- ナノ -

ネタB
突きつけられる凶器にただ無感情な目を向ける。
フェローというらしい、この始祖の隷長(エンテレケイヤ)は。
ここまでくるとそろそろ知識もついてきて、なんとなく世界の全貌が読み取れるようになってきた。
自分でスキルやら奥義やらを使い始めた時点で把握したも同然なのだが。
そうやって世界で過ごしているうちに、この世界がどうにも面白いものなのだということが分かってきた。

それでも、どうにもこの世界にいることが苦痛だった。
早く帰りたい。全てを捨てて楽になりたい。そんなことばかり頭に過ぎる。

だから、別に殺されてもいいと思った。
いいや、それ以前に、殺されるのが当然だというそんな認識があった。
周囲から罪人、咎人と言われたせいだろうか、それだけでもない気がする。

私は、きっと大事な記憶を忘れている。

『逃げぬのか』
「……それほどの事をしたのだろう」

何を無意味な問いをするエンテレケイヤだろうか。
周りから焦燥した声が聞こえるが、全てシャットダウンする。
抉られる右目の傷に、いつかを思い出す。

この傷はいつついたものなのだろうか。こんな傷が付くほどなのだから、大きな何かに巻き込まれたのだろう。
何故。私は覚えていないのだろうか。

――私は思い出したら、どうなってしまうのだろうか。

なら、思い出さないほうがいい。
楽しいまま、この偽りの夢を終わらせてほしいとさえ思う。

『記憶がないとは……真実を問えぬとは』

真実とは、きっと残酷なものでしかない。
弱りきり死ぬ間際な彼と、己から流れる血が、それを証明しているような気がした。



濡れる。濡れる。赤に濡れる。
今よりも小さな少女の手が、真っ赤に濡れる。
今と同じ大きな手が、まっかっかに濡れる。

私は何をしたのだろう。私はどうしてこの体になっているのだろう。私は、何を忘れているのだろう。
最初は忘れている記憶があると分かったら、思い出そうと少しはしていた気がする。それでも億劫で、無気力だったけれど、今は思い出すことを拒否している。
きっと、思い出してしまったら。

「なんで、死んでいないんだろう」

ほら、絶望的だ。


prev next
bkm