- ナノ -

兵士が来たのはおおよそ三分後。
中庭に倒れている私たちを見つけて、怒りなのか困惑なのか、それらが混ざった顔をした後にとりあえずと私からグレイグを引き剥がそうとした。グレイグが喉をしゃくりあげる音を聞きながら、大丈夫です、私が連れて行きますとどうにか懇願してそのまま部屋へと戻った。
私が先導して、後ろを微妙な顔をした兵士がついてくる。奇妙な時間だと思いながらグレイグの部屋にたどり着いて、その頃には泣きつかれた幼子は腕の中で眠ってしまっていた。そのままベッドに横にさせようとして、腕が震えて背の高いベッドの持ち上げられずに唸っていたら兵士が見かねて助力してくれた。子供たちに振りまされていたというのに、なんて優しいのだろうか。
お礼を言うと、呆れた顔をして、ちょっと来い。と言われた。グレイグは眠ったので、頷いてついていく。
そのまま辿り着いた先は王の私室で、眉を顰める。

「あの」
「王からお前を連れてこいとのお達しだ」

兵士がノックをすると、中から紛れもない王の声が返ってくる。
「ホメロスを連れて参りました」と兵士がかしこまった口調で言うと「入れ」と聞こえてきて、兵士が扉を開ける。
背中に変に冷たい汗が流れる。悪いことは、一応していないつもりではあるものの。いきなり王の元へと言うのは緊張する。何せ私だって、王に会うのはこの城にやってきた時ぐらいなのだ。父のように思ってくれ、とは言われたものの、記憶を思い出すまでもなくそんな大それたことは思えない。

「ご苦労だったな。もう下がって良いぞ」
「はっ。かしこまりました」

兵士がスッと踵を引いて、そのまま部屋を退室する。中には王以外、誰もいなかった。王と二人きり。不安になり兵士を見上げてみれば、ちょいとだけ眉を動かされ、そのまま行ってしまった。どういうアイコンタクトなんだあれは。
しかし、王に呼ばれて何もないというわけもないだろう。思い当たるのは一つしかない。

「……申し訳ありません」
「何を謝ることがある。ホメロス」
「勝手に、グレイグを部屋から連れ出した、ので……」

それだけではない。勝手にグレイグと何度もあって、遊んで、朝まで大部屋に戻らないことも何度もあった。
メイドに目をかけてもらって勝手に食事を一緒に摂ったり、風呂に入ったり。
普通の見習い騎士なら許されないことだろう。だが、許されていた。

「何を言う。グレイグのためにやったことなのだろう? むしろ、感謝せねばならない」

王が寛大に述べる。ランプに照らされた面持ちには、優しげな父性が浮かび上がっていた。
そう、王はわかっていらっしゃった。私がグレイグの部屋に入り浸っていることも、仲を深めていることも。
それを知った上で、目溢しをしてくださっていた。見習いを訓練する部隊長や、メイド、兵士にそれとなく伝えていたことだろう。
しかし、今まではただの推測だった。だが、今ここではっきりしてしまった。
ああ……わかっていたこととはいえ。やっぱり目の前で示されると恥ずかしい。大人の手のひらで転がされてる子供だな。これは。

「お主が今まであの子を気にかけ、共にいてくれたことは知っておる。お主がグレイグと仲を深めてくれたおかげで、あの子の辛さも癒されただろう」
「そう、だといいのですが」
「そうだとも。我らではできないことを、ホメロスはやってくれたのだ」

随分と褒められる。なんとなく居心地が悪くて、手を握ったり開けたりした。
グレイグと関わったのは、彼を放っておけなかったからではあるが、自分のためでもある。それをこうも評価されるとどう反応を返せばいいのかわからなくなる。子供らしい対応ってどんなのだ。
しかし王は挙動不審な私を咎めることもなく、言葉を続けた。

