- ナノ -

鴉の懺悔C
レイヴン視点ザウデから
(設定Bで書いたものとかなり違うかもしれない)



遺体だけでもと思っていた。名誉や理想と共に傷だらけになってしまった身体を、せめて抱きしめたいと祈っていた。瓦礫にまみれたザウデを何度も息を潜めて彼を探した。
瓦礫を退けて、掘って、あの方を見つけようとした。けれど結局見つからず。同じように消えた青年が先に見つかった。けれど彼はいくところがあると再会も早々にとある場所へと足を進めた。
そして俺だけに声をかけた。あんたも行くか、と。
胸騒ぎがして、青年の後を追いかけた。機械の心臓が、あの人に埋め込まれたそれがまるで急かしているように鼓動を刻んでいた。そんなはずがないというのに。
追いかけて行った先はフェローの歪。
そうしてそこにはーーあの人が、いた。
死んだように眠っていた。とても静かに。
歓喜と焦燥と混乱に突き動かされ、その人へと走った。身体に触れようとして、それが恐ろしくでできなかった。冷たかったら、動かなかったら。
そんなのは、そんなのは受け入れられない。
やっと、やっと、見つけたのに。
遺体だけでもと思っていた。それなのに、こんな姿を見せられたら生きているのではないかと願ってしまう、祈ってしまう。

「アレクセイ!」

生きていて下さい。お願いです。
貴方には聞きたいことが、話したいことがたくさんあるんです。
貴方はどうしてザウデを起動させたのですか、貴方ほどの人が何も知らずに計画を進めていたのですか、ならなぜ貴方は最後に、あんな顔をされたのですか。
貴方に命を与えられ、シュヴァーンとして生きてきました。貴方の厚意を全てむげにしました。貴方が苦悩しているところを目にしていたのに、それを理解しようとしませんでした。
お願いです。私に、俺に、貴方に……言葉を交わす権利をください。

彼の長いまつ毛が揺れる。
それに、ただ見入った。赤い瞳が現れる。片方だけになったそれが、俺を映した。

「貴方は誰ですか」

発せられた言葉に、きっとこれは罰なのだろうと思った。


彼は記憶がないと言った。
信じ難かった。あの状況で辛うじて生きているのならそういったことも起こり得ると納得できたが、彼がそうなるとは想像もつかなかった。
けれど彼は事実、俺も胸を切り裂いた青年も覚えていなかった。
全く何も知らない、真っ白な人になってしまっていた。
ほんの僅かな日常的なことしか知らない。あんなに執心していた魔導器も、帝国も、ザウデも何もかも。
なんだかそれが、彼自身がそれらをもう要らないと言っているように思えてならなかった。
ザウデで崩れる魔核へ抱擁するように手を広げたあの人が、もう何もいらないと言っているふうで。
剣の振り方も最初は分かっていないようだった。ただ、戦闘は不思議なことに繰り返すにつれてアレクセイ・ディノイアのものとなっていった。
身体が覚えている、というのだろう。彼自身も困惑しているようだったが、実戦へ投入する青年のスパルタにどうにか追いつくので精一杯のようで深くは気にしていないようだった。

彼は、似ていないのにどこまでもそっくりだった。
10年前、人魔戦争が起こる前の、あの人に。
団長という名に恥じない張り詰めた雰囲気、確かな腕。圧倒される指導力。そんなもの、記憶を失った彼にあるわけがなかった。けれど時々、ふとしたときに垣間見える。
隊員を労るその手、誇らしげに細める目、慈しみさえ感じる言葉。
暖かな人柄が滲み出て、俺たちはそんな所も含めて貴方に惚れ込んだ。崇高な理想も、強靭な意志も貴方だ。そして身内に分け与える、その慈しみも。
どこか遠慮しているようで、けれど守るように一歩前に出て行くその姿勢。
言ってもいないのに嫌いなものや好きなものを見極めて、誰かを不快にしないように自分から席を立って、たわいも無い会話に笑みを浮かべ、少しの厚意に嬉しがる。

この世界の危機に、彼と共に行動できることになって心底安堵した。
もし、彼があのまま帝都に連れて行かれ、仮に刑の執行でもされるとすれば、おそらく俺は正気を保っていられなかった。話したい事も、聞きたい事も数え切れないほどにあるのに、どうしてその命を、その手を手放せるというのか。
そんなことはできなかった。遺体だけでもと殊勝な思いはどこかへ消え失せ、俺はただ、あの人を望んでいた。
記憶を失ったとしても国に謀反を起こし、世界の危機を呼び寄せた人だ。いつなんどき、記憶が戻るとも限らない。彼を『捕虜』として迎えた時は、誰かしらがずっと彼を監視しなければならなかった。俺はその役目を率先して引き受けた。むしろ、他に譲りたくなかった。
貴方が生きているのを見ていたい、そうしていなければ信じられなくなってしまいそうだから。知らないことは俺が全て教えたい、貴方を襲う危険から俺が全て守りたい。貴方のそばにいたい、貴方から離れたく無い。
当然、そんな素振りを大っぴらに出してしまえば、仲間に不安を持たせてしまう。どうにもならないとき以外は、出来るだけ執着していないように努めなければならなかった。

