- ナノ -

ぐちゃぐちゃF
推しが可愛すぎて頭が狂いそうになるのを耐え、またしばらく日が経ったが、私は案の定島で嫌われていた。
顔が危険物であると判断して家以外では布を被り、顔面を周囲から遮断できたとして、布を四六時中被っている子供など不気味なだけである。そんな訳で、一人でいる時などに化け物などと呼ばれ、石を投げられるようになった。おそらく、それだけが原因ではないだろうが。
短期目標の『喧嘩に強くなる』には都合がいいと言えばいい。ただ最初から多数相手は難しそうだったので、石を投げてきたガキが一人になった時に喧嘩をふっかけるようにした。喧嘩なんて前世ではめっきりだったので、最初は子供相手なのに結構怖かった。しかし何度か繰り返すと「これは平気」「これは危険」というのが分かり、だんだん慣れてきた。
もちろん怪我はするのだが、私も男児だ。怪我のひとつやふたつぐらい大したものでは無い。

「かってに一人で外いくなつ(言)っとるじゃろ!」

と、私は思っているのだが、基は違うようだった。
私はまだ喧嘩が下手なので、よく怪我をして戻ってくる。今日は顔に一発食らって、それに気づいた基に袋をひっぺがされて手当を受けている最中だった。濡れた布で患部の汚れを拭き取る様子は手馴れていて、すっかり手当が上手くなったなぁと感慨深くなる。

「外にいくならおれも着いてくっちゃ! かってにおめ一人でいくな!」
「ちょっと近くに行ってただけだよ。それに相手はぶちのめしたし」
「そないんちゃうじゃろ(そういうことじゃないだろ)!」

顔の手当をしてくれているので、目の前で怒鳴られて、唾が顔に飛んでくる。目をぎゅっと瞑って目に入らないようにしつつ、ニヤけるのを必死で抑える。ここで笑えば今日一日口を利いて貰えなくなるだろう。
しかし、私のためにこんなに怒ってくれるのか、とやっぱり思ってしまうわけだ。以前に喧嘩をするなと頑固に譲らなかった理由も今ならわかる。
はぁ〜〜プリティ慈悲エンジェル……。

「じゃあ基が喧嘩の仕方教えてよ〜」
「っ、したらそいでまたケンカするじゃろ!」
「する!」
「この!」

流石に堪忍袋の緒が切れたのか、基の手がぐわりと近づいてきて目を丸くする。手当目的ではない子供の短い指先が頬を掴む。
掴んで――それだけだった。

「?」
「……ケンカすんなっ」
「ん? んー、するけど」

そう言うとムッ!と顔にシワが寄り、指が引っ張られ――るわけでもなく、もにゅ、と少し揉まれる。

「??」

え? なん……?

「引っ張らないの?」
「む……ひっぱったらいてぇじゃろ」

一つ、大きく息を吸った。
がわ゛い゛い゛ッ゛ッ゛。

「がわ?」
「おっと口に出てた」
「なんだ、もんくかっ?」
「いや……可愛いなって」
「な」
「基のこと大好きだなって……」
「なんちゃ!?」

流石にクソデカ声では無かったみたいだが口から溢れ出ていたらしい。首を傾げる基に訂正した内容を伝えれば、顔をパッと赤くしていてもう可愛らしさが限界突破している。やばい、これ以上可愛くされると私の正気が掻き消えそう。降参だ。
動揺しているのにそれでも指を離さない基の手に触れる。

「私の負けだよ、基……喧嘩はしないよ」
「ほんとかっ!」
「うん……二日ぐらい」
「ずっとすな!」

また頬を揉み始めた基に、可愛すぎて脳内が爆発するかと思った。これなら引っ張られて痛い方が全然いい。寧ろそうしてくれ。それもそれで嬉しいから。
基は私の努力――というよりただ本音を溢れ出しているだけだが――により、ある程度好意を向けられても動揺しないようになった。と言っても可愛らしく顔を赤くしてしまうのだが、徐々ももっと慣れていくだろう。それが楽しみでありつつも、お気に入りのお菓子を食べきってしまうような心地にもなる。簡潔にいうなら、照れる推しは激可愛い。

