- ナノ -

あなたのファンですE
ルリナの作戦はこうだ。
ワイルドエリアを挟んだエンジンシティとナックルジム。ワイルドエリアは広大だが、ポケモンでひとっとびすれば行けない距離じゃない。
ジムリーダー同士には伝達事項や書類の送付なども存在する。よくあるのはファンからの手紙が間違って別のジムに届いてしまうこととかか。あとは事務的なことが多い。そういう場合はジムトレーナーから電話やメールで伝えてもらったり、書類の場合は郵送したりしている。
だが、別に人が行けない距離でもないし、例えばそう、ファンの一通の手紙のために郵便局を使うよりも、仮にエンジンシティへ行く用事があるのならばその時に一緒に届けてしまったほうが効率的なわけだ。
つまり、そう、つまり――俺がカブさんにファンからの手紙を届けに行く、という作戦だ。

あの飲み会の後、ダンデ・ルリナ・ヤローの三人の協力の元、私はカブさんと仲良くなることを決意した。というかルリナにさせられたわけだが、願ってもないことだった。
私だって今の状況は本意ではない。というかめちゃくちゃ不本意だし、カブさんに申し訳ない。できれば彼には二人が思っていた風に伝わっていないと良いんだが。伝わっていたら私は三日間寝込む。

今日はジムチャレンジの期間ではない。また、通常業務もしっかりと終わらせてある。時間は午後四時を過ぎてしまったが、今から空飛ぶタクシーでエンジンシティに行くとしても五時前にはつくだろう。
そしてここには一枚のファンからの手紙。ひっそりポケットに潜ませて、戦いに行くわけでもないのでジェラルドンだけを連れていく。
いつになく緊張した面持ちの私を心配したのか、腰のボール越しに私をじっと見つめてくるジェラルドンに苦い笑いを返した。
ナックルジムのジムトレーナーたちにジムを任せ、空飛ぶタクシーを捕まえる。
手紙を彼に渡して帰ってくるだけだ。すぐに終わる、恐らく六時過ぎには帰ってこれるから戸締りは私がやろう。そして家に帰ってすぐに寝る。そう、このプランで行こう。
タクシーに揺られながら、おかしな動悸に鼓膜を鳴らされつつ目的地を睨みつける。
大丈夫だ、ナックルジムにファンの手紙が届いてました、エンジンシティに行く用事のついでに持ってきたんです。どうぞ。そう言って渡せばいい。その時に、カブさん愛されてますね。なんて気の利いた言葉をかけられれば最高だ。それで適当に天気の話で模した後に、じゃあ用事があるのでこれで。と言って帰ればいいのだ。そうだ、それでいい。それでいいのに、どうして私はこんなに全身が熱いんだ、焼け落ちてしまいそうだ!

ポスター越しなら何千回も見つめてきたのに、いざ本人を目の前にするとどうしようもなくなってしまう。好きだという気持ちが溢れて蓋が弾けそうになる、ファン舐めんな!こちとら前世越しだぞ!

本当はそういってタクシーから飛び降りてしまいたいほどだ。だが、これは三人が作ってくれた紛れもないチャンス。これを手放したら二度目はない!
そう決意して、またじろりと目の前を睨みつける。そこにはエンジンシティの門が広がっていた。

「お客さん、そんなに睨まないでくださいよ、もうつきますから」
「あ。いや、すいません、全然。遅いぐらいで大丈夫なんで」

いや、遅いんじゃだめだって私。



「じゃあ、私はここにいるんで。用が終わったら声かけてください」
「わかった。ありがとう、そんなにかかんないと思うからさ」
「まぁこっちも時間潰してるんで、大丈夫ですよ」

心の広いタクシー運転手に別れを告げて、エンジンシティのジムへと歩き出す。
正直、喉から心臓が出そうだ。ああ、手紙ちゃんと持ってきたかな。あ、うん。ある。大丈夫だ。ああ、持ってくるのを忘れていたらジムへ帰れていたのに。
というかそもそもカブさんは今日ジムにいるのだろうか。ジムは休みじゃなかったかな、いや同じジムリーダーだし休みじゃないことはダンデたちと確認したし休みなわけないんだけど。でももしかしたらってこともあるじゃないか。風邪とか、いや風邪じゃあ心配だ。えっと、訓練とか。
うだうだと考えながら歩いていけば、すぐにエンジンジムへたどり着いた。立ち止まりジムを見上げる。ジムチャレンジの開会式も行われるエンジンジムは他のジムよりも施設が巨大だ。シュートシティのスタジアムと比べても負けず劣らずの規模になっている。
両親と共に観戦へ来た時を思い出す。あの時の記憶は宝物であり、そして大事な分岐点だ。
あの出来事があったから今の私がいる。ポケットの中の手紙を再度確かめた。指先に伝わる紙質に、行かねばと重い足を一歩動かす。