アレクセイ、団長、アレクセイ様。大将。
大将、と呼んだら、自分は忘れていて貴方の上司では無いから、そんな呼び方も敬語もいらないでしょうと言われてしまった。
貴方にとって、それはその通りだ。
けれど、俺がどんな気持ちで貴方をそう呼んでいるか知っていますか。貴方は俺の中でまだ『アレクセイ団長閣下』なんですよ。俺たちの信頼を尊敬を集め、その人望で死地にさえ隊員を走らせた。そんな、全てを救ってくれると思わせた人。

でも、貴方はそんな人じゃ無い。
貴方は全てを救えない。救わない選択をした。
救いたかったんですよね、手を差し伸べたかったんですよね。でも、それが出来ないことだと理解しきってしまったから、諦めてしまったんですよね。そう、ですよね。
アレクセイ、アレクセイ様。
冷たい瞳、凍ったような眼光。それは、どうしてだったのですか。時折みせた、俺への言葉にできない視線はなんだったのですか。

「なんで、アンタが──」
「レイヴン、てめぇ、どうしてここにいる」

旅の中、存在するはずのない男が生きていた。
ギルド同士の抗争にケジメをつけるべく、自決したユニオンの長。
ドン・ホワイトホース。大森林に隠れるように過ごしていたドンは、俺たちを見て驚いたようだったが、事情を話してくれた。
腹切り、意識を失った後、なぜか意識が目覚めた。腹の傷は治療され、場所も大森林へと移されいた。そして、フードをかぶった男が現れたそうだった。
その男は、ドンにここで時が来るまで隠れていろといった。身分も明かさず、そう押し付けてくるその男にケジメをつけ切らなければならないと返したドンに、相手は言った。

『ベリウスは生き返る。それを見届けずお前が死ぬのはケジメではない』

その時すでに、ベリウスの聖核は精霊、ウンディーネとして転生していた。
フードの男の言葉は、それを連想させるには十分たるものだった。ドンは精霊となったウンディーネと再開を果たした。
大森林では情報が遮断されており、ドンは外部がどうなっているかを知らなかった。ただ男から伝えられていたのは『空が闇に呑まれ、そして再度青空が戻ってきたときに貴方の力が必要になる。それまではこの森を絶対に出てはいけない』ということだった。
ドンは俺たちから話を聞き、大森林に留まることを選んだ。
ベリウスがウンディーネに転生したことは一部しか知らず、今死んだと思われているドンが姿を現したとしても折角団結し始めたユニオンを瓦解させるだけだと。
そしてなにより、嘘をつかなかったフードの男への約束だと。

ドンの死の裏で暗躍したフードの男。あの頑固で掟を絶対に守るドンを、躱す形とはいえ言いくるめた相手。ドンが死ぬことを知っていて、裏で身体を秘密裏に持ち出せるほどの手際を持った人物。
ありえない、そうであるのに、俺はあの人しか頭に思い浮かばなかった。

あの人は全てを救わない。
けれど、必死で助けられるものには手を伸ばしていたんじゃないか。
自らの計画によって犠牲になる人々を、その傲慢さで救えるものは救おうとしたのではないか。
それが、貴方に出来る数少ない贖罪だったのではないですか。

神殿で生き埋めになった私は、部下たちに助けられた。彼らは親衛隊たちの行動から私の居場所を見つけたと言っていたが、果たしてそれだけなのか。
イエガーは青年たちを始末することを指示されていたが、何度も命令違反をしていた。それをわからない人ではないはずだ。それなのに最後までなんの対処もしなかった。裏切りさえどうでもいい相手だったのか。そんなはずはない、あいつは俺と同じく、心臓魔導器をつけていた。
他のもいくつも疑問が湧き出てくる。あの人を止めようと動く人々を勘定に入れたような曲がりくねった計画、意図した杜撰さ、開けられた穴。

そうして

「覚えていなくとも、罰せられる人間だと、分かっているからです」

何も知らなかったはずの貴方は、そう断言をする。
生き延びられるかもしれない方法を口にしても、デュークからの誘いを受けても、それが当然なのだと口にする。なんの、怒りもない顔で。

その心臓が魔導器であることを、俺は知らなかった。
一言も告げられず、そんな素振りさえ見せなかった。
貴方は死んでいた。あの戦争で、皆が死んだあの場所で、貴方も同じく命を落とした。
それなのに、なぜ貴方は俺を、俺たちを生き返らせられたのか。
一体誰に、貴方は生き返らせられたのか。
貴方は俺に、魔導器の制御装置を渡した。貴方のそれは、一体どこにある?
俺の魔導器は貴方が詳しく整備し、確認していた。けれど貴方の魔導器はまるで壊れかけ、直ぐにでも外れて壊れてしまいそうな杜撰なものだった。
団長の衣服の下に隠したそれは、どうしてそんなに悲惨なのか。貴方の計画を成功させるには、貴方が生きていなければならない。なのになぜ、一番大事な心臓を疎かにしたのか。

貴方は本当は、何を求めていたのですか。あの戦争で、何が起こったのですか。
貴方はその仮初の心臓を持って、何を考えていたのですか。

疑問は幾らでも、疑惑は限りなく。
それでも、貴方は記憶を思い出さない。そして、罰を受け入れようとする。

だから、止めようとした。
貴方は罪をそのまま被ろうとした。俺にはそれが、認められなかったから。
貴方が死ななければならないのなら、俺だって同罪だ。貴方だけなど、認められない。
それが、きっと貴方の望むべくことではないのだと理解しながらも、俺にはその選択肢しかなかった。何も知らない、俺には。


