- ナノ -

#8
結局、その後はなんだか呆けている桜木と共にボール磨きを行い、フロアのモップがけを行った。
十二時を超えるかというところで、さすがに帰った方が! と桜木が気を利かせ、まだ全て終わっていないと渋る間根山をアパートまで送り届けた。その後、桜木は学校へ戻り再び一人で掃除を完走したのだった。

その根性が認められ、桜木はようやくバスケ部に入部することを赤木に許可される。

「よーーし! 新入部員は一列に並べ!!」

赤木が声をかけ、それに応じて一年生たちが整列する光景をキャプテンの後ろから眺める。
十人にも満たない一年生たちだが、粒のような逸材が入ってきた。間根山は事前に知ってはいたものの、こうして目の前にあると感慨深いものがある。その粒の一つが早速無礼な行動をして赤木に叱られていたが、それを含めて間根山は思いに浸っていた。
新入部員が部活に参加できる日が訪れ、その中に存分に紆余曲折をしたものの桜木もしっかり存在している。その赤髪を眺めていれば、かちあった視線の先で彼が照れたように笑いながら手を振っていたので、間根山も振りかえした。
赤木に促され、一年生たちが自己紹介をしていく。
その中で、粒の一人が静かな口調でプロフィールを口にした。

「富ヶ丘中出身、流川楓。百八十七センチ七十五キロ。ポジションは別に決まってなかったです」

見るからに整った顔立ちをして、どこか猫を思わせる瞳は長いまつ毛で飾られている。冷静な声色は高校一年生とは思えぬ落ち着きがあった。
中学時からすでに天才だと噂されていた選手。おそらくそれは一年生でスタメンになれるレベルであろう。当然、赤木も木暮も、間根山も期待していた。
『主人公』がいなければ湘北バスケ部が躍進することができない。だが、彼もいなくてはならない存在だ。
それは実力という部分だけでなく『主人公』の得難いライバルとして。
桜木が茶々を入れつつも、一年の自己紹介は終了する。それに続き、二年生の安田、潮崎、角田もそれぞれ名乗った。一人は入院していて欠席というのも添えて。それから三年の番が回ってくる。

「三年の木暮だ!」
「三年、キャプテンの赤木剛憲だ。ヨロシクな!!」

二人がそう名乗った後、自分の番だと間根山は一歩前に出た。
一年を端から端までじっくりと見つめた後、パッと顔を上げる。高い位置でまとめられたポニーテールが滑らかに揺れた。

「三年の間根山です。マネージャーやってます。親しみを込めて、マネちゃんって呼んでね!!」

瞬間、花が咲き乱れるような笑みが一年を襲った。隣で三年の二人が顔を歪めている。
眼前でダイレクトにその微笑みに見舞われた一年生たちは、一様に体を強ばらせ頬を赤く染めた。例外は流川だけである。
その余波はこっそりと様子を覗いていた桜木軍団と晴子にまでおよび、共にいた晴子は顔を赤らめながら、流川くんが惚れちゃったらどうするのよ〜! と内心地団駄を踏んでいた。
嵐のような衝撃が過ぎ、顔を赤らめた新入部員たちが呆けた様子で間根山を見つめていると、一人の女子が体育館の重い鉄の扉を開けて姿を現す。

「どーもスミマセン。遅れちゃって! あっ、新入生入ったんすかー!」
「おせーぞ彩子。これをどうにかしてくれ」
「え? ああーッ、去年と同じになっちゃったんですねー」

彩子はあちゃーと言いながら、彩子に気づいていない一年生たちを訳知り顔で観察した。
赤木は不機嫌そうに顔を歪めており、木暮は困ったような苦笑いだ。そして現状を引き起こした本人はポリポリと頬をかいていた。

「もーマネ先輩。いい加減自分の顔面の強さを自覚してくださいよ」
「いい顔に産んでもらったのは自覚してるけど……。でも別に、初対面じゃないじゃん。部活で見てたじゃん」
「そうじゃなくて、先輩のかわいー顔を目の前で浴びるのがダメなんですよ。男どもはみんなこうなっちゃうんです。自分の異名を忘れたんですか?」
「……」

