- ナノ -

最良の選択
「現代知識チートって難しくないか?」
「またおかしな事を口走っているな袁紹」

木簡にしたためた文字を睨み付けながら、独り言を呟く。が、どうやら誰かに聞かれていたらしい。
背後の窓を振り返れば、格子の間から見慣れた顔が覗いていて、思わずため息を吐いた。
「何やってるんだ、曹操」
「いやぁ、近くで婚姻式があるらしいんだが、花嫁を味見しに行かないか」
「吃驚するほど引いてるがどうせ何言っても行くんだろうからさっさと一人で行ってこい」
「全く、お前は連れないな。元譲らはまだ幼いから連れて行けんというのに」
「そもそもそんな最低な行為に連れて行こうとすんな馬鹿」
そこまで一息で言って、大きな大きなため息が出てきた。ああもう、こいつのせいで幸せが逃げそうだ。
しかしため息の後でも、格子越しの青年は消えない。しっし、と虫のように払ってみるが、くいっと片眉を動かしたのみで去って行こうとしない。
「行かんと言ってるだろ! はーーー、もう、頑張る気も失せた」
「頑張る? そういえば、何か必死にない頭を捻って書いていたな」
「お前ッ」
――そりゃあお前にとっちゃあ凡人は誰でも『ない頭』だろうよ!
そう言いたい気持ちを抑えて、筆をしまう。
この花嫁を味見するなどと言っている奴は、花嫁泥棒未遂野郎であり、そして放蕩青年であり、曹家という家系の養子であり、そして何より数十年後に魏という国を王になる大人物だ。
といっても、最後のことを知っているのは私しか居ないのだが。
対して、私はといえば袁本初――官渡の戦いという大戦で曹操に敗れ去る人物として、歴史に名が残っている。といっても未来のことだ。今はただ近場に住んでいる小僧同士でしかない。
そしてなぜ未来のことを知っているかと言えば、二十一世紀に生きていた記憶があるからとしか言いようがない。どうしたことか、私は生まれ変わり先を間違ったらしい。
それは別に、いいのだ。幼児の頃は散々思い悩んだが、十代も後半になるといい加減吹っ切れる。
しかし、吹っ切れたはいいものの、私という存在は史実通りならば官渡の戦いに敗れそのまま病没する定めだ。この後に吹き荒れる乱世の風で巻き上げられ、そして叩きつけられ死に至る。
そんなのは御免だ。まっぴら御免だ。私は寿命で死にたい。このご時世、平均寿命も短いのに、どうしてわざわざ戦って負けて死ななければならないのだ。
だがしかし、私はどうしたって小物だ。当然である、私は前世で一般市民だったのだ。戦なんてしたこともないし、したくもない。だが、死にたくなければ対処しなくてはならない。死なないように。

曹操のことは無視して、自分の書いた書簡を見やる。
そこには、私が住んでいた時代の技術について、自分が分かることを精一杯書いてある。といっても、私は別に頭が良かったわけでも無いし、技術系の職についていたわけでもない。文明の利器など、ほぼ原理も分からずに使っていた。それでも、どうにかこの時代でも使えそうなものや考えを書いていた。
現代の知識というものは、きっと凄く貴重だ。だってこの時代の千年以上先の技術の結晶なのだ。だから、これらがあれば私だってこの時代を生きていけるかもしれない。この世界と戦っていけるかもしれない。
覚えている限りの三国志の歴史も書簡に書き写した。それは誰にも見られないように厳重に閉まっておいてあるが――いつか役に立つ日が来る――来てしまうのだろう。
「おい」
「うわっ! な、なんだ。いつの間に中に入ってきた」
「いくら話しかけても答えないからな。それで、何を書いていたんだ?」
まだ若々しい面持ちが視界にずいっと入ってきて、思わず書簡ごと身を引く。
足音あったか? いや、私が聞き漏らしていただけか。何せこっちはこれに命がかかっているのだから。
近づいてきたまま、書簡の中身を覗こうとする曹操の頭を手で押し返す。
「何をする」
「何をするではない! 勝手に人の書簡の中身を見ようとするな!」
「どうせたいしたことではないんだろう?」
「貴様ッ」
ほんと私の事こけにするの好きだな!
ぐいぐいと頭を押してくる曹操に、思わず歯ぎしりをしそうになる。歯に悪いからしないけど。
そもそもこいつは将来的に敵になるやつなのだ。そんなやつにどう利用できるか分からないけれど有用かも知れない未来の技術の話を見せてやるわけないだろ!
だが――不思議なことでもある。こうして、年相応、馬鹿みたいにはしゃいでいるこいつと未来で命をかけた争いをするなんて。現代で言ったら、そんな悲劇はない。昔は友人同士だったのに、荒れた時代のせいで殺し合わなければならない。当人達にとってみればそんな同情余計なお世話、そもそも自分たちの利害のために争っているのだからそういう次元ではない、という話だろうけれど。
それでも、私の『常識』から言ったらそれは悲劇だし、いくらこいつがどれだけ性悪な餓鬼でも、殺すのは嫌だ。
けれど、殺す云々の前に私はこいつに勝てるのだろうか。相手は覇者と呼ばれた男だ。頭も切れて、人を魅了するカリスマもあって、人材も豊富に揃えていく。そんな相手に、私が現代知識だけで勝てるのだろうか。
正直――あまり自信が無い。現代知識がチートであることはしっかり分かっている。けれど、三国志の歴史だってどこまで忠実になぞるか分からないし、私が何かして歴史が変わってしまえばその後は参考にならなくなってしまうかもしれない。優秀な人材だって、誰だか分かっていてもこちらの陣営に入ってくれなきゃ意味が無い。
現代の技術も、私もなんとなく分かっているだけで実際に実現できるか分からないし。そもそも実現するのなら私一人では無理だろう。誰か、この技術が貴重で凄いものだと理解してくれる人がいないといけない。
「……曹操、お前、頭良いよな」
「そうだが?」
迷いもなしか。
だけど、そういう所が人を惹きつけるんだろうな。
私には、ない素質だ。そして、無くていい。
無理矢理資質を芽吹かせたいとも思わない。私はただ、平和に生きたいだけなんだ。
「私はな、頭は良くないが知識だけはある。お前が知らないようなことを山ほど知ってる」
「なに?」
「それは今後、かなり使える。もしかしたら世を変えるかも知れない」
「……ほお、大口を叩くじゃないか」
うるさいうるさい。ここで大口叩かなきゃやってらんないだろ。
だってこれは身売りだ、最後の手段だ。でもきっと――最良の選択だから。

「私の持てる全てをお前にやるから、私をお前の配下にしてくれないか!」

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bkm