星喰みを精霊へと還し、世界の危機は去った。魔導器は動作を停止し、人々は魔物の恐怖や不自由さに戸惑いながらも逞しく生き抜いていた。
殿下やギルドの連携により、人々の混乱は思ったよりも少なかった。
それでも戦えない住人に、魔物を追い払うことはできない。俺たちは道すがら、魔物を倒しながら向かうことになった。
その際に誰ともなく旅のメンバーが集まっていた。各々、複雑な表情をして。

「俺たぶん、あのままの大将が殺されるってなったら、あの人抱えて逃げるわ」

重い沈黙にあえて明るい声を出す。
驚いた顔をしたのは一部で、青年やジュディスちゃんは分かっていたのか、ただこちらを見つめるだけだった。
実際、自分がその場で何をするか。それは分からない。ただ立ち尽くすかもしれないし、怒り狂ってあの人を助けるかもしれない。ただ、理性が残っていたら一番やりそうなのはそれだった。
逃げ切れるかどうかとか、逃げ出させられるかどうかとかは問題じゃない。ただ俺は、自分が死ぬとしても逃がそうとするだろう。
あの人がどれほど辞めてくれと言ったって、泣いて縋ったって止められない。あの人が物言わぬ亡骸になるぐらいなら、あの人の涙も見ないふりをしようと思えた。思えてしまった。

「じゃあ、わしは大混乱するアレクセイを慰めてやる役目でもしようかのっ」

重苦しい雰囲気に似合わない軽い口調で、パティちゃんがそう声を上げる。
幽霊船の件から、彼女はアレクセイとの距離が縮んでいた。彼女のギルドが壊滅したのも、彼女の仲間が苦しんだのも、彼女が今こうして幼い姿でたっているのも、それらはアレクセイの仕業とめされていたのに、彼女はアレクセイを信頼していた。
しかし、わかってしまう。あの件が本当にアレクセイが行ったことかどうかは分からない
けれど、していないと信じられるぐらいの純粋さが、あの人はあった。

そしてその信頼は、彼の命を守ろうと思うところまで食い込んでいたらしい。
本当にあの人は人誑しだ。

「逃げる逃げないは知らない。あいつは罪人でしょ。けど……思い出さないまま、あいつがやったことが解明されないまま終わるのは、なんだか納得いかないわ」

その言葉には素直に驚いた。
思わず目線を向ければ、不満そうな視線が「何よ」と返してきて、笑って誤魔化そうとしておかしな表情になる。
リタは、即行反発してくるかと思った。むしろそれが当然の反応だ。俺をギルドから追い出してもいいぐらいのふざけた発言を俺はしたのだ。
それを自覚しているからこそリタの言葉が不可思議だった。

「けど、なんたってリタっちまで」
「だって、おかしいことしかないじゃない。ドンは生きてて、変なフードの男は出てくるし、何も知らないって言うくせに逃げようともしない。見えないものがあんのは研究者として嫌なの!」

そう睨んだ先には、ただ空があるのみだ。おそらく、そこにはアレクセイを思い浮かべているのだろう。ザウデで見た姿か、今の姿かは分からなかったが。
見えないものがあるのは嫌。か。
それは、俺もそうだ。隠されている、何かの嘘が被さっている、あの人をベールで包んでしまっている。もしかしたら、俺がしっかりとあの人を見ていれば気づけていたかもしれない本当の姿、真実。
知らなければならない。あの人の、本当を。

「いいんじゃないかしら。ちょうど私も聞きたいことがあったの」
「ジュディスちゃん……」
「あの人が罰を受けなければならないのは確か。けど、その前に記憶を思い出したアレクセイに用がある。それだけよ、おじさま」

──どんな真実があったとしても、アレクセイのしたことは変わらない。
それは変わらぬ事実だ。
目的は、手段を正当化しない。
自分自身で、あの人に言った言葉だった。

視線はジュディスから逸れ、残った三人に向いた。
カロルとエステル、そして青年。青年の近くにはラピートが静かに耳を傾けている。
本当に俺があの人を助けるとしたら、もう個人の問題ではなくなる。ギルドに所属していたら、首領や他のメンバーが被害を被る。掟を破ることになる。
青年は目を閉じて、俺たちの話を聞いているのかいないのか分からないほど静かにしていた。壁によりかかり、ようやくまぶたを上げる。

「あいつは死にぞこなった大悪党だろう。俺たちはその子守を押し付けられただけだ。死刑になるのを助ける義理はねぇ。例え記憶を失っていたとしてもな」
「ならっ! なら、その刑が本当に正しいのかどうか、確かめませんか?」

揺らがない正論を口にした青年に、エステルが噛み付いた。
刑ーー死刑になるのが、正しいのか。
実際、死刑になるかどうかは不明だ。実際に下されたわけではない。だが、このままなら確実にそうなるだろう。生かしておく意味もない。更なる混乱を投げ込むだけだ。親衛隊が壊滅したとしても、彼を慕うものたちは大勢いる。評議会だって、旗色が悪くなればアレクセイを担ぎ出すかもしれない。記憶を失っているなら扱いやすいだろう。使い捨ての駒として扱いやすい。死んでもいいのだからーー使い捨て。か。

