- ナノ -

#2
百八十を超える大きな体、猛獣のような鋭い瞳、何よりも人々の目を引く赤髪にようやくこの日が来たかとバレぬように歯をかみ締めた。
この世に生まれて苦節17年。間根山はこの日を待っていた――かと聞かれればそうでは無いが、この高校に入学し、赤木たちと出会ってからはずっと彼を心待ちにしていた。

間根山は時折、友人たちに「お前は未来人か?」と言われることがあった。それは経験に基づいた予測を口にしてその通りになったり、そもそも知っている知識をそれとなく披露して当然当たっていたりするために口にされる疑問だった。
間根山はそれに「面白いこと言うね!」と返すのだが、実際は正解だ。いや、正確に言うのならば「ほぼ」正解。
この世界で電話と言えば家にある固定電話で、この時代でのテレビと言えば正方形に近いブラウン管テレビだ。だが、間根山の知識では電話と言えば一人一台持っていて、しかもプッシュ式ではなくタッチ式であり、テレビと言えば場所の取らない平たい液晶型である。
間根山たちの生きている年から、何十年も後の日本の常識だ。だから、友人たちの言う未来人というのは間違ってはいない。だが、そこに更に追加される要素がある。

(桜木花道……湘北バスケ部の救世主、か)

目の前で鋭かった目をひよこのようなつぶらな瞳にして反応がない新一年生を見つめながら、名乗られていないフルネームを脳裏で呟く。
確かに赤髪の生徒の名は「桜木花道」であった。しかし名札がついているわけではなく、間根山が全新一年生の名前を覚えている訳でもない。
間根山は知っていた。彼が今年湘北へ入学してくることを、そして彼がバスケにおいて天賦の才を持っていることを。
何故ならば、間根山の知識の中で彼は高校で初めてバスケに挑戦し、初心者ながらにレギュラーの座を射止め、そうしてチームをその持ち前の身体能力と破天荒さ、そして素人さで牽引し勝利へと導いていくキーマンであったからだ。
当然、入学当初の彼はバスケ部にすら入っていない。けれど、間根山は知っている。
なぜならば、間根山は彼が主人公である漫画を読んだことがあったからだ。――前世と呼ばれるもので。

斜め後ろに控えていた晴子が、ひょっこりと顔を出す。
その瞬間、桜木の目がカッと見開かれ、息を忘れたように体が固まった。その姿を見て間根山は宇宙猫のようだ、と桜木の背景に宇宙空間が広がる様を思い浮かべたが、その単語を理解してくれる相手はこの世界にはいないだろう。
脳内の想像はさておき、間根山は『想定通り』晴子に惚れたと思われる青年にさらに追い討ちをかけるために言葉を繰り出す。さりげなく晴子の手を引いて、ドギマギしているであろう彼に近づくのも忘れずに。

「ほら晴子ちゃん、近づいてみるともっと背が高く見えるよ、彼」
「本当っ。流川君とどっちが大きいかな」
「こら、他の男の名前を出さない。見て、筋肉もついてそうだよ」
「わ、すごい筋肉!」
「脚も引き締まってるし」
「脚も……! スポーツマンなんですね!」

すごいすごいと煽てながら、さりげなく制服越しに晴子が桜木の体を触るように誘導していく。
宇宙から戻ってきた青年は、晴子からの接触に顔を真っ赤に染めていて、間根山は内心で満足げに頷いた。
間根山は一通り彼女らの戯れが行われたのを確認し、晴子の肩へ手を置きながら確かめるように尋ねる。その目は策士のように細められているが、それを察することができるものはこの場にはいなかった。

