- ナノ -

水果8
場も盛況となり、それは世がふけるまで続いた。
気づけば参加者の何人かが潰れ、店じまいの時間となっていた。そしてその潰れた者の中には、意外なことに于禁殿も入っていた。

「ふむ、少し飲ませすぎたか」
「飲めば飲むほど語ってくれましたからね。興味深くて勧めすぎてしまった」
「だがこの様子では帰ることも難しいだろうな。系列会社のホテルに泊まらせるか」

他の者達は家を知っているものなどが対処しているようだが、于禁殿はプライベートでの付き合いを積極的には行わない−−むしろ避けている節がある方だ。住処を知っているものがいないのだろう。曹操殿と郭嘉殿の話を耳にし、そちらへ足を向けた。

「某でよければ、于禁殿を送り届けましょう」
「ん? お主、于禁の家を知っているのか?」
「はい。実際に行ったことはありませぬが」

例の姪の話が出た時に、そのアパートの特徴などを話されていた。今の会社へと移る際に、自身も周辺を調べたためにあそこか、という場所が頭に浮かんだ。それを口にすれば、どうやらあっていたようで「詳細に語りすぎた」と苦々しい顔をしていたので、おそらく間違い無いだろう。
間違っていたとしても、タクシーなどに乗りこちらの家に来てもらい休んで貰えば良い。
曹操殿は意外そうに于禁殿と某を交互に見た後に「なら頼もうか」と頷いた。


「于禁殿、しっかりなされよ」
「わたしは、しっかり、している……」

常のような覇気のなさで返してくる声と共に彼の体がふらつき、どうにか片手で支える。
腕を首に回してもらい、体を支えてどうにかアパートの廊下までやってくることができた。タクシーで少し寝たためか、どうにか話ができる程度には回復されたようだったが、それでもまだまだ一人では到底歩けなさそうだ。
玄関の暗証番号をどうにか解除してもらい、エレベーターに乗り、ここまでやってきた。後もう少しだ。

「今日は、生江の調理担当日なのだ……」
「そうなのですか」
「すこし、冷めてしまっているかも、しれない……」
「温め直せば、また上手くなるでしょう」
「うむ……彼女は料理を作るのが、とてもうまいのだ」
「ほう」
「口も達者であり、勉学もでき、器量も良い……社長も誉めていた」
「曹操殿が?」
「そうだ、ぜひあってみたいと、いっていた」

その話に、なるほどと内心で頷く。店での曹操殿や軍師殿達とのやりとりは、その話題だったらしい。
某も于禁殿から姪の話を初めて聞いた時は驚いたので、おそらく曹操殿達もかなり興味が惹かれたのだろう。
そうして話していると、于禁殿から聞き出した部屋番号の前までやってきた。

「ほら、もう少しですぞ。鍵を開けてくだされ」
「かぎ、かぎは、たしかここに……」

ぶら下げるように持っていたバッグを漁る于禁殿を横目で見ながら、同居しているということなのだから、この部屋に噂の姪もいるのだろう。時刻はすでに一時を回っている。于禁殿を安全な場所に寝かせ、少女が物音で起きないうちに退散するべきだろう。
鍵を取り出した于禁殿が、揺れる腕でどうにか鍵を開ける。指紋認証も入っていたようで、引っ掴むようにドアのぶを持ち、于禁殿がドアを開けた。
そのまま玄関に崩れ落ちそうになるところを捕まえ、腕を掴み直して灯りのない室内へと入る。
広めの玄関があり、その先には廊下がまっすぐ伸び、バスルームへ続いていそうな扉と、リビングへ続くであろうスライド式の扉が見えた。

