- ナノ -

水果11
早朝、身支度を整えリビングへと姿を表す。
いつもは私より先に起きている文則さんの姿が見えない風景に、一つ短息した。
昨夜−−と言っても既に針は今日となっていたが−−に、泥酔した文則さんをホウ徳さんが我が家に連れて帰ってきてくれた。そんな彼に物干し竿を突きつけるという大層失礼なことをし、彼の顔を見て誤解が解け、謝罪をし、何か少しでもお詫びを、と思いキッチンにいるときに手伝いにきてくれたらしいホウ徳さんを見ていたら、寝入っていた文則さんがホウ徳さんを不審者と思い違ったのか、スリーパーホールドを決め、危うくホウ徳さんに危害が及ぶところだった。
その後、私も協力し、どうにか文則さんを引き剥がすことに成功したのだが、彼はその行動で最後の体力を使い切ったのか、今度こそ意識を失ってしまった。
もうお詫びの食事などどころではない。私は何度も謝罪をし−−そもそも私がホウ徳さんを誤解しなければ、こんな面倒なことになっていなかったんだよなぁ−−その夜はダウンした文則さんをベッドへ寝かせ、帰っていただくこととなった。はぁ、前世だけでなく、今生でも迷惑をかけてしまうとは……。
今日は土曜日で仕事はない。だが、規則正しさの化身である文則さんは休みの日でもしっかりと早朝に目を覚ます。だが、こうしてリビングにいないところを見ると、まだベッドで夢の中にいることだろう。
はぁ……昨夜のこと、なんて説明しよう。


「つまり……私が酒に溺れ、動けぬようになったところをホウ徳がここまで運び、しかし事情を知らなかった生江がホウ徳を不審者だと勘違いしてしまい、その謝罪のために何か用意しようとした。そこへホウ徳が近づいた様子を、たまたま意識がわずかに覚醒した私が不審者と思い、ホウ徳を襲った、と」
「まぁ……そんな感じになります」
「……クッ……!」
「ぶ、文則さん……!」

ひどい二日酔いの姿でリビングに現れた文則さんに水を渡したのが三十分前。昨夜のままだった身を整え、何があったのか知っているか? と聞いてきた文則さんに、自身の暴挙を少し省きつつ伝え−−物干し竿で不審者に対応しようとしたなどと言えば、話がさらにこんがらがるため−−それを理解した文則さんは頭を抱えた。
それは、まぁ、そうだよなぁ。私もそんなことになっていたら頭を抱えてしまう。正直私に普通に非があるから申し訳なさすぎる。

「すみません。私が勘違いをしたばかりに、ややこしいことにしてしまって……」
「いや、生江に非はない。全て私が酒量を誤ったことが発端だ。この件は、重々ホウ徳に謝罪をしておく」

そう言って顔を上げた文則さんだが、その眉間は地球の割れ目かと思われるほど深い深い皺が刻まれており、目つきは人を−−この場合は自分だろうが−−射殺さんとするほどだ。
文則さんがどれほど自責や羞恥、気まずさを持っているか、よくわかる。しかし、酒量を見誤ることなど誰にだってある。それが楽しい飲みの席なら尚更のことだ。それを、あまり深く後悔はしてほしくないのだが……しかし、下手をうった私の言葉はあまりにも軽い。

「……その、ホウ徳さんに迷惑をかけてしまったのは私も同じです。なので、私と文則さんで、ホウ徳さんにお詫びの品を送るというのはどうでしょうか」
「……うむ。此度の件はあまりにも苦労を強いすぎた。いい案かもしれん」


三人称

その日、于文則は大きめの手提げを持ち出社していた。
いつもは手にない荷物に少々嵩張りはしたものの、意味を考えればなんの苦にもならない。
自身の席に着き、周囲を見渡す。まだ社員はあまり出社しておらず、目当ての社員−−ホウ徳もまだ出社はしていなかった。
手短に自身の業務の準備を行い、それから手提げを持って席を立つ。近しい席にあるホウ徳の席は、彼の性格を表しているように荷物が極端に少ない席であった。文則の席も私物は一切ないが、その代わり業務で使用する備品や書類が規則正しく、しかし大量に置かれている。
文則の席と違い、スペースのある席に手提げをおく。それは白色の袋で、中には四角い箱が入っていた。表には果物に詳しい者なら知っているであろう、そこそこ良い桃の品名が書かれている。そして自身のメモと、彼の姪からの手紙−−白い封筒に入っている−−がテープで貼り付けられている。
公私混同ではないか、と思うところもあったが、しかしこれは文則と姪からの謝罪の品だ。文則はホウ徳と職場以外で会うことはない−−先週のアパートでの邂逅は例外として−−のだから、ここで渡すしかないのだ。
そう言い聞かせ、彼は自身の席へと戻る。ホウ徳の席に袋をおいたところを見ていた社員が訝しげな顔をしているが、文則は知らぬふりをして業務に軽く目を通し始めた。

