- ナノ -

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シン――と確かに静まりかえる「音」がした。が、俺はひたすら自身の拍動がうるさくて仕方がなかった。急に距離を詰めすぎだ? パーソナルスペース? うるさいうるさい! 好きな子を目の前にして、名前を聞かない男があるか! 勢い余って彼女の机に置いた両手が震えそうでヒヤヒヤとする。俺は立っているため、彼女は俺より下の位置から見上げてくるが、おそらく勘違いでなく俺を睨み付けている。それはそれでいいのだ。友好的な態度は一切期待していない。が、これから仲良く慣らせていただく。予定。
数秒待っても彼女から返答がなかったため、マフラーの裏にじわりと冷や汗がにじむ。一瞬の逡巡ののち、俺は自分の名を名乗ることにした。

「俺の名前は号声氷雅だ! よろしくな!」

自分のできる最大限の笑顔で自己紹介をすれば、彼女の形の良い女子にしてはしっかりした眉が片方だけつり上がった。
薄いが赤い唇が言葉を発するように動いて、思わず見つめてしまう。

「そのマフラー」

発せられた単語に自分の首に巻かれている白色が意味を持って視界に入ってくる。冬が終わり、春となってマフラーの季節も過ぎたが個性故につけ続けている。中学の頃からの習慣ではあったが、実施試験で個性の使用過多で凍える経験を得たので必要だと思い身につけ続けている節もある。これがどうしたのかと疑問を胸に見つめていれば不機嫌そうな声色が聞こえてきた。

「暑苦しい」

チリ、と睫毛が揺れたかと思えば、その先にオレンジ色の灯が灯りパチリと弾けた。彼女の個性だ。小さなそれは、あの実施試験で経験したものとは別物のように感じた。例えば、線香花火のような。

「そう、かもな。でも俺の個性的にあった方がいいんだ。あ、俺の個性は」
「知っている」
「え?」
「氷を生み出す個性だろう」

女子にしては低めなハスキーボイス。けれど男とは思われない声色に個性を言い当てられて当惑する。実施試験で個性のぶつけ合いをしたので印象に残っているのはそうなのかもしれないが、あの轟が覚えていてしかもそれを口にするとは想像していなかった。勝手なイメージをして、一人で困惑している俺に彼女が更に言葉を続ける。

「俺には及ばない個性だ」

吐き捨てるように言われたそれに、怒りなどより先になぜか安堵が広がった。――やっぱり彼女はこうでないと。など、普通は考えられないことなのだが。不快感が遅れてやってきて、しかし来ると思っていた怒りはついぞ現れず。それよりも、一人称の方に意識が持って行かれていた。『俺』って、言うんだ……。なんだからしいと思ってしまって、口元がつり上がりそうになるのを必死で抑える。

「そりゃ、どうも。で、俺は名乗ったんだし、そろそろ聞かせてくれよ」

興味を失ったかのように閉じられようとしていた瞳が再び俺を写す。一切仲良くなろうという気を持っていないその様子に、よく分からないが脳がピリピリと痺れるような感覚がする。敵意さえ感じそうな瞳を見つめ返していれば、突きつけるような声が聞こえた。

「轟焔」

ほむら.......名前が、違う。轟炎司では、ない。
ではやはり、彼女は将来エンデヴァーとなる人物ではないのか。別人なのか。彼女とは別に彼がいるのか。
はっきりと分かったわけではない。けれど、ここで聞けるのはこれぐらいだろう。一人満足し、満面の笑みで言葉を返した。

「よろしくな、焔ちゃん!」

まさか、登校初日早々に顔面を燃やされそうになるとはこのとき、思ってもみなかった。

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bkm