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ぐちゃぐちゃ13
月日は流れるように過ぎる。体は青年から成人に成長し、歳はもう二十歳になろうとしていた。
もうそろそろで徴兵検査のために集められる時期だ。そして検査に合格すれば、三年間は兵役に服することになる。
どうにかこの徴兵検査で基が徴兵を免れるようにできないかと考えたこともあるが、健康体である彼にそれは難しそうで、何より本人が徴兵に否定的ではなかった。確かに、強制的に国民が徴収される徴兵であるが、逆を言うとこの島を出られる理由でもある。
明日には徴兵検査のために立たなければならない。

「ここにいたんか」
「基、お前こそどうしてここにいるんだ。ちよはどうした」
「まだ来てねえっちゃ」

恋人たちの島での最後の邂逅となろう今日は、当然邪魔をしないように思っていた。そもそも私も野暮用がある。
その野暮用には少し時間があったため、海の基地から近いこの場所にいた。
海辺に近いそこは、岩が大きく削られていて広い屋根のようになっている場所だった。地面は土で、そこには多くの無縁仏が埋められている。
立っていた場所から退いて、岩部屋の外へ出た。

「一つだけ、言っておきたいことがある」
「言っておきたいこと?」

日が照らす中、基を眺める。髭はまだ生えていないし、肌も張りがあるし、目も生き生きとしている。
彼にずっとこのままでいてほしいと願いながら、口を開く。

「念の為だ……念の為、だが」

少しだけ眉間に皺が寄る。それに、基が少しだけ身を固めた。

「夜の営みは駆け落ちした後にしろよ?」
「ぶッッ!? な、でッ、おめにそげんことゆわれなきゃならん!!」
「俺だって言いたかねぇがしょうがねぇだろ!」
「うるせぇ!! そんなら言うなや!!」
「んだと!!」

結構悩んで言ったのにッ!!


ギャンギャン犬のように吠えていた基を基地へ行くように無理やり背中を押し、一人になったところで耐えきれず笑いが溢れる。
彼がちよと駆け落ちをするつもりであると聞いたのはここ最近だ。教えてもらえないかと不安だったから、正直安堵した。
基から「徴兵後にここに戻ってくる気はあるか」と聞かれて、当然なかったので「ない」と答えた。そうしたら、駆け落ちのことを教えてもらえて、なぜか「畢斗も行かないか」と言われて数秒間思考停止してしまった。駆け落ちって男女二人でするもんじゃないのか?
話を聞いてみれば、ちよも賛成してくれているらしい。そりゃあ、二人の仲睦まじい様を近くで見られるのならそれほど幸福なことはないだろう。だろうが――普通に断った。恋人同士、将来的には夫婦になる二人の近くに男がいるのは、ちょっといただけない。
不満げな顔をしていた基に「俺は軍で立身出世しようと思っているから、島に戻らない。お前たちも島に戻らないならむしろ顔を合わせやすいだろ」と声をかければ、渋々納得してくれたようだった。

そろそろだ。彼の人生の分岐点がいくつも現れるのは。
二十歳の徴兵にはじまって、日清戦争での鶴見との邂逅。父親とちよの家による虚言の噂、彼女の両親によるちよの自殺工作。
ちよへの対処は、すでに済ませていた。昨日に手紙を渡している。私たちが徴兵に行った後に読むようにと告げていた。
内容は徴兵後、戦争が始まった時にもし月島基の死が噂されても信じないように。という旨をストレートに書いた。二人の関係を邪魔するものが多いから、基がいなくなることによってそう言うふうな卑怯な手を使ってくるかもしれない。警戒するように、と。
また、信じなくとも心配なものは心配だろうと、徴兵後、基の様子を偽名の手紙で伝えるとも書いた。私だと気づかれないように女の名前で。ここには島の外からやってくるものも多少いるから、その縁で都会の女学生とちよが仲良くなった体で書くことにしている。
二人の仲を裂くため、基の手紙を隠すことはするだろうが、関係のない女学生の手紙を省くことはしないだろう。中身を見聞されたとしても、中身は本当に女学生のような、戦争にも基にも関係ない内容を記載する。ただ、彼の安否が彼女だけにわかるような一文だけを載せて。
渡した手紙は読んだら燃やすように指示してある。あれを見られてしまえば後に送る女学生の手紙も破棄されてしまうだろうから、存在していてはならない。
ちよは根のしっかりした子だ。わざわざこんなことをしたが、もしかして口で噂を信じるなと言うだけで納得してくれたのではないか。なんてことも思ってしまった。
手紙を渡すときに、逆に怒られてしまったのだ。ちょっとそう言うのを匂わせたら、ピシャリと。
その時は、この子が基の運命の人でよかったと震えそうなのを隠すのに必死だった。

