「間根山くん、行ってくれるかい」
ざわつく会場、鼻につく鉄の匂い、弾んだ息、汗の垂れる音。
視線が集まり、首を絞められゆく鶏のような息苦しさに、ゆっくりと唾を飲んだ。
湘北バスケ部監督のかけた丸いメガネが、追い詰められた長髪の青年を映す。
否と言わねばならぬ喉は窒息寸前まで押さえつけられ、代わりに四肢を振り乱して暴れ狂いそうな衝動が体を駆け抜けた。
ああ、どうして――どうして俺にそんなことを言うんだ。
私は、ただのマネージャーなのに。
――――
時は遡り、春。
三年を見送った時期には満開だった桜の花弁も、盛りを過ぎて風に煽られるまま雪のように散っていく。
ストレートの長髪をポニーテールにした生徒がその桜並木を背景に歩いていた。黒を基調とし、ラッカーレッドのラインが入ったジャージを上下に着て周囲を興味深げに眺めている。しかし視線の先は舞い散る桃色の花弁ではなく、着慣れぬ制服を羽織った新一年生たちだ。
「間根山さん!」
「あら、晴子ちゃん。高校生の制服、似合ってるね」
「えへへ、ありがとうございます」
でも、家で何枚もカメラで撮られちゃって、恥ずかしかったんですよ。お兄ちゃんも止めてくれないし。
そうはにかみながら教えてくれる、これもまた新一年生の女子生徒に、間根山と呼ばれた人物は微笑ましげに応える。
「晴子ちゃんは可愛い末の女の子だからね。記念に何枚も撮影したくなるよ」
「そ、そうですかね」
「うん。私からみても、とびきり可愛いしね」
「も、もう! そう言うこと、サラって言うんだから……!」
「だって本当のことだもん」
幼さの残る丸い頬を染めた晴子が、両手で隠すように頬を押さる。そして羞恥に潤む目で、少しだけ自分より背の高い間根山に強い視線を向けた。
「うん?」
「そーいう間根山さんの方が、可愛いですから、ね!」
「ふふ、そう?」
「うー、可愛いです!」
「そうかそうか」
可愛いと真正面から赤ら顔に突きつけられた間根山が、上機嫌そうにポニーテールの髪を手でサラリと払う。白い指の隙間から黒い生糸のような髪がこぼれ落ちた。
上級生と新一年生のやりとりに、周囲の生徒たちが気づき始め、目線が移っていく。
一方はアイドルと言われても納得してしまうほどに愛らしい新一年生だ。新しい制服を着る姿が初々しく、くるりとした大きな瞳は目があった相手を吸い込んでしまいそうなほどに澄んでいて、元気に身振り手振りをする姿はリスのような愛くるしさがある。そしてもう片方は新一年生よりも少し背の高い、甘い笑みが特徴的なうなじの美しいポニーテールの上級生だ。ジャージに包まれた体はスマートで、小さく色白な顔が頭に乗り、晴子と呼ばれた少女に負けず劣らずの大きな瞳、小ぶりな鼻と潤んだ唇が美しく並べられていた。
そんな二人が仲良さげに戯れあっているのだから、生徒たちの目線が自然と注がれてしまう。
晴子の明るいソプラノの声と、間根山の彼女より少しだけ低いメゾソプラノの声色が桜の舞い散る校舎にさらなる彩を与え、なおかつ視線を集めていった。
しかし、それらを知ってか知らずか気にもせず、二人は会話を続けていく。
「う……どっちかというと、綺麗かも」
「どっちでも嬉しいかな。それで、目ぼしい一年生はいた?」
「今のところはまだかなぁ……。お兄ちゃんのお眼鏡にかなうとなると、なかなか難しくて」
「赤木の目にかなう子は、そりゃあ難しいだろうね。でも、きっといい子がいるよ」
「間根山さんは誰か見つけたんですか?」
「んーん。まだだけど、なんだかいい予感がするんだ」
「へぇ、間根山さんが言うと、そうなる気がするなぁ」
「そーお?」
「はい。お兄ちゃんも言ってたし」
「赤木が?」
「『間根山は未来が見えてるみたいだ』……って!」
顔を顰め面にして、可愛い顔を猿のように変えた晴子に、間根山が思わず吹き出した。
間根山は笑いながら、うん、うん。そうだね。と何度か相槌を打った後に、ようやく息を整える。本人としては真面目だったのに、思った以上に笑われて晴子の頬は少し膨らんでいた。それを間根山はにゅっと手で潰して可愛らしいアヒル口に変えさせる。
「ま、まねやまひゃん!」
「赤木の言うとおり、いい子はきっと見つかるよ。それから――」
パッと手を離し、春の暖かさに溶けるような、柔い笑みを浮かべて彼女へ告げる。
「晴子ちゃんも湘北に入ったんだから、私のことは『間根山さん』じゃなくて『マネちゃん』って呼ぶように!」