- ナノ -

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言葉を言い終わったのと同時に、目の前に赤が舞った。最初何が起こったか理解できず、ただその色鮮やかさに目を奪われていると強い力に腕を引っ張られてそのまま重心が揺らぎ、斜め後ろへ一歩後退した。視界が転じて分かったのは、俺が今さっきいた箇所に炎の残り火があったことと、それが焔ちゃんから発生させられたものだということだ。
――え、俺今、燃やされそうになったの?
あまりのことに呆然としていれば、隣から英次の怪我を気遣う声が聞こえてきて俺を炎から助けてくれたのは英次だということがかろうじて分かった。今まで喧嘩で個性を向けられたことはあるが、今のように攻撃される動作が一切分からなかったのは初めてだった。彼女の名前を聞いて思考していたことも原因だろうがそれほど動きが速かったと言うことだろう。英次が手を引いてくれていなかったら今頃、と考えると肝が冷えた。
燃やした張本人は突き出した手をそのままに、俺を射殺さんばかりに睨み付けている。

「これぐらいも避けられないのか」
「避けられないのかって、氷雅の顔が燃えるところだったんだよ」
「なんだ、雄英に来てまで友達ごっこか?」
「ッ、君ねぇ……!」

いきなり攻撃された衝撃で焔ちゃんの言葉も右から左へ流れていれば、英次が苛立った口調で言い返し始める。いつもは冷静なのだが、さすがの事態に英次も涼しい顔が怒りに赤くなっている。慌てて二人の間に入って滅茶苦茶に手を振る。

「お、おいおい英次落ち着けって! お前のおかげで俺も怪我してねぇし! ほら、この年頃の女の子は難し――」
「死にたいようだな」

後ろから嫌に静かな声がして、鳥肌が立つ。よく分からんが、どうやら彼女の怒りを更に買ったらしい。
ぶわりと背後に熱を感じる。最初はこたつ、次にストーブの前、刹那の後に実施試験で感じた熱の予感。どうしようかと一瞬悩み、自分でまいた種に英次は巻き込めないと炎の赤に染まった片眼鏡ごと抱えて隠せば、鶴の一声ならぬ甲高い女性の一声が教室内に響いた。

「何やってるの―――!!!」

それと同時に背後に風圧。熱の予感はなくなったが、代わりにその風圧に背を押され英次ごと机にぶつかりながら床を転がる。
痛みにうめきながら、命の危険は去ったのだと察して周囲を見渡してみれば皆教室の扉に目を向けている。つられてようにそちらを見てみれば、右手を前に伸ばし、手のひらを上にした握りこぶしを作った黒スーツの女性がいた。左手にノートのような者を持っていて、このクラスの先生かと検討をつけた。
分厚い丸眼鏡をしており、眼鏡越しの目が小さく見える。黒くぼさっとした長い髪で前髪も長めで黒スーツも相まってどことなく暗い印象を受けるが、どうやら焔ちゃんの個性をどうにかしたようだし強さは折り紙付きなのだろう。ふと、原作の相澤先生が浮かび、次いで『除籍処分』という言葉が浮かぶ。相澤先生のような厳しさの先生かは分からないがそれでもこの状況は不味いだろう。やばい、と察したときに彼女が右腕を震わせて叫ぶ。

「にゅ、入学早々、喧嘩とか……! 先生を、困らせないでくださいぃ……!!」

か細いが悲痛な叫びとともに、震えていた手は顔に吸い込まれてしまい。出来上がったのは両手で顔を覆っている先生と、そこから聞こえてくるグスグスという泣き声になってしまった。
――これは、どう、すればいいんだろう。

そういえば、実施試験の時に聞こえてきていたか弱い女性のアナウンス。これはもしかしてこの女性だったのではないかと思い至る。
思い至ってなんだという話だが、いや本当になんだという話なのだが、とりあえず泣き始めてしまった先生については心優しい一部の生徒たちと俺の平謝りによってどうにか事なきを得た。簡単に言うと泣き止んでもらった。ちなみに焔ちゃんは謝らなかった。うん、らしいといえばらしいんだけどさ。別にいいんだけどさ。
どこか怯えたような顔をしつつ、どうにか泣き止んでくれた先生が教壇に立つ。しかしクラス内はどこか不安げな空気が漂っている。それは先ほどの俺たちの喧嘩のせいでもあるだろうが、先生の教壇で見せる不安げな顔に影響されたのだろう。正直俺もまた先生が泣き出さないか滅茶苦茶心配だ。
焔ちゃんに攻撃されたことより先生のことで正直思考が裂かれてしまう。何せ泣かせてしまった。女性を泣かすとか最悪すぎてこっちの方がショックがでかい。逸れもどうなんだという話なのだが、地雷を踏んだと思ったらミサイルが降ってきたような感覚だ。どうしたって足を吹っ飛ばす地雷より全身粉々になるミサイルの方に意識が引っ張られてしまう。女性の涙はダメだ、健康に悪い。
先生の眼鏡越しの視界が揺れて、そうして手に持ったノートに注がれる。焦ったようにペラペラとページをめくって、どこかで止まったかと思うと自信のない口調で言葉が発せられる。

「えと、1-Aを担当させていただきます、嘉指斬子(かざしきりこ)です……。皆さんと、あの、明るく、楽しいクラスを作っていきたいと思っています……」

そう言って小さくなっている背を更に縮こめる嘉指先生。嘉指先生はずっとノートを見つめていたので、生徒の誰とも目が合っていない。その様子を見つめながらおそらくこのクラスの大半が思っているであろうことを心の中で零す。

(すごく、教師に向いていなさそうな人だ)

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bkm