた。

それから、春見は基ちゃん――月島を島で見つけると必ず声をかけるようにした。二度目の出会いは自己紹介をしただけで終わってしまった。月島は自己紹介をした後になぜか難しそうな顔をしてそのまま去ってしまったのだ。しかし春見はめげなかった。ようやく友達になれそうな子と話ができたのだ。それに、もう一人の子とも仲良くなりたい。
しかしそれは大変なことだった。春見は自分の髪を気にしてはいたものの、そこまで悪いものだとは思っていなかった。けれど、外に出ると春見の物珍しい髪を揶揄る子供たちが多くいたのだ。誰かが言った――きっとくせっ毛髪から連想したのだろう――「いご草」というあだ名で笑われるようになった。どうして普通に歩いているだけなのに、そんなことを言われないといけないのかと、春見は胸がモヤモヤして、鼻がツンとして視界が潤んだ。
けれど、怖くて言い返すこともできず、追ってくるような子供たちもいるため逃げるしかない。
そんな時、春見を助けてくれる子がいた――月島だ。

「なんしとんじゃ」

毎回というわけではなかったが、春見は彼らを探していたから近くにいることが多かった。春見が揶揄われていたり、ひどい時には追い回されていた時に颯爽と現れて相手をボコボコにして助けてくれる。血を流して逃げていく少年たちに、やりすぎなのでは……と思いつつも、毎回お礼を言って、友達になりたくて色々と話をした。
春見がわかったのは、彼がもう一人の子と一緒に家で過ごしていること。彼の父親が酷いらしいこと。そして――なんだか彼は、最近もう一人の子とうまくいっていないことだった。

「喧嘩したん?」
「……喧嘩やない」

そのことを聞く頃には、会う場所を決めてそこで話をするぐらいになっていた。
眉を寄せて深刻そうな表情をしている月島に、何があったのだろうと心配になる。あんなに仲が良さそうだった二人なのに。それに、喧嘩でないとしたら何が原因なのだろう。
あの小屋での光景を思い出す。もう一人の子の優しい声と、目の前の少年の困ったような、でも嬉しげな声。今まで見てきた中で、一番輝いているように見えた光景を、無くしてもらいたくなかった。

「うぅん、その子、なんかゆってたっちゃ?」
「なんか……あんま、聞き取れんかったけど」

そう、らしくなく小さく呟く月島に、春見は黙って続きを待っていた。
何か葛藤があったのか、眉間のしわを増やした月島が、ぽそりと声を出す。

「『おかされた』って、どんな意味なんじゃろ」
「おか……」

突然の問いに、春見は首を傾げた。
仲がうまくいかなくなったことに無関係ではないだろう言葉だが、残念なことに彼女はその言葉の意味を知らなかった。
月島の話によると、その子は佐渡のものではない言葉を使うそうなので、自分達が別の言葉で使っているものなのかもしれない。
なら、と春見は顔を輝かせた。

「カカに聞いてくるっちゃ!」
「いいんか?」
「もちろんっ。なんか悪いことあるん?」

彼の役に立てる! と喜ぶ春見に対して、浮かない顔の月島に尋ねる。
目を逸らした後に、多分やけど、と前置きをして月島はこういった。

「すっげぇ悪い意味の言葉だっちゃ思う」



月島の言ったことは本当だった。母に意味の知りたい言葉がある。と言って意味を尋ねた。
「多分、悪い意味の言葉なんやけど」と言ってから聞いたら、眉間に谷ができたのではないかという形相をされ、何があったのかを事細かく質問された。島の子に聞いただけ、その子も意味を知らなかった。と月島のことをぼかしながら話をして、未だ怒りの収まらぬ母が言ったのは「糞男が女に酷いことをすることや」だった。
母から聞いたその言葉をそのまま月島に伝えることも考えたが、役に立ちたいという気持ちが強く、もっと詳細を訪ねようと母の迫力に押されながらも尋ねた。酷いこと、と言われて、春見が思いつくのは髪の毛を引っ張ったり、悪口を言うことだったから、そういうことかと。
母は少し口を閉じてから、そういうことやない。と言った。もっと酷くて、怪我をしたりする。とも。
なら、殴るようなことなのだ。と思って顔を青くしながらそう聞いたら、それも違うという。
謎々のような母の言葉に、春見は首を傾げた。その様子を見て、「今は知らんでええ」と母は言う。
でも、と追い縋る春見に、母はこれが最後だ、と言うように口を開いた。

