俺には英雄が二人いる。
一人は俺を助けてくれた人。もう一人は、俺の家族を助けてくれた人。
その英雄の一人がソファに座り、俺を見てあまりにも露骨に忌々し気な顔をして思わず口角が引きつった。
プロメポリスの頂点、司政官という立場から大罪人となったその人はこちらに敵意のようなものを向けつつも、疲れ切った顔をしていた。それもそうだ、ほぼ休みなしで奉仕活動という名の研究漬け。時間が空いたら今度は司政官に頼りきりだったために、生江がいなくなって右往左往するプロメポリスの政への意見を求められる。
三人で住む家に帰ってこないことも多い。休む暇もありゃしない。だからこそこうして体を休められる時間は貴重なのだというのはわかる。
分かるが、そんな顔しなくてもよくないか? 俺、別に邪魔する気はないのになぁ。
「んな顔すんなよ、生江」
まぁ話しかけはするんだけどよ。
「ふん、お前相手だ。仕方がないだろう」
あからさまに話したくなさそうな顔をしつつ、返事を返してくれるあたり優しい。よっぽどでない限り無視はしないのだ。それはきっと、彼の弟の咎められるからという理由もあるのだろうが。
彼は名誉ある司政官から犯罪者となった。一万人だけを選出し、空へと旅立とうとした。地球を見捨てようとした。デウス博士を殺した。バーニッシュに非道な人体実験を行い、幾つもの命を散らせた。
けれど、俺は彼の過去の独白を聞くまで、彼のことを信じていた。それは俺のもう一人の英雄であるクレイの言葉があったからだろう。そしてそのクレイは生江の独白を聞いても信じ続けていたようだった。彼が、英雄であるのだと。
「つれないこと言うなよ」
「煩い。お前はクレイと仲良くしていればいいだろう」
「おう! 相変わらず仲良しだぜ」
そういうと、またもや嫌そうな顔をした生江に本当にクレイのこと好きだなぁと感心する。
生江は弟のクレイのことがかなり好きだ。それはたぶん、本人も否定できないだろう。宇宙へワープしようとしたときはクレイでさえも叩きのめそうとしたが、それも本心ではしたくなかったのだろうと思う。
普段の生活を見ていれば、生江がとりみだしたあの裁判を思えば一目瞭然だ。
その一割でも俺のことも好きでいてくれればなぁと思うのは贅沢だろうか。
「そのクレイはどうしたんだ」
「ルチアと話したいことがあるんだと」
「そうか」
そう言って手に持った新聞を読みだした生江は、もう話すことはないと意思表示をしているのだろう。
少し考えて、大股で隣に座る。明らかに生江の眉がより、ここまでくると面白さを感じた。
「なんだ」
「クレイの話、聞きたくないか?」
「本人から聞く」
ここで興味ないって言わないの、ほんと分かりやすいよな。
にんまりと笑って、新聞紙とクレイの間に身体を乗り上げる。
「クレイが話したがらないこととかはどうだ?」
「そんなものはない」
「なんで今日ルチアと一緒に話してると思う?」
「……」
険しかった眉間の皺が僅かに緩む。それにしめたと内心笑みを浮かべ、そっと新聞を持つ右腕を下へと押した。
そうすると新聞が落ちるのと反比例して、生江の視線が俺へと移る。それに心が躍る。
今ならわかる。生江はできるだけ俺を見ないようにしていた。目に移すのは人類の未来と、クレイだけ。俺はきっと見たくないもんだったんだろう。家族を苦しめる、過去を象徴する子供だったから。
「聞かずともわかる」
「へ?」
「お前はいつもより早く帰宅したな、それから体の動きが少しおかしい。主に足を庇うような仕草がある」
「あ、お、おう」
「察するに、クレイとルチアが改良した装備がお前の無茶な動きで壊れ、怪我でもしたんだろう」
つらつらと、見てきたかのように述べられる言葉に思わず呆ける。
そんな俺を見下すように生江がみやった。
「正解ならそこを退け」
「せ、正解ですケド……」
ケド、せっかく話そうと思ったのによぉ。
退けと言われたが、退きたくないために視線を泳がせていれば、新聞を膝の上に置いた生江があいた右手でぐいっと俺の肩を押す。実力行使に出られてしまっては抵抗もし辛い。
ちぇっと不貞腐れれば、ふん。と鼻であしらう音がした。
「怪我をしているのならさっさと休め」
「なんだよ、心配してくれてんのか?」
少しでも会話を繋げようと、からかってみれば鋭い瞳がこちらを射抜く。
やべ、やりすぎたか? と少し身を引けば生江が淡々と口を開く。
「ああ、そうだな」
「え」
「クレイが気にするからな」
「……そういうことですか」
肩を落とせば、生江はもう新聞紙を手に取って文字を目で追っていた。
なんだよ、そんなに邪険にしなくともいいだろうに。
仕方なく立ち上がれば、足の痛みに気を取られ重心が傾く。咄嗟に体制を整えようとしたところで、腰を掴まれてソファに倒れこんだ。
「おわっ!?」
倒れこんだ先でぐしゃりと紙をつぶす音と、ソファよりも固いものに尻をぶつけた感覚。
驚きで声を上げれば、顔のすぐ近くで生江が怒りに濡れた声を出した。
「ガロ」
「た、倒れこんだのは俺のせいじゃ」
「そこじゃない。怪我をしているのに更に痛めつけようとしたね」
細い目元から赤い瞳が見える。怒りがにじむのに、柔らかい物言いにどきりとした。昔の、司政官の時の喋り方だった。
確かに、体制を持ち直そうとして足を無理に動かそうとはした。けれど、それで引っ張り込まれるとは思ってなかった。
それから、寄った眉を開放して生江は静かに言う。
「気をつけなさい」
その声は、やはり昔の声だった。
司政官の時の、クレイと共に俺が暮らしていた時にやってきて、優しく頭を撫でてくれた時の。
それになんだか酷く懐かしくなって、けれど頭を撫でてくれない生江に図々しく重心を預けた。当然の如く、批判の声が生江からあがったが、そんなの知らねぇ。
「俺のことあんたが嫌いでも、俺はやっぱ、あんたのこと好きだよ」
生江の服に顔を突っ込みながら小声でそう告げた。そうすると、聞こえてきていた刺々しい声は聞こえなくなる。時計の針の音だけが空間に響いていた。
けれど耳を澄ませば近くにある生江の脈動も聞こえた。大きくて、心の休まる音。
俺には、英雄が二人いた。
一人は俺を助けてくれた人。もう一人は、俺の家族を助けてくれた人。
けれど、一人は俺の家を焼いたのだと言い。
もう一人はずっと目障りだったのだと言った。
そうなんだろう。けれど、それでも、俺のその後の人生を助けてくれたことに変わりはなく、俺の家族を必死で炎の中から探し出してくれたことに変わりはないんだ。
裏切られたと思った。悲しかった。今も、苦しい思いはあるさ。
けど、クレイは俺にとって代わらず英雄だ。
そして、クレイが思うように。
――俺も、落ち着いて思う。やっぱりあんたは英雄なのだと。