- ナノ -

水果4
曹操殿が崩御された。
それを耳にした際、初めに頭をよぎったのは「それはそうだよな」という簡素な思いだった。
曹操殿もお年を召していた。この時代では人の命の長さは二十一世紀に比べて短い。病や怪我への知識も技術も拙い世だ。ある種、当然の帰結であった。
魏国は曹操殿の嫡男である曹丕殿が継ぎ、呉は藩国の礼をとった。敵対する意思はないと示したのだ。
そうして国交が開かれるようになると、私は孫権殿の厚意により、魏国へ戻ることが許された。

命をかけても良いと信じた殿のいない祖国。戻りたいと願っていたその地はどこか、荒涼としているようであった。

「よく戻ったな、于禁」

迎えてくださったのは、禅譲を受け魏の皇帝となった曹丕殿だった。
曹丕殿は私に慰めの言葉をかけてくださり、曹操殿の墓に参拝するようにお申し付け下さった。
なんという思いで、曹操殿が眠られている場所に足を運べばよいかわからなかった。だから、自ら足を運ぶことはきっとなかっただろう。曹丕殿の言葉に感謝しつつ、私は曹操殿の墓へと訪れた。
とても立派な墓だった。墓荒らしを防ぎため、偽の墓がいくつも作られたようだが、曹丕殿に教えられたそこには、確かに曹操殿が眠っておられるという。
そうしてその見事な墓に、見事な絵が祀られていた。殿がお休みになられる場所にあっても問題のないような、技量の素晴らしい絵だった。
そこには、関羽とホウ徳、そして私が描かれていた。樊城の戦いで降伏をせずに、私が降伏する様だ。

「いや、絵が上手いな」

と、口に出してハッとして慌てて口元を引き締める。
おそらくだが−−これは曹操殿が指示したものではないのだろう。曹操殿は一年も前にお隠れになっており、敗将である私に思考を割く時間などなかったはずだ。
ならば、私の不甲斐なさをよく思わないものによる指示だろうが……殿の墓前にこのようなことをされても咎めがないのは、おそらく曹丕殿だろう。それはまぁ、そうか。偉大なる父上の覇道に泥を塗るような真似をした将だ。このような意趣返しぐらい、するだろう。
しかし、なんというか。絵が見事すぎてこう……仮に高校時代、朝に教室に行ったら自分の机に暴言が書かれていたが、息を呑むほどに美しい文字すぎて別の衝撃がある−−ぐらいの気持ちだった。これが例えとして正解かどうかはわからないが。
どちらにしろ、思うた通り祖国に私の居場所はなかった、と言ういうわけだ。
ああ、それでいい。

ただ、それであっても。

「要らぬという言葉を、殿の口から聞きたかったと思うのは、傲慢なのでしょう」

貴方のおかげて、貴方たちのおかげで私は今ここに立っている。生きている。
そこには当然、ホウ徳もそして曹丕殿も入っている。
私はこの国が好きだった。ここで生きていたいと思っていた。
幸運な人生だと、今でも声を大にして言える。
ただ、惜しむのは最後の最後、殿に勝利の報を伝えられなかったこと。

曹操殿の墓に一礼し、その場を去っていく。
その後私は、曹操殿の墓を訪れることはなかった。
一年後、病に倒れ、死するまで。

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