- ナノ -

女物の服飾品を贈られ、着てみせて、つけて見せて。と言うのが途切れてから二年が経った。
お互いに修行のためにそれぞれ違う土地へと旅立ったのだ。
私はクレイモランという雪国へ魔法や学術を学びに、グレイグは力の強さを見込まれてソルティコという沿岸部にある街の領主へ剣を学びに行った。幼い頃から共にいたため別れるのは兄弟と離れ離れになるような心細さがあったが、それも数ヶ月ほどだ。
一年も経てば私は身も凍る寒さに慣れ、二年も経てばグレイグもソルティコで新しくできた友人と共に切磋琢磨しているようだった。
一ヶ月ごとにやってくる手紙で互いの様子を覗き見しつつ、再び会える二年後を楽しみにしていた頃。

「……ソルティコへの船舶券?」

封筒の中に手紙とは別に入っていたそれに、思わず眉を顰めた。

手紙の内容をかいつまんで要約すると、ソルティコで行われたアームレスリング大会で優勝し、その優勝金が得られたので、せっかくなので会いたいとソルティコ行きのチケットを購入した、是非こちらへきてくれ。ということだった。
腕相撲大会で優勝か。別れる前から年に見合わぬ筋力があったが、さらに成長したということだろうか。
しかし、彼は私が暇だとでも思っているのだろうか。こちらにだって予定がある。いわゆる留学しているのだから、そんな好き勝手に自分都合で休みが取れるわけもないだろう。――が、親友からの厚意である。無理矢理にでも行ってやるのが人情だろう。というか私も久しぶりに会いたいし。
二年間で作った人脈をフル活用し、どうにか休みをもぎ取って船に乗り込んだ。
身を切るような冷たい潮風が、ソルティコへ近づくにつれて暖かな海の匂いを届けてくる。私がいるクレイモランとは随分と環境が違う地だ。初めて足を運ぶし、心が躍って仕方がない。着ていた厚手の上着も脱ぎ捨てた頃、雪ひとつない真夏のリゾート地へとたどり着いたのだった。

「ホメロス! 来てくれたんだな!」
「うわッ! デカくなりすぎだろうお前……!」

ソルティコには港がなく、近くの船着場からその地を訪れた。
巨大な門の向こう側、例の領主の修行服なのだろう。青いサーコートを着ている背の高い青年が猪のように駆け寄ってきたと思えば、そのままぶつかって抱きしめられた。こちらの体を覆い尽くす青年は菫色の髪を後ろで縛り、大きな翡翠色の瞳をしていた。見間違えようがない、グレイグだ。

「そうか? ホメロスも大きくなってるな!」
「嫌味か? こんな巨木みたいにデカくなって……」
「巨木ってなんだよ。ホメロスだって……なんか、細枝って感じだな」
「喧嘩売ってるのかお前は」

誰がヒョロイもやしだこの野郎。これでも結構気にしてるっていうのに。
私も二年前よりはかなり身長が伸びたが、同年代の中では小さい方だろう。しかしグレイグは同年代というか、身長のデカさだけで言えば歳上に見える。骨格もしっかりしてきているし、私たちが横に並んでも同い年とは思われないのではないだろうか。頭ひとつ分以上に違う身長に、見上げる首が痛くなってきた。
グレイグを見上げた際にある太陽が眩しく、目を眇めていればグレイグに手に持っていた荷物をひょいと取り上げられる。

「ほらこっちだ! 宿は俺の方でとっておいたんだ。街を案内する前にそっちに行こう」
「へぇ、気が利くな……。分かった、有り難く置かせてもらおう」

荷物を餌にするように前を歩き始めるグレイグに、しかし内容は喜ばしいものでその後ろについていく。
だが、相手の荷物を持ってやり、宿を取っておくとは、グレイグにしてはなかなかやる。かつての幼馴染はこのような気遣いはできなかったはずだ。とすると――彼女でもできたか?
これは詳しく聞く必要があるな、と内心ほくそ笑みながら白亜の街を視界に納め、感嘆の息をついた。

宿への道すがら、互いに手紙では伝えきれなかったことを喧嘩でもするように話した。
被せるように、ボールを豪速球で投げ渡すのを続けるように、時折笑って、走るように宿へと向かう。
二年間顔を合わせなかったのが嘘のように噛み合って、二年間の間を埋めるように時間を惜しみ言葉が出た。
そうして宿へとついても、外に出るという選択肢はどこかへ消え失せて、互いのことをただ話し合って笑いあう。

日が落ちて窓からオレンジ色の夕日が見えてきた頃に、ようやく時間という概念を思い出した。

「うわ、もう夕方だぞ! にしても、ソルティコは海に映る夕日が美しいな」
「ああ、よく観光客も海に出て見に行ってるみたいだな。二年間もいると、よく見る光景だからそこまで珍しいものでもないけどな」
「贅沢なやつだ」

