- ナノ -

ぐちゃぐちゃ16
「誕生日おめでとう基〜〜! 生まれてきてくれてありがとう〜〜! 世界に感謝〜〜!」

また畢斗が何かやっている。と月島は片眉を寄せつつ、素直に分からないことを聞くことにした。

「せか……なんさ? あとなんがおめでとうっちゃ?」
「基が生まれた日って今日でしょ?」

苦崎の言う通り、本日は月島が生まれた日――出生日だ。書類を見つけてきた苦崎が教えてきたため、月島もそれは分かっていたが、何故それに彼女がここまで喜んでいるのかと首を傾げた。

「それがなんでんめでたいんさ?」
「基が爆誕した日だからだよ〜!」
「ばく……なんさ?」

今日はいつもより訳の分からない言葉を使う。
海に近い洞窟の基地で騒いでいるため、苦崎のはしゃいだ声が基地に響く。二重に聞こえるようなそれに、空から花びらが降ってくるような感覚になった。
それで、少し機嫌の良くなった月島は、苦崎の言ったことを頭で噛み砕いて理解しようとする。

「生まれた日を祝うんか? またみなとが考えたやつか?」
「そうそう!」

元気に頷いた苦崎に、もしかしたらこれがしたくて誕生日を知ろうとしていたのかもしれない、と月島は思った。自分を祝うために、彼女は前々から考えていたのだろうか。
月島は胸の奥がくすぐられるような感覚を誤魔化すように言葉を紡いだ。

「んなら、おめの生まれた日も祝わんとな」
「私は昨日だったよ!」

きのう――昨日?
昨日と言うと、三月三十一日だ。しかし昨日というぐらいだからとっくに過ぎてしまっている。苦崎を見る限り、誕生日当日に祝うことが大事そうなのに、苦崎の出生日は昨日。

「昨日……はよ言えっちゃ!」

思わず大きな声が出たが、目の前の少女は嬉しげに微笑むだけだった。

自分だけ何かをもらうのは据わりが悪いと、月島は苦崎への贈り物を見繕うことにした。苦崎は「気にしなくていいよ」と言っていたが、月島が譲らないと見ると、少しワクワクした面持ちで彼の後をついていった。しかし、見繕うと言っても月島は彼女が何をもらって嬉しいか、よく分からなかった。嬉しそうな顔をしている時のことを思い出して、そこから贈るものを考えてみようと思ったが、苦崎は大体の場合ニコニコと楽しげな表情をしていた。なら好きなものはなんと言っていたか――と想像して、自分のことだと思い至って月島は一人で顔を赤らめた。そういうことを考えたいわけではなかったというのに。
その考えを振り払って、月島は彼女がもらって嬉しいものを思案する。そうだ、苦崎は波の音を聞くのが好きだった。
そう思いついてからは早かった。あてもなく歩いていた足を海岸へ向けて、その先で巻貝を探す。完全に形を保っている巻貝を探すのは骨が折れたものの、あちこちを探し回り、形を保っている手のひらほどの巻貝を発見できた。

「やる」
「わぁ! 可愛い!」

まだ濡れているそれを手渡す。飛び上がるように驚喜を口にした少女に、月島は内心ほっと安堵の息を吐いた。
彼女は恭しく月島の手から巻貝をそっと掴むと、くるくると回したり、陽にかざしたり、じっくりと見つめた。その姿に贈った本来の理由を知らないのかもしれないと「耳に当ててみい」と促した。うん、と声がして、素直に貝殻が耳元に近づく。と、その時に袋が邪魔だと気づいたのか、袋が耳元までずらされて、直に貝殻が耳に当てられた。そのままピタリと動きが止まる。袋に覆われた損ねた、柔く微笑む口元だけが陽に照らされている。

「海の音が聞こえる」
「おう。ふしぎやろ」
「うん……ふしぎ……。すごくきれい……」

波音を綺麗だという感覚は、月島には一欠片も分からなかった。だが、目の前の少女が吐息を漏らすようにそう呟くのを、背筋が震えるような、体の中が柔らかい太陽の光で満たされるような奇妙な心地で、ただ眺めていた。
しばらくそうしていて、襤褸袋の中で耳を澄ませていた苦崎が、ハッとうたた寝から起きるように顔を上げる。

