- ナノ -

あなたのファンですD
ジムチャレンジから数年。私は家から出て、独り立ちしていた。
と言ってもただの一人暮らしなわけであるが。最初は当然お金もないので、小さなアパート暮らしだ。しかし、そこで問題が発生した。

「カブさんのポスター張るところ、もうないぞ……」

壁にはもう張った。天井にも張った。ポスターが汚れそうなところには張れないし。仕方がないから季節ごとに張り替えようか。
ガラルの歴史や文化を学ぶため、実家のあるナックルシティのスクール近くにアパートを借りた。実家からも通学はできたが、これを機に一人暮らしというものをしてみたかったのだ。前世で出来なかったことをしてみたかった。
しかし、見事に友人が呼べない部屋になってしまった。カブさんファンであることを隠してあるわけではないが、これは流石にひかれてしまいそうだ。まぁ、別に遊ぶ場所が外にないわけではないし、散らかっているからということにして部屋に呼ばなければいいだろう。
ダンデは来るかもしれないが、彼には昔からカブさんのファンであることは伝えてあるし、そこは問題ない。

ダンデはジムチャレンジでのトーナメントで私に勝利し、そしてチャンピオンを打ち破った。
晴れて十歳でチャンピオンとなったダンデと、敗れた私。悔しくて仕方なかった。けれど、清々しくもあった。
それからダンデはチャンピオンとして、私はトレーナーとして日々を過ごした。すっかりポケモン勝負にはまってしまった私は、トレーナーとして腕を磨くことに夢中になってしまったのだ。
それからポケモンたちと切磋琢磨しつつ、将来を考えた。
様々な職業がある中で、私は子供たちの憧れというか、当然のようにジムリーダーに憧れた。なにしろ、チャンピオンに勝負を挑める権利がもらえるのはジムチャレンジを勝ち残ったトレーナーとジムリーダーだけなのだから。
でも、同様にこの世界の歴史にも興味があった。ポケモンの世界、元いた世界とは決定的に違う世界の構造。気にならないほうが可笑しいだろう。それに、私の生まれ育ったエンジンジムは昔からの建造物や遺物が沢山あり、興味をそそられるばかりだった。
だから、色々と考えてスクールに通うことにした。所謂高校や大学あたりだろうか。
ここで勉強をして将来のことを色々考えるつもりだ。と言っても毎年リーグが始まるとダンデから招待枠としてトーナメントに参加させられてジムリーダーへの憧れを加速させ続けさせられるのだが。ここ数年ダンデに一度も勝てておらず、一度は勝っておきたいのだ。といってもチャンピオンになる気はないのだが……。辞退とかできるよね、チャンピオンって。

そしてスクールに通い、無事卒業し、将来を考えていた私は無事ジムリーダーとなった。
なかなかこう、ダンデにはめられた感は否めない。けれどこれは私の本意でもある。ジムリーダーとして強いトレーナーたちと戦いたいし、なにより後進を育ててみたかった。私にポケモン勝負を教えてくれた人のように、トレーナーになりたい、ポケモン勝負をしてみたい子供たちや大人たちにその素晴らしさを伝えていけたらと思ったのだ。

ジムリーダーになる中で、マイナーリーグやメジャーリーグのトレーナーと戦うことがあった。けれど、その中にカブはいなかった。残念な気持ちはあったが、どこか安堵もしていた。
彼のことは相変わらず好きだ。だからこそ、辛そうな顔をしていたら何を言い出すか分からなかったし。だからと言って楽しそうな顔をしていても蓋をしていた気持ちが溢れるのではないかという不安があった。
未だに彼宛に手紙を送り続けている。と言っても、前よりは頻度は少なくなった。ジムリーダーになる前までは二か月に一度ほどで、今では三か月に一度ぐらいのペースだ。業務が忙しくなり、手紙の頻度が落ちたが逆に良かったとさえ思う。以前はたくさん送りすぎていたのだ。これぐらいがちょうどいい。今でも差出先は書いていない。ファンである私の自己満足だ。