はぁ、推しが可愛すぎて困ってしまう……と、それとは別で困ったことに、これ以降、私が喧嘩して帰ってくる度に基が頬もちゃ――畢斗命名――をしてくるようになってしまった。可愛さに脳が焼かれてしまい、耐久をつけるまで言うことを聞いてしまうことになったのは誤算だった。
はぁ〜〜〜〜プリティ頬もちゃ慈悲エンジェルが可愛すぎて困る……。





それから順調に月日は経ち、私たちはすくすくと成長した。春は雑草を食み、夏は熱中症で死にかけ、秋は腐った魚に当たり二人でのたうち回り、冬は秘密基地で積雪の寒さに震えた。
それもこれも飯を与えず家から締め出し、理不尽な物言いにこちらが聞かないと暴力に走る癇癪持ちクソ野郎のせいなのだが……。人生ベリーハード。基がいなきゃ生きちゃいないぞ私。
しかし春になり、私が基と出会って一年が経過し、同時に私たちは五歳となった。本当に子供の成長は早いもので、どうしてここに一眼レフがないのか、本当に悔やまれる。気軽に持ち運べるミラーレフカメラもいいけど、やはりその一瞬を切り取るなら一眼レフではないだろうか。水にも強い機種があったはずだし、それなら雨の中でも海で遊んでいる基も激写することができる。大きくなったらカメラ買おう。あ、まだ一眼レフないかこの世界……。ああ、基がどんどん大きくなっていって感激と口惜しさで泣いちゃいそうだよ私は。
というわけで。

「誕生日おめでとう基〜〜! 生まれてきてくれてありがとう〜〜! 世界に感謝〜〜!」
「せか……なんさ? あとなんがおめでとうっちゃ?」
「基が生まれた日って今日でしょ?」
「それがなんでんめでたいんさ?」
「基が爆誕した日だからだよ〜!」
「ばく……なんさ?」

この時代では年の始まり――つまり元日――に一斉に歳をとる。一月に生まれようとも十二月に生まれようとも、その同じ年に生まれたなら何時でも同い年なのだ。そのため個人の誕生日を祝う風習もまだ存在しない。
なのだが現代人の私にとってんな事は関係ない。今日という日――四月一日――は我が人生の推しが誕生してくれた日なのだ。祝わないでどうする。生誕祭だ。あ、もちろん元日にも生誕祭してます。一年に二度推しの生誕祭が出来るなんて最高!
基は私の行動に当惑しているようだが、祝われていることは理解したのか、口元に笑みが乗る。

「生まれた日を祝うんか? またみなとが考えたやつか?」
「そうそう!」

そんなことは無いが、説明は出来ないため元気に頷く。

「んなら、おめの生まれた日も祝わんとな」
「私は昨日だったよ!」
「昨日……はよ言えっちゃ!」

そう、実は私は三月三十一日生まれなのだ。推しの誕生日とニアピン。
そうしてその日は私からはいい感じの枝を削って簡易的な鈍器にした棒を贈り、基からは私が波の音を聞くのが好きということでいい感じの巻貝を貰った。最高の生誕祭だった。
そうして、四歳の頃と比べると、五歳の間は平穏に過ぎ去っていった。クソ野郎への対処方法も四歳の頃に学んで逃げるのも得意になったことと、秘密基地内が充実して数日の間なら身を隠せるようにもなったのが大きい。

ただ、気になることが二つある。一つはいつ基がちよ――恋人になるはずの少女――に会うのか、というのが一点。漫画では幼い頃から交流がある描写があったので、そろそろ出会いそうだなとは思うのだが。
ああ、にしても基に彼女が出来たら寂しくなるな〜〜〜〜。今のように常に一緒にいることにはならないだろうし。子供の成長はこうも早い……まだ彼女できてないけど……。
それからもう一つ、クソ野郎のことだ。
直接なにかされた訳では無いのだが――暴力、罵声は常日頃なのだが――こう、気味が悪い。
家にある便所は立地が悪く、一度外に出ないといけないのだが、寝ている時にふと便所に行きたくなることがあるわけだ。そんな時は基を起こさないようにそーっと出ていく訳だが、その際に閉めていたはずの隣の部屋の戸が少し開いていることがある。これはまだいいのだが、そこから……視線を感じることがあるのだ。
隣の部屋にいるのはクソ野郎だけだ。寝ているはずだと目元だけで確認して、やはり目を閉じているのが見える。
そういうのが度々起こっていて、基にも尋ねてみたが彼は気づいていないようだった。そもそも基は眠りが深く滅多に夜に用を足しに行くことがないらしく、気づくタイミングがないというだけかもしれないが。

