- ナノ -

過去の憧れにて4
どうやら私は赤っ恥をかかなくて済んだようだ。
コートの真ん中、目の前にいるのは赤いユニホームに身を包んだ彼だった。

「約束通り、ここまで来てくれましたね」

そう口にしても、目の前のカブは不動を貫くだけだ。それもそうだろう。今のところ、私はただの前世で彼の知り合いを騙る変人だ。
語り合えないのを少し残念に思いつつ、しかし何よりも大事なイベントがすぐ訪れる。彼のことをずっと分からなかったくせに、こんなに喜んでいると知られたら呆れられてしまうだろうか。だって、彼はこんなに強くなった。知らない間に、一皮も二皮もむけていた。
硬く口を噤んでいた彼の口がわずかに開かれる。

「君は……」

しかし聞こえたのはその三音だけ。それ以降に続く言葉もなく、ただまっすぐな、そして困惑の色を持つ瞳で見つめられる。
いつまでもこうしていられるわけじゃない。私からの説明はジムチャレンジの開会式後のベンチで全て済んでいる。あとはこれだけだ。

「話は後でいいだろう。はじめよう、結局これが一番早い」

もう隠す必要はない。成長した彼に懐かしい思いを抱きながら背を向け歩き出す。
腰についているボールが楽しそうにカタカタと震える。私の心の震えを代弁してくれているようだ。ダンテと戦うときとも違う、この高揚感。本来の自分を解放できると感じるこの予感。
ボールを手に持ち振り返る。そこには同じように構えた彼がいて、昔の青年を幻視した。

「さぁ、約束の時間だ!」


年季の入ったモンスターボールを顔の前で握りしめ、そのまま大きく縦に振り被りボールを投げる。飛び出してきたポケモンは先ほども活躍したコータスだ。
コータスは先ほどの試合でも観客達は見ている。もしかしたら彼も画面越しに見ていたかもしれない。だが、観客のざわめき方が明かに熱狂とは違う。
だが、そんなこと知るものか。目の前で目を見開いている彼のことも。

「コータス、かえんほうしゃだ」


試合の展開は私にとっては意外な流れとなった。
彼は最初こそ戸惑い、私のポケモンが動くたび私が指示を出すたびに眉間にシワを寄せていたが、だんだんとコツでも掴んできたかのように私のポケモンに対して有利な技やポケモンを臨機応変に繰り出すようになった。
久しく彼らをメンバーにして戦ってきていなかったとはいえ、勝手知ったる相棒達だ。戦い方を忘れるはずも、勝利への執念も薄れるはずはない。はずがないのに、私たちは劣勢に陥っていた。
まるで計算され尽くされているような振る舞い。こちらの技を全て見通しているかのような立ち回り。ゾクゾクと悪寒とも取れる震えが全身を襲う。
彼の目は困惑がどんどんと消え去り、「キバナ」ではない何かを見るように私を見据えてくる。
残った二体のうち、一体が倒されその場に倒れ伏す。

「よくやった」

光と共にボールへ戻ってきた相棒にそう声をかけて、最後のボールに手をかける。
ああ、正直に言おう。想定外だ。
前世の私は戦闘狂だった。そしてそれに相応しい強さも持ち合わせていたと思う。だからこそ、成長したとはいえ彼にここまで追い詰められるとは想定もしていなかった。
甘く見ていたのだ、彼を。そして彼との約束を。
自らの未熟さを呪うと共に、彼への感謝が募る。全力で戦わせてくれる、そのことへの喜びをボールを握りしめて心で礼を言う。

「まさかここまで追い詰められるとは……だが」

だが、このまますんなり負けてやるわけにはいかない。
憧れていると言われたのだ。それに相応しい強さを示さなくてはならない。
ボールから飛び出したのは、ゲンガーだ。初めて出会った色違いのポケモンに感動して、鍛えたのは思い出深い。それから彼はずっとスタメンだった。
だからこそ、託す。

