- ナノ -

酔っ払いの睦言
ウルノーガもいない平和なデルカダール世界


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グレイグside

あまりの気の乗らない社交界の夜会、戦勝の祝いの宴、昔から通っている馴染みの料理店――それらの後。
俺は酒にあまり強くなかった。苦手なわけではないが、いくらか飲むと愉快な気分になる前に眠気に襲われてしまう。公的な席では、睡魔と戦う方に気が移り、よく同僚に恐ろしげな顔をするなと苦言を呈される。将としての威厳を意識しなくても良い私的な場でのアルコールは気が楽だった。
だが、その酒もここ最近では不甲斐ない俺をよく気にかけてくれる同僚がいれば、結果的に良いものになることがわかってきた。睡魔に負けて寝入ってしまっても彼がいれば平気だとか、目を開けてなくてはならない場所で瞼が落ちた時にこづいてくれるから安心だとか、そういうものではなかった。
酒が脳に回って思考が滞り、夢の中へと引き摺り込まれた後。朧げな幻に、彼の姿が浮かんでくる。
その中の彼は俺の近くにいて、気を許したような顔をしていた。普段は甲冑に包まれている腕を掴んでも何も言われず、同い年だというのに滑らかな頬に手を添えても振り払われない。
たまらず「好きだ」と口にしても、同じように返してくれることはないが、「頭がおかしくなったのか」「気味が悪い」などと恐ろしいことは言われない。だから調子に乗って、何度も同じことを口にする。好きだ、大好きだ、俺にはお前しかいない、愛している。胸の底で泡のように消えていくだけの言葉を歌のように贈っても、夢の彼は俺を拒否しない。
何度も同じ夢を見て、淡く記憶に残るだけのそれにどんどんと欲深になってゆく。
その美しい飾り整えられた髪を手櫛でとかし、鎧の取り払われた薄い、しかし強く鍛えられた体を包むように抱き止める。
夢の中の彼は人形のようだった。暖かい人形、時折声が聞こえるが、何をいっているかも分からない。
酒に溺れた闇夜の幻ならば、もう少し、後少しだけ、欲深になっても良いだろうか。

「愛している……ホメロス」




ああもうこいつを誰かどうにかしてくれ!!
一人幼馴染兼同僚を引き摺りながら脳内で頭を抱えてヘドバンをしながら叫ぶ。いやもう現実でも叫んでやろうか本当に重いし辛いし腰が砕けそう。

「グレイグ、本当にお前は、お前ってやつは……デカすぎる……!!」

幼い頃は本当に桜の花のように儚くて可愛かった幼馴染。しかし彼はあっという間に私の背を越し、青年期にはべらぼうに背が高くなり、今や立派な二メートル越えの巨漢である。人間どう成長するかわかったもんじゃないね。今でも可愛いけどさ。
どんだけデカくなろうとも、どんだけ偉くなろうとも、グレイグは私にとっては「可愛い」存在だ。もう最初の第一印象からインプットされてしまっているから仕方がない。何せ私は人生二週目。まだ六歳だった彼と出会った時の精神年齢は立派な成人だったのだ。そりゃあ可愛くも思う。
だが最近は彼の成長を見せつけられていてちょっと寂しい気持ちもあったりする。既に背を越された時と、彼が修行から帰ってきた時の成長と、戦場で魔物を殲滅して帰ってきた時でそれはしっかり経験をしているのだが、それらとはまた別種の成長なのだ。

「本当、感謝しろよグレイグ……」

こうして同僚のグレイグ――デルカダールの将軍、そして英雄でもあるのだが――を背負い、引き摺りながらも必死で城にある彼の部屋へと連れて行っているわけだが、こんな仕事、私がやることではないのだ。本来は。
彼にも当然専属の部隊があり、信頼のおける隊長や副官たちが存在している。グレイグ隊は前線で武器を振るう戦闘部隊だ。それに応じて体格も立派な騎士が多い。彼らに頼めば、同じ将軍であれど軍師としての役目が強い私がこのような苦労を強いられることはない。
だが、それではダメなのだ。実は彼は――酔うと誰にでも告白をする悪癖がある。
それを知ったのは社交界での舞踏会で多くの貴族に揉まれに揉まれ、酔わされていた彼を救出して部屋へと連れていき、ベッドへ放り投げようと思った時のこと。ピタリと動きを止め、こちらをアルコールでぼやける瞳で見つめたかと思ったら、