まぁ……気にしすぎていても仕方がない。ちよと基はいつか出会うだろうし、クソ野郎が気味が悪いのは最初からだ。ただ、後者については警戒しておくに越したことはないだろう。基に何かあったら後悔してもし切れない。

五歳の間に起こった自身の良い変化は、私が複数人相手に初めて勝利できたことだろうか。これのおかげでかなり自信がついた。
初めての大乱闘だったため、痣だらけの血だらけになったので案の定基に怒られてしまった。しかし喧嘩の理由をちゃんと伝えたら喧嘩をすること自体を否定されることが減った。その代わり、しばらく監視されているのかと思うぐらい外出する時に一緒に行動されるようになったのだが……。
その喧嘩のきっかけになったものを手にぶらさげて眺める。

「大事なものなんだよねぇ」

紐をぷらぷらと揺らせば、手のひらより少し大きいサイズの巾着が振り子のように動いた。
良い布で作られたのであろうそれは、多少手荒な扱いをされても破けずにいる。私は大切に扱っているが、あのときは懐からこぼれ落ちてしまって、それを踏みつけられたのだった。カッと頭が熱くなって、気づいたらその足に思い切り蹴りを入れていた。

『なんしてくれとんだッ、この、いしこべ(クソガキ)がァ!!』

悲しみを凌駕するのは怒りなのだなぁとその時に学んだ。悲哀が嘘のように消え去って、爆発しそうな憤怒で普段では考えられないようなことを口にしていたような気もする。基の前では見せられない姿だ。でも、そういうトリガーを自覚できたのはいいことだと思う。この先必要になってくることも、多分あるだろう。
蜜柑色だった巾着は、そのようなことがあって茶色っぽくなってしまった。洗ったのだが、洗い方が悪いのか土の色が残っている。私をこの世に生んだ母親が手ずから作った巾着は、大事なものを入れておくのよ。と言われて渡され、やっぱり大切なものを入れておいた。
基からの誕生日プレゼント。巾着の紐を緩めて、中から巻貝を取り出す。クルクルと巻かれた白いそれは、手のひらにころりと転がって愛らしい。ただ、貝殻の先が少しだけ欠けている。
今日は秘密基地に一人でやってきていた。そんな気分だった。基からは外に出るときは声をかけろと口酸っぱく言われているが、私にも都合がある。例えば、これから彼女ができる基から離れる練習とか。必要な時に子離れできない親は見苦しいものなのだ。
ガキが踏んだ場所がちょうど貝殻を避けていたから、この子はおおよそ無事だった。嬉しいけれど、欠けた部分が悲しくて忌々しい。
そっと手に包み込んで、そのまま耳元へと当てる。耳と巻貝の間から吸い込まれた空気が、貝の中を通して海の音を奏でる。
波の音を聞くと、心が落ち着くから好きだ。ゆったりと頭の中が停滞して、物事を考えるのに適した空間になる。
そうやって波の音を聞きながら、ゴールデンカムイの漫画の内容を思い出したり、何度も回想したり、やるべきことを思い返したりする。私は頭がいいわけではないから、こうして何度も何度も頭に浮かべないといつの間にか忘れてしまう。

「大人になるの、楽しみだけど怖いなぁ」

基があの子と幸せになる未来が来るのが、桜が咲くのを待つように楽しみだ。
同時に、私にうまくやれるかどうか。という不安もある。
いや、やれるかどうかではない。やるのだ。
だってこれは別に、基のためではない。私のために、自分のエゴのためにやるだけだから。
幸せになってほしいと言うのは恩返しであり、願いであり、祈りだが、基に頼まれたからではない。親が子に幸せになってほしいと思うような、そう言う一方的なものなのだ。

漣(さざなみ)に身を委ねながら、ゆっくりと息を吐く。
どこかで可愛らしい女の子の声が聞こえたような気がした。

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bkm