まぁ、グレイグは雪が夏でも溶けないというのに目を輝かせていたし、贅沢なのはお互い様なのかもしれない。
窓から絵画のような光景を眺めていると、部屋の椅子に座っていたグレイグが何やら呟いたのが耳に入ってきた。

「ホメロス……頼みたいことがあって」
「何?」
「その、一つ頼みたいことがある」

聞き取れていたが、グレイグはそう解釈しなかったらしい。再び口にされたそれに、思ったよりも重い雰囲気を感じって首を向けた。
椅子に座り、手を組んだグレイグは頼みたいことがあると言ったというのに目を部屋の片隅へと逸らしている。
こう見ると、立派な青年に見えるのは外見だけで、中身は昔と変わっていないように思えた。ふと、その不安げな様子に、もしかすると今回のソルティコ招待もただ会いたかったという訳ではなく、手紙では伝えられないような悩み事を相談したいということだったのではと頭に浮かぶ。
グレイグのあまり見たことのない表情に、少しだけはしゃぎすぎた罪悪感がよぎる。しかし、落ち込んでいる場合ではない。

「もちろん。お前からの頼みならなんでも聞いてやるさ」
「ほ、本当か!?」
「え、あ、ああ」
「じゃ、じゃあ――」

グレイグが椅子を蹴倒す勢いで立ち上がり、深刻そうな表情はなんだったのかという興奮した顔をしたと思ったら、猪のように部屋にあるクローゼットへと駆け寄った。
え、なんだこれ、なんか、デジャブを感じる――などと思い至る前に、グレイグがクローゼットからハンガーにかけられたそれを取り出した。

「こ、これ着てくれないか!!」
「――」

ハンガーにぶら下がるそれは、ありたいていに言えば『ドレス』と呼ばれる代物であった。
黒と白を基調にしたゴシック調のもので、スカートの裾だけでなく長袖の袖や首元にもふんだんにフリルとレースがあしらわれている。腰あたりが白の布できゅっと締められており、後ろに大きめのリボンが形作られているのが見えた。普通の女性でも着る人を選ぶタイプの服装である。

私はかつて、グレイグが古ぼけた白のワンピースを突きつけられた時の記憶が目の前に浮かんでいた。おそらく白目を剥いていただろう。
しかし、彼はそんな私のことなど目に入っていないのか、トマトもかくやという真っ赤な面持ちで言葉を吐き出した。

「頼むホメロス……!」

いやそんな針でつつけば破裂しそうな顔をするぐらいなら、言わなくてもいいんじゃないか……。
などと言う思いは胸の内でまとまらない思考と共にドロリと溶けて、数十秒後にようやく正気が戻ってきた。
あまりにも理解し難い状況であるが、しかしこれまでの我らの過去を遡ると、どうにか理解できることはある。
確かに修行前、彼から服などを贈られ、私が着るという遊びをしていた。私も楽しかったし、グレイグも楽しんでくれていた。だから、グレイグとしてはその延長なのだろう、と思う。思ったよりも面白がってくれていたのか、なんなのか。
楽しんでいた身としてはそれは喜ばしいものであるはずだが、しかしここでその過去を出されても現実逃避で意識が遠のいてしまう。
なにしろ、私たちはもう子供ではない。いや、厳密には子供なのだが、そういう遊びをしていい年齢は超えている。
何せ私だってもう青年だ。グレイグほどではないとはいえ、背も高くなり、筋肉もついた。同年代の中で小さい方だと言っても、それは男の中でと言う話だ。女子と比べるのならば、当然私の方が背丈も高い。声変わりだってもうしている。

「あのな、グレイグ。僕はもう、十四だぞ……。お前ほどじゃないが筋肉もついたし、もう女物の服は」
「似合わなかったら捨てていい!」

血迷っている友人へ冷静に説得を――とした私の言葉を青年のうるさいほどの声がバッサリと切り捨てる。
どれだけ、どれだけ必死なんだグレイグ。なんだ、そんなに着て欲しかったのか。そんなにか。
彼が手にしているドレスは、以前のワンピースたちとは違い、パリッとしていて新しく、綺麗なものだった。古着として売られていたものではなさそうだ。服というのは嗜好品だ。それなりに手の込んであるドレスは、やはりそれなりの値段がする。
おそらくだが、船のチケットと同じぐらいの値段はしたのではないだろうか。アームレスリング大会の賞金がいくらあったかは知らないが、こんな調子ではいくらも残っていないのではないか。

なら――一度着てみて、現実を見させてドレスを売らせた方が彼のためになるのではないだろうか。
古着といえど、一度しか袖を通していないのならばほぼ新品と同じだ。それなりの値段で買い取ってくれるだろう。
私にもこの遊びを一緒に楽しんでいた責任がある、気がするし。

「……仕方がないな」
「あッ、ありがとう! ホメロス!!」

光を受けた花のように笑みを浮かべるグレイグに、まるで赤いチューリップだなと思いながら頭が痛くなった。

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bkm