- ナノ -

ぐちゃぐちゃ19

『あれ』から、苦崎は変わった。一人称を変え、口調を変え、態度を変えた。

『女っぽいと舐められるから、身を守る手段として少し変える。最初は慣れないと思うけど、あんまり気にしないでくれ』

家に戻る日にそう告げた襤褸袋の下には、笑みはなかった。
月島たちは数日、基地で過ごしはしたものの、また家へ戻ってきた。あれほど戻らないと思っていた家への帰路は、景色も足取りもあまりにもいつも通りだった。ただ、隣から聞こえていた楽しげな声がないだけで。
苦崎は家でも袋をあまり取らなくなった。理由はすぐにわかった。父親が家にいるときは顔を隠したままでいるようになったのだ。
そして苦崎は、月島に黙って外へ出ていくことが増えた。月島も、それを黙認するようになった。
喧嘩をしてきて、多少の怪我をしてきても、どこで何をしているか分からなくても、何も言わなかった。いや、言えなかったのかもしれない。月島は自分が彼に対してどう接していいか分からなくなっていた。
喧嘩をしてほしくない、怪我をしてほしくない、自分の知らぬところに行ってほしくない。だが、その想いは、苦崎にとって良くないことかもしれない。自分の勝手な考えで、彼を苦しめてしまったら。
気持ちがぶつかり合って混じり合って、形容できない何かになって、踏み潰したはずのものがまた浮かび上がるようで、月島は一人震えた。
そして皮肉にも、そんな月島を苦崎が決して一人にしない時は、家に月島と父親が同時にいる時であった。

月島も、一人で行動することが増えた。苦崎が外に出ることもそうだったが、父親がいる時に家にいて苦崎を拘束するのが嫌だった。
外に出ても、楽しいことなどなかった。島民は月島に冷たい目を向けるし、侮蔑の言葉を投げかけて、時には直接殴りつけてくる。いつも通りそれらを下駄で追い返して、喧嘩の虚しさに呆然としていた。いつもは、いつもなら――苦崎に報告をして、すごいと手を叩いて喜ばれていたのに。
今の苦崎が、そうして喜ぶとは月島には思えなかった。

一人で歩く島はこんなにも退屈だっただろうかと、地面をふみしめる。少し遠いが、海辺の基地が近くにあったはずだ。そこに苦崎はいるだろうか、いて欲しいような、いて欲しくないような。定まらない気持ちのまま、足を引きずるように歩いていれば、どこからか耳障りな声が聞こえていた。

「絡まって汚ぇ髪や!」

嘲りを含むそれに、ふと目を向ける。そういうものは、大抵が自分に向けられていたものだったからだ。だが、月島は坊主で絡まる髪などあるはずもない。
目線の先、そこには数人の少年と、一人の髪の長い子供がいた。そして寄ってたかって子供を囲み、髪を引っ張ってさえいる。
嫌がる声に、胸がざわついた。

「おい」

ずんずんと近づいた先、髪を引っ張っていた少年に月島は声を掛ける。と同時に、手に持っていたゲタでその顔面を強打した。

やりすぎだと言われても仕方がない程に少年たちを下駄でボコボコにした月島は、鼻から出た血をゴシゴシと手のひらで拭く。
痛みはなかったし、胸がすくような気持ちもなかった。去っていった少年たちの背を眺め終わり、月島はどこへ行くでもなかった髪の長い子供を見やった。

「あ、ありがと」

苦崎以外からのお礼の言葉に、目を丸くする。何か返すべきだろうか、と考えたが、口を開く前に月島はよく相手を観察した。
うねった髪が長く首元まで伸びている。目は大きく、唇は小さい。首は細くて、着物の色は薄緑色。
押し黙った月島に、相手は困惑したように眉を下げている。仕方なく、思いきって尋ねてみた。

