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おいしい食事
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なんか色々平和な世界線
仲良し轟家

※嘔吐・嘔吐食注意。ゲロ食いが書きたかった。



「えんじさーん! おかえりなさいっ!」
「……あぁ、ただいま」

炎司は自分の妻をおかしなやつだと思っていた。
見合いで結婚して直ぐに旅行に連れ回してきて、子育ての教育本を押しつけてきて、家を建てるときはシアタールームと妻専用の書斎は普通の部屋の倍の大きさで作ってくれと迫ってきた。
女性との交際や所帯を持つことに対して拘りや詳しい経験も無かった炎司はそれらを首を傾げながらも了承していき、いつの間にか世間一般で言う、妻の尻に敷かれている状態になっていた。
しかし不思議なことにそうとは感じさせない妻は、年を取ってもいつまでも若く若者文化を楽しんでいる。
そして、そんな妻がつい先日本当に小さくなってしまった。
身長は一メートルもなくなり、年相応に小じわが見えてきていた顔は丸く小さく、しなやかな腕は子供らしい少し脂肪の乗った柔らかな腕に。白い髪も短くなり、冬美の幼い頃を思い出させるような姿。
年齢にすれば七歳にも満たないであろうほどの年齢に妻は変貌してしまった。
理由はスーパーでの買い物中、迷子の子供を保護したらその子供の個性が発動してしまったとのことだった。子供の個性は「相手を同じ年齢に変化させること」ある意味で厄介な個性にかかった妻は、小さな子供になってしまった。しかし記憶などは元のままのようで、迷子を届けた妻は自分の子供たちに連絡して迎えにきてもらい、仕事が終わって家に帰った炎司もその自体を知ることになる。
なぜ直ぐに知らせなかったのだと炎司が苦々しく言えば、驚く顔が見たかったという妻は満足げな顔をしていた。
それから心配した子供たちが日中、妻を見て、それ以外は炎司が様子を見守ることとなっていた。個性の期限は三日ほどで、現在はその三日目だ。今日を乗り切れば妻は元に戻る。
唯一家から出ていない冬美も日中以外、妻を見ていたが学校の修学旅行があり、どうしても家にいられないと言うことで、炎司は事務所をいつもより早く上がっていた。
それを聞きつけたのは妻である。喜び勇んでいたため、家族共々心配していたがどうやらその予想は当たっていたらしい。
炎司が帰ってきた音を聞きつけて玄関まで小走りでやってきた妻は、その小さな身体にエプロンをつけていた。当然いつも付けているそれは今の身体にはあわないため、裾を思いっきり引きずっている。
思わず渋い顔をしながらも、どうにか帰宅の言葉を告げた炎司の腕を、小さな妻の手が引っ張ってきた。

「ほら、今日のゆうはんはオムライスですよー」
「お前が作ったのか」
「そーですよ!」

鼻息荒く手を引く妻の冷だが、僅かに動くだけで本体の方は全く動いていない。
炎司はというと、長女との約束を思い出していた。「お母さん、小さくなってるし危ないから包丁とか使わせないでね」。調理するのに包丁を使っていないということもないだろう。

「夕飯はいいと伝えたはずだぞ」
「だってえんじさんに食べてほしかったんですもん!」

ニコッと満面の笑みを向けてくる妻に炎司は思わず目を細めた。眩しい。
普段も子供っぽいところがあるが、どうやら個性に引っ張られているらしい。精神年齢がかなり幼く思える。
引っ張ってくる手を取って、怪我がないことだけ確認する。

「えんじさん?」
「……とりあえず洗面所に行く。お前も手を洗っておくんだぞ」
「はーい!」

怪我がないため、とりあえず文句をいうのは止めておく。そもそも自分のために調理をしたのに、それについて叱るのは気が引けた。元気よく返事をした冷は、そのままパタパタと廊下を走っていく。その後ろ姿を転びやしないかとハラハラと見届けた後に、炎司は一つため息をついて洗面所へと向かうのであった。

