- ナノ -

私は家族が大好きだ。
頼りになるヒーローの父さん、静かで強い母さん。気遣い屋でしっかり者の冬美ちゃん。甘えん坊で容姿が父さんに似ている夏くん。そして父さんと母さんの個性を両方受け継いだ、天然気質な末っ子の焦凍。
私はそんな家族が大好きだ。家族が揃っているところを想像するだけで笑みが浮かぶし、胸が躍るような気持ちになる。
けど、問題が一つあった。
まだ、家族が完成していないのだ。
未完成の家族。まだ父さんと、母さんと俺しかない、寂しい家。
たくさんの部屋があるのに、使っているのは三人だけ。テレビの音と、俺の笑い声。そして父さんとの訓練の音しか聞こえない。子供たちが育つ音がしない。泣き声や笑い声が響いてこない。

「今日の訓練は何すんの?」
「まずは炎を安定的に出すところだな」
「へへ、父さん教えるのじょーずだから、俺直ぐ覚えちゃうよ!」
「ふ、そうか」

師匠というよりも父として私に稽古をつけてくれるその人。フレイムヒーロー、エンデヴァー。炎を扱いヴィランを懲らしめる。そして絶対にオールマイトに叶わない人。だからこそ、息子にその願いを託した。
大好き。その親の傲慢さ。身勝手な期待。そして無邪気な子供を、血の繋がった子を愛する瞳。全てが私が望んでいたことで、喉の奥から手が出るほどに欲しがったものだ。
私が燈矢として生まれる前。私には家族がいなかった。それらしきものもなく、ただずっと一人で生きていた。一人でも生きられてしまう質だったから無駄に生きてしまって、私はとんでもなく悲しく寂しい時間を長く過ごした。だから私は、画面越し、紙面越しの家族に憧れたのだ。
キラキラしていて美しい。まるで宝石のようで、知らずの内に涙が出てくる。
仲睦まじい夫婦、恵まれた子供たち。そしてペットが一匹二匹。ああ、素晴らしい家族だ。けれど、家族というのはそれだけじゃなかった。最小単位の何重にも絆が絡まった複雑な姿だからこそ、強烈な愛や、鬱屈した憎悪が生まれる。家族という枠組みの中で、まるで天国や地獄が煮えられて背筋を震わせる、饒舌に尽くしがたいものができあがるのだ。私は羨ましかった。ずっとずっと、いつかそんなものを手に入れたいと思っていた。
けれど私には父も母もいなかった。決定的なものが足りなかった。私はとても悲しくなって、寂しくなってずっとその美しさの前に膝をついて泣いていた。
ああ、だから、本当に嬉しかったのだ。死して生まれて、母と父を見たときに!

「今日はこれぐらいにしておこう」
「うん! ねぇ、明日は訓練あるの?」
「ああ。次は応用について教えてやろう」
「ほんと? やった!!」

口には出さない。けれど伝わっているって信じている。大好きだよお父さん。私を産んでくれてありがとう。あなた達の子供にしてくれてありがとう。例えこれが、知識のある漫画の中の家族であったとしても、私にはなんら問題が無かった。それどころか、歓喜しかなかった。
家族の一角を潰して奪い取ってしまったのは悲しいが、でも私はここにすでにいるのだ。私は家族を手に入れて、そしてもっと完成された未来も知っている。美しい家族が、輝く未来を。

「赤ちゃん産まれるの!?」
「そうよ。燈矢はお兄ちゃんになるの」
「嬉しい、俺、本当に嬉しい!」
「ふふ。お母さんも嬉しい」

柔和な表情で、暖かな瞳で見つめてくる母に感極まって涙がこぼれ落ちそうになる。僅かに膨らんだ母のお腹は、生命が存在しているという証左で、こんなにも尊いことがあるだろうか。

「触っていい? 優しく触るから、お願い」
「もちろん」

必死に乞えば、聖母のような面持ちで許可をくれる母に、私は震える手をそぉっとそぉっとそのお腹へと置いた。ぽっこりとしていて、暖かい。もう、たまらなかった。ここにいるのだ。私の妹が。あの可愛い冬美ちゃんが。産まれてくるために準備をしてくれている。
私が縋り付いていれば、お父さんがやってくる。顔を上げた先で目が合って、思わず小声で「こっちこっち!」と招いた。近づいてきてくれた父に畳を叩いて座るように指示をして、あぐらをかいて座った父の手を引っ張ってそぉっとそぉっと母のお腹の上へと乗せる。