俺は、自分を使い捨ての駒だと考えていた。そうアレクセイも捉えていると信じていた。
この心臓魔導器がある限り、俺はただの死人なのだと。人間などではなく、人権などなく、これを与えたアレクセイの駒に過ぎない。
なら──アレクセイは?
アレクセイの胸に心臓魔導器が埋め込まれていると知っているのは、俺とユーリだけだ。おそらく知れば、皆はさらに混乱するだろう。心臓魔導器については、二人だけで留めておくこととした。
アレクセイはそれがあることに違和感を覚えていなかった。これが普通なのかと思っていた、などと。ボロボロのそれを稼働させて、困ったように眉を下げていた。
その心臓魔導器がどうしてそこにあるのか。アレクセイを、生き返らせたのは誰なのか。アレクセイは──どういう思いで、生きていたのか。
本当に人として、歩んでいたのか。歩めていたのか。
多くの部下がゴミの様に殺され、己も死んだあの戦争の後で。

『ああ、私は大丈夫だ』
『私は、生きている。そして、あの場で散った者たちの為に尽力しなければならない』

大丈夫などと。
あの機械を埋め込まれ、生きていると、言える人だっただろうか。
無様に、そんなことを言う人ではないと縋る俺の視線を、目蓋を閉じることで、感じていることは異なるのだと突き放したあの人は。
本当はその目蓋の裏で、何を感じていたんだ。

ユーリは暫く黙った後に、口を開いた。

「このギルドの首領は俺じゃねぇ。ギルドの方針は、ボスに任せるぜ」

カロルは、その言葉が発せられる前から、深く悩んでいる様だった。
唇を噛み締めて、拳を握りしめている。

「今の、アレクセイはさ」

そうして、苦しげに言う。

「こうやって、僕たちがアレクセイのこと考えてるって知ったら、きっと、困った顔するよね」
「……大将なら、そうだろうねぇ」

否定する要素がない。あの人は罪を受け入れている。罰を望んでいる。
生を求めていない。笑いさえして、それでいいと言うだろう。
俺たちがこんな会議をしていると知れば、青ざめてやめるように言ってくるはずだ。そんな困り顔さえすぐに浮かんでしまう。
果ては、俺たちの身まで心配するのだろう。

「そんな人が、どうしてあんなことしたか。止めた僕たちは、知らなきゃいけないんじゃないかな」

だから。
だから、そう言わせてしまうんだ。
ただの冷徹な人だったら、情など解さぬ男だったら、カロルはこんなことを言わなかっただろう。強い瞳で、そう言い切らなかっただろう。

「だそうだ。で、どうするよ」

ユーリが壁から背を離す。そして部屋の角にいた男へと言葉を振った。

「世界の危機を引き起こした大罪人に肩入れするギルドが目の前にいるわけだが──騎士団長代理様はどうするんだい」
「……」

一連の話を黙って聞いていた騎士団長代理──フレンが視線を上げる。
世界を共に救った仲間、ユーリの親友。俺の元部下、というか同胞の一人。
唯一、明確に帝国の立場の人間だ。アレクセイに心酔し、しかし己が道を正し、アレクセイに刃を向けた青年。

「……どんな事情があったとしても、アレクセイは相応の罰を受けなければならない。記憶が思い出されようと、されなかろうと」
「フレン……!」

エステルが声を上げる。それに続く様に、鎧の軋む音がした。
フレンが拳を強く握りしめる音だ。
おそらく──この中で、一番アレクセイを信じたいのは、彼だろう。
違和感を感じつつも、アレクセイの掲げた理想を信じ、進んできた。それが帝国の、世界のためだと思って。しかしそれは異なった。だが今になって、僅かな希望が見え隠れする。
その僅かな希望は、アレクセイのしでかしたことに対して、あまりにもちっぽけすぎる。それでも、それに縋りたくなる想いがあるのだろう。

俺も、縋ったからわかってしまう。
あの人が、愛した騎士たちが全て死に、街が壊滅し、多くの人々が死んだその姿に、心が折れていないかと。自分と同じ様に、苦しんでいないかと。
そうであって欲しいと、縋った。
自分だけが地獄にいるのではないと、貴方も死にたいほど苦悩しているのだと。
そう、思いたかった。
縋り合いたかった。

「僕は先んじて騎士団と合流する。アレクセイを、七日後までに帝都へ連れてきてくれ。その後、殿下の元へと引き合わせる」

今すぐにでも連れて行っていいはずだ。それをせずに、フレンは俺たちにアレクセイを託すと言った。猶予さえ設けた。

「旅の経緯の説明は、共に行動した君たちに任せたい」

それが精一杯だ。そんな言葉が聞こえてくる様だった。
帝都にたどり着く前にアレクセイが逃げでもしたら、フレンはただでは済まないだろう。いや、もしそうなり、その情報が流れでもしたら世界はまた混乱する。
その危険と天秤にかけて、フレンはあの無垢な人を信じたいと思ったのだ。
縋った。あの人に、俺たちに。
その思いを、無駄にはしない。させてたまるものか。
俺だって、性懲りもなく縋っているのだから。


