- ナノ -

1
その便りが来たとき、私は確かに笑ったはずだ。
便りは結婚式への招待状だった。新郎新婦のどちらも見知った名前だが、唯一違和感を覚えるのは新婦側の名字だろう。夫の名字に合わせて変わった名は今までの彼女の響きを知っている身としてはどこか歪に思えた。天井につけられた照明が白い招待状を尚更純白に光らせて、目をぐっと細めた。

当日、披露宴が終盤にさしかかったころ、あいにくと曇天から雨がこぼれ落ちてきていた。
窓からその景色を眺め、傘を持ってきて良かったと会話を交わす同級生たちを尻目に上着を羽織る。二次会は参加しないと新郎新婦には告げていた。とても残念がってくれたけれど、どうしても外せない予定が入ったと言えばそれ以上引き留められなかった。一足先に披露宴を抜け出して、来る途中のコンビニで購入したビニール傘を差す。
敷地内を出て、第二駐車場までの多少長い道のりを歩く。手前にあった信号機の緑色が点滅し初めたので、小走りで道路へ踏み出した。雨がビニールを叩く音とヒールが地面を蹴る音を聞きながら、夫婦になった二人の姿が頭の中に浮かんできて思い切り傘を柄を握りしめた。
息をのんで、踵を返す。スカートがひらりと舞った。足に力を入れ、走り出そうとして――何か大きな陰に覆われたんだ。



「……名前、何になってたっけ」

ぼうっと白い天井を見上げながらフローリングの冷たさを感じる。にしても、見事に転げ落ちたものだ。まさか三百六十度回転するとは思ってもみなかった。
のっそりと上半身を持ち上げて、大きな欠伸とともに腕を思い切り上へ伸ばす。小気味の良い音が響き、その心地よさが最悪の目覚めを少しだけ挽回してくれる。髪の毛をごちゃごちゃとかき混ぜて、ベッドを支えに立ち上がった。ベランダに続く大窓を開けて何枚か洗濯ばさみでぶら下げられているTシャツをじろじろと吟味して、鮮やかな紺色の――かっこいい英語が胸が書かれたやつ――をひっつかんで回収する。洗面所へ行く最中に用意しておいたジーパンを手に取って、二つまとめて洗面所の棚に放る。
顔を冷え切った水で洗って、開ききった目でお気に入りのワックスを見つけだしていやに指触りの良い髪を左右で分けて軽くはねさせる。
髪を整えれば、鏡に現れるのは鍛えた胸筋と腹筋を隠しもしない少年だ。大人びた、というよりは少し格好付けているようにも思える髪型とその印象を消してくれる整った顔立ちと体つき。

「おし、今日もいけてるな!」

そう語りかければ、少年はご機嫌そうに歯を見せて笑った。


少年の名前は号声氷雅という。つまるところ俺の名前だ。
現在中学三年生、高校受験で忙しい十二月である。ジーパンと紺色のTシャツ、黒のミリタリージャケットを羽織って首にライトブルーのマフラーをしっかりと巻いて玄関前の全体鏡にかっこつけてる白い髪色の号声少年こと、氷雅ある。ニヒルに笑ってみたり、すかした仏頂面をしてみたり、身体を斜めにして流し目でどっかしらを見てみたり。誰にも見せられない姿であるが、残念ながらこの時間は私にとって至福の時間だ。
体質で寒さに強いため、十二月と言ってもそこまで羽織る必要はない。けれど寒い時期にしかできない服装というものがある。しかも受験の時期なのでなかなか遊ぶ友達も捕まりづらい、今日は久しぶりの勉強の憂さ晴らしという名のフリーの日であり、学生服以外が着れる良い日だ。
俺は見た目上は十四歳の少年であるが、実は中身は異なる。いわゆる前世と呼ばれるものあるのだ。生まれた直後は分からなかったが、だんだんと意思をはっきり持って行く内に俺が一つ多めに人生を歩んでいることが理解できた。前世は冴えない平凡な人物だった。恋人もおらず、仕事はしていたが生きがいだったわけでもなく、だからといって大きな不満があるわけでもない。ある吉日に何かに襲われて――襲われて、というのは自身が理解できなかっただけでおそらく車とかに追突されて――死んだ。
鏡の中の俺が難しい顔をして俺を見つめている。改めて、今日の夢は最悪だった。