「赤ちゃんだよ、新しい家族だよ」
「……そうだな」
「暖かいね、すごいね、嬉しいね……」

大きな父の手のひらは、母の膨らんだお腹を半分以上包み込んでしまった。小さな隙間に自分の手を置いて、私は、もう、本当に信じられないぐらい感動してしまった。
父がいて、母がいて、新しい家族を皆で祝福して、待ち望んでいる。
こんなフィクションみたいなことがあるだろうか。こんな家族の中に、私がいることなんて、どんな奇跡なのだろうか。

「大好き、お父さんも、お母さんも、これから産まれてくる家族たちも」

制御できない感情に、涙が溢れてこぼれ落ちる。ぐずぐずと鼻を啜って、言葉の最後は震えてしまって自分でも何を言っているか分からなかった。けれど優しい母はゆっくりと背中をさすってくれて、不器用な父は少しの逡巡の後に頭を撫でてくれた。ああ、幸せだ。頭がぼぅっとして、何も考えられなくなるぐらいに。


炎司は、自分の息子は妻に似たなと思っていた。
それは個性の話ではなく、性格の話だった。活発で好奇心旺盛な性格のため、訓練にも貪欲に、そして何よりも楽しげに取り組んでいる。だが息子、燈矢の性格はそこが起点ではないと炎司は思っていた。
燈矢は、炎司にはない優しさを持っていた。母を気遣う姿勢や、仕事で遅くなった炎司を労ろうとする様子など、小さな点がポツポツと光るように、息子の心優しい部分を映し出していた。
そしてそれが何より顕著に表れたのは新しく子供が出来たときだ。家族が増えると聞いたとき、燈矢はとても喜び、どこまでも幸せそうに涙した。炎司も、燈矢が妊娠したときも、そして二人目の子供が出来たと分かったときも喜びはあった。だが、一人目の時は個性婚という覆いがあり、二人目の時はその覆いから外れた安堵が先んじた。だが息子は違った。新しい生命を掛け値なしに心から喜んで、歓迎して、待ち望んでいる。
こんなに純粋無垢な人間がいるのかと思い、それと同時に燈矢は母に似たのだと理解した。己のように融通の利かない人間ではなく、己が道を歩める強く優しい子供なのだと。
新しい家族――長女の冬美が出来てからは訓練以外は友達と遊ぶこともせず、冬美のところにいるか、他の家族のところにいるのが常だった。遊ばないのかと炎司が聞いてみても「家族と一緒にいるのがいいんだ」と嬉しげに言うのだから、よほど妹が嬉しいのだとそれ以上は言わなかった。

だから、炎司はその揃いの髪に妻からの白い髪色が混ざり、炎に耐えられず火傷を負うようになって、直ぐに訓練を止めさせた。
頭の片隅で思った、自分への罰が子供へと当たったのだと。
燈矢の体質は妻譲りだった。冷たさに強い。つまり、炎への耐性が弱い。
己を超えるほどの火力を持ちながらも、燈矢はその炎が扱えない身体だった。

「父さん。訓練してくれないの?」
「仕方ない。お前の身体のためだ」
「……そっか」

訓練をつけなくなって、暫くそれでも燈矢は炎司に教えを乞いにやってきた。しかし幼い身体にこれ以上無駄な怪我をさせるわけにもいかない。事情を説明すれば、物わかりの良い長男は渋りながらも納得してくれた。
しかし時折こうして尋ねてくる。『本当にいいの?』とでも言うように。
個性婚、能力のデザイン。そんなものは過去の産物で、轟炎司の渇望を叶えるものではなかった。テレビに映る最強の男を睨み付けながら、しかし託した架け橋の素材は崩れ落ちる砂で出来ていたのだ。
炎司は失望に打ちひしがれた。だから、直ぐには気づけなかった。息子の身体に少しずつ、しかし着実に火傷の跡が増えて言っていることに。

「燈矢! この傷はどういうことだ……!」
「お父さん?」

訓練所から聞こえる音に気づき足を踏み入れてみれば、そこには腕をまくり炎を扱っている燈矢がいた。それだけでも驚愕していたのに、その腕には爛れるような火傷の跡が幾つも残っている。
妻から火傷のことは聞いていなかった。冬美と共にいる燈矢のどこにも治療をした跡はなかった。痛みを覚えている顔などしていなかった。

「隠していたのか、お前」
「違うよ、ちゃんと後で言うつもりだったよ」
「どっちでも同じだ。訓練は止めろと言っただろう!」

思わず怒鳴りつけた炎司に、燈矢はしかし怯えた様子も見せず、寧ろ困ったような表情さえ浮かべた。それから『言ってなかったのはごめんなさい』と小さな頭を下げてさえきた。

