- ナノ -

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発せられる直前、ドンッと身体への衝撃に思わずのけぞった。かなり重い、しかし耐えられないほどではない強さに持ちこたえると同じくのけぞっていた顔を下へと向けた。
紺色の髪色、そして一房だけある赤い色の髪束。分かったのはその人物が少女で、どうやら走っていてぶつかってきたということだった。十センチ以上背に差があるらしく、肩口に顔を埋める少女の顔は分からなかったが、とりあえず肩を持ってゆっくり距離を離す。

「おい、あんた大丈夫か?」
「っ、だ、大丈夫、です」
「って男かーい!」
「氷雅、失礼」
「ああ、すまんすまん」

顔を合わせてみれば、髪の毛が長かったから分からなかったがどうやら少年のようだった。声色を聞けばすでに声変わりをしていて、俺ほどではないが低い声色が聞こえた。
どうやら同じぐらいの年齢の子らしい、とりあえず息が滅茶苦茶荒かったので軽く背中を叩いて落ち着かせようと試みてみる。少年は困惑した様子でこちらを見てきたので、笑って怒っていないことを伝えれば困惑した表情は変わらないものの時間経過とともに息は少しずつ整っていった。

「それで、どうかしたのかい?」
「そうだ、あの、私」

英次が対他人用の言葉遣いで優しく少年に尋ねる。イケメンが一割増しである。少年はその問いに何かを思い出したのか、この寒い中汗を流して周囲を見回した。その様子を見て、なんとなくこの場を離れた方がいいのかと察して、少年の肩を持って来た道を戻るためにぐるりと百八十度回転する。驚いた少年の声をスルーしつつこのあたりでゆっくり話が聞ける場所を思い浮かべて、少し歩いたところにある小さな公園を思い浮かべた。あそこなら警察署も近いしちょうどいいだろう。

「俺、白蓮公園にある自販機のココアすきなんだよな」
「へ、え、あの」
「なにせこの時期でもコールドがある!」
「氷雅、なにしてるんだよっ」
「いいんだよ」

そうは言っても、了承を得なければただの拉致である。肩を抱いた少年に「いいか?」とゆっくり確かめるように問いかければ、大きく目を見開いた後に大きく首を縦に振られた。
確認が取れたのでそのまま公園へと向かえば、突然のことに今度は英次の機嫌が悪くなりちょっと苦笑いが零れる。そりゃあ友人がぶつかってきた赤の他人と公園に行く、なんて言い出して了解も得ずに歩き出したら怒るだろうな。けれど、なんとなくこの子を一人にしてはいけない気がする。完全に勘なのだが――何かに怯えているような気がするのだ。
自分より若い子を放っておけないのは前世故か。というか前世がなかったら同年代なので、何をどう言っても前世のせいなのであるが。変に記憶があるせいで、周囲が皆年下に思えてしまう時がある。そんなことを考えていたら生きづらいのであまり思い出さないようにはしているのだが。
たどり着いた公園で、自販機で冷たいココアを買う。紺色赤メッシュの少年に信じられないような顔をされたが、寒い時期に飲む冷たいココアは最高なのだ。

「あんた、名前は?」
「な、名前?」
「おう。俺は号声氷雅」
「え、っと。ルイ、です」

ルイ。外人っぽい名前ではあるが、違うだろう。個性のおかげかどうかは知らないが名前はキラキラネームが大人気だ。俺の名前もなかなかのものだし。
千円札を自販機に流し入れて、コールドのココアのボタンを押すとガコンという音とともお望みのものが受け口に落ちてくる。

「ルイは何飲む?」
「え、いや……」
「じゃあ冷たい水で」
「あ、暖かいお茶が、いいです」
「りょーかい」

冷たい水もなかなかの美味さだがやはり一般受けはしないらしい。言われたとおりホットのお茶のボタンを押して、最後に一足先にベンチで腰掛けている英次の分を購入した。あいつは炭酸が好きなので、少しは機嫌を直してくれるだろう。
飲み物を持ってベンチへ足を向ければ、明らかにご機嫌斜めな英次が携帯をいじっていて、先に帰ってもらった方が良かったかと額に皺を寄せた。

「ほら、これ」

眉を寄せながらもそれを受け取ってくれたので、とりあえずはまだ大丈夫そうだ。それでも怖い顔をしている英次の隣に座らせる訳にもいかず、俺が真ん中に座って右側にルイを座らせる。
心配そうな顔をしてきたルイに、笑って誤魔化して早速ココアの蓋を開ける。そうするとつられるようにルイも飲み口を開けた。

「うまい?」
「……はい」
「そっか。ならよかった」

冷たい液体が口の中を占めて、喉越し堪能してルイを見ればチビチビと飲んでいて少し微笑ましかった。よくよく見てみれば服装があまり厚着ではないように見えて、そうすると熱を欲しているようにペットボトルを両手で握っていたり鼻が赤かったりするのが目につく。

「これ巻いてろよ」
「えっ、いや、わ、悪いです……!」
「いーから、俺新しいマフラー買ったし」

自分が巻いているマフラーを外してルイの肩にかけてやる。新しいマフラーを買ったのは本当のことだ。店内を見て回っているときに、偶然暖かそうな白い編み込みのマフラーを見つけたので今のは洗濯中の予備にでもしようとしていたので丁度いい。咄嗟にはずそうとするルイに素早く首元に巻いてやる。動きは鈍いらしいルイは俺にされるがままになってしまっていた。