ジムリーダーとなってから収入も増えたため、部屋を引っ越した。
ナックルシティのジムリーダーなので、ナックルシティであることは同じだが、もっと広い部屋に変えたのだ。
貯金したお金と収入と相談しつつだが、かなり良い部屋にしてもらった。なんせ4LDKである。ほぼ手持ちがドラゴンタイプなので、皆身体が大きい。そうすると部屋の面積や高さも広い方がいいのだ。それに、お客様用で部屋を解放でき、そして自分用に部屋を好きに装飾できる。
そう、部屋の多いアパートを借りたのは、そういうこと。
一室をカブさんスペースにするためなのだ!
家具を一通り置いた後に始めたのがカブさん部屋づくりだった。グッズを置いて、ポスターを張って、ブロマイドを飾る。
いや、もう自分でもかなりやばいのは分かっている。けれどファンだから、仕方がないんだ。ずっと応援しているから。
カブさんは今でもマイナーリーグで頑張っている。最近は調子もよくなって、勝つことも多くなってきた。これならば、もしかしたら近々メジャーリーグに戻ってくるかもしれない。いや、きっと戻ってくる。私はそう信じている。だって彼は諦めていないから。
彼は、随分年を取った。私がもう二十歳になるのだから当然だけれど。
白髪も増えて、ようやく年相応に見える外見となった。ガラルでは白髪や皺が目立たないとホウエン人は年より若く見える。
年月を経て、人は変わっていく。私も変わっていった。
もう昔の、病弱な女はここにはいない。ジムリーダーとなった若い男が一人いるだけ。ただ同じなのは、彼のファンだということだろうか。
彼のことを考えると、時折寂しくなってしまう。閉ざした蓋の底で、弱い女が泣いている。
彼がジムリーダーとして復帰したら、きっと相まみえることになるだろう。
その時に、ちゃんと笑顔で対峙できるように。

「……カブさん」

呟いた声色は低く、切なそうな声色で、思わず乾いた笑いが零れた。




その日がやってきた。
待ち望んでいた、どこかで恐れていた、けれど絶対に訪れると信じていたその日。
数か月前にダンデと彼が勝負したとき、燃え上がるほど白熱していた。私も観客としてその場にいた。そして、確信した、彼はすぐに帰ってくると。
その核心通りに彼は戻ってきた。メジャーリーグへ、ジムリーダーとして。

「知っている人もいるだろうけど、エンジンジムを任せるジムリーダーのカブだ」
「新しくエンジンジムのジムリーダーになったカブです。よろしくお願いいたします」

真っ直ぐな目、礼儀正しすぎるほどの正しい姿。流石にお辞儀はしなかったけれど、まっすぐに伸びた背筋が彼の誠実さを語っているようだ。
ああ――本当に。

「キバナ、挨拶はしなくていいのか?」
「挨拶はもうしただろ」

一人ひとり簡単な自己紹介があって(名前を紹介されるだけのシンプルなものだ)、その後はリーグの定例会議だ。
ジムリーダーが変わると、定例会議でその紹介がされる。彼が挨拶をしたのもその場だった。そのあとはいつも通りの会議で、ローズ会長が進行役で話が進んでいった。
会議終了後に、彼と知り合いなのかルリナやヤローが集まって話をしていた。
それを遠目で眺めて、会議室から出ようとしたらダンデに話しかけられた。

「だが、せっかくの機会だろ。逃していいのか?」
「そりゃあ、そうだけど」

ダンデに向けていた視線をちらりとあの人へ傾ける。そこには若者たちと笑い合う、前世の時と比べると皺の増えたカブがいた。
元々三白眼で目付きが鋭いから強面に見えるけれど、今は気の知れた仲なのか二人と話し合う姿は雰囲気が柔らかく時折笑顔も見せていた。
私にも、今の私にもそうやって笑いかけてくれるのだろうか。初めましてと声をかけてくれるのだろうか。
想像すればするほどに、嬉しいような寂しいような気がして胸が締め付けられる。

