- ナノ -

炎の筋道2
中学生の年齢。といっても私は学校に通っていない。
基本的には家のパソコンで自主学習だ。通信学校というもので、名の通りだ。
平日はそうして朝から夕方まで過ごす。だから友人は一人もできていない。というより、私の知り合いは両手で数えられるぐらいだ。
そのうちの一人が八木さんだった。中学生への対応としてそれでいいのかと頭が痛くなるが、そうせざるを得ない理由があるのだろう。まともな理由であることを願っているが。
八木さんに引き取られてここで生活をし始めてちょうど一年ほどになる。半年間は一人での外出を禁じられていた。八木さんが同行すればよいらしかったが、八木さんは一週間のうち一度しか返ってこないなんてざらで、仕事が続けば二週間帰ってこない。なんてざらだった。つまりその間私は一歩も外に出られないわけだ。軟禁じゃないんだからさ。
けれど半年間で特に問題なしと判断されたのか、町内を出歩くことは許可された。これは私にとってとてもありがたかった。なにせ一人でゴミ出しや食材の調達ができる。今までそれさえも一人ではできなかった。まぁとある制約がついているのだが。
と言っても、外出する際は必ず八木さんに連絡しないといけないのだが。

一通り掃除を終えて掛け時計を確認する。時間は六時。今日は八木さんは帰ってこない。
二つある冷蔵庫の扉を開けて確認してみると、中身は少なかった。今日は帰ってこないとしても、突然明日返ってくることがあるかもしれない。彼は結構突然連絡を寄こす。
なら多めに食材を買うが吉だ。私は八木さんに「買い物に行ってきます。六時から七時ぐらいまで」とメールを送る。
すると十分後ぐらいに返事が返ってくる。「気を付けて行ってらっしゃい」。私が思うに、これは八木さんからの返信ではないと思う。
いや、そうであることもあるかもしれないが……。彼はなかなか仕事が忙しくここへ帰ってくるのもまれだ。そんな彼が仕事中に、しかもメールを送ってから十分後に返信などできるだろうか。この仮定があっているならば、この返事は八木さんではない他者が出していると考えられる。
例えば、あの病室で私を窓越しに見ていた人々、とか。

……とまぁ、これは完全に妄想だ。警戒しすぎてもよくない。私は財布の中に必要な金額と、スーパーのポイントカードを入れて鞄へ突っ込む。
大きな――というより巨大なエコバックも忘れずに。折りたたんでいるからそうとは感じないが、広げて中にいれるとかなりの大きさになるのだ。
一気に色々買いこむので、大きければ大きいほどいいのだ。

「いってきます」

誰に告げるわけでもなく廊下に向けてそういうと、扉の外へと一歩踏み出した。



私の買い物は、一種の名物になっている。と思う。
スーパーの店員さんは私を見ると「おっきたきた!」と笑みを見せるし、店内放送が鳴ったと思ったら奥から店員さんが出てきて私を待ち構えてくる。

「長持ちしておいしくて、沢山あるものありますか」
「あるよ!」

グッと親指を突き付けてくる姿に「ありがとうございます」と礼を言う。
半年前から週一ぐらいのペースで通っているスーパーは、私がくるといつもこうしてとなりに店員さんがついて案内をしてくれる。
基本的に、私は買い物カートが二つうず高く積まれるぐらい買い物をする。内容は牛乳から肉、魚、調味料から冷凍食品まで様々だ。
若い男子がそうやって買い物をするのが奇異だったのと、普通に買い占められるのが大変だからということでこうして着いてきてくれるのだと思う。

「いつもすみません」
「いいんだよ! 売り上げにつながってるしね」

優しいなぁ。と思いながら、店員さんに進められるままに買い物をしていく。時折注文をつけさせてもらうが、それらも頷いて案内してくれる。
近くにいいスーパーがあってよかったと思う。
順調に二つのカートにうず高く商品が詰まれるぐらいになったところでレジへ進む。一つは店員さんが引いてくれている。すみません。
そんな時、ふとレジ近くにあった和菓子コーナーに目が留まる。
足が止まってしまっていたらしく、その隙に店員さんがぱっとそのコーナーから一つ和菓子を差し出してくる。