帝都に着く前日、アレクセイに問いただした。
本当に思い出していないのかを見定めるために、そして思い出していないとして──なぜ、罪を、死を受け入れるのかについて。
アレクセイは俺の様子に違和感を覚えたのか、翌日距離を開けていた。ある種、好都合だった。すぐそばにいたら、すぐにその手を引いてどこかへ消えたくなるから。
ない翼で羽ばたいて、あの人を連れ去ってしまいたいと本気で考えてしまう。
あの人を帝国へ引き渡したくない。あの人を牢屋に入れるなど受け入れいられない。

「おっさん」
「どしたの青年」
「顔、どうにかしろ」
「……そんな出てた?」
「んだよ。自覚してるから離れてんじゃねぇのか」

眉を潜める青年に、両手で顔を揉み解す。
すぐ近くにあったら掠め取りたくなるのに、遠のいて欲しくはない。あーあ、必要以上に距離は開けられたくないってのに、変な顔をしていちゃ怖がられちゃう。

そうして時間は進み、ザーフィアスが近づいていく。
アレクセイは信じられないぐらいいつもと変わりなかった。これから捕まり、処刑されるかも知れないというのに。
帝都に入った瞬間に騎士に捕まる──ということはなかった。アレクセイの顔は隠しながら入ったが、事情を伝えられていたらしい騎士たちが城へと案内をしてくれた。
エステルの次に慣れているはずのアレクセイは記憶がないためか緊張していて、ああ、本当に覚えていないのだと強く思った。

「そんな緊張しなくてもへーきよ」
「そう、ですかね。どうも、落ち着かないです」

遠のいていた位置をアレクセイの隣に移動して、肩の上がっているその人を見る。
手でも握ってあげたいと思うが、それをしたらもう離せなくなりそうだと自重する。
緊張する面持ちを横から盗み見て、内心で小さく謝る。
俺たちは、俺はこれからきっと、貴方の嫌がることを、するのだと思います。

「待っていました。皆さん」

ヨーデル殿下がいる広々とした一室まで通される。フレンもそこにいた。
警備のための騎士が複数名おり、当然、皆武装していた。

「アレクセイ。私が分かりますか」

名を呼ばれ、アレクセイが被っていたフードを取った。騎士たちは把握していたのか、誰も何もいうことはなかった。ある種異様な静けさをもった室内で、アレクセイが口を開く。

「ヨーデル殿下、だと。お聞きしています」
「……はい。その通りです」

思うところもあっただろうに、全て飲み込んだらしいヨーデルは小さく頷いた。

「彼について、説明は貴方達がしてくださるとフレンから聞いています。頼んでもよろしいですか」
「うん。わかった」

ヨーデルの言葉に、ギルドのボスであるカロルが答える。本当に立派になったものだった。
アレクセイを見つけてから、その旅路を語る。当然、ドン・ホワイトホースのことも。彼を匿ったとされるフードの男のことも。そして旅の結末も。
その間、アレクセイはずっと口をつぐんでいた。何をいうわけでもない。ただ黙ってその言葉を受け止めていた。

「不可思議なことが多すぎるのさ。だから、少し、調べる時間が欲しい」

ようやくだ。その顔が変わったのは。
俺が口にした言葉に、アレクセイが瞠目している。それから何か口を挟もうとしたところで、青年が彼の腕を掴んだ。咄嗟にそちらに意識が逸れたアレクセイに、俺は続けた。

「このままアレクセイを裁くのを、俺は認められない」
「……それは、だれの意見なのですか」

ヨーデルが目を細める。疑っているのか、困惑しているのか。表情の読めない相手だ。
しかし、どちらでもいい。

「レイヴンとして、そして、シュヴァーンとしてです」

そうして、ダミュロンとしての。

「わしも賛成じゃ!」
「みすみす情報源を消すのは、どうなのかと思うわ」
「私も同じく、よ」
「ワン!」
「ギルドとしての考えだよ!」

それぞれが賛同の意見を述べる。
そしてエステルが一歩前に出た。

「ヨーデル。お願いです。アレクセイを裁きにかけるのは、まだ少し待ってくださいませんか」
「エステル……」
「あなたも、アレクセイの本当の想いを、聞きたくありませんか」

エステルの言葉に、ヨーデルが目を伏せる。
本当の想い、か。十年もそばにいて、俺が見向きもしなかった。今ではどうしても欲しい、それ。

「しかし、裁きを遅らせる明確な理由はありません」
「……」

今まで黙っていたフレンが、そう発言する。
不可思議なことが多いのは確かだ。だが、それは今後アレクセイの身辺調査をすれば原因がわかるかも知れない。本人の裁きを置いて、それを率先して調べることが正しいとは言えないだろう。
ヨーデルの眉が歪む。それに、口を開いた。

「殿下。フレン以外の騎士の、人払いを願えますか」
「それは、なぜですか」
「理由はすぐに分かります」

そう言って口を閉じれば、少しした後にヨーデルはフレン以外の騎士達を部屋から退出させた。扉が閉まる音が聞こえた後、礼を口にし、ユーリを見た。
それを合図に、アレクセイの腕を掴んでいた青年がそのまま両腕を一つにからめ取り、足払いをしてその場に膝を着かせた。
半ば倒れる様に膝をついたアレクセイに、その場にいた全員、アレクセイも驚きに声を上げる。