「そうだっ。私からのプレ……贈り物も受け取って!」
「なんくれんだ?」
「ふふ、良い感じのものだよ!」

そう言って苦崎は両手で抱えていた貝殻を片手に、もう片方の手で月島の手を掴んで走り出した。
手を引かれながら、別に自分の贈り物は後で良かったと月島は思う。もっと、あの光景を見つめていたかった。
辿り着いた先はいつもの基地で、葉で隠すように置かれていた棒を苦崎は得意げに取り出した。見つけるのが少々難しい、ほぼ真っ直ぐな棒で、苦崎が握っている部分が少し細くなっている。先端に向けて徐々に太くなっており、月島の頭に浮かんだのは「しゃぎつけ(殴りつけ)やすそうや」というものだった。

「私が作ったの! 良い感じの棒。ケンカの時に使ってね!」
「ほぉ、使いやすそうじゃ」
「でしょ!」

思い浮かんだ通りの品だったそれを受け取り細い部分を握ってみると、扱いやすさに目を見開いた。
そそくさと基地を出て、ブン! と一振りしてみると、体が吹っ飛びそうなほど速さが出て、思わず「おお!」と感嘆の声が出る。

「すごいっちゃ!」
「でしょ! でもかなり勢いがつくから、頭潰しちゃわないように気をつけてね!」
「おう!」

先ほどまで自分の贈り物はもっと後で良かったのに、と思っていた気持ちはどこへやら。手にした棒――苦崎曰く『良い感じの棒』――に興奮し、振り回し始める。そんな月島に、送り主の子供は、袋を被っていてもわかるほどに満足げな笑みを浮かべた。
ブンブンと新しい獲物を振り回す月島を基地から眺めていた苦崎であったが、ふと手に持ったままだった貝殻を見つめて、懐に忍ばせていた巾着を取り出した。
それを視界の端に見て、棒を振るのをやめた月島が近づく。

「そいは、かかやんのか?」
「そう。大事なものを入れておけって」

苦崎が懐から取り出したのは蜜柑色の巾着で、彼女の両手で作った皿に収まる程度の小さなものだった。
以前にも、彼女が巾着を眺めていたのを月島は見たことがある。その時に「母からもらったもの」だと聞いた。それを知った時、月島は自分とは違うな、と感じた。己は母から何かをもらったり、声をかけてもらったりしたことをはっきり覚えていない。どんな声だったか、どんな顔だったか、それも忘れてしまった。少なくとも、苦崎は月島よりは持って(・・・)いる。
そういうのを自覚すると、月島は胸に濃い霧が立ち込めたような気持ちになる。島でまともな父親とその子供を見たり、同じぐらいの子供が良い服を着ていたり、うまそうなものを食べていたり。その蜜柑色の綺麗な巾着は、そういうものの一つだと思い至ったのだ。
至ったが、なぜか苦崎相手にはその霧は立ち込めなかった。ただ、僅かに目を細めてその布を見つめる彼女に、なんと声をかけてやれば良いのか分からず戸惑うだけだ。
そんな戸惑いの袋の紐が苦崎によって緩められ、開いた口にそっと貝殻が入れられる。
また紐が引かれて、蓋が閉められた。膨らんだ巾着を、まるで弾けそうな泡を撫でるように、そうっと彼女の指が滑る。

「本当にありがとう。すごく嬉しい。大事にするね」

真っ直ぐな視線と、噛み締めるように告げられた言葉に、目を瞬かせ、月島はコクコクと首を上下に動かした。
ありがとう、嬉しい、大事にする――投げられたことを、そのまま同じ言葉で返してしまいたくて頭がこんがらがる。そんなのは会話にならない、でも言いたい。ありがとうと言いたい、嬉しいと伝えたい、大事にするとはっきり告げたい。
感情の波に攫われ、声が出てこない。苦崎がふしぎそうな顔をしている。何か言わなければ、と思い、口から出たのはこんな言葉だった。