言い返せなくなったのか、間根山はぷくりと頬を膨らませた。それを見て、彩子があちゃーとまた言って頭を抱える。
彩子とのやりとりを見ていた一年生たちが、間根山の端正な顔立ちが可愛らしく膨らむ様を見て、一斉にざわついた。

「しょーがないな。ほら、さっさと目を覚ます一年生!」

彩子が手製の紙ハリセンを取り出して、未だに間根山を見つめている一年生たちに振り下ろし始める。
その姿を見て、間根山は嬉しそうに言った。

「彩子ちゃん、拗ねると説教終わらせてくれるから好き」
「オイ」

隣にいたため、当然聞こえていた間根山の言葉に赤木が苛立ち混じりにツッコミを入れる。
それにペロリと舌を出すだけで答えると、間根山が赤木に問いかけた。

「今年はあれやる必要あるかな」
「……」
「ねぇ、どう思う? 木暮はどう?」
「……」
「ちょっと、無視しないでってば」

二人は視線を逸らすように体育館の天井を遠い目をして見上げている。
それに服の裾を引っ張るが、それでも頑なに返事をしない同級に間根山は唇を尖らせた。
他方、彩子の尽力により正気に戻った新入部員たちであったが、いまだに顔の赤みが戻っていない者もいる。桜木花道であった。

「こらっ、だらしない顔しない!」
「だ、だらしない顔!?」
「そうでしょう。何、もしかしてもうマネ先輩に惚れてる?」
「惚ッ!?」

彩子のハリセンにペシペシ叩かれながら顔を真っ赤にして焦る桜木に、本人が口を挟む。

「やだな彩子ちゃん。桜木くんは私には惚れないよ」
「変に自信がありますね……」
「まぁね。ね、桜木くん!」

ニコリ。第二弾咲き乱れる花の笑顔に、再び一年生たちが固まる。だがその中で、桜木だけが至る所から汗を噴き出していた。
顔は情けないほどに眉が下がり、目がウロウロと彷徨っている。その姿を見て、彩子が疑惑の目線を間根山に向けた。

「先輩……」
「えっ、ウソウソ待って。そんなはずないよ」
「ふ、ふぬぅぅう……っ」
「あ、ほらっ、新入部員を泣かせないでくださいよ!」
「え!?」

彩子があげた批難の声に、流石の間根山も慄く。しかも、隣で同級二人が同意するように頷いているのだから堪らない。
そんな馬鹿な、と間根山が桜木に視線を向けるが、そこには変わらず顔をたこのようにして、大量の汗を流して――なんだか涙目になっている青年がいた。
間根山は呆気に取られた後に、恐る恐る桜木に近寄る。びくりと体を震わせる青年に、こっそりと耳打ちをした。

「桜木くん、勘違いだったらごめんね。桜木くんはその……晴子ちゃんが好きなんだと思ってたんだけど……」
「そ、それは……!!」
「でも、マネ先輩のことも好きでしょ?」
「ふぬぅう!!」

両側からコソコソと話され、しかも内容が内容だけに桜木は我慢の限界を迎えそうであった。
晴子と間根山、どちらのことも気になっている――惚れてると言ってもいい桜木にとって、間根山から絶対に自分には惚れない、と断言されるのは歯牙にもかけられていないと断言されているようでとても胸が痛かったし、本人に晴子が好きなのだと聞かれることも、間根山に惚れているのだと暴露されることもプライドやら羞恥心やらをぐちゃぐちゃにされてどうしようもない。
我慢の限界を迎えかけ、プルプルと震える桜木に、間根山は冷や汗を流す。しかし顔を左右に振って、顔を上げた。
自分の犯した不始末は自分で片付けなければならない。過去の知識に頼りすぎ、自分がいることの影響を考えなさすぎた。いやまさかこんなことになるとは。

「ええと、新入部員に言っておくことがあります」
「みんな、しっかり聞いとけよ」

声を張った間根山を援助するように赤木が注目するように促す。
限界寸前の桜木含め、新入部員たちの視線を受けた間根山ははっきりと告げた。

「私は男です。胸もないし、ついてるものもついてます!」

体育館に響き渡る、メゾソプラノの声。
数秒の沈黙ののち、割れんばかりの悲鳴に似た驚愕の声が上がった。

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bkm