平凡であっただけで、過去の人生への思い入れは十分すぎるほどあり多大なる悔いがあった。だが私は郷愁に心を震わせるよりも今の人生を愉快に歩むことを選んだ。
この世界は以前の世界とは異なり、異能力のようなものがある。それは『個性』と――個人的にはとてつもない皮肉に感じられるが――呼ばれており、人類の過半数がその異能力を持ち得ている。洋画で例えるとX-MENとかが思い浮かぶ。超能力のような想像できそうな能力から、身体の一部が動物化しているという人間の枠組みから外れたような能力まで多種多様だ。数十年前に突然変異のように現れた『個性』は世界を混乱の渦へたたき込んだ。それからこの世界での世界史で学んだ様々な出来事が起こり、今に至る。歴史を学ぶたび、生まれたのが現代でよかったと心から思う。個性出現時代に生まれていたらおそらくこの年まで生き残っていないだろう。
一通りポーズを決め終わり鏡の前から移動してすぐそばにある台所にある冷蔵庫を開ける。そこから卵を取り出してミキサーの中に空を割って入れ、適当に水、多めにプロテインを投入する。蓋を閉める前に手のひらをかざして、そこから砕けやすい小さめの氷を十個ほど落とし、蓋をしてスイッチを入れた。数秒すれば栄養たっぷり朝食の完成。

「天然スムージーのできあがりー」

鼻歌を歌いながら大きめのコップに注いでいく。氷がなければどろどろしているだけのそれはスムージーになったおかげでちょっとした店で売っていそうな見た目になった。まぁ味はけして売れたものではないのだが。
俺の個性は『氷を生み出せる』というもので、地味に私生活に役立ついい個性だ。個性故の体質なのか寒さを感じにくいが、代わりに暑いのが苦手で冬でもあまり暖房はつけない。あと、これもたぶん個性故だが、髪が雪のように白い。
先ほどは洋画に例えはしたものの、日本でなじみ深いものといえばドラマだとスペックとかだろうか。あと、知っていれば一番ピンと来る漫画は『僕のヒーローアカデミア』だ。むしろ『僕のヒーローアカデミア』の世界そのままといってしまった方が早い。異能力も『個性』と呼ばれているし、何よりこの世界にはヒーローがいる。職業として。
ただ唯一の違いは――違いというのだろうか――原作、つまり漫画で描かれていたような年代よりも過去である。という点だ。
そもそもそのままといったものの、ここが僕のヒーローアカデミアの世界であると決まったわけではない。似ているだけの別世界の可能性もある。が、酷似しているのは確かだ。漫画では僕のヒーローアカデミアが販売されていた時代と同じぐらいの描写が行われていた。新幹線が通り、スマートフォンを手に持ち、治安もものすごく悪いわけじゃない。だが、ここは新幹線もまだまだ少ないしスマートフォンはなく、携帯電話だ。しかも治安は残念ながらそこまで良くない。言うなれば抑止力が少ないのだ、つまり――ヒーローが。
技術に関しては実はもっと発展していたらしいのだが、個性が発見された後の世界の動乱の中で消え去ったらしい。なんて勿体ないんだ! 順調に発展していたら今の俺でもスマートフォンを持っていたかも知れないのに! と、そんな誰に対して言えばいいか分からない文句は置いておいて。

「不味いけど冷えてるからうめぇ」

飲みきるために味わうわけにはいかないので一気に口へ流し込む。荒く砕けた氷の感触が最高なのでプラマイゼロといったところか。不味い。
どうやっても不味いが、これも将来のためと思えば我慢できる。
机に積まれた参考書を一つ手に取る。全く、高校受験でなぜ高校で学ぶことを勉強しなければいけないのか。それほど優秀な生徒だけが登れる高い山であるということだろうが、前世がある身でここまで苦労するとはおもわなんだ。さすが天下の雄英といったところか。
雄英とは俺の受験校、および日本中からヒーローになりたいものが集う高校だ。本物のヒーローが教師をしており、設備も飛び抜けて充実している。他にもヒーロー科がある高校もあるが、名門としての名をほしいままにしている。原作と違ってまだ有名ヒーローを輩出しているわけではないだろうに、それ以外の魅力も十分とはさすがである。
ぽい、と参考書を放り投げて最後の一口を全て流し込む。よし、まっっっずい!!!

コップをシンクに転がして、玄関に並べてあったスニーカーを履く。ドアノブに手をかけようとしたところで、ドアの郵便受けに封筒が入っているのが見えた。
ドキリとして素早くつかみ取れば、何やら書類が入っている気配。差出人を見て、封をしてある頭を慎重に切って中をのぞき見ればそこには十万程度のお金と紙が入っていた。紙だけ取り出して、中の文字を眺めていってため息を零した。

「郵便物にお金はダメなんだけど、母さんさ」

まぁ、別にいいですけどね。いつもと変わらぬ文面に折りたたんで封筒の中に戻す。封筒の中から一万円だけ取り出して、バックの中に雑に入れた。今日は爆買いをしたい気分だ、前世の癖が抜けていないな。なんてどうでもいいことを思う。封筒を奥のベッドへ狙って放って、着地した様子を見ずにドアを開けた。

prev next
bkm