「はい、今日はあるよ」
「……」
「あれ、好きじゃなかったっけ?」
「好き、です。はい……」

八木さんにも言っていない好みを店員さんに把握されているというのは、ちょっと恥ずかしい気がする。
けれど厚意で持ってきてくれたそれをいらないとは言えず――実際、食べたいし――礼を言って受け取る。
258円の葛餅。黒蜜がかかっていて、プルプルしている。……おいしそう。
カートの上は大量に物が置かれていて不安定なのでこれだけはそのまま手に持ってレジをお願いする。ベテランらしい年配の女性が「今日もいっぱい買うわね火華ちゃん」と声をかけてきて、小さく苦笑いをする。カートからかごを下ろし、お願いしますと口にした。

買い物終わりの時は、いつも車が運転できればな、と思う。
記憶の中では運転などしたこともない。けれど、意外といけるのではという根拠のない自信がある。主に、オートマ車ならいけるのではないかという自信だ。具体的すぎるが、いわゆるオートマ車はマニュアル車とは違い細かな制御を必要としない。一通りの動かし方を把握していればレンタカーとかでも扱える便利な車種だ。あと軽か普通車がいい。……と、中学生がなぜそんな知識を持っているのか。記憶を失う前は実は車オタクだったとか? なら、知識が偏り過ぎた。こういう日常で当然のようにでてくる知識。早くこういうものの正体を知りたいものだ。

素寒貧になった財布と、肩掛けバック二つ。リュック一つ。両手に一つずつ巨大なエコバック。さて、準備完了である。
なかなかどうして恥ずかしい姿だとは思うが、これも生命活動で必要なことだ。なんてことはない。

のしのしと歩いていくと、後ろから「ありがとうございましたー!」という元気な声が聞こえて、首だけ振り向いて会釈をした。

流石にこの荷物だと走ったりできない。というか卵のような繊細な食べ物も買ってあるので下手な動きはできない。慎重に帰らねば。
そうしてゆっくりとした歩調で進んでいれば、商店街の電器屋に置かれているテレビが目に入った。
そこではニュースが放映されており、「オールマイト」という文字に引き寄せられた。

『三重県で発生したヴィランの暴動をオールマイトが――――』

三重県か、それはまた遠くにいる。
私が住んでいるのは東京都の端の方だ。人混みがそこまで多くない、東京都でイメージするところの都会とは異なる場所だ。
だからこそこうして迷惑な買い物もできているのだが。
無事解決したというところまで見て、キャスターがオールマイトの賛辞を言い出したところでまた歩き出す。
オールマイト、というのはNo.1ヒーローのことだ。ああ、さてなんのことだかさっぱりだった。
この世界の面白いところ、個性があるところ。それに、ヒーロー(正義の味方)・ヴィラン(敵)が存在している処だった。

――ドォン!!

突然の轟音。揺れた地面にどうにか両足で踏ん張って身体を保つ。
言った傍から――ヴィランだろうか。
音のしたほうへ目を向ければ黙々と黒い煙が昇っている。いったい誰が、何をしたのか。
家まではあともう少しだ。テレビで表示されていた時間は六時四十五分。あと十五分で戻らなければいけない。
耳がいいのかなんなのか、遠くからの悲鳴が聞こえてくる。
ああ――子供の声だ。

「……十五分、十五分で戻る」

そうすれば、大丈夫。
そんなわけないことは分かっているが、そう言い聞かせる。でないと身体が暴れだしそうでいけなかった。
ぐずぐずと不快な感覚が身体を覆う、思い出せない記憶を思い出さなければならない焦燥感のように、私の背中を押してくる。
私は背負っていたエコバック等を道端へまとめておくと、その場から走りだした。胸を掻きむしりたくなるような、そんな感覚を抱きながら。


現場は火に濡れていた。炙る臭いが鼻をつき、苦しくなる。
野次馬がすでに多く集まっており、現場から輪を描くようにして人々が群がっていた。
その間を潜り抜け、眼前にそれを見つめる。

「――けて――!」

歯を食いしばる。周囲が煩い、聞こえない。

「――けて……!」

煩い、煩い、周囲の声も、炎の巻きあがる音も、壁が割れて地面へ落ちる音も。
何よりも、自分の心臓の音が煩い!