「されたら男が信じられんくなるようなことや」

「――ってカカがゆってたんやけど、よくわからんくて」

それ以上母は答えてくれなかったため、春見は困って、結局話した内容を全て月島に伝えることにした。
あまり役に立てなかったことに内心肩を落としながら伝えたそれらを、月島は黙って耳を傾けていた。
最後まで聴き終わると彼は「そうけ」とだけ言って、そのまま口を閉ざしてしまった。

「なぁ、仲直り、できそうけ?」

重い空気に、おずおずと問いかける。
曖昧な意味を伝えた言葉が、彼らの仲がギクシャクしていることに関わっているらしいのは察せられる。だが、何も言わない月島に、それ以上のことはわからない。何か役に立てればと春見は思っていたが、そんな雰囲気ではなかった。
しばらく黙っていた月島であったが、視線を足元に下げつつ、ポツリと言う。

「気持ち悪りぃって、思われてっかもしんねぇ」
「え? その子が、基ちゃんを? そう言われたんけ?」
「……言われては、ねぇけど」

言われてないのに、どうしてそう思うんだろう。内心首を傾げながら、深刻そうな月島に、春見は慌てて思考を回し始める。
言われていないということは、そんな態度を取られたのだろうか。それか、遠回しにそう言われたとか。
けれど――どうしてもピンと来なかった。あんな優しげな声を出して彼を出迎えるあの子が、そんな酷いことを彼に向かってするだろうか。
あの子のことをよく知っているわけではなかったけれど、第一印象というのは強烈だ。身を守るように体を丸くして、貝殻を握って眠る袋の子。嬉しげに彼を出迎える声色。どうしたって春見には、あの子が月島をそうやって拒否するようには思えない。

「確かめられんの?」
「無理や!」

ばっと顔を上げた月島の険しい形相に、春見は驚いて尻餅をついた。
それに、彼が慌てた様子で「すまん」と言って手を伸ばす。自然に出された手に、なんとなくどきりとしながら思わずその手をとった。力強く引き上げられて、元の姿勢に戻る。
色々と驚いてしまった春見であったが、確かめることはとてもじゃないが無理だと言うことと、目の前の少年がやはり優しいことはわかった。

「なぁ、そいは基ちゃんのかんちがいってゆうことはねぇっちゃ?」
「……」

押し黙って、何も返さない。この話題になると、月島は沈黙が多かった。
それでも、春見は続けた。

「おいはその子が基ちゃんのこと、嫌になると思えんよ」

多分、大変なことがあったのだろうと思う。ハッキリとした性格の目の前の少年が、こうなってしまうぐらいのことが。
それでも、あの子が変わるとは思えなかった。そうあってほしいという春見の願望かもしれなかったけれど。
まっすぐ目を逸らさない春見に、月島は眉を歪ませながら口を開く。

「なしてそんなこと思うんじゃ」
「えっ……と、そいは、は、基ちゃんの話聞いて、そう思ったっちゃ!」
「……そげにあいつんこと、俺話したけ?」
「う、うん! してた!」

突然突かれた核心に、動揺しながらも必死で首を上下に振る。
明らかに不自然だったが、月島はそれどころではないのか、そうけ、と言って目を逸らした。
それにホッと安堵しながら、どこどこと煩い胸を落ち着かせる。覗き見をしていたのがバレてしまうところだった。しかし、と同時に思う。言ってしまっても、怒られないんじゃないかと。偶然見かけたといえば、そうだったのか。で済むことがもしれない。
けれど、春見はなぜか言えなかったし、言いたくないという気持ちもあった。あの場面を見ていたと口にして、二人だけ空間が壊れてしまうのが、なんとなく惜しかった。

「その子と普通に話してみたらどうっちゃ?」
「普通に……」
「そうや。気にしすぎても、良くないけん」

話を逸らす意味と、ある種の自信からくる力強さでそう告げれば、月島は少し考えた後に「そうしてみるけん」と口にした。
春見が良かったと胸を撫で下ろした時に、月島が小さく「ありがとな」と呟いたのを耳にして、そんなことを言われると思っていなかった春見はパッと顔を赤くした。

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