- ナノ -

グレイグside


男だと思っていた友達が女の子だった。

デルカダールにきて、グレイグに初めてできた友達。それがホメロスだった。
光に照らされると清い水のようにキラキラと輝く金髪の髪を一本に縛り、切れ目の眼差しに琥珀色の意志の強そうな瞳が嵌め込まれている。背筋はまっすぐとしていて、歩みは滑らかで猫のようにも見える。周囲の少年たちとは一線を介す雰囲気を持つ人物だった。
祖国バンデルフォンが魔物に滅ぼされたグレイグが引き取られやってきたデルカダール城。王に引き取られたグレイグは全てを失った苦しみをどうにか抑えながら二度とあのようなことが起こらぬようにと、父のような騎士になりたいと騎士見習いの鍛錬を受けていた。
ホメロスはその雰囲気から遠巻きにされ、模擬戦では常に成績上位。座学では誰よりも優秀であり、やってきたばかりのグレイグの目にもすぐ入ってきた。だが、グレイグはホメロスのことが苦手だった。同い年なのに何もかも優れているからではない、バンデルフォンの生き残りであるグレイグに向ける眼だ。ホメロスはグレイグを憐れんでいた。声はかけてこない、試合でも容赦はしない。けれどその瞳には「かわいそうに」と言った悲哀が込められていて、グレイグは大層それが嫌だった。対等だと思われていない、「グレイグ」ではなく「バンデルフォンの生き残り」としてみられている。それらの目線は今まで大人から散々向けられてきた。騎士見習いの少年たちの中で、後ろ指を指されても、真面目すぎる、暗いやつだ、と悪口を言われてもよかった。むしろ大人たちの目線よりも居心地がいいぐらいだった。だがあの目はとんとダメだった。だから、グレイグはホメロスから距離をとっていた。
けれどある時、先輩たちの大人気ない陰口でホメロスが没落貴族で、母から捨てられたのだと根拠のない話を聞いてから彼を見る目が変わった。
話をしてみれば、やはり同い年とは思えない博識さと落ち着きように戸惑ったが、彼は普通の少年だった。
それからはなんとなく話すようになり、その年の冬、彼の病気の母に会いに行こうと城を抜け出した日から、グレイグとホメロスは確かな絆で結ばれた友達となった。互いの痛みを共有しあい、理解しあった日。

しかし、それから数年が経ったその日。グレイグは衝撃の現場を目撃してしまった。

ホメロスがどこを探してもいないな、と思ったのだ。城のあちこちを走り回って、図書館の棚を見て回って、台所の机の下を覗き見て。どこにもおらず、唇を尖らせたグレイグはトボトボと廊下を歩いていた。特に何かを約束していたわけではない。だが、そういう日も一緒にいるのが普通だったのだ。何も言わずにどこかへ行くなんて酷いやつだ。そう胸の内で不満を垂れていたら、城のメイドが廊下の奥にそそくさと歩いて行くのが見えた。あまり足を運ばないそこは、確かメイドたちが主に使う部屋が並んでいたはずだった。それぐらいの知識しかないグレイグは近寄ったことはなかったが、メイドが持っていた袋から甘い匂いがした気がして、なんとなく後を追うことにした。
グレイグの友達であるホメロスは甘いものが好きだ。グレイグも嫌いじゃないが、ホメロスはとびきり好きらしく、おやつで甘いものが出たときはニコニコと幸せそうに食している。
足音を極力消して追うと、メイドはそのまま一室に入っていった。急いでいたのか、ドアが半開きだ。
グレイグは悪いことをしているとなんとなく理解しながら扉の隙間から顔を覗かせた。その先は、姿見や衝立、棚などが置かれていて、どうやら女性たちが服を着替えるために使うような部屋だとわかった。その先で、メイドの持った袋を受け取っている子供がいたのだ。

「ありがとうございます!」

花が咲き誇るように笑う姿に、花と芸術の国と呼ばれた祖国をグレイグは思い出した。
その子の周囲にだけ、花々が広がるような感覚に大きな目をさらに大きく見開く。金髪を後ろで束ねたその子は、ピンク色のドレスを着ていた。肌触りの良さそうなふわりとしたもので、その子の細い体を柔らかく包んでいる。そこから伸びた白い腕で、大事そうに袋を抱えている。
メイドたちに囲まれた姿は、まるでお姫様のようだ。

「うわ」

可愛い、という言葉の代わりに驚嘆の声が出た。意味のある言葉が紡げなかった。
しかしそれは確かに部屋に響いて、満面の笑みを浮かべていたドレスの子の視線がグレイグへと向く。
その瞳は琥珀色で、浮かんでいた花のような笑みが風に吹かれた煙のようにスッと消えた。それを見て、体が重くなるような感覚に襲われて胸の内で困惑する。そしてその子は、明らかに邪魔者なグレイグへ語りかけた。

「グレイグ」

そう、己の名前を呼ばれてグレイグはさらに目を見開いた。目玉が飛び出てしまうんじゃないかと思うほど瞠目して、頭に瞬いた信じられぬ仮説を口にする。

「ほ、ホメロス……?」

ホメロスは、顔が整っていた。それは自他ともに認めることで、メイドたちに誉めそやされ、ホメロスも否定していなかった。隣で横顔を眺めていても、スッとしていて綺麗だな。と思い出したように考えることがあった。だから、容姿はいいのは確かだ。けれど、そこにいるのは確かにドレスを着た――女の子だった。その、はずだ。だってドレスを着るのは女の子だし、そのドレスは可愛いピンク色だし、華やいだ笑みは本当に花のようだったのだ。しかし、よくよく見てみればドレスの裾から見える足にはよく自分達が履いているブーツが見えているし、腕には訓練でついたかすり傷がついている。
パクパク、と口を開閉させながらも何も言えないグレイグに、ドレスの子は平時と変わらぬ面持ちで言う。