「あれ、ナックルシティの」

背後からそう声が聞こえ、動かな過ぎたかと内心頭に手を当てた。
ジムリーダーはCMや雑誌で企業とタイアップしていることがあり、半ばアイドル的な扱いを受けることもある。なので街中を歩いているとサインを求められたり写真を撮られたりすることもあったりするのだ。
軽いサインでもして見逃してもらおうと笑顔を作って振り返れば、そこには赤いユニホームを着た青年がいた。

「エンジンジムの、確かノブヒロ君だったか」
「えっ、は、はい。そうですが。その、どうされたんですか、こんなところで」

そこには前髪を上げた髪型のエンジンジムのジムトレーナーであるノブヒロ君がいた。
手には何かの袋を持っており、もしかしたら買出しの帰りなのかもしれない。
しかし、尋ねられてどう返せばいいか戸惑う。い、いや、戸惑う必要はない。計画通りのことを言えばいいのだ。

「その、カブさんっているか?」
「えっ!? あ、はい。勿論いますが……」
「うちのジムにエンジンシティ宛のファンレターが届いててな。届けに来たんだ」
「えっ!? わざわざキバナさんが?」

いちいち大げさな反応に、どうしたんだと眉を顰めればノブヒロ君がすみませんと頭を下げてきて、慌ててこちらも手を振る。

「いや、気にしてねぇって。だけど、どうしてそんな反応するんだ?」
「すみません、今までキバナさんがそういう用事とかで来たことがなかったので、あっても他のジムトレーナーが来てくださってましたし」
「ま、まぁ、そうだな。驚くのも無理ないよな」

そうだ、言い訳を言わなければと、変な使命感に駆られて「他に用事があったからついでに」と付け足せば、何故か納得したようにうなずかれてしまった。
しかし、そうか、彼はこのジムにいるのか。
ポケットの中の存在が、渡さなくてはと私を急かす。くそ、普通にポストに入れれば届く産物なのに!
いるのならば届けなくてはならない、と内心歯を食いしばっていればノブヒロ君が私を見上げながら手を出す。

「では、俺の方から渡しておくので」
「え?」
「え?」

私の疑問の声にノブヒロ君の疑問の声が続いた。
しばし見つめ合って、ノブヒロ君が訝し気に私を見る。

「ファンレターを持ってきてくださったのですよね?」
「そうだけど」
「俺の方からカブさんに渡しておきますが……」

目から鱗が落ちそうだった。だが、冷静に考えればそうだ。
私は名目上、他の用事ついでにファンレターを届けに来ていることになっている。そしてノブヒロ君はこれからジムへと戻るところ。他の用事もあるのだから、これからジムに戻るノブヒロ君に手紙を任せるのが一番合理的だ。
そう気づいて、思わず口角が引きつる。それはそうだ、それはそう、なのだが。

「あー。うん、そう、だな」
「どうかされましたか?」
「いや……」

カブさんと話したいことがあるから? 直接渡さなくてはいけないファンレターだから? 本当は手紙を私に来たというのは建前で、カブさんと少しでも話して距離を縮めるために来たから? ――駄目だ、どれも口に出せない。どれもこれも喉元でつっかえて、最後に至っては考えただけでも羞恥で顔が熱くなる。
ゆっくりとポケットに手を突っ込んで、手紙を取り出す。少し降り曲がってしまったそれを伸ばして、ノブヒロ君へ差し出した。

「これだ。その、よろしく頼むな」

差し出した手紙を、ノブヒロ君が手に取る。三人には悪いが、タイミングが悪かった。そう思うしかない、今だって頭が混乱してるのにこれ以上頑張れる気がしない。ポケモンバトルでも、日常的な仕事でも頭はくるくると回転するのに、彼の時だけはいつもこうだ。
手に取った先で、しかし引っ張られずに手紙は二人の手の中にある。
はてと気づいてノブヒロ君を見やれば、ちょうど彼もこちらを見たところだった。

「あの」
「どうした?」
「もしかして、カブさんに用事がありましたか?」
「へっ」

伺うような目線と図星の言葉に変な音が喉から漏れた。
ぶわりと汗が噴き出して、瞼が激しく瞬いた。

「な、なんで突然」
「そんな雰囲気がした気がして」

雰囲気とはなんだ。そんなに態度に出ていたのだろうか。それはそれで恥ずかしい。
けど、ノブヒロ君の言う通りだ。私は彼と会話をするためにやってきた。本当のところはそこだ。しかし、それを今言うことはできない。なにせ作戦の本題だったし、それは相手に知られずにやることが重要だったからだ。つまり知られてしまったら私がしんどい。
どうにかへらりと笑って言葉を吐き出す。冷静になれ、切り抜けるんだ……!