「俺が言っているのはそういうことじゃない。分かっているだろう、燈矢……」

炎司の言っていることが理解できないほど、子供ではないと分かっていた。子供にしては頭が回り、人の気遣える長男。炎司よりもそういう点では、何倍も優れていると言ってもいいだろう。
だというのに、なぜ分からない。なぜ知らないふりをする。
燈矢はやはり、困り顔で口を開く。

「だって、じゃあ誰がオールマイトを超えるの?」

『超えたいんでしょ』そう、耳元で囁かれたような、そんな気がした。



訓練場に新しく刻まれた強い焦げ跡を、炎司は暗澹たる気持ちで見つめた。
燈矢は、純粋な目で炎司に問うてきた。ずっと炎司が言っていた「お前ならオールマイトを超えられる」というその言葉のままを。そうだ、それは炎司が言った。そうして鍛えてきた。そのために燈矢は産まれた。
それを、燈矢は誰よりも理解していた。苛立ちも悲しみも何もない目で、真っ直ぐに。ただそこにあったのは――。
膝を折って、その焦げ後をなぞる。黒い炭が指につき、脆くなった床に息子の火力の高さを改めて知る。
体質さえ合っていれば、炎司が望んでいた通りの子だっただろう。要領も良く、飲み込みも早い。他人への優しさもある。ヒーローになるべくして産まれたような子だった。
握り締めた拳が震え、脳裏に最強の男が過る。超えられない山だった、谷だった、空に浮かぶ雲のようだった。明らかに一段異なる場所にいて、幾ら努力しても努力しても、たどり着けない地に立っている。
それを、解決する唯一の術だった。嫉妬も羨望も、全てあの子が振り切り、頂点の座を手に入れ、輝くはずだった。

「お父さん」

軽い衝撃と、子供の重荷が背中にかかる。溺れた思考が子供の声に浮き上がり、揺れる炎司の瞳が背後を窺った。そこには髪の毛の半分ほどが白くなった長男がいる。
妻に似た、冷たく、触れれば溶けるような笑みを浮かべて、優しい目尻で炎司を見つめている。

「大丈夫。俺が超えるよ」

小さな細腕が背後から炎司を抱きしめて、首元にすり寄ってくる。
まるで子供を宥めるように。繊細な花にでも触れるように、燈矢は紡ぐ。その瞳はどこまでも澄んでいて、そして慈愛に満ちあふれていた。

「家族のためだもん。俺、頑張れるよ」


「家族のためだもん。俺、頑張れるよ」

燈矢がそう言ったのは、冬美と手遊びをしているときだった。
今は指相撲をしていて、いつになっても捕まらない親指に冬美が悔しそうに口を尖らせている。
その手元を見ながら、燈矢が脈略もなくそう言い出したのだ。言葉の脈はなかった、だが目線はあった。
冷が炎司から燈矢の火傷について聞かされたのはつい先日のことだった。体質については知っていた冷は、家に居ない夫に代わって、燈矢を見ていたつもりだった。訓練がなくなって空いた時間に、遊びに出かけ来る。と手を振って部屋を出て行く姿に、落ち込んでいないか心配していたけれど楽しそうに帰ってきたら、安堵していたのだ。
お兄ちゃんとして、冬美の面倒をよく見てくれて。家事の手伝いの時間も増えた。
だから、服の下にあった火傷の跡に身体が溶けるような感情を覚えた。ふがいなさと、やるせなさと、母として二児を育てているという誇りが崩れていくような。
腕の火傷は少しで、背中や腹はもっと焦げ付いていた。病院へ連れて行ったが、跡が残るかもしれないと言われて言葉が出なかった。
だというのに、そんな冷を救ったのは長男の元気そうな姿だった。元気そうに駆け回って、妹と楽しそうに遊んでいる姿は、今からしっかりとあの子をみていかなければという自覚を持たせた。
それでも、火傷の跡は痛々しい。巻かれた包帯を見つめていた視線、燈矢が気づいたのだ。

「ど、どういうこと? 燈矢」
「痛みなんてへっちゃらだし、俺には強い個性があるから」
「何の話〜? 指相撲に集中して!」
「ごめんって。兄ちゃんが一番強いヒーローになるって話をしてたんだよ!」
「ヒーロー! 楽しみだねぇ」

冬美と燈矢が笑い合う。燈矢は冬美に心配をかけさせないためか、火傷のことも言わず、体質のことも伝えていない。だが、笑い合った二人は指相撲をしながら、ヒーローになったときの必殺技はどうするかという話さえしている。冷も積極的に燈矢の体質について冬美に語ったことはなかった。だが、これは。

