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パンドラの箱・12
ここ最近の松本は鬼気迫るようだ。
部活を見ていれば誰でもわかる気迫の入りようだった。練習は一糸乱れぬプレイを見せ、休憩時間中にも個人練習をずっと行っている。
怪我で練習できない期間があったから、レギュラーの発表がありスタメンではないがベンチに入ったから、真面目な松本の事だ。遅れを取り戻すために自身でスケジューリングを行って活動しているのだろう。
でないと、あんな風にならないはずだった。
松本はなんやかんやと言って、精神面では誰よりも頼りになるのではないか、と野辺はうっすらと考えていた。深津や河田もバスケに置いては類まれなる集中力を見せるが、松本は私生活においてもそれが持続されているような感覚があった。誰もが驚く場面で、瞠目しつつ次の行動が早かったり、部員同士の仲違いを上手く解決したり、答えのない問題への取り組み方を手ほどきしたり。
出しゃばることは少なく、助けを求められたり、助けが欲しい時にいつの間にか隣にいて、手を貸してくれる。
野辺は密かに、松本はカウンセリングに向いているのではないかと睨んでいた。
それはそうと、そのような松本の性格はバスケ部のキャプテンたちにとってはとても有難いことだったようだ。
バスケ部のまとめ役であり、仕事の多いキャプテンと副キャプテンは、個人個人に当てられる時間は少ない。しかし、三年ともなれば個人でそれぞれ片付けられるような悩みも、一年や二年は難しいこともある。そこを埋めてくれるように今まで松本がいた。本人は自覚していないかもしれないが、それらに先輩やマネージャー、監督が助けられているのだろうと側から見ていた野辺は感じていた。
なので、ここ最近野辺は少しだけ忙しかった。
簡単に言えば、これまで松本が捌いていたそれらが宙に浮き、放っておくことも出来ずに野辺や、同じく察していたらしい深津が対処していた。
一つ一つは些事であっても、それがいくつも重なると時間がかかる。しかもレギュラー発表後、インターハイが近づいてくる忙しい時期だ。それに応じて精神面にブレがでてくる部員もいる。一年生たちも厳しい山王バスケ部の部活に気が滅入って来る。野辺にも覚えがあった。
松本は後輩からの人気が高い。気軽に話しかけてくるから、会話がしやすいのだろう。松本自身も頼られるのが好きなようだった。だが、今は松本は挨拶はしても誰かに積極的に話しかけてはいないし、後輩も話しかけに行くことは無い。その鬼気迫る様に怖気付いているのだろう。共にバスケをしている中で初めての事だった。

「貸した漫画読んでるのか?」
「ん? ああ、いや今は別のやつ読んでるんだ」
「あっちは読み終わったの?」
「先に一之倉に渡したんだ」

寮にある共用部のソファに座り、本を読んでいた松本を見つけて背後から話しかける。
貸したと言っても元は深津のものだ。それが河田を通って野辺に、そして松本へと渡っていたが、渡したのは自分なので貸したと言うことでいいだろう。と野辺は思って尋ねた。
振り返った松本の顔は薄い笑みを浮かべていて、いつも通りの表情に見えた。
部活中は休憩時間にも個人練をし続けていて、ちゃんと休んでいるのかと疑問だったが、一応体は休めているらしい。
だが、同時に珍しい気もする。彼が本を読む時は自室に篭っている印象だった。
それについて聞いてみたい気もしたが、野辺にはタイムリミットがあった。この五分後あたりに、後輩からの相談が入っている。
しかし、寝る前までの時間に松本とこうして顔を合わせられるのは久しぶりだ。会話をできるチャンスを逃したくない。
――ただ、気合いが入っているというだけならそれでいいのだ。だが、何か別の理由があるのなら。

「野辺はさ」

思案していれば、本に視線を向けている松本が声をかけてきた。何? と返せば、パタパタと本を揺らしながら松本が言う。

「展開の分かってる漫画ってどう思う?」

脈略のない質問に思わず首を傾げる。しかしそんな野辺に視線を向けることなく、今度はペラペラと意味もなく本を捲っている。
なんの話しだろうか。しかし、尋ねるには時間が無い。

「そうだなぁ、まぁ、少し新鮮味は落ちるんじゃない?」

展開が分からないからこその面白さがあるだろうし、松本もそういうことを言いたかったのだろう、と思う。

「そりゃそうだよな」

帰ってきた相槌に、はたと気がついた。

「もしかして、貸した漫画もう読んでたのか?」
「いや、そういうわけじゃないんだ」

ついに向けられた視線は、いつも通りで、しかしどこか静かだった。
それに、落ち込んでいるように錯覚して、つい口が開く。

「……ネタバレされたのか? 沢北あたりに」
「ブハッ……なんでそこで沢北が出てくるんだよ!」

大きな口を開けて笑った松本に、なぜだかほっと胸が撫で降ろされたような気がした。
同時にハッとして壁の時計を見やれば、もう約束の時間だった。慌てて松本に別れの言葉を言いその場を離れる。
笑顔で見送ってくれた松本に、安堵を覚えた。だが同時に、『何かを間違った』気がしたのはなぜだろうと、野辺は首を傾げた。

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bkm