「あの子に見せつけてやれ、ゲンガー! ダイマックスだ!!」

過去の戦術で勝てないのなら、今の戦いを取り入れればいい。
最後の一匹だからなんだ、全力で戦い抜く。そうだ、ギリギリの戦い。これがポケモン勝負というものだろう。
いつのまにか浮かんでいた笑みをたたえながら相手を見れば、彼も歪とさえ思える笑みを浮かべていた。
スタジアムが歓声で、応援で、熱狂していく。
きっとこれが私たちの望んでいた戦いなのだろう。どうだ、満足しているか、歓喜しているか、目を見開いてくれ、私を見ろ。
約束を果たそう。

彼が口を大きく開く、赤い喉元から叫ぶ声が響く。

「貴方にも見てほしい、今の僕らの姿を!」

遠くともしかと鼓膜へと響くその喜色を孕んだ声色に弧を描いていた口元が更に強く笑みを描いた。
燃える瞳は何も変わらず、私を焼き尽くそうとこちらを見つめている。
ああ、いいとも。見せてみろ。君の全力を!

「マルヤクデ、ダイマックスだ。全てを焼き尽くせ!!」



バンダナで目元を覆い隠す。
……負けた。

「……随分と成長したみたいだな」

目の前が真っ暗になった。だが、それも数秒だけだ。
負け惜しみのように呟いて、バンダナをあげる。残るは笑顔だ。あんなに素晴らしいバトルをして嫌な顔なんてできるわけもない。
手には体力がなくなりひんしになったゲンガーが入ったポケモンボールが握られていた。
腰のベルトにボールを装着して、倒れた相棒たちをボール越しに撫でる。

マルヤクデのキョダイヒャッカでの継続ダメージでの終わりだった。あのときの歓声と言ったら、チャンピョンカップの時よりも巨大だったのではないかと思うほどの絶叫ぶりだった。
どうしようもなくしっかりと負けた。だが、私が弱くなったわけではない。彼が強くなったのだ。それはもう、とても。私との戦い方を熟知していた。常に一歩先を読まれ、対策されていた。完敗だった。

視線を向ければ、そこには勝利に酔う姿も、喜びに溢れる姿もなかった。
荒い息をして、ただこちらを見つめる彼の姿があった。興奮が抜けていないのか、それともまだ信じられないのか。けれど視線だけはこちらから逸らしていなかった。
少しだけ様子をみたが、動く気配のない彼にこちらから近づくことにした。広いコートとはいえ、足早に歩いていけばすぐに彼の目の前にたどり着く。しかし、眼前にいるというのに彼の目は私を食い入るようにみてはいるがそれ以上の反応を見せなかった。

「いい勝負だったよ、カブさん」

名前を呼び、手を差し伸べる。
そうすると、正気に戻ったかのように目元がはっきりとして慌てたように彼が手を握り返してくれる。咄嗟に、というのがピッタリな、長年行ってきた習慣だからこそ動けたような感じだった。なんとなく初さを感じて微笑ましくなってしまう。
握られた手は汗ばんでいて、熱い戦いを思い出すようだった。ぎゅっと握り返して、少し長く手を振る。感謝が少しでも伝わればいいと思った。

「ヘイ、ロトム!」
「ロト!」

一試合ぶりに呼ばれたロトムが元気よく顔を出す。
気合の入っているらしいロトムに指をさした。

「カブさんに初敗北記念だ。頼むぜ」

ロトムの元気の良い声とともにシャッター音が聞こえる。ふわりとこちらへやってきたスマホロトムの画面を確認すれば笑顔の私と微妙な顔をしたカブがいて思わず吹き出してしまった。
すぐに咳払いして仕切り直し、もう一度彼を見やる。

「次の試合も頑張ってくださいよ」
「ま、待ってくれ……!」
「時間はいくらでもありますから、その話は試合後にしましょうよ」

二カリと笑いかけ、そのまま踵を返す。
後ろ手に手を振って、そのままコートを後にした。歓声を背にしつつ、同時に疑問の音も拾って少しばかり面倒なことになりそうだなぁと頭の後ろで手を組んだ。

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bkm