「好きだ」

とこれまたぼやける声で口にしたのだ。
あまりにも突然のことに唖然としていたら、次々に出てくる好意的な言葉。え、何? どうした? もしかして変な薬を盛られたのか? と普通に焦ったが、よくよく観察をしてみればどこか気分が良さそうに口元は緩んでいて、目の焦点は揺らぎ、頬も耳も首元も赤い。
うーーん。酔っていますね。
結局その日は散々、好きだなんだと言った後に立ち寝をかましていたので、どうにか引きずってベッドへ放り投げてやった。
しかし私は頭を抱えた。あの初心で女性なんかムフフ本とぱぷぱぷ店でしか見たことも触れたこともありません、みたいな幼馴染が、あんな熱烈に口説くことができるなんて。単調でありふれた言葉たちではあったが、それでも心底語っていると理解してしまう、甘く蕩ける声色、熱のこもった碧の瞳。酒で赤くなった顔も相まって、こんなにカッコ良くなっていたのかと酔っ払いの言葉ながら動揺してしまった。
そういえばグレイグはこの国の将軍でしかも二メートル越えの巨漢で精悍な顔立ちで男らしい髭を生やした筋骨隆々の花盛りな男なわけだ。世間では英雄と持て囃され、事実その実力は名に恥じぬものだ。そりゃあカッコいいわ。舞踏会で貴族やその娘たちにあれほど囲まれるわけだわ。
そして彼もいい歳――というか、もう三十も半ば過ぎだ。恋する相手――もしくは秘密裏に付き合っている女性――ぐらいいるだろう。
酔った視界の中でそれらが私に重なったのか。できれば前者がよい、後者だったら教えてくれないなんてつれないではないか。
頭を抱えるのもそこそこに、私は舞踏会へと戻っていった。英雄が退出したのだ。彼目当てだった人々は大層不満を持っているだろう。そういう場の収め方はこの職になってから随分と得意になった。しかし、大変なものは大変なので、後でグレイグに良い相手のことについて聞いてやろうと思いつつ。

「覚えてないィ?」
「ああ。夜会の最中に眠気に勝てず……寝てしまったようだ。迷惑をかけたか?」
「……いや、まぁ、酒は寝ない程度に留めるようにしてくれ」
「わかった。すまんな、ホメロス」

舞踏会のジェネラルスーツとは異なり、漆黒の甲冑を身につけたグレイグは部屋に戻った後のことを覚えていなかった。
確かに相当酔っ払っていたし、目の前の人物を間違えるほどなのだから記憶も飛ぶだろう。流石に誰かと間違えて熱烈に告白していたぞ、などと黒歴史確定の物事を本人に言ってやる気も起きず、酒量はほどほどにするようにという忠告だけで終わってしまった。

しかし、長い遠征が終わり、ようやく城へ帰還して戦勝祝いを行ったその夜。
久々の酒に皆高が外れていた。兵舎の大広間で飲みに飲み、大半が潰れた頃、幼馴染が机に突っ伏して動かないのを見つけてため息をついたのだ。しかし長期の遠征ということもあり、過酷な現場だった。いくら将とはいえ、羽目を外すなというのは少々気の毒だ。それにもう一人将がいるならば、そちらが羽目を外さなければよい。つまり私のことなわけだが。

「今日はここらで解散だ。動けるものは潰れた者を部屋へ連れて行くか布でもかけてやれ。私は将軍を連れて行く」

力無い返事がいくつか聞こえ、夢の世界に旅立ったグレイグをどうにか肩を持って引き摺るように連れて行く。
皆アルコールに酔っていて、誰か手助けをと言える雰囲気でもなかった。それに動けるものは他の兵士の面倒を見てもらわなければならない。あまりにも重い体を引きずって、それでもどうにか彼の部屋まで辿り着いた。
流石に私も酔っていて、とっととグレイグを置いて寝てしまいたい。そんなことを思いながら引きずっていた時、ぐっとグレイグの体が重くなったと思ったら、ふわりと軽くなる。それに背負った相手が起きたのだと理解して、軽くなった肩にホッと息をついた。

