- ナノ -

不良にはなるな・後
バスケットを始めてから、人生に彩りが溢れた。いや、まさかこんなことになるとは。天職という言葉があるが、まさにそんな感じだ。
やればやるほど出来ることが増えていくし、チームとの連携は楽しいし、負けたら喧嘩で負けた時より何倍も悔しいし、勝ったら喧嘩で勝つより何十倍も楽しいしやりがいがあった。
スポーツってすげえ。むしろバスケが凄いのか。
自分に合ったものを見つけられることの、なんと幸せなことか。
結局そのままバスケにハマり倒し、中学ではミニバス三昧。そのまま高校は強豪と名高い山王高校へ行くことに決め、高校という青春時代をバスケに費やした。
勝ちも負けも、今後一生感じないであろう悔しさも味わったが、結局のことろバスケは本当に楽しい。
一生ものの仲間もでき、人生の面白さを知った。
だからこそ最後まで走り抜ける。アメリカに行った後輩も送られてきたエアメールからして元気やっているようだし、彼にいい報告ができるように高校最後の年、ウィンターカップで最高の結果を伝えてやろうじゃないか。
最大の屈辱を味わった夏の汚名返上のためにも。嫌になるぐらい悔しいが、胸が脇躍るぐらい楽しみなのだから、おかしな話だ。
が――まぁあの選手だけはしばらくは好きになれないだろうな。
私が夏のインターハイ初戦で後半、マッチアップをした相手。これ以上ないほどバテていたくせに、ゾンビのように息も絶え絶えて動き続けてずっとコートにしがみついていた。意識もぼんやりとしてそうな様子だってのに、三ポイントシュートを何度も決め、そして試合も残り一分というところで私がファールを取られた相手。しかもその時の三ポイントシュートは決まり、つまりは四ポイントプレイだ。あんな衝撃、この人生で初めてだった。
思い出すだけで頭を抱えそうになる。どうしてあそこで必死に止めに行ったのか、なぜフェイクをするという想像ができなかったのか。自分の行動を後悔しても遅い。あれが私の実力だ。改善して二度と同じミスをしなければいい。あの場面では、相手選手の方が私より上だった。それだけだ。
しかし――やはり、あまり顔は見たくないものだ。

などと思っていたからか。他校の試合を見学しに行った際に、あのチームに出会ってしまったのは。
互いにすぐに気づいた。相手校も試合の見学に来ていたのか、廊下で逆側から互いに歩いてきていた。
見知った顔たちが並ぶ。キャプテンでありセンターの赤木剛憲、ポイントガートの宮城リョータ。スモールフォワードの流川楓。インターハイで怪我を負っていたようだが復帰したパワーフォワードの桜木花道。そしてシューティングガード――。
視線を受けつつ、決して目線を合わせぬようにして前を向いて歩く。
結局、試合でかち合えば戦うことになるのだ。今は余計な邪念を入れたくない。
互いに何か声をかけるわけでもなく、そのまま通り過ぎようとした――その時だった。

「っ!?」

腕を思い切り掴まれ、引かれたのは。
死角から伸ばされたそれに、咄嗟に反応できるわけもなく。重心が崩れて倒れそうになるのを、どうにか足を踏ん張り耐える。
咄嗟に横から、隣にいた野辺が逆側の腕を掴んで支えてくれた。礼を言う前に、体制を崩しそうになった原因に思わず目が向く。

「――お前」

そこにいたのは、私にとっては顔も見たくなかった相手――シューティングガード、三井寿だった。
短髪で、はっきりとした目元。凛々しい骨格と、顎にある傷跡が特徴的な男だった。
試合中も意味がわからなかったが、普段も理解不明なやつなのかこいつは。

「な、三井! 何をやってる!」

三井の背後からキャプテン――もしかしたら三年だし、もうキャプテンではないのかもしれないな――の赤木が声を上げる。
そのまま引き剥がしてくれ、と内心願いつつ、とりあえず支えてくれた野辺に礼を言おうと横を向いた。

「野辺。ありがとう、もうへい――」
「なぁ、こっち見ろよ」

は?
軽く首を捻って話しかけたら、思わぬ声が聞こえて眉が跳ねた。
野辺が驚いた顔をしているが、私と三井を見ている。お前、キャプテンに言われていたこと聞こえなかったのか?
仕方がなく――本当に仕方がなく、目線を向けると、そこにはこちらをまじまじと凝視する三井がいて、思わず顔をひいた。
そうしたら逆に腕を引かれる力が増すのだからありえない。なんなんだこいつは。
いい加減離してくれ、と言いかけた時、相手が口を開いた。