「おめ、おんなか」
「……み、見てわかるやろっ!!」





くせっ毛髪の少女――春見ちよが坊主頭の少年を見たのは、これが初めてではなかった。
春見の家の近くには同世代がいなかった。そのため、必然的に友人もできず家から出ない日々を送っていた。それに業を煮やした母親が、知り合いだけでも作ってこいと家から放り出した。もとから人見知りの気もあった春見は一人放り出されおろおろとした。しかし、それでも家に帰れば叱られるとわかっていたので、当てもなく島を散策することにした。
時折聞こえる子供たちの声に、つい物陰に隠れながら歩いていれば、いつしか木々が茂る雑木林が目の前に現れる。なんとなく興味がそそられた。なにしろ人がいなさそうであったし、意外と下駄でも歩いていけそうな、獣道か人による踏み分け道かわからない道もある。
好奇心に突き動かされ、木々の間を進んでいく。一人での冒険に、胸が躍るのがわかった。外で遊ぶのも楽しいかもしれない。
そうして進んでいった先、先の尖った人工物があるのを見て、春見は思わず足を止めた。大きさはちょうど春見の身長ほどで、先は尖っていて、下に向かって丸く開いている。表面には葉っぱが敷き詰められていて、側面に子供が身をかがめて入れそうな大きさの穴があった。

(なんじゃろ、あれ……)

ぎゅうと手を握って、少しの不安もあったが、足音を抑えながらそれに近づく。
やはり人によって作られたとしか思えないそれは、小さな小屋のようであった。
けれど、入れるとしたら春見のような子供の体格でないといけない。ということは、これは同じぐらいの子が作ったのだろうか。と間近に小屋を見て、「すごいっちゃ」と感嘆した。と同時、小屋の中からカサリと物音がして、飛び上がりそうになる程驚いた。
身を固まらせ、しかし音は続けては聞こえなかった。体の硬直が解け、ゆぅっくり足を一歩後ろに動かす。
このまま、少しずつ後退して逃げようか、と思ったが、音がしないことと、先ほどの音からどうやら中に何かいることを察して好奇心の方がむくむくと湧き上がってきてしまった。こちらの存在に気づいていないのではないか、と思った。
この小屋にいるのはなんなのだろうか。

(動物じゃろか、もしかして、これを作った子がいるんか?)

ちょっと、ちょっとだけ。
そう言い聞かせて、できるだけ音を立てないようにして、そぉっと小屋の中へ続く穴を覗いた。
陽の光が木漏れ日として入ってくる程度の小屋の中、穴からの光で見えた先には――一人の子供がいた。
春見と同い年ぐらいだろうか。体を丸めて、横になっている。しかし目を引くのはその顔だ。顔と言っても容姿が見えるわけではなく、襤褸布をかぶっている。首元で紐か何かで縛っているのか、取れないようになっているようだった。
ギョッとしたが、どうやら袋の子供は眠っているようで春見が覗いたことに対して反応を示さない。
穴側に体を向けて寝ていたため、その子の様子が春見には良く見えた。白いつやつやとした肌に、少し傷の多い手。落ち着いた色の着物を着ている。そして袋から尻尾のように少しだけ黒い滑らかな髪が見えた。

(男の子、かな)

自分と比べて少し骨張っている体にそう思いながら、その手に何か握られているのを発見する。
あれは――巻貝、だろうか。白っぽい巻貝を大事そうに握っている。

(悪い子じゃ、なさそうっちゃ)

なんとなくそう考えながら眺めていれば、背後からザクザクと慌ただしい足音が聞こえて息が止まった。
慌てて振り返れば、まだ人影は見えない。春見は慌てふためきながらも、どうにか声を押し殺し、小屋から遠ざかった。
段々と大きくなっていく足音に春見は走って逃げることを諦め、近くにあった背の低い木々の間に体を隠す。ガサリと大きな音がしてしまったが、それ以上どうすることもできず、春見はじっとその場で身を固まらせた。そこまで遠くに行けなかったため、小屋が視界に入る程度の場所だった。
大きな足音をさせてやってきたのは、これまた同い年ぐらいの少年だ。丸坊主で、着物を動きやすいようにたくし上げている。
その少年がほぼ走っているような速さで小屋へやってきて、それから勢いよく小屋を覗き込んだ。