「ようやく起きたのか。ほら、さっさとベッドに――」

そう言って顔を上げた時、彼は何も言わずに私の腕を掴んだ。押しとどめるようなそれに、なんだふらついたのかと様子を伺えば、いやに熱い視線が注がれていて息が止まった。そして同時に理解する――これ、デジャブだな。

「……好きだ」

うわ、ほらやっぱり。

「ずっと隣にいてくれ」

おおう、相変わらず情熱的だ。

「俺にはお前しかいない」

熱いほどの掌が頬に触れる。節張った指が輪郭をなぞる姿に、頭の中で電光が走った。
こいつ、もしかして――酔っ払うと誰にでもこうなるのか……!?
瞬いた答えば、目の前の幼馴染から発せられる熱烈告白にさらに確信が強まっていく。酔っ払うと眼前にいる相手が暫定好きな相手に見え、告白を繰り返す哀れな酩酊男になるのだ――と。しかもそれを翌日に覚えていないときた。
なんたることだ。仮にも一国の将軍がそんな恐ろしい悪癖を持っているとは。私にとっては可愛い幼馴染であるが、周囲にとっては雄々しいグレイグ将軍なのだ。これが兵士だったらまだしも、メイドになんて発動してしまった日には絶対に惚れられてしまうだろう。ただの悪癖だとしても、口説かれたのは本当のことなのだからかなり面倒なことになりそうだ。あとぶっちゃけ兵士も落ちそうで怖い。
頬を撫で回され、好きだなんだと囁かれながら脳内で苦悩する。これは本当に厄介な酔い癖である。しかし彼が意識を失うまで酔うことは稀だ。昔はちょこちょこあった気がするが、将軍となってからは数える程度だ。彼も将として寝落ちてしまうのは良くないと思っているのだろう。だからこそ、この悪癖は今まで気づかれなかったのだろうが、知ってしまうとどうにかしなくてはならない。今まで大丈夫だったかと言って、これからもそうであるとは限らないのだ。
一人悶々と考えていれば、いつの間にか頬を撫でる手が止まり、ぐらりと目の前の巨体が傾く。

「うおおおッ!?」

咄嗟に巨石を受け止めるように抱き止めて、相撲取りのように足腰で踏ん張りながら歯を食いしばる。
ああ、とりあえず――彼の面倒は私が見なければならないようだということだけは、理解するしかないようだった。

「グレイグ、お前好きな相手はいないのか」
「すッ!? とッ、とと、突然何をいう!!」

突然っていうか。お前が酔っ払って大告白大会が行われるのが片手じゃ数えられなくなったから聞いたんだが。
あれから、何度かグレイグがいる場の酒の席に出席した。というか、私も彼と同じ将軍なので当然一緒になる機会は多い。それに加え、プレイベートで二人で食事をしたりもするので、当然その場で酒も出てくる。自重していると思っていたのだが、彼は私がいると気が緩んでしまうのか気付けば寝落ちているか、睡魔に連れていかれそうになっていることが多かった。そんなわけで、彼の悪癖に付き合わされること六回。
流石に毎度毎度あんな告白を聞くのは気まずい。しかしそのまま伝えるのは忍びない。ということで、さっさとそのお相手と結ばれればいいのだと話を振ったが、グレイグは真っ赤な顔をして一歩後退した。ガシャンと鎧が硬質な音を立てる。

「お前もいい歳だろう。そういった相手ぐらいいるだろ?」
「い、いいッ、いない!!」
「おい、嘘をつくな。三十六だぞ? 恥ずかしいことでもあるまい」
「だ、から、いないと言っている! そ、それよりお前はどうなのだ!」
「私? いるわけないだろう」
「なら俺もいない!」

いやなんだその理屈は。
しかしこうも拒否されてしまうと話も続けられない。はぁと一つため息をついて書類を捲った。
ちょうどよく私室兼執務室に二人きりになったので尋ねてみたが、彼の初さはなかなか強固だった。いや、強固な初さってなんだ。
教えてくれさえすれば、私だって協力するというのに。それとも何か、恋は誰かの力を借りずに叶えたいタイプか。夢を見てそうだもんなグレイグ。
どちらにしろさっさと叶えて欲しかった。悪癖が悪化しているのか、回数を重ねるごとに段々とスキンシップが増えているのだ。嫌というわけではない。昔から同じ城で暮らし、同じベッドで寝たこともある仲だ。子供の頃を思えばハグぐらいのスキンシップはどうとでもなかった。だが、やはり気まずいものは気まずい。なにせ彼は目の前の男を自分の愛する女性だと思っているのだ。