「用事なんてねぇよ。これだけだ、あんましこないから緊張してたのかもな」
「そうですか……」

ノブヒロ君は何か引っかかったような表情をしつつも、手紙を受け取った。
それに内心ほっと息をつく。ああ、とりあえずはこれでいいはずだ。私はない用事のためにその場を去ろうとして

「なぜ緊張していたんですか?」

ノブヒロ君の少し強い声色の質問に再び視線を戻された。

「なぜって、何がだ?」
「……すみません、キバナさんが緊張するイメージがなくて」
「そうか。まぁ、俺だって緊張する時ぐらいあるさ」
「それがエンジンジムなんですか?」
「……まぁ、そういうことになるな」

言葉が詰まる。これは言っていいことなのか、悪いことなのか。
他のジムに行くときは緊張などしない。ある程度ジムリーダー同士関わりがあるからだ。しかし、カブさんは違う。
避けていたわけではないけれど、関わってこなかったし、なにしろクソデカい感情のせいで思考が安定しないのだ。
しかし、そんな事情は私がカブさんファンであると知らない人たちには伝わらないことがつい先日分かった。もしかしたら勘違いさせてしまうかもしれないと、咄嗟に口を開く。

「別にカブさんが原因じゃないぜ」
「……カブさんの名前は出していませんが」

うん。そうだね。
しくったか。思わず頭を抱えそうになり、脳内にとどめる。
どう言い訳をしたものか――いや、言い訳というか、誤解を解きたいだけなのだが――と苦心しながらもどうにか言葉を手繰りだす。

「深い意味なんてないって」
「……俺はカブさんのことを尊敬してます。厳しいところがないと言ったら嘘になりますが、優しい人です」

不服そうな表情に、私の誤魔化しがきいていないこととノブヒロ君のカブさんへの尊敬の念が伝わってくる。
そうだ。その通りだ。ノブヒロ君からの彼のイメージが感じられて、目を細める。優しい人、その通りだった。
だからこそ、好きになったんだ。だからこそ、未だに私は。

「……知ってるよ」

呟けば一転して唖然とした顔になったノブヒロ君に苦笑いしつつ、軽く肩を叩いた。

「確かに俺はカブさんとうまく付き合えてない。けどそれは俺の問題なんだ、ほんと、気にしないでくれ」
「っでも」
「手紙、すまねぇけどよろしく頼む」

じゃあな、と手を振ってそそくさとその場を去る。後ろから視線を感じたが、振り返らずに空飛ぶタクシーのある場所へと進んでいった。
離陸場所には先ほどのタクシー運転所がコーヒー片手にくつろいでおり、私を見つけるとドアを開けてくれた。
それにお礼をしつつ、そのまま乗り込む。

「早かったですね」
「あー、まぁ。早くすんだんで」

そうなんですか。と相槌を打った運転手がアーマーガアに声をかけると、大きな振動と共に羽を動かす音がして機体が浮き上がる。
空になった右ポケットを思いながら、昨晩書いた内容を思い出していた。

「自分で書いた手紙ぐらい、自分で届けて見せろってんだよ……」

この前のバトル最高でした、マルヤクデの活躍が凄かったです、今年のジムチャレンジも楽しみにしています――昨晩、急遽書いた手紙の中身。
ファンからの手紙の間違いは頻繁に起こるが、だからと言って計画が思い立ったすぐ後にちょうど良く送り間違いがあるわけもない。
だから、手紙を書いた。書いて送る予定だったから、それが少し早まっただけ。そう思っていたけれど。

「……なっさけねぇなぁ、俺」

今度こそ掌で顔を覆いながら、椅子に体を預けた。


そんなことの一週間後、とあるゴシップ誌に『ジムリーダー、キバナとカブの不仲説。原因はキバナの年寄り嫌いか!?』という記事が載り、私は三日三晩寝込んだ。

prev next
bkm