「スポーツマンの男の子って素敵だよね。晴子ちゃん」
「はい! あの、バスケットはお好きですか?」

桜木はハッと目を見開いた後に、赤らんだ顔をキリリと出来うる限りのキメ顔に変えて、グッと決意を固めたように拳を作って高らかに宣言した。

「だッ、大好きです。スポーツマンですから」

少々噛んでしまったようであったが。

明らかに嘘だと分かる宣言であったが、素直な晴子は特に疑問を口にすることもなく彼と自己紹介をし合い、意外と楽しげに世間話をしていた。と言っても基本的に晴子が喋りかけている風であった。しかし緊張して口数の少ない桜木は、それでもちゃんと相槌を打ってうんうんと頷き、彼女の話を遮ったり急かしたりしないので相性が良いようだ。

「あ、あの、そのですね」
「ん? どうしたの桜木君」

晴子の隣でそんな二人の会話を聞いていた間根山に、話がひと段落したところで『主人公』が話しかけてきた。
背丈が高く、不良の、中学を卒業したばかりの子供。そしてこれから立派なバスケット選手になる青年だ。まだバスケットのバの字さえ知らない状態だが、それでも間根山には彼がキラキラと輝いているように映った。希望と素質に溢れる若者は、モジモジ、とどこかいじらしさを見せて尋ねてくる。

「あなたのお名前は……?」
「そっか。まだ名乗ってなかったね。私はバスケ部のマネージャー、三年生の間根山だよ。気軽にマネちゃんって呼んで」
「ま、マネちゃんですって!?」
「そう。リピートアフタミー、マネちゃん」
「り、りぴーと?」
「おっと。ごめんね。私の後に続いて言ってね。『マネちゃん』」
「ま、マネ、ちゃん……」
「そう。ちゃんとそう呼ぶんだよ?」
「わ、わわ、ワカリマシタ!」

ブンブン、と首が取れそうなほど勢いよく上下に揺らす様を笑みを浮かべて見つめる。
整髪剤で固められたリーゼントが勢いに任せて吹っ飛びそうだ。などと思いながら、間根山は部活の時間が迫っていることを察する。
始業式から続いていた新入生勧誘はこれで終わりだ。一番の目当てが釣れたのだから。

「じゃあ、私は部活に行くね」
「はい! お疲れ様です、ま、マネちゃん……!」
「うん、またねマネちゃん」

仲良く二人に手を振られ、随分お似合いだなと内心呟きながら同じように手を振り返し歩き出す。途中、七組から顔を出して様子を伺っていたらしい男子学生達を見かけたが見て見ぬふりをして、間根山は体育館へ向かうのであった。

間根山は体育館へ向かう道すがら、彼のことを――いや、彼が主人公である作品のことを考えていた。間根山がこの世に生まれ、作品の世界だと気づきてから間根山はこの世界が更に好きになった。
桜木花道が主人公の漫画――SLAMDUNK。かつてジャンプで連載されバスケットボールブームの火付け役となった名作だ。アニメや映画なども作られ連載が終了しても多くのファンに愛され今なお人々を魅了している。
間根山が所謂前世でバスケットボールに興味を抱いたのは、紛れもなくSLAMDUNKのお陰だった。その世界にやってきて、喜ばないはずも無い。
SLAMDUNKは不良少年であった赤髪の主人公、桜木花道が晴子と出会い、バスケ部に入って全国制覇を目指す物語だ。そして今年はその彼がこの湘北高校に入学してきた年――ここから物語は動き出すのだ。大きな波乱を呼び寄せながら。
これから忙しくなる。苦悩や悲哀もあるだろうが――何よりも未来を楽しむことが出来る。

体育館の重い鉄の扉を引く。鈍い音をさせながら開けば、そこには広々としたアリーナが広がっていた。ワックスが塗られた木製の床が窓から入った光でてかっている。競技用に線が引かれ、その中でもバスケ用の線を目で辿る。追った先、バスケットゴールが設置されたちょうど下に見知った姿を見つけて間根山は手を挙げた。