『お前の何もかもが好ましい』

髪を手で梳かされながらそう耳打ちされる。聞いてはいけないものを耳にしてしまった感覚に、冷や汗が止まらなかった。
ベッドの下にしまったムフフ本とか、そういう次元ではない。密事を覗いてしまったような背徳感を覚えざるを得ない、あまりにも甘やかな愛慕の言葉だった。そうしてまるで綿でも掴むように抱きしめられてしまえば、思慕の相手ではないというのに罪悪感やらで顔が赤くなりかけて身悶えしそうになる。
認めざるをえまい。我が幼馴染であり、我が友であり、我が同僚のグレイグは昔と変わらず可愛い男であったが、それと同じぐらい格好良くなってしまった。もうその愛情を相手にぶつけろ絶対に成就する報われる結婚まで一直線だから当たって成功してこい酔っ払いこの野郎。
「お、俺はこれで失礼する!」と初心さ全開で部屋を後にした黒い鎧の男が去った私室で、一人長々としたため息をこぼした。

「さっさと結ばれてくれ……」

二度あることは三度ある、という諺の通り、六度あることは七度ある。回数が大きく違うが、その通りなので仕方がない。
今日、誘ってきたのはグレイグだった。馴染みの料理店で新しいメニューができたらしいと楽しげに語られて、一緒に食べにいかないかと言われ、断る理由もなかったので承諾した。承諾したところで思った。ここで聞き出してやろう、と。
もう大告白大会に付き合わされるのは勘弁して欲しかった。素面では恥ずかしくて言い出せないのなら、酒に酔ったところを聞き出せばいい。そう意気込んで二人で美味い料理に舌鼓を打ちながら、彼に酒を注いだ。だが、彼は口が固かった。なんでそんなに固いんだというほどに固かった。いつもはなんでも相談してくるぐらいなのに、その手の話題になった途端「そんな相手はいない」「職務を全うすることが大事だ」「そういえば隊の副官が結婚をするらしい」などと避けに避けられ方向転換され――若干ムキになった自覚はある。
昔から共にいたのだ。恋の相談ぐらいしてくれたっていいじゃないか。三十年の付き合いだぞ。それに告白大会に何度付き合ってやっていると思っているんだ。――と、気付けばグレイグは半分うたた寝をしており、私は自分の失態に気づいた。

恋の相手を知りたいからと、相手に酒を勧めて寝させてしまうとは、何たる。
と、少々反省をした後に気づいた。これ、城まで連れて行くの、私だよな。と。

どうにか彼の意識を覚醒させながら城まで引っ張っていき、しかし部屋にたどり着く前には睡魔に負けていた。途中で城の見回りをしていた兵士が手伝いを申し出てくれたが丁重に断った。何せいつあの悪癖が飛び出すかわからないのだ。無垢な兵士を巻き込むことはできない。性癖が歪んでしまう。

ようやく辿り着いた彼の部屋で、普段よりも長い道のりを背負ったために体力が持たず、溜まらず近くにあったソファに彼を下ろした。その横に倒れ込むように腰を下ろして、乱れた息を整える。疲れた。本当に疲れた。グレイグには感謝しまくってもらわねければ気が済まない。まぁ酒を注ぎすぎた私にも非はあるっちゃあるのだが。
しかし、一度下ろしてしまったから、ここからベッドへ連れて行くのは骨が折れる。しかもソファは背の低いものであるし、ここから肩を組んで持ち上げて、となると本当に腰の骨が折れてしまう。それに――近づけばまた「あれ」が始まるような気がしてならなかった。
ここはもう、帰ってしまうか。ソファまで連れてきたのだからいいだろう。それにグレイグは明日休暇だったはずだ。多少ソファで寝て体が固まってしまったとしても何も問題はあるまい。
息も整い、結論に至った思考のまま立ちあがろうとした時に――手を握られた。