「代わりと言ってはなんだが、何か欲しいものはあるか」
「欲しいもの、ですか?」
「ああ。思えば最近は忙しく、ホメロスを気にかけてやれなかった」

そりゃあそうだろう。バンデルフォンが魔物に襲われ滅亡し、王はその対応に追われに追われていたに違いない。
魔物がデルカダールを襲う可能性もあったし、武闘派の王は自ら戦場へ赴く。そこに政なども絡み、子供一人を気にかけている暇などないはずだ。
けれど、引き取ったこともあり、気にかけてやりたかったという気持ちはあったのだろう。本当に心が広く、お優しいと思いつつ、頭の中で欲しいものという単語が転がる。
欲しいもの。それこそ大量にある。身につけているグローブが穴が開きそうだから新しいのが欲しいし、図書館にある魔術の本の続刊が欲しいし、バンデルフォンを襲った魔物の詳細なデータが欲しいし、そのほかにも頭に浮かぶものは大量にある。
あるが――望んでいいのなら、一番はこれだった。

「大部屋で、ベッドをグレイグと隣にして欲しいです」

今のベッドの位置は部屋の角で、隣には当然別の子供がいる。空いているベッドもあるが、それは私の位置からは遠かった。
王の厳しい目が、少々楕円っぽくなる。驚いているらしい。
それに居心地の悪さをまた感じつつ、返答を大人しく待った。
王は数秒沈黙して、それから小さく笑い声を上げた。おそらく今は昼間なら、もっと大声で笑っていただろう。

「別の願いにすべきかもしれんな。元からそのつもりなのだ、ホメロスよ」

別の願い、元からそのつもり……一拍間を置いて、顔の温度が上がった気配を感じた。
うん、そうですか。ありがとうございます。普通にありがたいし嬉しいことなのに、めちゃくちゃ恥ずかしい。あーもう。

「じゃあ、そのっ、城の図書館に、古代の歴史書か、魔術についての本を追加していただけると、嬉しいですっ」
「本か。お主だけのものではないが、いいのか?」
「はいっ、たくさん入れていただければ、ありがたいですっ」

羞恥心に苛まれ語気が上がる。別にいいじゃないか、私だってまだ六歳だぞ。恥ずかしがることじゃない。
けれど中身は立派な成人で、開き直ることはできなかった。恥ずかしがる方がもっと恥ずかしいっていうのに。
王は朗らかに、わかった。伝えておこう。と言って鷹揚に頷いた。揶揄われでもしたら爆発していた気がするので、王が柔和な方でよかった。
服の裾を掴んで、目を眇めて羞恥心を追い払う。王と二人きり、こんな機会滅多にない。
そうだ。恥ずかしさに飲まれて思考を放棄するのはあまりにも大きな損害だ。
しっかりしろ、未来のために、打てる布石は打たなくてはならない。
こんな暖かな空間に別種の思惑を持ち込むのは申し訳ない気持ちもあったが、今言わなくては次の機会は訪れないかもしれない。

「王よ」

しっかりと視線を合わせて、できるだけ冷静に王に声をかける。
王は私の視線を受け止める。そしてすぐに私が真剣だと理解したのか、なんだ、ホメロス。と声色を少し落として聞いてきた。

「バンデルフォンでの魔物の襲来など、魔物の動きがおかしいと思っています。それを調べて謎を解き明かしたいんです。僕の中で説が定まったら、王に聞いて欲しいのです」

きっと、すでに王も手を打っているだろう。一国が滅亡したのだ。調査をしていないわけがない。名のある学士を集め、兵を派遣していることだろう。だが、私も本気だ。子供のお遊びではない。将来のため、自分のために、信じさせなければならない。そのための努力は惜しまない。
だからこそ、証拠のない答えを提示はしない。説得できる材料を手に持ち、王を説き伏せて見せる。
覚悟の提示、そして宣戦布告でもあった。一歩先に進むには、王からの信頼が必要だった。でないと私は、成長したとしても一介の兵士であり、無力な存在だ。決意を込めた視線を当てれば、王は瞠目した後に、深く頷いた。


二日後。私のベッドは一つ左へ移動になった。
そして元々私が寝ていたベッドに、菫色の幼子がやってきた。
隣のベッドにいる私に、彼は喜んで「これから毎日一緒に寝れる」と無邪気に言っている。
それに微笑んで、彼のために与えられた訓練用の木の剣と胸当てを眺める。
ああ、強くなろう。いや、なるしかないのだ。

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bkm