「今はいい」
「なんだ。緊張してるのか?」

見当違い、とも思ったけれどあながち間違っていない。
そう、緊張しているといっていいかもしれない。目の前で動く彼がいる、会話をしている。そして、触れられる。
あの時と同じだ。すぐ近くにいて、そして突き付けられる。彼はもう『私』を認識しない、必要としていないのだと。新しい人生を歩んでいる『俺』と同じように。

「いいんだよ。また会う機会もあるだろ」
「……飛びついていくかと思ってたんだが」
「そんな子供じゃねぇよ」

ひらりと手を振って気のないふりをしてみれば、ダンデが訝し気にこちらを見る。
それもそうだろう。ジムチャレンジ時代はこれでもかというほどにカブさんを押して押して押しまくっていたのだから。
ダンデはポケモン勝負に詳しかったから、ようやく彼の話ができる相手に出会えたと全力で布教してしまったのだ。ダンデから見れば今の私の態度はかなり違和感のある物だろう。
大丈夫、また次の機会になったらいつもの私に戻っている。この感傷には蓋をして、『キバナ』として彼と接するようになれているはずだ。
でも今は、こうして彼がジムリーダーとして戻ってきたことへの祝福と、抗えない哀愁を覚えていたい。

会議室からの去り際に、彼の背を視界に納めて小さく呟く。


「おめでとうございます、カブさん」



地味に飲んだくれていた。
酒が飲める年齢になったのは最近のことだ。けれど元々アルコールに強かったのか、酒を楽しめる体質だった。
前世を想うとアルコールなんて考えられなかったが、今生ではいい付き合いができそうだった。
ジムチャレンジの際からチャンピョンの座を譲らない友人と、他の若いジムリーダーたちと一緒に会議終わりに飲みに行った時のことだ。ジムリーダーやチャンピョンという役職柄、そして若さもあって話が弾んでいた。そうはいっても私は前世二つを含めるといい年なのだが、そこは考えない。
ほどほどな個室を借りて、ダンデとヤロー、ルリナとマクワとネズで飲んでいた。マクワとネズはほとぼりの覚めたところで帰ったが、私とその他は飲み足りないと残っていたのだった。
私は、とても飲み足りなかった。なにせダンデには負けっぱなしだ。これでもジムリーダーとなって色々と戦力を練っているのだが、ダンデはその上を行く。チャンピョンなのだから強さに磨きをかけるのは当たり前で、彼の性格的にもポケモン勝負のためにどこまでも追及していくのは分かっているが、こうも負け越しだと鬱憤もたまる。
――いや、違うのだ。それも確かにある。あるが、それよりも何よりも。

「カブさんと話せねぇ……」

机に突っ伏しながらそうぼやけば、隣から「まだ話せてないのか?」というダンデの呆れたような問いかけが聞こえ、低く唸る。
ダンデとはよく食事や飲みに行くが、そのたびにこのやり取りだ。
ダンデの呆れもよくわかる。なんて言ったって最初の会議から幾度となく会う機会があったというのに一度もろくに話せていないのだ。ジムリーダー同士と言っても会議ではお互いに意見を言い合うぐらいしかないし、業務的なやりとりもサポートのジムトレーナーが行うことが多く、話そうと思って話しかけない限り意外と話す機会がなかったりするのだ。
私だって何度も話しかけようとした。けれど彼を目の前にすると、どう話していいか分からなくなり喉が詰まり、彼と目が合うとぐるぐると目が回って思わず逃げ出してしまうのだ。そうやって何か月経っただろう。