基は島での最後の日をちよと過ごす、と伝えてきた。私もまぁそうだろうなぁと思っていた。なので言われずとも秘密基地には近寄らないようにしようと考えていたのだが、本人からモゴモゴとそう宣言されてしまった。なんかわざわざそんなことを言うということは、やっぱりその……あの……え、もしかして営みしようとしてる……? と考えてしまうのは仕方なくないか? だから結構長い時間悩んで、念の為に口にしたって言うのに……。親の心子知らずである。


親といえば、あの戸籍上の父親は今も元気である。少し老けたものの、しっかり老害をしている。
あのクソ野郎と会う最後の日ということで、私は奮発して安酒を大量に買い込んだ。ここ最近、漁を頑張っていたので少しだけ金に余裕があった。
酒を両手に日が落ちてから家に戻る。そこには鼻緒の切れそうな下駄が置かれていて、クソ野郎がいることが知れた。
まぁ、知っていたから来たのだが。

「いわゆる……俺の童貞卒業」

漫画の中で、第七師団の宇佐美上等兵が過去に口にしていた内容に倣ってみた。
目の前には床板の取れた家の下。土に汚れた手と、柔らかい地面がある。もう少し踏み固めたほうがいいだろうか。
家にやってきて、あの男を酒盛りに誘った。訝しんでいた男だったが、酒を目にするとひったくるように手にして飲み始めた。
別に話すことなどなかったので、相手の愚痴や罵詈雑言、意味のない話などを延々と左から右に流し、そうして酒がつ尽き始めたころに実行に移した。
ああ、話すことはないと思っていたが、最後に一つだけ聞いてみたことがあった。
「カカを殺したのはお前か?」と、そう聞いて……首を絞められて顔をタコのように真っ赤にして、白眼を剥き始めていた男は引き攣る声で「殺してない」と言ったのだっけ。
なんと返されたところで殺すことは決めていたので、体重をかけてその首を折った。厚い布の中で竹をおるような音がして、そうして動かなくなった。
事前に誰も家にいない時に掘っていた床下の穴に、死体を入れて土で埋めた。
この老害のことは誰もよく思っていない。だから突然姿を消しても探すものはいないだろう。水難事故にでもあったか、もっとタチの悪い連中に連れ去られたと思われるのが関の山だ。死体が見つかる可能性は低いと思われたが、何が起こるかわからない。自分がやったと分かるように細工をして、それを埋めた。基が疑われては困る。
全てやり終わって、床板で棺を閉じた。静まり返った室内に、遠くから波の音だけが届いた。

「意外と簡単だったなぁ」

そう呟いて、随分と広くなった部屋に寝転んだ。
あれを殺した。基の死亡説は、これで流れなくなるだろう。流れたとしても、肉親からでないそれは信憑性が下がる。
ずっと基の足を引っ張ってきたものが、ようやく消えてなくなった。
そうはいっても、別にこの殺しは基のためではなかった。いや、彼の幸福のために必要だと行ったことだったが、これはただの自分のエゴだ。
誰かのためになっていると一人で満足している殺人鬼。それが私である。
そしてそれでいい。それを選んだ。覚悟を決めた。私の母が、決めさせてくれた。

「幸せになってね、基……」

冷たい床に身を任せ、瞼を閉じた。
波に攫われるように、思考が閉じる。

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bkm