「クッキーもらったから着替えたら一緒に食べよう」

やはり、彼女はホメロスだった。


ちんちんがついている女の子も、いるんだ。とグレイグは混乱する頭で思った。
咄嗟に扉を閉めて、壁に背中をつけて呆然としていた。どれほど時間が経っただろう、多分十分もしていない。けれど恐ろしく長く感じた時間の後、普段と同じ服装をしたホメロスが扉の奥から出てきた。奥にいるメイドたちにお礼を言われながら部屋を退出したホメロスは、その手にメイドから渡されていた茶色の袋を持っていた。大きめのそれからは焼き菓子の甘い砂糖の匂いがして、ホメロスのためのお菓子だったんだ、とグレイグは思った。

「ほら、行こう。せっかくだし、バルコニーで食べよう」
「あ、ああ。うん……」

何事もなかったようにグレイグを先導するホメロスに、重い足取りでグレイグはついていく。
熱い夏の日などに、中庭にある井戸の水を使って水浴びを何度もした。二人で打ち合いをすると、すぐに暑くなってしまうのだ。熱った体を井戸の冷たい水で洗い流すのが二人とも好きだった。上を全て脱いで、頭から水をかぶる。その時、ホメロスの胸ってどうだったろう。俺と同じ、平たくて、女の人みたいに膨らんでなかったはずだ。そう思ってグレイグは慌てて頭を振る。以前街で見た同い年ぐらいの女の子も、別に胸は大きくなかった。じゃあ、自分はもしかして女の子かもしれない友達の胸を同性だと思って見てしまっていたということか。そうしたら、それはすごく、良くないことなんじゃないか。火照ってきた頭のなかで記憶がぐるぐると回る。
いや待て、けど、ホメロスはやっぱり男だ。だって大浴場で風呂に入る時、ホメロスのアレをグレイグは見ていた。あれがあるのは男だけだ。それは間違いなかった。だからホメロスは男――のはずだった。
けれど。
お菓子の入った袋を持っているからか、甘い香りを漂わせる友達の顔を盗み見ようと足取りを早めて隣に並ぶ。機嫌の良さそうな面持ちは少しだけ降格が上がっていて、グレイグは先ほど見た光景が重なった。可愛い女の子の服を着て笑みを浮かべていた子は、確かに女の子だった。
でも、それはホメロスで。
だから、ちんちんがついている女の子もいる、ということに、なる。

「なんだグレイグ。変な顔して」
「えっ!! い、いや……」

不意に向けられた整った容姿に、グレイグはギョッとした。その顔はいつも通りのホメロスで、どう見ても男にしか見えない。
そうだ、声も高めだけど女の子ほどじゃないし、剣の腕はグレイグどころか先輩たちも叩きのめすほどだ。顔に傷を作ることもあるし、やっぱりホメロスは男、のはずだ。

「さっきのに驚いたのか?」
「さ、さっきの」
「女の子のドレス。彼女たちにお願いされたから着てたんだ」
「お願いされた……って」
「ああ。似合うと思うからって。で、それのお礼でこれをもらったんだ」

袋を持って、振ってみせる。その姿に、ようやくあの出来事の原因を知って、火照っていた頭が冷えていく。
つまり、あれはホメロスが女の子だから着ていたわけじゃなく、メイドがホメロスに似合うからと着せただけ。
なんで男のホメロスに女の子の服を着せるんだ! とグレイグは一瞬怒りにも似た衝動が沸き起こったが、すぐに、確かに似合っていた、という思考が飛んできて嘘のように衝動が静まった。
だが、グレイグの口はまごついた。いくら頼まれたからといって、あんな可愛い服をあんな平然と着れるものだろうか。いや、確かに全然変じゃなかった。なかったけれど、それとこれとは話が違う。グレイグだったら、いくら似合うからと言われてもあんな可愛い服は着れないだろう。

「ほ、ホメロスって、女の子の服着るの、嫌じゃないのか?」

いやいや着ているようには見えなかったが、内心ではとても嫌がっていたのではないか。そう気遣い、伺うように出た言葉にホメロスが平然と答える。

「別に。可愛いものも嫌いじゃないし。自分からは着ないけど」
「そ、そうなのか……」

ホメロスが角を曲がる。それにそれについていけず、彼に衝突しそうになって慌てて体を直角に回した。ぎりぎりで避けられたが、ホメロスに眉を寄せられながら目線を向けられて、グレイグは咄嗟に視線を逸らしてしまった。
なんとなく、ホメロスの顔が見られなかった。彼は冷静で、周囲が驚くようなことに対しても涼しい顔をしている。彼と仲良くなってから、グレイグはそれを凄いと思っていた。頭がいいから、知識が豊富だから、ちょっとしたことでは驚かないのだと。
でも、今回はその類ではなかった。内心嫌がってもいなかったし、頭がいいから平然としているわけでもなかった。
――可愛いものも嫌いじゃない。
つまり、ホメロスは――お菓子がもらえるからというのもあっただろうが――自ら進んであの服を着たということだ。
そして、その姿をメイドたちに見せて、挙句グレイグに見られても何も気にしていない。
あんな可愛い姿をしていたのに、女の子見たな格好をしていたのに、花が咲くような笑みを浮かべていたのに。
グレイグは、胸から何かが溢れるような衝動に、ぎゅうと服を握りしめた。

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