「ほら、暖かいだろ」
「な、なんで」
「俺さ、氷が出せる個性なんだけど出し過ぎると身体冷えるからさ。一応対策。個性使わなきゃ寧ろ寒いの好きなんだけどさ」

少年が当惑の目でこちらを見る。うん、そういうことが聞きたいんじゃないってのは知っている。
しかしこちらとて気が利くわけではないのだ。前世という記憶があるからといって、今の人生を器用に生きられてきたわけじゃない。社会に出てからの処世術を多めに知っているだけで、人間関係に関してはどちらかというと不得意な部類だ。家族のことがあるから、苦手と言ってもいい。
ごそごそと今日買った荷物を入れた袋を漁ってまだ値札のついているマフラーを取り出す。そのまま首に巻き付けてどうだと言わんばかりに笑みを作って見せた。

「似合ってるだろ」

目を瞬かせたルイは、一つ頷くとそのまま俺を見つめて――その目から涙をこぼし始めた。
え――なに、俺。泣かせた?
変に心臓が高鳴って、慌てたせいで膝に置いていたココアが地面へ転げ落ちた。その音に、ルイが小さく口を開けたかと思うと漸く自分の状態に気づいたらしい。

「ど、どうした? 大丈夫か?」

とりあえず背をさすろうと手を伸ばすと、ルイがビクリと身体を震わせて距離を開けた。それに思わず手を止めれば、謝罪の言葉とともにルイは立ち上がりそのまま走り出していた。

「あ、おい! 待てって!」
「氷雅!」
「あっ」

声を張って追おうと立ち上がった瞬間、背後からかかった声に英次のことを思い出す。彼自身のことを忘れていたわけではないが、時間のことは忘れていた。
小さくなっていくルイの背中を気にしながら英次の方を振り向けば、携帯を片手に仁王立ちしている英次がいた。

「う……英次……」
「……僕は帰るよ」
「ごめん……」

さすがにばつが悪く、素直に謝る。空を見上げれば太陽が沈む直前で空には星が薄らと光っているのが見えた。けれど先ほどの少年が気になるのも事実で、意図せず首がルイが去った方を向いてしまう。そうすると英次の方から腹立たしげなため息が聞こえ、咄嗟に首をそちらへ戻した。

「いいよ、探すんだろ」
「いいのか?」
「三十分だけだよ」

俺が狼狽えていれば、英次はすでに走り出しておりその先はルイがいなくなった方向だ。慌てて俺も走り出して、いい友人を持ったと心から感謝した。
そこからは俺は英次について行くだけだった。英次の個性は追跡にも役立つ。足跡、人の視線、そう言ったものを見て予測していく。俺も時折人にルイの見た目を説明して来なかったかと聞いて回ったりしたものの、英次の予測がなければ通りに出てすぐに途方にくれていただろう。人通りが少なく、英次が予測しなければならないものも少なかったのが良かったのか、おおよそ間違いないという英次の言葉とともに駅前までたどり着いた。とっくに陽は落ちており、できればここで見つけたかった。俺はいいが付き合わせている英次はまだ心身ともに中学生だ。それに受験生だし、自分で探し出しておいてなんだか申し訳なさ過ぎる。
英次と二手に分かれ、必死で周囲を探していれば、背後から女性の声が降りかかった。

「君、ルイ君の友達かな?」
「えっ、あ、はい! そうです!!」

ルイの名前に驚きながらも勢いよく振り返れば長い茶色髪を肩ほどで緩く縛った妙齢の女性が立っていた。俺の大声に目を瞬かせた後に、口元に手を当ててはにかんだ。

「あの、ルイ、君は?」
「ごめんなさい。ルイにマフラーをくれた子よね? もう帰らなきゃいけなかったんだけど、お礼を言わなくちゃと思って」
「いや、全然! 寒そうだったんで、気にしないでください」
「ありがとう。それで、聞きにくいんだけどあの子泣いていたみたいで」
「あ」
「何か知ってるかしら?」

雲行きが怪しくなってきた。ルイの母親らしき女性は柔らかい表情だが、どこかこちらを伺うような視線を送ってきている、ように思えて仕方がなかった。やばい、これうちの子何泣かせてるの。ってやつじゃないか? 完全なる誤解なのだが、それを信じてもらえるかどうか。

「いやっあの! なんでですかね! いじめたわけじゃなくて!」
「ああ、そういうことじゃなくてね……。何か迷惑とかかけなかったかなって」
「迷惑なんて、ただ、話してる途中でいきなり泣き出して逃げるみたいにいなくなっちゃったんで、気になって追いかけてきたんです」

彼女は俺を見つめて、そう。と一つだけ零して笑みを浮かべた。信じてもらえたのだろうか。

「何か言ってたかしら、あの子悩み事があるみたいで」
「あー、っぽいですね。けど、本当に突然、思わずみたいな感じだったんで、理由とかはちょっと」
「そうなの。分かった、色々聞いちゃってごめんなさいね」

ふわりと綻んだ表情を見るとどうやら疑いは晴れたようだった。本当にそうかは分からないが、これ以上追求されることはなさそうだ。彼女は頭を下げると、駅前の時計を見て「そろそろ行かなきゃ」とこちらに軽く手を振ってその場を後にした。それにほっと息をつく、とりあえずルイは母親と出会えたようだしこちらもいらぬ疑いを避けられたようだ。
彼女が見上げた時計を同じように確認して、あっと声を上げた。

「英次! もう五時回る!」
「もうとっくに連絡したよ」
「さすが!!」

急いで英次と合流して母親と出会ったことを告げると、安堵二割、呆れ八割の表情で見られ再び頭を下げることになった。

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bkm