「ちょっと、それどういうこと?」

コップにまだ残っている酒を口へ運ぼうとしたとき、そのコップを上から押さえつけられる。何かと見てみれば少し赤い顔をしてはいるものの、たいして酔っていなさそうな表情をしているルリナがいた。
どういうこととはどういうことだと思いつつ、不満げな顔を作ってやり事のあらましを伝えてやる。同じくジムリーダーの会議の場にいるのだから、言わなくても分かっているだろうに。わざわざ私から言わせるとは酷い女性だ。
彼女はあらましをききながら、どんどん険しい顔になっていっていた。何故そんな怖い目をするのかと思っていれば、終わったすぐ後に大声を出された。

「なによそれ! てっきりカブさんのこと嫌いなのかと思ったじゃない!」
「……KIRAIってなんだ?」

叫ばれた言葉に、しかし理解が追い付かない。酒が回っているからだろうか。
私も元々はホウエン地方出身だから、もしかしたら知らないガラル地方の言葉かもしれない。それか若者言葉か? なんにしろ知らない単語だ。同じ発音の言葉は知っているが、今の状況には当てはまらないから違うだろうし。
首を捻っていれば、隣からダンデに「残念だが……君が思った言葉の意味で間違いないみたいだぞ」と言われ、傾げている方とは別の方へまた首を傾げた。
捻り続けている私の元へ、今度はヤローが声をかけてくる。

「そうだったんですか。そりゃあ良かったです。ぼくも勘違いしておりました」
「勘違いって、さっきから二人とも何言ってんだ?」
「キバナさんがカブさんのことを、苦手に思ってるのかとおもっとったんです」

NIGATE…?
苦手、苦手と言ったか?
ヤローは若者言葉を使うイメージはないし、だとしたら出身地の方言的なものだろうか。いやしかし――本当に「苦手」という意味で言ったのならば、ルリナのKIRAIという単語の意味も――いや、しかし――。

「キバナ、いい加減現実を見たほうがいいぜ」
「は、いや、だってありえねぇだろ。カブさんのことを俺が嫌っているとか、んなわけ」
「いや……俺は事情を知っていたから緊張しているって分かってたが、確かに周囲から見れば嫌っているとはいかなくとも、苦手意識を持っているようには見えたと思うぜ」
「に、にがていしき……」
「実際、一回も話していないし、目が合った瞬間に逸らして逃げてたしな」
「え、お、おれそんなつもりじゃ」

ダンデに諭されるように説明され、動揺が走る。酒に酔っているというだけではない眩暈が襲って、突っ伏した机から起き上がれなかった。
机の木目と見つめ合いながら、三人に言われたことを必死で考える。
何度も話そうと頑張ったが、いろんな思いが錯綜して話せなかった。自分でも逃げ出していると分かっていた。けれどそれが「嫌い」や「苦手」と思われている? こんなにも彼のことが大好きなのに? 前世からのファンなのに?

「お、俺だって、話せるもんだったら、話してぇよぉ……」

ジムリーダー同士の仕事の話とか、天気の話とか、ポケモンの話とか。なんでもない話がしたい。
キバナとして、新しい関係性を築きたい。仲良くなりたい、できれば、貴方のファンなんですとちゃんと伝えて、握手して、サインだってほしい。
それなのに、そんなファンの憧れゆえの葛藤の末の遠巻きなのに、そんな勘違いをされてたんじゃあ、私、どうすればいいんだ。
もう嫌、泣きそう。いやもうだめだ、泣くわ。

ぐすぐすと腕を枕にこもる体制に入れば、肩をグイとひかれ無理やり誰かの目線とかち合う。

「なにベソかいてるのよ! しゃきっとしなさいよ、男でしょ!」
「んだよぉ、じゃあどうすりゃいいんだよぉ」
「決まってるでしょ!」

叱責したのはルリナで、ビシリとその綺麗なネイルの載った人差し指で鼻先を指される。

「カブさんと仲良くなるのよ!」

prev next
bkm