「どっかで会ったことあるか?」
「あ?」

――てめぇこちとらインターハイで雪辱味合わされてるんだぞマッチアップしただろーがてめぇの脳みそはハト以下か、あ???
思わず今度は身が乗り出しそうになって、今度は支えてくれていたはずの野辺に引き止められる形になる。
……危ない。文句が全てストレートに口から漏れ出るところだった。よくぞ一文字で抑えた自分。
しかし、さすがに癇に障ったのは伝わったのか、赤髪の一年、桜木が、おお、と声を出した。

「ヤマオーだから試合にいたよな。みっちーの天然ストレートが炸裂してるぞ」
「ってなに呑気に眺めてんだ花道! ちょっと三井さん、流石にしつれーっすよ」
「本人を前に聞くのはどうかしてるピニョン」
「ピニョン?」
「松本、どうした? 大丈夫か?」

周囲も口を出してきて、一気に騒がしくなる廊下。
しかしそのどれもが、一応は三井に対するもので、一気に頭に登った血が静まってくる。
最後に野辺から心配され、息をついた。一応、これでも部では優しい、真面目なやつとして振る舞っている。ふざけもあまりしないし、人に気遣うようにしていた。と言っても、それはそれまでの粗暴な部分がでないようにするためであるが、それはこの三年間でしっかりと浸透してくれていた。つまり、今の私は「らしくない」と言うものなのだろう。
そうだ。私はこれぐらいで怒ったりなどしない。冷静になれ。

「……はぁ、腕を離してくれ」

もう離してくれたらそれでいい。ふざけた態度も振る舞いも水に流すから解放してくれ。
そう思いため息とともに願うが、三井という男は一筋縄では行かない相手だった。

「待てって、もう少しで思い出しそうなんだって」
「……お前……」

もう絶句である。もう少しで思い出しそうってさっき桜木が言ってただろもういい加減思い出してろよ。
久方ぶりに腕がなりそうである。ならせないけど。こんなところでやってしまったらこの三年間が水の泡であるし、暴力沙汰で試合に出られないなんてなったら目も当てられない。
しかしこいつと対峙しているのは我慢ならない。もう腕を振り払ってやろうか……というところで、三井があー、と惚けた声を出したかと思うと、あ! と大きな声を上げ、あっさりと手を離した。
どうやら肩にかけたショルダーバッグを漁っているようだった。何やら知らないが助かったようだ。
ため息をついて野辺の方へ体を向ける。もう一度大丈夫か? と聞かれながら肩を叩かれた。はぁ、癒しだな野辺……。

「もう行こう」
「そだね」

流れを見ていた一之倉が頷く。もう思い出されなくてもいい。勝ち残ったらどうせまた試合で会うことになるのだ。その時に忘れられなくさせればいい。
深津と河田は湘北側を気にしつつも、私に合わせてくれるらしい。他の選手に目配せした後に、歩き出そうとしていた。
それに続くように一歩踏み出したところで、まだ後ろから声がした。

「あ、待てって!」

誰か待つか馬鹿野郎。
振り返りもしないでいると、宮城だろうか、ゲッ! とあまり品のない言葉が聞こえた。
と、同時に。
パサ、と頭に何かが乗った。
――頭に何かが乗った?

視界が僅かに遮られる。柔らかな触感。なんだこれ、布か?
いや、タオルだ。白地に何かが文字が書かれたタオルが、頭を包むようにかかっている。
――あいつ、私にタオル投げやがったのか。

「……」

異変に気づいた深津たちが振り返り、目を丸くしている。それはそうだ、振り返ったら頭に見知らぬタオルをかけられているのだ。そりゃあ目も丸くなるだろう。

「ま、松本?」

一之倉が私の顔を見つめながら声をかけてくる。
ああ、うん。大丈夫。どうしたそんな不安げな顔して。はは、別にこれぐらいどうということは無い。そんな侮辱は何年かぶりだが、ここは試合会場だし私たちは山王バスケ部であるしなにも問題は無い。
けどまぁ、タオルは返さないと。
くるりと振り向いて、一歩離れた距離をゆっくりと詰める。
相手は熱心にこちらを見つめていた。なんだ、ガンくれてんのか。
蹴りも拳も入る距離になった先、男が口を開いた。

「一匹狼のブラッグウルフ!!」

――え。

頭を閉めていた憤りが全て掻き消えた。
代わりに全身の毛穴が開いた気がした。ヒュ、と息がつまり、ドッと汗が溢れでる。

な、なんで、こいつ――その黒歴史の名を知ってる!?