「名前」
「名前?」
「おれの、名前」
「……基?」

なぁに? なぞなぞ? と楽しげに返す苦崎は「月島基、基でしょ」と何度も口にする。
はじめ、三文字、漢字で書くと一文字だけ。横棒が多い。彼女が言う、素敵だねぇ。

「ねぇ、私の名前は?」
「え……」
「私の名前! なんでしょう?」

そんなのは知っている。知らないわけがない。なんでそんなことを聞くんだと月島は思って、そのまま疑問が自分へ返ってきてしまった。

「み、みなと」
「うん」
「くざき、みなと」
「漢字は?」
「たしか下は……なんか、二文字の……一つ目が棒がいっぱいあって、二つ目が少ない、やつ」
「なんて読む?」
「は? ……みなと、じゃろ」
「そう! 大正解〜! さすがぁ! 正解した基くんには、プレッ、じゃなく、何かご褒美をあげましょう〜!」

何が良いかなぁ? と楽しげに尋ねる少女に、月島の眉間に皺がよる。しかし、その眉は下がっていたので、ただ拗ねているようにしか見えない。
そもそも、月島は怒っても拗ねてもいなかった。ただ名前を当てただけで大喜びをされて、どう反応していいか分からないだけで。
けれど、名前を当てられた後の反応の仕方を彼は今まさに学んだ。嬉しげにして、褒めてやって、そうしてご褒美をやる。

「おめもせーかいっちゃ」
「え? うん、確かに?」
「……ごほおびに、ほっぺすりすりして良いっちゃ」
「エッッ!!??」

座ったまま魚のように飛び跳ねた苦崎が、顔を抑えて「ほっぺすりすり……!?」とか「ただ名前呼んだだけなのに良いんですか……!?」やらよく分からないことをブツブツと呟いていたが、月島はずんずんと基地へと入っていき、彼女の隣へ座る。
苦崎はこのほっぺすりすり(・・・・・・・)というのがお気に入りのようだった。何せ顔の傷が治り切らないうちに、治ったらしてほしいとせがんできたほどだ。
手を伸ばして頭にかぶっている襤褸布を軽く引っ張ると、ようやく独り言をやめた苦崎が、慌ただしい仕草で袋を脱いだ。
何が楽しいのか、大きな丸い目をキラキラとさせて月島の様子を伺っている顔が現れる。ボサボサになった髪があちこちに跳ねていた。

「ほれ」
「ワァ……あ、ありがとうございます……!!」

生誕祭万歳……! とまた知らない単語を呟きながら、苦崎は我慢ならないように飛びついてきた。
そうは言っても体を抱きしめる腕の力は強くなく、頬に触れる頬はひどく柔らかく、すべすべとしていた。そしてほんのり温かい。
少年は少しだけ、頬を近づけさせてほっぺすりすり(・・・・・・・)がしやすいようにしてやった。

月島基。四月一日生まれ。家族はクソを煮詰めたような親父と、苦崎畢斗。
新しく家族になった子供は同い年で、姉か妹か分からない。だから月島は自分が兄か弟かも分からない。
畢斗といると、月島は自分が何も知らないことを思い知らされる。見慣れた風景が、謎に満ち溢れる。
その謎を、隣で楽しそうに彼女があれこれと語る。その彼女こそ謎の塊で、不可思議な存在だった。その不可思議も、彼女は一つずつ丁寧に説明する。自分はこういう人間なのだと、そしてあなたはこういう人なのだと月島に語る。
知れば知るほど分からないことが増えていき、知れば知るほど、視界が色づく。手が温まる。走る意欲が湧いてくる。笑う嬉しさを感じる。

苦崎はかつて、守ってやると言った月島に「なら自分は基を幸せにする」と言った。
頬の温度を感じながら、それを思い返す。
月島は幸せというものがなんなのか、まだ彼女から教えてもらっていない。だからそれがなんだか分からない。
だが、ただ、この瞬間、生きていてよかった、と思った。

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