「なっ、にを……!? ユーリさ──」
「ごめんね大将。ちょっと失礼するよ」
「レイヴンさん……!?」

膝立ちになったアレクセイの服に手をかける。
フードになっている上着を脱がせ、その下へと手を伸ばした。
そこで察したのか、アレクセイが逃げる様に動く。

「なにを、するんですか……!」
「いつかはバレることだよ、それが今ってだけ」
「ま、待って、くださ――」
「動くなよ。あんたに拒否権はねぇ」

後ろから、身体を潰す様にユーリが力をかける。

「ごめんね、アレクセイ」

呻きながら身体を固定されたアレクセイに、小さく謝りながらその胸元の布を左右へ広げる。赤い瞳が、やめてくれと訴えかけていた。
広げた奥からは、赤い光が漏れ出てゆく。
心臓魔導器。鼓動にも似た稼働音が僅かに鳴っていた。
あちこちが欠け、傷つき、いまにも壊れそうな魔導器。この世界で唯一動く、心臓魔導器のうちの一つがそこにあった。
ユーリがヨーデルに見えやすい様にアレクセイの上体を無理やり上へ向かせる。

「それは──」
「おっさんと同じ、心臓魔導器……!?」
「な、なぜアレクセイがそれをしておるのじゃ!?」
「ザウデで死にかけた後に、誰かが?」
「いいや、この魔導器にはユーリがつけた傷がある。それに、随分古い。かなり前からつけられてそうだよ。ざっと、十年ぐらい前なんじゃないかな」
「十年前って……人魔、戦争?」

勘のいいカロルがその出来事を当てる。
始祖の隷長と人間の間で起こった戦争。その中で騎士団の大勢が死に、評議会が強い力を保持するに至った。

「ま、待ってください! なら、それは──一体『誰』がつけたのですか」
「そう。俺はアレクセイに魔導器をつけられた。なら、死んでいたアレクセイにも『誰か』が魔導器をつけたはずなのよ」

死体が一人でに動いて魔導器を装着するなどあり得ない。
エステルの当然の疑問に、笑みを浮かべて答える。ヨーデルへと向かって。

「誰だろうね。騎士団長の遺体に魔導器をつけて蘇らせて、その命を握ることで得をするのは」

強張っていたヨーデルの顔が、一気に歪んだ。
隣にいたフレンは、目を見張り、手が震えていた。
ええ、そうでしょうよ。
思い浮かんだのは、最低で最悪のストーリーだ。
人魔戦争で本当は命を失っていた騎士団長。それを蘇らせた誰かは彼の命を握っていただろう。なら、それはなぜ、誰がやる? 誰が死んだ騎士団長の地位を欲しがる?

「……胸糞悪りィ」

青年が小さく呟いた。
このやり方がか、それとも事実かもしれない、その理由にか。
どちらでも今はいい。ただ、

「アレクセイ・ディノイアをこのまま裁くことを、私は認められません。──かつて人魔戦争を共にした騎士として」

あなたの命を破り駆けつけた、愚かな兵の一人として。

ヨーデルは暫くなにも言わなかった。いや、言葉が出なかったのか。
ただ、気を沈める様に目を固く瞑り、数分後にようやくアレクセイを見た。
なにもわからず、状況が理解できず、戸惑う彼を。

「……アレクセイの身辺調査を先に行います。裁きは、その後に行いましょう」

重苦しい決定の声が下る。
誰もが、最悪のストーリーを想像していただろう。
それが真実かどうかは問題じゃない。あの人は、命を握られてもずっといいようにされる様な人でもないことを、俺は嫌というほど知っている。
それでも、あなたの罪が僅かでも薄れるように。生きる価値を認めさせるように。

「――どうして」

小さく、聞き取れないほどに小さく発せられた弱々しい言葉に、胸にある硬い魔導器に刃を突き立てられたような苦しさを感じた。

やはり貴方は──俺と、同じだったのですか。



「どうして黙ってたのよ」
「星喰みの方が重要だったからねぇ」

リタがアレクセイの心臓魔導器の様子を見て、彼が部屋に戻って二人きりになったところで疑問に応えた。おそらく、他のメンツからはユーリがこの答えを口にしているだろう。
嘘ではない。今更アレクセイの心臓についての衝撃的な事実が出てきたら、気が散ってしまう。あの時、一番重要なのは星喰みだった。

「それで、大将の魔導器、どう?」
「……もっと早く見せて欲しかったわね」

その言葉に、一気に血の気が引く。

「そ、それはどういう……!!」
「ちょ、落ち着きなさいよ! 別に、今すぐ壊れるってわけじゃないわ」
「そ、そっか」
「……あんた、あいつの事になると変になるわよね」

確かに、レイヴンではいられなくなる。
シュヴァーンか、それとも。
しかし、今はそんなことはどうでもいい。アレクセイの心臓魔導器の話だ。
リタはひとつため息をつき、それから口を開いた。

「見た目通り中身もボロボロ。今までよく動いていたわねって代物よ。ろくな手入れがされてなかった。……消耗品みたいな扱いよ」
「……自分の心臓魔導器なのに?」
「ええ。魔導器の素人でもあんな扱い方しないでしょうね」