なんで、なぜ、どうして、というかクソダサい、そんな言葉が頭を駆け巡るうちに、目の前の男はこれ以上ないほど距離を詰めてきていた。

「よぉやく思い出した! 髪型変わってっから全然わかんなかったぜ!」
「……」
「あ、覚えてねぇか? 中二の時に助けてくれただろ俺の事!」

中二……?
白目を向きそうな中で、反復するようにそれだけが口から漏れる。相手は嬉しそうに勢いよく頷く。

「ほら! バスケコートで助けてくれただろ!」

バスケ、バスケコート……。
朧気な記憶の中、浮かび上がる風景があった。
確かに中二の時、同級のやつを助けた気がする。キラキラしたスポーツ少年で、確かこいつと同じような短髪で、バスケットボールを持っていて、それを嫌に大切にしていて……ある種、それがきっかけでバスケを始めたはずだった。

はず、だった、けども。
眼前の男をよくよく見つめる。
確かに、あの時の子供の面影が、ある気がした。

ああ、黒歴史。
お前はいつまでも私を手放してはくれないんだな……。
しかも、よりにもよって、どうしてこいつなんだ……。

「まさか山王の六番だったなんてな! こんな偶然あるもんなんだな!」
「………………」
「ずっと礼が言いたくてよ〜。けど名前も分からなかったし、その後とんと見かけ無かったからさぁ」
「………………」
「そうだ、バスケしてるなら今度ワンオンワンやろうぜ! 電話番号教え――」
「ストップ」

もう無理だった。色んなもので爆発四散しそうだ。とりあえず、こいつが悪い訳では無いのは、わかった。いや、無理に引き止めてタオルかけるのはやりすぎだが、悪意がある訳では無いのはよく分かった。だが私にとっては悪意のあるなしは関係ない。これ以上この会話を続けていたらこの三年間が台無しになる。

私はそっとタオルを取り、三井の手を取ってタオルを載せる。そのままその手を掴んで歩き出した。

「うお!?」
「すまん俺は三井と話があるから先にいっててくれ湘北すまんが三井を借りる」
「え!?」
「松本!?」

困惑した声が聞こえるが知るか、こいつを野放しには出来ないんだ後で謝るから許してくれ。
大きな声でなければ耳に入らないぐらいの位置に移動し、皆から背を向け、三井を見つめた。

「おおっ、な、なんだ?」
「三井……。あの時の中坊、お前だったんだな……」
「お! 思い出したのか! そうだせ、あの時――」
「ちょっと声のボリューム小さくしような」
「お? おお」
「はぁ、三井。俺もこんな偶然あるのかって驚いてるよ」
「だよなぁ!」
「けどな、俺は不良は中学で卒業したんだ。今は喧嘩はしてないし、出来ない奴で通ってる」
「あんたが!? いや、無理があるだろ」

無理があるってなんだ。

「無理でもなんでもない。だから、俺が不良だったとかそういうのは言わないでもらいたいんだ。分かるな?」
「おお……なるほど」
「とりあえず、さっきのクソダサニックネーム……じゃなくて、ブラックウルフってのは俺とは無関係ってことにしてくれ。いいな?」
「ええ……あ、じゃあ電話番号交換してくれよ」
「……分かった。だからちゃんと訂正しろよ? 分かったな?」
「ああ!」

元気のいい返事をするなぁこいつ。
様子がずいぶん変わった気がするが、性格は変わらないままだったってことか。数年前の光景が頭に浮かんで、どうして助けてしまったのかと頭を抱えそうになった。



一方その頃、三井と松本の内緒話を遠くから眺めている山王バスケ部と湘北バスケ部。
松本が先に行っていろと口にしていたが、様子のおかしいメンバーを置いていくつもりは深津らにはなかったし、湘北も三井が半ば連れ去られるように離れたので流石に置いていくというのはできなかった。
一体どうしたんだ、と困惑していれば、桜木がうーむ。と首を捻る。