「え」

グイ、と引っ張られ斜めに視線が落ちる。咄嗟に受け身を取ろうとした先で、大きな手に腰を支えられて息を呑んだ。

「ちょ、グレイグ……」

流石に引き攣った声が漏れる。結局受け身を取れずに尻餅をついた先がグレイグの膝の間だったのだからそれもそうなるだろう。酒に火照った皮膚が服越しにも感じられるほどの距離感で、距離を取ろうとすると腰に添えられた手が邪魔をした。
なんだこれどんな状況だ。グレイグを見やると、やはりあの、熱に浮かされた溶ける双眸でこちらを見つめている。ああいやだ、熱が移りそうだ。
咄嗟に顔を逸らそうとすると、それを読んでいたかのように腰に添えていない方の手が額に触れた。そのまま、節くれた大きな手が前髪を掻き上げるように動き、髪を梳く。しかし以前と違い、その手は私の髪を結っている髪留めを解してしまった。

「な、何をしているんだ。グレイグ、しっかりしろ、おい」

これは、ちょっと、本当に、良くない。
こんな彼は他に見せられない。こんなことをされたら皆に被害が出る。性癖が歪んでしまう。
そうだ、歪んでしまう。ああ、くそ、だめだ。本当にやめてくれ。

「グレイグ……!」

彼の膝を掴んで、その場から離れようと腰をひく。だが石像にでも抱えられているように、腰に添えられた手がびくともしない。なんだこれ鉄骨か? と一瞬頭をよぎったとき、視界の隅に金色の見えた。
髪を解いたグレイグの手が、私の髪を一房手にし、それを胸元に掬っていた。

「美しい髪だ。お前と同じ、輝いて、暗闇の中を照らしているようだ」

恋慕う相手の髪色も金髪らしい。熱い視線に髪が焦がされそうでヒヤヒヤする。
その焦げる視線と交わって、体が固まった。

「お前の全てが好きだ。きっと俺は、お前以外に恋などできない」

なんだそれは。さっきは散々そんな相手はいないと言っていたくせに。
それでも視線が逸らせずに口を噤む。くそ、正気を保て。どうせ後少しで寝落ちするのだ。気をしっかり持つんだ。
しかしその熱視線は、ふと氷が沈められたかのように急激に冷めていく。いや、あれは――苦しみだ。今までこうなったグレイグがそのような表情をすることはなかった。ただ幸せそうに、嬉しそうに、熱のまま愛を囁くだけだったというのに。
彼はまるで胸を突かれたかのような面持ちで、痛みを伴った微笑みを浮かべて言った。

「それが俺たちの関係を壊す想いであろうとも」

――しかしその痛みは幻のように消え去った。
再び熱に浮かされた瞳に戻った彼は、背をゆっくりと前に倒した。腰を支える手はそのままで、距離が詰められていく。
熱が、どんどんと近くなる。移る、熱が、胸を焦がすような恐ろしい熱病が、

だが、その熱は肌に触れることはなく。
気づかぬ間に顔近くまで寄せられていた金の髪に、その熱がそっと口付けられた。
それを、滂沱の汗を流しながら食い入るように見つめる。祈るように伏せられた目が、ゆるりと開いた。

「愛している……ホメロス」

は、と息が漏れる。
瞬間、ガクリとグレイグの顔が落ちた。え? と口にする間もなく、ついでグラリと体が揺れて、共にソファから崩れ落ちそうになって慌ててソファの背もたれに手を伸ばして引っ掴む。髪と腰を手にしたまま、酔っ払いは夢の世界へと旅立っていた。
床に倒れ込みそうになるのを必死で支え、全身を使ってどうにかソファへと倒れ込む。離れない巨漢の体が体に乗っかってきて、窒息しそうになりながらもどうにか息ができるだけの隙間は確保できた。
そうして、顎まで垂れていた汗を拭った。しかし、拭ってもまた吹き出してくる。気温はそんなに暑くはない。ただ、あまりにも大きな熱源が近くにあって、汗が止まらないのだ。衝撃の数々にすっかりアルコールは抜けたはずなのに、眩暈がして、鼓動がうるさくて、顔が燃えるように熱い。

「……寝るなよ、この、アホ……」

酔っ払い、悪癖、記憶がなくなる。
知るかそんなもん。ここまでしてくれたのだから、責任はとってもらうぞ、この野郎。

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