「いっぱい食べてね」
「……いただきます」

リビングに着けば、そこにはオムライスが二人分並んでおり、炎司の方は冷のものに比べると倍ほどの大きさがある。小さな身体で作り上げるのは大変だっただろうと労りの気持ちは浮かぶが、炎司はそれよりも懸念していることがあった。
何も夕飯は要らないというのは、妻に台所に立たせないためだけではなかった。炎司は今日のヒーロー活動中にヴィランによる攻撃により内臓を痛めていたのだ。そうは言っても、数日経てば全快するようなもので、病院に行くほどではない。しかし今日一日は内臓の負担を減らすため、飲み物のみで固形物は入れないようにしようと考えていたのだ。

「どう? おいしいですか?」
「あぁ……うまいぞ」
「ふふ、やった」

だが、目の前に出され、期待の目で見つめられて炎司は否と言うことができなかった。
少し食べて、途中で腹が満たされたといって止めれば良いだろう。そう考えて、今は妻の満足げな笑みを見ることを選んだ。
小さな手で、昔子供が使っていた小さなスプーンでオムライスを掬って食べていく様子を見やる。頬を膨らませてリスのように食べている姿を見ていると、微笑ましくなった。
妻は食事をしながら、今日あったことを報告してくる。炎司としても、個性にかかった妻が苦労したり、さらなる面倒事を引き起こしていないかは心配だったのでそれらに相づちを打ちながら話聞く。
そうしていれば時間も過ぎ、妻の皿は空になっていた。炎司は少しずつ食べ進めていたつもりだったが、気づけば三分の二ほど減っており、同時に腹に常ならば感じられない重みと痛みが走っていることに気づく。
会話に気を取られ、感じていなかった身体の不調が一気に顕在化してくる。中から滲むような痛みと鉛のような重量に炎司の手はピタリと止まった。

「どうかしましたか?」
「いや……」

食べ物を見ていられなくなり目を逸らすが、それを心配そうに妻が見てくる。悟られないようにしたかったが、じわりと滲んでくる脂汗に限界が近いことを理解した。
プライベートとはいえ、気を抜きすぎた己に歯がみしつつ、炎司はその場から立ち上がる。

「えんじさん?」
「……トイレだ」

ようよう呟いた言葉に、しかし冷は納得しなかった。ひょいと自分の身には高い椅子から飛び降りて、炎司の元まで駆け寄ってくる。それに思わず眉間に皺が寄った炎司の表情を見て、冷が不安げな表情で見上げてきた。

「もしかして、まずかったですか?」

幼い表情は庇護欲を誘い、嘘でもそうだとは言えない。だが、ここで詳しく説明している暇もなさそうだった。
炎司はせり上がってくる吐き気と沈殿する痛みと戦いながら、汗を浮かばせて僅かに身を屈ませる。

「違う、もう、腹がいっぱいなだけだ」
「でも」

絞り出した説明も、精神年齢が身体に引っ張られている妻には通じないらしい。炎司は更に言葉を付け足そうとして、気道ではない箇所からせり上がってくるそれに気づくのが遅れた。
よく噛みしめたそれは食道で引っかかることもなく、生暖かさを持って水圧に押しやられるように口元に勢いよく広がっていく。咄嗟に口元を抑えようとして、同時に身体がよろめき間に合わない。
しまったと思う暇も無く、口内を満たしたそれが饐えた臭いを嗅覚へ伝えてきた。
胃からは全てを出し切る勢いでドロドロになった嘔吐物が流れ出てくる。それでも気合いで押しとどめようとしたために、どろりと炎司の鼻からそれが僅かに溢れた。
冷が目を丸くしてその様子を見ているが、炎司がどうこうしても胃からの逆流は抑え切れていなかった。どうにかその場を離れようと足を踏み出す。

「ま、まって」

だがそれに冷が服の裾を持って言った。
不安げな声に、顔を向けたくなったがそれでも耐えた。去ろうとした炎司の前に、小さな影がさっと割り込んでくる。目を見開いて、もう一度耐えようとして、汗を床に落とし――限界を迎えた。

「もしかしてぐあい――」
「う゛ぉぇ、お゛ぇぇえ゛ッ」

耳障りなうめき声ともつかない声が吐瀉物と共に一気に吐き出される。必死に抑え込んでいたためか、夥しい量がびちゃびちゃと激しい音を立てて落ちていく。
ちょうど真下にいる形となった冷は、声にならない声を上げて頭に降りかかってきたそれをビシャリと浴びた。
生暖かい、寧ろ熱いそれが髪を伝って流れ落ちてくる。呆然とする暇も無いまま、更に吐き出されてくる吐瀉物に、わ、わ、と意味もない言葉を発しながらこれ以上床が汚れないようにと両手で受け皿を作った。
嘔吐している現状と、開放感から頭が回らない炎司は生理現象のままに吐き出すが、小さな両手は当然収まりきらずびちゃびちゃと腕へと流れていく。

