- ナノ -

#4
「わぁ、これはいいね」

体育館には溢れんばかりのギャラリー。キャットウォークまで占領し、大盛り上がりの形相だ。帰宅する生徒だけでなく、部活動中のはずの野球部や柔道部も観戦しに来ていて、生徒たちの活気盛んな歓声が響き、二人の男の戦いを盛り上げている。
なんともまぁ元気なことである。ギャラリーはもちろん、戦いを挑んだ赤木とそれを受けた桜木も。
発端はなんだったか……と間根山が記憶を掘り返す前に、血気盛んなギャラリーが『バスケをバカにされたバスケ部主将があの不良桜木にバスケ対決を吹っかけたぞ!』と解説を入れ、成程と頷く。
間根山はちょっと失礼しますよ〜と声をかけながら赤木たちの元ではなく、闇商売をしている生徒の元へと歩み寄った。

「お。お姉さんどうです? どっちが勝つか賭けを――アレッ」
「ふぅん、キャプテンが優勢か。桜木君、全然人気がないねぇ」
「まぁそりゃあバスケのルールも知らない超初心者だから――アレッ」
「最低金額は千円から――アレッ」
「アレッ、どうしたのかな新入生君たち。どこかで会ったことが?」
「い、いやいや。こんな綺麗なお姉さんとお知り合いなんて、とんでもない!」

闇商売をしている不良三人組はあからさまに間根山を見て顔色を変えたが、間根山は見なかった振りをして、ポケットから千円を取り出し、桜木君に。と言って札を渡した。
闇商売の三人組の近くにいて、札を渡されたリーゼント頭の青年が、目を瞬かせる。

「いいんすか?」
「キャプテンに賭けても、勝った時の戻りが少ないからね。それに、桜木君ってやってくれそうじゃん」
「そうっすか……」

彼が手にした夏目漱石を眉を傾げながら闇商売三人組に横流しをすると、間根山は満足気に笑みを浮かべた。
うるさいギャラリーの中で、リーゼントの青年――水戸洋平が間根山に声をかける。

「お姉さん、有名人っすよね。俺達も聞きましたよ、噂」
「ええ、なにそれ。どんな噂?」
「『問答無用の初恋泥棒』……。いや、『問答無用の男たちの初恋クラッシャー』だったかな」
「……すごい言われよう」
「まぁまぁ、それで、初恋泥棒分かるんすけど、初恋クラッシャーってのはやっぱり彼氏がいるってことですかね?」
「彼氏というか――」

間根山が答える直前、ワッ! と体育館が揺れるほどの歓声が上がった。どうやら勝負が始まったらしい。水戸と間根山の視線もコートへと移り、動き始めた二人に意識が移る。
ルールはどうやら赤木が十ゴールを決めるまでに一ゴールでも決められれば桜木の勝ち、と言うことらしい。圧倒的に桜木が有利だが、それがなし得ないほどの実力差があると赤木は確信しているのだろう。

「大人気ないね。そういう所がバスケバカって感じでいいんだけど」
「はぁ……」

高校生と言うには威厳の溢れる顔をしている赤木だが、それでも高校生だ。桜木と言い合いをしている大人気ないさまを、にこやかに眺めている間根山に水戸が冷や汗を流しながら尋ねる。

「ま、まさか、あのバスケ部キャプテンと……?」
「え、もしかしてあいつと付き合ってると思われてる?」
「いやぁ、見つめる視線に慈愛が篭ってたんで」
「慈愛」

慈愛。まぁ慈愛と言えばそうかもしれない。と間根山は一人納得する。間根山は前世を覚えている人間であるので、精神年齢は同年代より当然高い。前世では社会人として世間の荒波に揉まれてきた。そんな過去があるからか、ああやって真っ直ぐに生きている子供を見ると、どうしたって胸が暖かくなるのを感じる。
それから、自分がそうなれない一抹の寂寞も。

「違うよ。あのね、私は――」
「マネちゃん!」
「わっ、何!?」

今度こそ答えようとした所で、間根山は何かに思い切り飛びつかれて驚きの声を上げた。咄嗟に水戸に向けていた視線を転ずると、そこには息を乱した晴子がすがりついていて、強ばった体が緩む。

「晴子ちゃんどうしたの。そんなに息を切らしてさ」
「どうしたの、じゃないわよう! マネちゃん、どうして止めてくれないの!」
「おいおい晴子ちゃん、一体どうしたって言うんだ。何か問題でもあるのか?」
「問題も何も、勝負の相手は私のお兄ちゃんなのよう!」
「なにィ!?」
「バスケ部キャプテンの名前は、『赤木剛憲』だからね!」
「だからね、じゃなーい!」

プンスカと怒り出した晴子と、驚愕の声を上げる不良達をバックに間根山の笑い声が響き、更にそれを湧くギャラリーの歓声がかき消す。
二人の勝負は熱く盛り上がっていた。

赤木が八ゴール目を決め、桜木は赤木からボールさえ取れずに勝負は続く。ボールを持ってゴールまで駆け出した赤木に、桜木が全力で追いすがろうとし――間根山は眉間にぐっと皺を寄せた。
まるでその谷に足をひっかけたように桜木が姿勢を崩す。そしてそのまま、反射的に掴めるものを両手につかみ――。

沈黙が体育館に満ちる。桜木は倒れる寸前、目の前にいた赤木のズボンを手にしていた。そしてそのまま両者とも倒れ――赤木のシリは見事な程に丸見えとなった。

「ああああああ!」
「うわっ!?」
「きゃ!?」

メゾソプラノ――より少し低い悲鳴が響く。その大声に驚いたのはすぐ近くにいた水戸と晴子だった。そしてその悲鳴に誘発されるように、体育館がドッと湧く。
しかしそれを無視して、間根山は頭を抱えた。

「え、な、なに? どうしたのマネちゃん」
「お姉さん、なんでそんな野太い悲鳴を……」
「ああ、だって! 忘れちゃってた!」
「忘れたって、何を――」
「こんな面白い事になるんだったら、カメラ持ってくれば良かった!!」

顔を覆い、本気で悲しむ姿に一瞬励まそうとした二人であったが、言っていることが善良なキャプテンの友人とは思えずに一度立ち止まる。
そして正気に戻った晴子が、顔を赤くして拳を握った。

「何言ってるのよ! マネちゃんならお兄ちゃんを止められるでしょ! こんなこともう止めさせてよう!」
「はぁ……こんな時にスマホがあればなぁ……」
「なによそれぇ!」

落ち込んだのは本当だったのか、間根山は整った顔を憂い顔にして、晴子の話を一切聞いていなかった。
晴子は水戸にも止めてとお願いしたものの、水戸からは「人間には無理」と断られてしまい、桜木こそバスケ部の救世主であると信じる晴子は勝負を辞めるように桜木に祈るしかないのであった。

prev next
bkm