「燈矢、お父さんから聞いてると思うけど」
「うん。大丈夫だよ、お母さん」

親指を抑え付けられながら、そこから脱しようとするふりをする。上機嫌にカウントダウンを始める冬美から視線を転じた燈矢は、にこりと優しげな笑みを浮かべた。

「何で俺がここにいるか、知ってるから」

まるでそれは魔法の呪文のようだった。キィンと耳が遠くなり、娘の声が彼方に響く。
柔らかな光りを携えて見つめる空色の瞳は、透き通り、そして全てを悟っているような色をしていた。
知っている。どうしてここにいるのか。
それは、子供らしい思い込みによるものではないと、分かってしまった。敏い長男は、全て分かっていた。
どうして自分が産まれたか。どう『産まされた』かを。
そして笑う。なんの屈託もなく、喜ばしげに。

「俺、『みんな』のこと、大好きだもん」



綺麗だった、キラキラとしていた。まるで星空のように煌めいていた。
これが家族なのだと、私は泣いていた。
なんて美しい愛だろう。なんて精密な感情なのだろう。相手を想い、己の欲と見栄と矜持が混じり合って家族という枠組みの中で錯綜し、そうして破綻していく。
両親の引き攣った顔は胸を締め付けられるようだった。冬美ちゃんの何も知らずに笑う顔は愛おしかった。

――弟が。弟たちが必要だった。
それが完成された家族の形に絶対に必要だったから。無くてはならないものだったから。
だから必要とした。必要とされるように動いた。家族のために、親愛のために、大好きな、もっと『大好きになる』みんなのために。
母が妊娠したと聞いて、私は飛び跳ねるほど喜んだ。ああ、産まれてくる。やってきてくれる。目の前に、私の前に、家族の一員として、みんなの前に。望まれて急かされて、家族のために。

「夏雄、夏くん」

産まれたばかりの顔はしわしわで、父親似だとは分からなかった。けれど、そうなっていく。白い髪に、赤い色が少しだけ入っている。母の個性を受け継いだ子だった。
私は冬美ちゃんと取り合うようにして夏くんの世話をした。それと同時に、ちゃんと訓練もした。どんどん火力は強くなっていき、火傷の深度も深くなっていった。
よく父に叱られて、逃げるようになっていた。訓練をしていない時は雰囲気が和らいで、しかしどこか淀んだ空気に胸が満たされるようだった。
そうして私の髪が真っ白になるころに、もう一人の、大事な大事な、望まれ願われ全てをくみ取った末っ子が産まれた。白と赤の、美しい色合いの、しわくちゃの赤ちゃん。
なんて可愛いんだろう!!
父の望んだ、母の望んだ、私が望んだ。家族の望んだ、最後のピース!

「可愛い、可愛いねぇ、焦凍」
「ぁう、あー」
「うん。お兄ちゃんだよ。君の、お兄ちゃん」

しっかりしていると思っていたけれど、もっとしっかりしてきた冬美ちゃんに夏くんをお願いして、今度は焦凍の世話にかかりっきり。訓練も暫くお休みをした。だってようやくだ。漸くみんなが揃った。
『家族』の枠組みが完成したのだ。そして、あと少し。
父と母は、明らかに安堵していた。焦燥に老け込んだ顔は見ていられなかったけれど、それでも二人はかっこ良く、美しかった。いいや、寧ろ、もっと磨きがかかったといってもよかった。
どんどん、綺麗になっていく。キラキラとして、輝いていく。
私はそれらを見る度に、感じる度に、身体が震えるように嬉しくて、たまらなくなる。
だからこそ、休憩は終わりにしなくてはならない。もっとじっくり見つめていたかったけれど、魅入っていたかったけれど、家族を『完成』させなくてはならない。

私は薪だ。
轟家という家族を完成させるために焼べられる、薪なのだ。
燃える度に、焦げる度に、痛みを負う度に私はどうしようもなく産まれてきたことに感謝して、頭を垂れて泣きわめくのだ。
ああ、神様。この世にいらっしゃるのなら、私はこんなに幸福であるような徳を積んだでしょうか。あふれ出るほどの幸せに、私は涙に溺れて息が出来ません。
ああ、神様、神様! 私は、どうしようもなく幸せです。ずっとずっと、長男として二人の元に産まれてからずっとずっと幸せでした。そして、これからもっともっと幸せになります。
美しいものをもっと見て、綺麗な光景を眺めて、燃え広がる業火に身を投じます。

さぁ、完成させよう。私の愛してやまない家族を。大好きでたまらないあの地獄を!

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bkm