「赤木」
「マネか。今日も勧誘に行ってたのか?」
「うん。十組もあると大変だね」
「去年と同じだろう」
「それはそうだけどさ」

身長が2メートルにもなるのではないかと言うほどの長身に、引き締まった筋肉のついた身体。角刈りにされた髪型に、厳つい顔がついた青年は赤木剛憲と言う。今年で三年生の湘北高校バスケ部キャプテンだった。
赤木の手には茶色に黒い線が引かれたボールがある。バスケットボールだった。

「まだ時間じゃないでしょ」
「時間などどれほどあっても足りん。インターハイはもうすぐだ」
「はは、そうだね」

四月が始まり、県ごとのインターハイ予選は五月終わりからだ。そう考えるともう二ヶ月もない。今現在バスケ部は人数も少数で、強豪犇めく神奈川県の中でインターハイに進めるとはどう考えても思えない。
そんな中、バスケ部主将の出来ることは猛烈な練習と、新一年生を入部させ磨くことだろう。
そして赤木は新一年生の勧誘には適さない。
それをしっかりと理解していた赤木の妹――晴子は自主的に勧誘をし、間根山も同じく勧誘を行っていたのだった。と言っても、間根山の方はただ新入生を眺めながら校舎を練り歩いていただけとも言うが。

「それで、お前に引っかかった奴は居たのか?」
「何その言い方」
「その通りだろ……。去年を忘れたとは言わせんぞ」
「忘れたなぁ」

肩を竦めて見せた間根山だったが、もちろん忘れてなどいなかった。だから今年は自分から声掛けをせずに練り歩くのみだったのだ。
去年、勧誘のノウハウもなかった間根山はとりあえず男子生徒の集団に話をかけてバスケ部に勧誘した。見学に来てみない? と。そうしたらその日のうちにキャットウォーク――所謂体育館の二階部分――がまで人が入るほどに新入生たちがやってきたのだ。その生徒たちも赤木のシバキを見てほとんどが諦めて帰っていったが、間根山は無闇矢鱈に声をかけないことを誓ったのだった。
しかもなんだかんだと残った部員は四人だけ。これなら本当にバスケをしてくれそうな人や素質のある人だけに声をかけた方がいい。
赤木が鼻を鳴らし、とりあえず過去の事は水に流され、ボールが床を叩く音が響きはじめる。
ダム、ダム、ダム、と力強いドリブル音が広々とした体育館に広がり、バッシュが床を掴む音が混じる。赤木は数歩下がると、脚を曲げバネのように跳ねる。高身長の体と長い腕はリングへと近づき、ボールがその手から離れるとバックボードに当たり、そのままリングへと吸い込まれていった。
間根山が上機嫌に歩み寄る。磨かれた床にバッシュの音が僅かに響いた。

「さすが」
「これぐらい誰でも出来る」
「バスケが上手い人の言い分だ」

赤木は一度床に跳ねたボールを手に取ると、チラリと間根山を見やって手首を捻り、ボールを飛ばす。一直線にやってきたそれに、慌てて手を伸ばして受け取った。そんな間根山に、赤木が顎でゴールを指し示した。

「無理だよ、届かない」
「フリースローの位置だぞ、届くだろ」

譲る気のない赤木に、間根山がやれやれと首を振る。茶色のボールは当然何も言わずに手の中に収まっていた。表面のつぶつぶとした感覚が手のひらに伝わって、皮膚に引っ付くようだ。綺麗に磨かれたそれを掴みやすい位置を探すように何度かくるくると回して、ゴールを見やる。
間根山はくっと腰を落として、跳ねるように腕を伸ばしてボールから手を離した。
弧を描き、茶色の玉がゴールへ向かって落ちてゆく。それはそのまま、円へ吸い込まれ――手前のボールリングに当たり、跳ね返った。

「惜しいじゃないか」
「そうかな」

相槌はしているもののどこか遠い視線は、赤木の言うことをおべっかだと思っている様であった。間根山は転がったボールを眺めて、でも、と続けた。

「遠いよ」

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