「たすけておかあさぁん!」
「そこか!!」

咄嗟に走りだす。背後で制止の声が聞こえ、しかしそれもただひたすらに煩かった。
瓦礫の中から声がした。そこへ一直線へ駆け抜けて、周囲の熱を感じながら一心不乱に瓦礫を除けていく。

「そこにいるのか!」
「ッ、うぇ、おかあさ」

ああ、いる。大丈夫だ。まだ生きている。
安堵と共に、身体中の腐っていくような感覚がふっと少しだけ軽くなった。しかし手は止めず、周囲の瓦礫を取り除いていく。無暗に手を動かしてもいけない。下手な箇所を動かすと火が回るかもしれない。けれど、なぜか火の回りの具合がここ一年で慣れ親しんだ料理の熱振動のように手に取るようにわかる。
少しすると、目の前に幼い手が見えた。それを反射のようにぎゅっと握る。

「――もう大丈夫だ。俺が来た」
「っひ、ぅ、ひー、ろー?」

ヒーロー。それはこの世界において正義の象徴だ。人を助け、救い、守る人々。大勢の人々が憧れる名誉。
テレビの映像が脳裏に過る。文字通り正義の象徴とされているNo.1ヒーロー、オールマイト。
人の励まし方なんて知らない。だから、彼の言葉を借りた。私はヒーローじゃない、けれど今はそうでなければならない。
応える代わりにもう一度ぎゅっと握って、周囲の瓦礫を一気に押しのけた。
もうこれ以上ここにはいれない。この子の体力や火の勢いからして多少危険があっても逃げなければならない。

姿を現した子供を抱きかかえ、その場から踵を返す。
同時に背後で炎の轟音が響き、同時に大きくきしむ音と共にひしゃげる音が鳴る。
振り向かなくてもわかる。何が起こっているか。音からして、ここはもうだめだ。押しつぶされる。
思い切り足に力を込め、一気にその場から前方へ跳ねる。腕の中にいる子供を強く抱きかかえ、そのまま数メートル先で左肩から着地した。

瞬間、巨大な音と共に風圧と瓦礫が身体を見舞う。
身体を鋭利なそれらが刺さり、痛みが走るが、伏せるように子供をそれらに当たらないようにした。

数秒後、目を開けれ見ればコンクリートの地面。
音のしなかった耳が、だんだんと音を拾い始めた。最初に拾ったのは子供の泣き声だった。

「ひっ、うえ、うぇえええんっ」
「……」

子供を抱きしめたままどうにか上半身を起こす。子供は私に抱き着いて張り裂けそうに泣いていた。
どうしようかと迷い、悩み。とりあえずぎゅうと抱きしめた。

「大丈夫。大丈夫だ」

そう呟いて。息をついた。
身体から発せられる不快な感覚は、もうなくなっていた。その代わり、外的要因からくる痛みが酷いが。それはそれとしよう。
ゆっくりと立ち上がり、周囲を見渡す。「お母さん」を探してだ。
しかし、探すまでもなく見つかった。野次馬の中で周囲の人々に腕を掴まれていた女性。涙を流し、この子らしき名前を叫んでいる。
察するにあの中へ飛び込もうとして周囲に止められたというところだろうか。

「お母さんだ、歩けるか?」
「う、んッ」

いい子だな。と応えて少しだけ近づいてゆっくりと子供を地面へ下ろした。よろけた者の、どうにか重心を取り戻してそのまま一目散に母親の元へかけていく。
両手を解放された母は駆け寄ってきた子供を勢いよく抱きしめて泣きながら名前を呼んでいた。
その様子を数秒だけ見守って、さっと周囲に視線を巡らす。数メートル先、路地裏。
極力音を出さずにそちらへ走り抜ける。店とビルの間の路地裏。薄暗く、室外機がいくつかおいてあり、パイプが通っている。
それらにぶつからないようによけながら、素早く道を進んでいく。
これは、逃げだ。

私は、立場が特殊だ。だからこそ、あまり目立ったことをしないようにしている。なぜかって、目をさらにつけられたくないからだ。
あの行動も、常識的にも立場的にも褒められたものではない。常識的にはああいった案件な警察やヒーローが処理するべき事柄だ。一般人が首を突っ込んでいいものではない。正確な対処ができず被害が広がるかもしれないからだ。
そして立場的にも、半年間外に出られなかった身だ。変に動くのは得策ではない。
無駄なことかもしれないが、今ここで騒ぎになられるよりはいい。おそらくそうしたほうが監視する側も都合がいいのだと思う――以前も同じようなことがあったから。

狭い路地を走っていって、反対側へ顔を出そうとしたとき。
しかし、今回はうまくいかなかったらしい。

「君!」
「ッ!?」
「どうしてあんなことを! 危ないじゃないか!」

待ち構えるようにそこに立っていたのは、眼鏡をかけた生真面目そうな学生だった。

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