「どうした桜木」
「むむ……なーんか、聞いたことあんだよな」
「何をだ」
「一匹狼のブラックウルフってやつ……」
「三井が叫んでいたやつか」

松本の頭にタオルをかけたかと思うとそのあだ名のようなものを叫んだ三井。
それを聞いてから松本の様子がおかしくなったように思える。

「なんなのそれ」
「聞いたことないピニョン」
「漫画とかの二つ名みたいだよなぁ」
「ありそうだな」

山王のメンツも気になるのか、覚えがあると言った桜木に尋ねる。
しかし桜木は首をさらにひねって、眉間に皺を寄せた。

「どこだったか……。結構前な気がすんだよなぁ」
「結構前ってバスケ始める前か?」
「おう」
「ってことは花道が中学の時か……」

記憶を掘り返すため、少しずつ追って行こうとしたところで、三井たちが帰ってきたのであった。



「おおみっちー。さっきのブラックウルフってのだけどよー」
「おお! 松本とは無関係だったぜ!」
「む?」

おいそんなすぐに否定したら逆に勘繰られるだろうが。
そう言いたい気持ちを抑えて、顔に出さないようにする。変に反応する方が関わりがあるように見えてしまう。
しかしその後に「いや、なんか聞き覚えがあってよ」と言った桜木に背筋が凍る思いがした。
聞き覚えがある――? え、もしかして見た目がそのまま不良っぽい桜木って元不良だったりするのか? だから聞いたことがあるとか? 勘弁してくれ頼む三井いい感じにスルーしてくれ。

「マジか! 花道も助けてもらったことがあんのか?」
「三井、俺はもういくぞ」
「あ、もう行くのか!?」

もうこいつに任せてると怖い。しかし隣であれやこれやいうと怪しさしかない。
ならもうこの場を離れてしまいたい。一番最悪なのは山王のみんなに過去のことが知れることだ。湘北のメンツはこう言ってはなんだが気づかないこともある気がするが、私の同級たちは鋭いのだ。もう一刻も早くここを離れたい。
歩き出した私の肩を三井が掴む。眉を顰めて振り向けば、どこか心配げな顔が見えた。

「なぁ、ちゃんと電話出ろよな。あんたとは話してぇこと色々あんだからよ」
「……はぁ、分かったよ。あと『あんた』じゃなくていい」
「え」
「俺の名前は松本だ。松本稔」

目を瞬かせた三井は、一つ頷くと、嬉しそうに言った。

「わかったぜ、稔!」
「なんで下の名前なんだ!! 松本でいいだろ!」
「なんだよ、フルネーム教えてきたじゃねーか!」

自己紹介はフルネームいうだろ! いきなり下の名前で呼んでくるやつ初めてだぞ!

結局松本呼びにすることを約束させ、ようやく三井から離れることが出来た。皆から「ブラックウルフって何だったんだ?」と何度か聞かれたが、知らない、三井が何か勘違いしたで突き通した。納得した顔はしていなかったが、こちらも知らないという顔をすると、引いてくれた。
あと何故か稔呼びが流行った。正直三井を思い出すのでやめて欲しかった。
そんなトラブルもありつつウィンターカップも終わり、大学進学へ向けて色々と準備をし始める時期になる。
そんな慌ただしい雰囲気の中、寮に一本の電話がかかってきていた。

「あの、松本先輩」
「ん? 美紀男どうした?」
「それが、松本先輩宛に電話が……」

電話か、親からだろうか。
美紀男に礼を言って、談話室にある電話機へと歩を進める。受話器を手に取ると、それを察したのか受話口から声がした。

『松本!!』
「!? そ、その声は……三井!」

ってなんでお前が寮の電話にかけてきてんだ! だから美紀男もなんか困った顔してたのか!

「なんでこの電話の番号知ってんだ!」
『お前が教えた電話番号にかけたけどお前でねぇじゃねぇか!』
「当たり前だろ、家の電話番号なんだから」
『それじゃ意味ねぇだろ! だから親御さんからこっちの電話番号教えてもらったんだよ!』

ああ〜母さん、父さん……。
受話器を耳にあてながら頭を抱える。寮で電話に出るのが嫌だったから家電教えたって言うのに。別にスルーするつもりだったとかじゃない。あわよくば、とは思っていたが。

『今度からこっちにかけっからな!』
「は!? やめろ!」

くそ、こんなことなら電話番号教えなきゃ良かった。というかそもそも助けなきゃ良かったのだ。いや、もっと前、不良になんかならなきゃ良かった!!

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