就業時間に近づき、体躯の良いものが会社へとやってくる。ホウ徳だった。
文則はなんとなく落ち着かないものを感じながら、チラリと目でその姿を追う。ホウ徳は当然、自分の席へと向かい−−着く前に席に置かれた袋に気づいた。袋の前に立ち、訝しげな顔をした後に、中を覗き込む。そこに貼ってある紙に気づいたのだろう。少々困惑したように眉を顰めた。
おそらく、文則の張ったメモを見たのだろう。
『先日の詫びだ。受け取ってほしい 于文則』
そう書かれたメモは、確かにホウ徳に意味は通じるだろう。だが、贈られたホウ徳はあまり納得していないような面持ちだった。
ホウ徳からすれば、確かに普段では体験しなような珍事に見舞われたことは確かだが、自身の意志で文則を届けたのだ。そもそも本人から頼まれていなかったことだ。それにより、彼の家にいる姪を怖がらせ、文則に勘違いをさせてしまった。それらは自分にも非があると思っていたのだ。そのため、今日の休憩の折に謝罪をしに行こうとさえ思ったいたところだったのだが。
この詫びの品、どうするべきか。と頭を悩ませているところで、もう一つ箱についた封筒を見る。そこには『于生江』の文字があった。
それは文則の姪の名前である。もしや、あの少女からの文か。と品への対処の前にそちらに意識が移ってしまった。箱から取り、中身を改める。
そこには手紙が一枚入っており、叔父に負けぬ達筆な文字で以下のことが書かれていた。
『先日は、叔父がお世話になりました。無礼なことをしてしまい、申し訳ありません。この桃は私と叔父からの謝罪と感謝の品です。どうか、お受け取りください。その代わり、お願いがあるのです。叔父は飲みの席でとても楽しんでいたと聞きました。今回の件で、叔父がそういったことに忌避感を持ってしまうのは、私としても心苦しいのです。私からこういったことを頼むのはおかしな話ですが、叔父に気にしていないと教えてあげていただきたいのです。
また、先日はあのような出会いでしたが、ホウ徳さんに会えてよかったと思っております。叔父のことを、よろしくお願いいたします。 于生江』
手紙には、思ったよりも長い言葉が綴られていた。それらを読み終わり、再び封に戻す。
深夜に見た少女が、苦心しながらこれを書いている様子がなんとなしに頭に浮かんだ。自身が行ったことを深く反省し、しかし叔父のことも大事に思っている様子だった。だからこそここまで文が長くなったのだろう。言われずとも、ホウ徳は彼女や文則からされたことを気にしてなどいなかった。だが、彼女が言いたいのはそういうことではないのだろう、ということも手紙から読み取ることもできた。
それらを正しく伝え、叔父の楽しみをそのままにしてほしい。という心遣い。
おそらく、彼女の叔父がこの文章を見て、それをそのまま渡すなどはしないだろう。つまり、彼女はホウ徳だけにこれを伝えたく、わざわざ封に入れたのだろう。
文則からの伝言に、姪のことが書かれていないのは当たり前だろう。話を聞いて、年端も行かぬ少女を恐れさせたのはホウ徳の方だと判断するのが正しい。それゆえ、少女の行動を咎めるような意志は文則にはなく、それについての内容も記載はされていない。だが、逆に姪が叔父のことを想い、こうして文をしたためるというのはおかしな話だ。
気が回りすぎているというべきか、ただの高校生がするようなこととは思えない。賢明であり、博識であろうと、このような心遣いができるものだろうか。
と、そこまで思案し、ホウ徳は今はそこではない。と思考を切り替えた。
わざわざ上司が詫びの品を用意し、その姪からこのような文をもらったのだ。ホウ徳は封筒を袋に入れ直し、中が見えないように袋を軽く縛ると、文則の元へ足を運んだ。
文通り、先日のことは気にしていないこと、驚きはしたものの気分を害しなどしていないことを伝えよう。そして、詫びの品は思うところがあるものの、姪曰く『感謝の品』とさえ書かれてしまったので、受け取る旨を。
しかし−−どこか、あの文がホウ徳は気にかかった。
わずかに香る、違和感。だが、それが何かわかることはなく、ホウ徳はいつにもまして厳しい面持ちをしている上司へ、声をかけたのだった。

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