「っ、は……ぁ」
「……」

口元を吐瀉物でべっとりと汚した炎司がよろめき膝をついた。それを全身を汚した冷が目を瞬かせながら見つめる。数秒、そうしていると白い髪を卵の黄色とケチャップの赤色で汚した冷が、じわり目の縁に涙をためた。

「ごめんなさい……」

食べたものをほぼ全て吐き出した夫に、ようやく状態が分かった冷は申し訳なさと悲しさで涙腺が決壊しかけていた。体調が悪かったのに、一緒に夕飯を食べてくれたのだ。要らないと言っていたのに。それで、身体の具合を更に悪くしてしまって吐いてしまった。それも、自分が押しとどめたせいでここで吐かせてしまった。
涙に潤んでいく瞳を見て、焦ったのは炎司だ。妻が作った夕飯を吐き出したどころか、妻に被せた。衛生上もよくないにもほどがある。直ぐにでも洗い流したかったが、しかし炎司は自分の妻が泣きそうになっている理由を勘違いしていた。
不味かったかと聞いてきた妻の前で、全て吐き出してしまった。これでは肯定しているようなものだ。炎司は妻を普通ではないと思っていた。だからか、自身の体調を慮っているとは露も思わず、ショックを受けているのだと思い至っていた。当然、常ならそうは思わないが、未だに体調は最悪の一途を辿っている。頭も回らずそう結論づけた頭はそこから思考の枝を伸ばす。

「ちが、ぅ、これは……」
「でも」
「れい」

掛け違った会話は、妻は体調のことを言っていると思い、夫は食事について話していると思っているが、この状況下で冷静にそれを判断し説明するものは当然いなかった。
ついにへにゃりと下がった眉で、目尻から涙を零しそうになった妻に、炎司は咄嗟にその手を取った。
皿のように両手を合わせたままの小さな手を、片手で包み自分の口元へと連れて行く。訳も分からず見守る冷をそのままに、その手の皿に口を付けて、ずず、と吸い込んだ。
まだ僅かに生暖かいそれは、万が一にも料理とは言えない。歯ですりつぶされて胃の中で溶かされたそれらはお粥よりもなめらかで、におい立ち、吐き気を助長させる。再びせり上がる感覚を無理矢理潰し、口に含んだそれを力業で飲み込んだ。

「え、えんじさん?」

目を瞬かせた冷に、吐瀉物がなくなった手を解放する。妻の顔についた吐瀉物を拭って口に運び、ごくりと喉仏を動かした。

「大丈夫だ、うまい」

真っ青な顔色で、眉間に谷のような皺を寄せながらもそれだけしっかりと告げた炎司に、冷はようやく状況を悟る。悟って、場違いにもじわじわと喜びが満ちてきた。
だって、目の前の人は食事について不味かったかどうか心配していた妻を安心させるために、吐くほど体調が悪いのにその吐瀉物を飲み込んでみせたのだ。しかし、さすがの冷も夫が体調が悪いとは分かった。焦凍の天然はこの人からなんだよなぁと胸が温かくなり、吐瀉物まみれの身体で勢いよく夫へと抱きついた。

「ッ、冷?」
「ありがとう、えんじさん」

そうして舞い上がった気持ちのまま、その黄色と赤に汚れた口元にキスをして――その吐瀉物特有の泥水のような不味さを唇から僅かに感じ取る。

「うぇぇっ」
「冷! ぐぅッ……」

途端、あまりの不味さというかそもそも食べ物ではない味に涙を零した妻と、それを見て慌てて声をかけようとして再びやってきた吐き気に口を覆う夫。
吐瀉物まみれの冷は、饐えた臭いに今更ながら鼻を摘まみつつ、泣きながらも嬉しそうに笑った。その姿を見て炎司は口元を抑えつつ、やはり自分の妻はどこかおかしいと思いながらもその表情に安堵するのだった。

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bkm