アレクセイは魔導器に関しては、リタが認めるほどの研究者だった。ザウデを不完全ながら解析しうる腕があった。俺の心臓魔導器も診ていた。素人であるわけがない。

「暫くは大丈夫だろうけど。一度ちゃんと時間をかけて調整をしないとダメね。部品もいくつか取り替えないと。ただ──」
「ただ?」
「……何か衝撃とか、本人の調子が悪くなって魔導器に影響が出たら、手がないわよ」
「っ……。何か、ないの? なんでもいいんだけどさ」

つまり常に綱渡りというわけだ。なにかアクシデントが起きれば、止まりかねない。
少しでも保険が欲しいと尋ねれば、リタは口籠る。

「リタっち……」
「……何もない、わけじゃないけど」
「そ、っか。良かった、けど、簡単じゃなさそうね」

言葉にしたくないように口を閉じるリタに、視線で続きを促す。
方法がある。と分かったのはいいが、それは容易いことではなさそうだった。いざという時に、知っておきたい。
暫く沈黙が続き、先に痺れを切らしたのはリタだった。

「っもう! 魔導器、他の魔導器と同期できれば、不安定になったコアの動きを安定させることができると、思う」
「……他の魔導器」

つまり、それは。

「……そっか。教えてくれてありがとね」
「なによ、その顔。……バッカみたい」
「うん、ごめんね」
「……分かってる? 同期ってことは、片方が、止まったら……」
「分かってるよ」

それでも、俺は──喜んでしまっている。
貴方のもしもの時、俺の命で貴方を助けられるかもしれない。
これはただの、俺の、俺だけの自己満足に過ぎない。
それでも、生きていて良かったと思えた。



「大将?」

部屋に戻れば、アレクセイはもうベッドに入っていた。
しかし、いつもと様子が違う。寝ているというより、包まっている。身体を小さくて、頭が布に被さってしまっていた。
声をかけても返事がなかった。少しだけ不安になり、近寄って静かに布を持ち上げた。

「……レイヴン、さん?」
「あ、えっと……ごめんね、寝てた?」
「いえ……」

どこかぼうっとした様子のアレクセイが身を起こす。
寝てはいなかったようだが、声は聞こえていなかったらしい。
あきらかにいつもと違う様子は、ヨーデル殿下とのやり取りの後からだった。現実が信じられないような顔をして、リタに心臓魔導器を診られている時も茫然としていた。

「その、みなさんは」
「なぁに」
「……『この人』を助けようとしているんですか」

見つめてくる瞳は、尋ねた問いに答えて欲しくないというように歪んでいた。
ああ、そうだろうね。だって今まで貴方はずっと見えていた先へ向かって進んでいたものね。戸惑って、混乱して、でもだんだんと、着実に、その終わりへと。
あなたがどんな想いでその結論に至ったかはわかりません。
けれど、それは──俺の出した結論とは食い違った。

「うん」
「……どうして、ですか? だって、」
「青年は乗る気じゃなかったけどね。でも嬢ちゃんとか、意外なところだと騎士団長代理も意気込んでるみたい」

肯定に食い下がった彼に、要らぬ補足をする。
勢いでいけばパティもだが、殿下への話を聞いたフレンの形相は恐ろしささえあった。理想の体現、その人が十年前の人魔戦争で死んでいて、さらには評議会に利用されされていたかもしれない。その事実は、規範と正義を重んじる彼にはあまりにも衝撃的なものだったのだろう。
嬢ちゃんやフレンは、ひどく難しい顔で色々と意見交換をしていた。アレクセイのことを調べると言っても、手順を考えていかなかければ、足をすくわれる可能性もあった。
決まったのは、明日、アレクセイ団長閣下の部屋を調べるということ。それは、俺の希望でもあった。アレクセイの心臓が魔導器ならば、その制御装置がどこかにあるはずだ。
俺の見立てでは、評議会ではなく、彼の身近に。

「……そう、ですか」

アレクセイはそれ以上食い下がらなかった。
少しだけ意外だった。それは間違っていると、声を上げるかと思っていた。
だが、その表情は自らが救われる可能性に安堵しているような顔ではない。言いたいことを全て飲み込んで、耐えているような辛苦の顔だ。

「アレクセイはさ」

思っていたことが、ある。
ずっと。考えていたことが。
そうかもしれない、そうだろうと思い、けれど心のどこかで違うと言って欲しいと願っていたこと。
アレクセイ様、

「死にたいの?」


「……レイヴンさん?」

顔色の悪いアレクセイが、それでも心配げに名を呼んだ。
それに、止まっていた呼吸が戻ってきた。いつのまにか息を止めていたらしい。
尋ねようと中身は、口に出る前に喉元で押しつぶされていた。
意味のない問いだ。彼はアレクセイではあるが、アレクセイ騎士団長閣下ではないのだから。そんな問いをしても、答えは返ってこない。
返ってこない、はずだというのに。
返ってくるかもしれない可能性に、恐怖で声が出てこなくなった。
想像はしていたのに、仮想はしていたのに。それでも、その口から予想通りの答えが出てきてしまったら、俺は──どうしていいか分からなくなってしまうから。

