- ナノ -

私の名前は番轟三というらしいH
気付いたときには身体が動いていた。思ったことはそう――死んでもいいってことだった。
「子供助けて怪我したンだってなァ」
ぼけっと白い病院の天井を見つめていたら、見知った人がやってきた。白と黒の検事、夕神さんだ。
そう、道路に飛び出して車にひかれかけていた子供をみつけて助けに走って、見事に自分がひかれてしまった。といっても軽傷なわけなのだが。いやぁ、死ななくて本当に良かった。
だって、そうじゃないとお礼が言えないからね。
「夕神検事!」
「ッな、なんだァ?」
「わざわざ病室に来てくれるとは、有り難い。本当はジブンから出向こうと思っていたんだ。君には色々世話になったからね」
「……お前さん」
「ああ、記憶が戻ったんだ!」
笑みを浮かべてそう告げると、目を丸くして夕神さんはこちらを見ていた。ははは、まぁ驚くよねそりゃあ。
「記憶を失っている間、手助けしてくれてありがとう!」
「……そうかい。にしてもあんた、やっぱそういう質なのか」
「そういうというのはよく分からないが、これがジブンだ!」
まぁ分かるけど、敢えて突っ込むこともないだろう。ニコニコと流して言えば、一つため息の音。確かにこの感じと夕神さん、相容れなさそうだしなぁ。入れ替わっていた犯人はどうやって関わり合っていたんだろうか。

思い出したのは偶然だった。咄嗟に子供を助けたときに、今までのことが嘘のように思い出された。ひかれた衝撃ではなくて、助けようと手を伸ばしたときに。死ぬかも知れないと思って、けれどそれでもいいと何故か直感的に思った時――そういえばジブンはそういう男だったと思い出したのだ。
結局、私は記憶喪失だったらしい。忘れていたのは番轟三として生きていた時の記憶。それ以前の――つまり前世の記憶は忘れてしなかったらしい。そもそも、前世という奇特な記憶がある人種だったというわけだ。で、番轟三として生きた記憶がすっぽりなくなってしまったから、前世の女性だと思い込んでいたわけだ。
あれだけ悩んだのに、思い出してしまえば本当に無駄な悩みというかなんというか。
「……まァ、よかったじゃねェか」
「ああ! 色々な人に世話になったからね。皆にも礼を言って回る予定だよ」
個人的には変な相談をしてしまった綾里さんに謝りにいきたいかな。
そんなことを考えていると、夕神さんが何かを投げて渡してきた。腹に着地したそれは、何かの包み。あ、これは。
「まんじゅうじゃないか」
「見舞いの品だ。まァ、口にあわなかったら捨ててくんな」
そんなことを言う夕神さん。けど捨てるわけがないじゃないか。
「ジブンの好物じゃないか。ありがとう、大事に食べるよ」
「……そうかい」
確か、前に話をしたときに話題に出した気がする。覚えててくれたのかな。夕神さんって意外とマメだよなぁ。意外とか言っちゃダメなのかも知れないけれど。でも素直に嬉しい。
手に取れば、くるりと夕神さんが踵を返してしまった。あれ、もう帰るのか。
「用事はそれだけだ。俺ァ帰るぜ」
「分かった! 色々とありがとう、夕神検事」
「気にすンな。じゃあな……番刑事」
「あっ、ちょっと待ってくれ!」
帰ろうとすると夕神さんを呼び止める。色々と言いたいことはあるのだが、ここは病院だし彼もこの後暇というわけでもないのだろう。だから一つだけ。
「……時々でいいのだが、前のように呼んでくれないだろうか」
「……そりゃあ」
「時々でいいんだ! いや、面倒だし、気にしなくてもいいのだが」
自分で言っておいてちょっと困ってしまった。いやぁ、こんなこと言われても夕神さん迷惑だよなぁ。でも、なんというか。私は番轟三だし、それ以外の何者でもないんだけど。
でも、やっぱり、それ以外の人生もあったわけで。カンは唯一それ以外の人生の名前だったから。
私が番だと知ってもそう呼んでくれたのは彼だけだったから。なんというか、惜しくなってしまったのだ。
夕神さんは首だけで振り向いて、その鋭い目で私を見てきた。う、うお、変な事言ってすみません……。
「カン」
「! あ、ああ。うん……あはは。う……ありがとう」
やばい。自分で言っておいて照れてしまった。あ〜夕神さん優しいなホント! 誤魔化すように頭をかいたら、髪の毛が長くてビックリしてしまった。そうか、ずっと切っていなかったもんなぁ。この髪も切ろうか。刑事に復帰したいし、髪の毛は短い方が動きやすいし。
「またな」
「わ、分かった。また」
夕神さんはそう言って病室を去って行った。
また、か。また話をしてくれるのか。記憶は取り戻したし、話す理由も少なくなるだろうけど、また会話してくれるのかな。いやー気遣いの出来る男。私も見習わないとなぁ。
記憶を失っていた一年分、色々と溜まっていることも手を付けないといけないこともあるだろう。そう思うとちょっと憂鬱だが、刑事に戻れるのは素直に嬉しい。
交通事故で死んでしまって、突然生まれ変わって、どうすればいいか分からない人生の中で偶然見かけたドラマの警察に憧れを持った。私は前世ではただの被害者で、死ぬしかなかった。けれど、画面の向こう側では事件の被害者を警察が助けている。それに何故かとても心奪われたのだ。
それからずっと警察になろうと努力して、念願の警察になって、事件担当の刑事になった。辛いこともあったが、人にも恵まれて三十過ぎまでやってきた。まさか、犯罪者に成り代わられるとは思ってもいなかったし、それが切っ掛けで記憶を失うとも思っていなかったが……。
けれど、ここからまた新しい一歩だ。一年間足踏みをしていたのだから、また走り出さなければいけない。
もしかしたら夕神さんが担当している事件に関わることもあるかも知れない。そのときは全身全霊で仕事に当たろうじゃないか。

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bkm