「ここにいたんか!」

聞こえてきた声は大きくて、少し怒っているようだった。春見がびくりと木々の間で肩を震わせていると、小屋からむにゃむにゃと緩んだ声が聞こえてくる。

「なぁに基……。どしたの……」
「だからなぁっ、外に行く時は……っ」
「うぅん……基は、私がどこにいてもすぐ見つけるねぇ……」
「っ、当たり前やろ! ……はぁ、もういいっちゃ」

ため息をついた坊主の少年が、そのまま小屋へと入っていく。「せまーい」と楽しげな声が中から聞こえてきて、羨ましいな、と素直に春見は思った。仲良くお話しして、小さな小屋に入って笑い合う。二人はきっととても仲の良い友達なのだろう。
ここには人は滅多にやってこないのだろうと春見は思った。春見も好奇心が湧き出たからやってきただけで、隠れるように作られている小屋を知っている人は少ないのだろう。知る人のいない遊び場で、友達と素敵な時間を過ごす。すごく楽しそうであったし、それをしている二人に春見は羨望を覚える。
友達――友達になるのなら、ああいう子たちがいいなぁ。
そう思えど、今の春見は小屋を偶然見つけ、持ち主がやってきたところで逃げ出して木陰に隠れる身である。
それをハッと思い出し、春見の顔は赤くなった。友達になるなら、自分から話しかけるぐらい出来なければいけないのに。
しかし、隠れて覗き見をしていることを考えて、悪気なく声をかけられるほど、彼女は図太い神経はしていなかった。

(今度、今度あったら、友達になってくれってゆうっちゃ)

そう、幼い胸に硬く決め――その場は気づかれぬよう、そぉっと退散した。


そうして、二度目の邂逅。坊主頭の少年に出会った春見は、最初は混乱した。
彼らを探して島を歩いていたら、彼女自身でも気にしている髪を揶揄われた。それだけなら今までもあったし、怖いし嫌ではあるが逃げればいいだけの話だ。しかしからかってきた少年たちは彼女を追いかけて、囲ってきた。恐怖で動けなくなった春見に近づいて、髪を引っ張りさえした。
泣き出しそうになるほど恐ろしくて、必死に「やめて!」と声を上げた時――助けてくれたのが坊主頭の少年だった。
最初それがあの小屋で見かけた子だと、春見は気が付かなかった。それほどに、雰囲気が違った。小屋では世話焼きの兄みたいな子だったのに、この時は危機迫った様子で、少年たちをあっという間にボロボロにして逃げ出させてしまった。
その時だ、春見があの噂を思い出したのは。悪童、人殺しの息子――そう呼ばれて、大人にまで忌み嫌われている子供がいる。丸坊主で、下駄を武器にした悪名高い暴れん坊。そしてその子供には、最近袋をかぶった気味の悪い子分ができたのだ、と。
小屋で見た時は、朗らかで優しげな雰囲気と空気感で、全くその噂と結びつかなかった。だが、きっと、彼らがそうなのだろう。
少し怖気付いたのは事実だった。下駄の角を赤くして逃げ出す少年たちを睨みつける彼が怖くなかったと言ったら嘘になる。
けれど坊主頭の少年は春見を助けてくれた。怖くてもそれは揺るぎない事実であったし、何よりきっとあの小屋で見た姿が本当の姿だと、なぜか確信が持てた。親しい人といるときほど、人の素顔が出る。彼は、彼らは優しい子たちだ。
そう胸で繰り返し、そうしてあの時に出せなかった勇気を出した。

「あ、ありがと」

囁くような声だったが、それでもちゃんと声が出た。
目があった坊主頭の少年が、目を丸くしていた。それからジロジロと春見を睨め付ける。その視線が再び顔に戻ってきた時、彼はようやく口を開いた。

「おめ、おんなか」
「……み、見てわかるやろっ!!」

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bkm