「ごめん、なんでもないよ。さ、明日も色々やることがあるから、寝ましょっか」
「色々、ですか」
「そそ。じゃあ、俺は寝る準備してくるから。おやすみ。大将」

話を無理やり終わらせて、部屋から退出する。
あの人は、全てを忘れている。幼子のような人。その筈なのに、あの人は全てを受け入れているような様子を見せる。罪も罰も、当然と識っているかのような。
アレクセイであり、アレクセイではないあの人。それなのに、そうではないような。
昔のあの人が、帰ってきたような。

昔の、まだ俺たちが騎士として正しくあったときのあの人が、今の状況を見たらなんというだろうか。
そしてもし、あの人が──かつての騎士団長であるがまま、全ての事を行なっていたら、なんと、思うのだろうか。

そして、この時の答えは──すぐに現れた。しかと、見せつけるように。
アレクセイ騎士団長の部屋の捜索。皆が集まってからやってきた室内で、それぞれ思い思いに資料を探し始めた。ある意味で案の定カラクリがあり、それを皆で頭を悩ませて解きながらの捜索だった。その中で、朝から居場所のなさそうな顔をしていたアレクセイも、少しずつならが手伝う素振りを見せていた。
その中で──見つけてしまった。彼が。

見覚えがあった。何度も見た。何度も触れた。
心臓魔導器の制御装置。
それが、アレクセイの手元にあった。
棚の奥、価値もなさそうな小箱だった。それを開けた中に、入っていたそれを彼が手にした。
まるで最初からそこにあると知っていたかのように、自然に探り当てた彼は、それを手にして──操作し始めた。
一切の躊躇もなく、一つの言葉もなく。
分かってしまった。己も何度もそれをしていたから。
何度も何度も何度も何度も、繰り返していた人物の動きだった。迷いがなく、戸惑いもない。

死んでしまう。死のうとしている。ああ、やはり、やはりそうだった。
問いの答えなど今更聞くまでもなかった。
ああ、貴方は──。

だとしても。
そうだとしても。

「大将!!」

死なせることは、出来なかった。
だって、貴方は──生きているから。
俺の手によって叩き落とされた制御装置が床へと転がり、俺の後ろへと滑って止まった。

彼は、静かだった。
静かに、酷く、泥のように淀んだ瞳をしていた。



――――



「感謝するよ、シュヴァーン」
「誰も私を止めることはできない」

そう言って、あの人は心臓魔導器を『使った』。
あの人が生命を動力にしているとはいえ、魔導器の使用方法を知らないはずがないのだ。部屋は針山のように壁という壁に氷柱の槍が生えた。
それは仲間たちを傷つけることなく、アレクセイだけを貫いた。
誰も彼もが彼を、『彼』から助けようとした。頭を貫こうとする氷柱をパティの銃弾が撃ち抜き、彼を囲う氷の壁をジュディスとフレンが打ち砕いた。
それでも彼は止まらなかった。心臓魔導器は一度使用するだけでも身体に『ガタ』がくる。それなのに、彼は叫びをあげながら何度も魔導器を使った。
離れていても聞こえた、あの人の硬い心臓が、悲鳴を上げるのを。
コアが砕け散る直前、ユーリが飛び込んだ。その切っ先で、壊れかけた心臓を捉えた。

確かな音を立て、コアが砕けた。
生命力の集結はなくなり、そして、稼働音も徐々に小さくなっていく。
氷の壁にずり落ちるように倒れ込んだあの人に、訳もわからず走った。

コアが、砕けた。ひび割れて、光が急激に失せていく。
ああ、待って。
まって、まって、まってください。お願いです、どうか、待って、俺を、置いていかないで。
十年前のあの日のように、ザウデでの運命の日のように、愚かな俺を、捨てないで。

「アレクセイ様! アレクセイ様ッ!!」

崩れた身体を抱き抱える。酷く冷たかった。
声が、あの人を抱えた腕がガタガタと震えていた。
どうしていいか分からなかった。ただ叫ぶことしか出来なかった。
遠のいていくこの人の命を、少しでも留めて置きたかった。そんなこと、無意味だと分かり切っているというのに。
例え、この人に俺の声が聞こえていたとしても。きっと歯牙にもかけない。
俺のような男の声など、彼にとってはただの雑音に過ぎない。
それでも、それでも、俺は、俺は──!

「離しなさい、おっさん!!」
「り、た」

俺の腕を掴んだのは幼い少女だった。
リタは歯を食いしばった後に、危機迫った表情でいう。

「同期よ、それしか希望はないわ」

昨夜の会話が蘇る。『もしも』の時、アレクセイの心臓魔導器に何かあった時、俺の心臓魔導器と同期をすれば、安定する。
ほぼ壊れたと言ってもいいアレクセイの魔導器でも、それが可能なのか。
一切の希望がないと、もう二度と彼の声を聞けなくなると、絶望していた。
しかし、違うのか。一欠片だけでも、希望があるのか。

「けど、失敗したら──」
「頼む」

失敗しても、いい。
この人のいない世界を、考えられなかった。
一度は手放した。どこまでも愚かで、どこまでも情けない。あの人を助けられなかった。
あんな想いをもう一度するぐらいなら、あの人の遺体を腕に抱くぐらいなら。
視界がかすれてもう何も見えない。それでも、ただ冷たい身体に縋った。

「生かしてくれ」

この人を──愚かな俺を。

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bkm