「つきましたぞ、于禁殿」
「ついたか……」

そういうと、赤ら顔の于禁殿は半目だった眼を、瞼で覆ってしまった。完全に意識が飛んだわけではなさそうだが、眠気がピークに達したのか、それとも家に帰ってきたことで気が抜けたのか、それ以降は喋ろうという気力が消えたように思えた。
その姿を見て、かつての于禁殿も、酒を飲みすぎるとこうなるのだろうか。とふと考える。
一度だけ杯を酌み交わしたあの夜。静かに、されど胸が躍るような奇妙な空間だった。事前に弱いといっていた通り、少しの酒で肌を少し赤く染め、上機嫌になっていたようだった。その様を考えると、今の于禁殿はかつてよりは酒が強いように思う。こうして潰されてしまったわけだが、曹操殿たちのペースでも最後の方まで意識があったのだから、それなりに飲めるのだろう。
彼は于禁殿である。誰がどう見てもそうであろう。規律に厳密で、自他ともに厳しく、会社のためを第一に考え動く。その様子は、姿形含めて三国の世にいた将軍の姿だった。だが、なぜだろうか。時折、何かが違うように思えるのは。

暗闇の中で、リビングへと続く扉へと手を掛ける。左にスライドさせると、ほのかな光が隙間から溢れでた。
小さなものだが、明かりがついている。于禁殿が家から出る際に消し忘れたか? いいや、彼がそのようなことをするとは考えづらい、なら同居人が消し忘れたか、それとも−−。そう考えた瞬間だった。

「誰だ!!」

酒気を帯びた頭を、脳裏ごと切り裂くような凄まじい怒声が目の前から発せられたのは。
ドアを全て開けるのと同時に、弾けるように眼前に現れたもの。それは細長い何かの棒であった。それが、目と鼻の先に突きつけられている。
その棒の奥、弱い光源に背後から照らされている人物が視界に映った。それは、背丈百五十もないほどの、寝巻き姿の少女である。
だが、その眼光は信じられない程に鋭く、肌を刺す敵意は、殺意にまで感じられた。一歩でも動けば、眼前の棒で目を射られると、本能で感ずる。
しかし、その少女がハッと面持ちを崩し、それがしの左側を見遣った。

「文則さん……!」

その声は、先ほどと打って変わり、年端も行かぬ少女の声。
眼光が緩めば、まるで敵軍の兵士−−いや、将軍にさえ思えたその雄々しい姿も、ただの子供だとようやく実感できた。
だが、すぐさま場が張り詰め、棒が目を潰さんと近寄る。

「その人をこちらへ渡しなさい。さもなくば、その目を潰す」
「……いや、それがしは−−」
「喋るな!」

肌を震わせる一喝に、思わず口を噤む。
おそらくだが−−彼女は于禁殿が口にしていた「姪」なのだろう。だが、彼女は話に聞いていた勤勉かつ賢明な少女というよりも−−。
現状が、とんでもない誤解だということを理解しつつ、しかし彼女の警戒を解くためにはこれしかないだろう、と于禁殿からゆっくりと手を離し、前方へと差し出す。
そうすると、まるで獲物を前にした獣のように、少女が器用に棒をそのままにしながら、于禁殿をつかみ上げて自身の元へと引き寄せた。驚くべき力に瞠目するが、流石に于禁殿と壁との距離を考慮する余裕はなかったらしい。ゴンッと強めの音がし、于禁殿の後頭部が壁に思い切りぶつかっていた。
だが、それすらも目に留めず、少女は于禁殿を抱え、某に棒を突きつけ続けている。よくよく見てみれば、その棒は伸縮性のある洗濯物干しのようで、しかしそれでも少女にはかなり大きな獲物のように思われた。
少女が一歩、于禁殿を引き摺りながら後退する。その姿に決死の色を見て、ゆっくりと片足を前へと進めた。

「落ち着かれよ。某は怪しいものではない」
「ッ、なら一体−−」

一歩進み、遠かった切っ先がまた間近に迫った時、少女が突如言葉を失った。
リビングのライトからの光が、こちらの姿を照らしたその先。これ幸いと、口を開く。

「某は于禁殿の部下、ホウ徳と申す」

そう説明すれば、少女は瞠目し、手にしていた獲物を床へと落とした。

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