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あなたは英雄4
博士は炎生命体を発見したとき、恐れは微塵もなかった。ただ現象を追求しようとする科学者の魂だけがそこにあった。
彼は炎生命体に『プロメア』と名付け、それが時空断裂からやってくることまで解明した。
耐火構造素材、火災を即座に鎮火する凍結弾、プロメテックエンジンの試作品が研究室には並ぶようになった。
プロメアを発見してから着々と進む研究。水を得た魚のように実験と理論の構築をリトライし続け躍進していく探究。

私は、僕は――どうしていいか分からなかった。

何が正解か、何が正しいのか。一番の最適解は、最上の答えは。
僕は凡庸だ。天才じゃない。だから、ただ日々の日常が過ぎ去っていくのを眺めることしかできない。

「プロメアによる地球の滅亡が迫っている」

知っている。そんなことは、炎に巻かれた家を視界に映したときから。

「プロメテックエンジンはバーニッシュの命を削る」

分かっている。そんなことは、煤にまみれた子供を抱きしめた時から。

「クレイ、何を考えている?」

――曖昧としている。見当がつかない。事実が飲み込めず、事態を把握できない。
私の態度に疑惑のこもった目を向ける博士が、怖い。検証結果を淡々と語る無機質な声色が、恐ろしい。
貴方こそ、貴方こそ何を考えているのですか。

「地球の未来を考えている」

なら、どうするのですか、この後、貴方はどうしていくのですか。
地球を救う? 地球を炎生命体から守る?
研究室の机には今までの研究の結実が並んでいた。耐火構造素材、凍結弾。そして試作品のプロメテックエンジン。
僕たちの成果はどうするのですか、何に使うのですか。

博士の瞳が見上げてくる。真っ直ぐと、後ろ暗いものなど何もないのを主張して。

「私の研究でバーニッシュはもとよりプロメアと共存できないかどうかを進める」
「しかし、もう時間がないのですよ。十年後にはプロメアによって活性化したマグマが地表を覆ってしまう」
「それは避けなければならない。その為に研究を続ける。だが、人類の知恵が及ばなかった時は」

なぜそんな顔ができる。
何も間違っていないと全身で訴えてくるような。

「地球が滅ぶ。それだけだ」
「……し、死ぬのですよ。全人類、全部何もかも」
「それが定めだ。次元断裂は意図して起こったものではない。それに、生き物はいつか死を迎える。それが僅かに早まるだけだ」
「博士、は、死んでもいいとおっしゃるのですか」
「何も諦めているわけではない。これから研究を進めて行けば、地球を救う手立ても見つかるかもしれない」

そうだろう?
空気を震わせるとその音に、頭が弾け飛びそうだった。
達観しすぎた。何を見ているんだ。年齢のせいなのか。死ぬのが怖くないのか。救う手立てが見つからなかったから、どうするんだ。

――いや、見つからない。
見つからないんだ。
『プロメア』で博士が発明したのは、デウス・エクス・マキナだけ。あれは素晴らしい発明品だった。だがエネルギーにするバーニッシュに対して苦痛を与えないだけで、そもそもは試作品のプロメテックエンジンと性能は同じだ。地球の地殻に潜りマグマを凍結させることはできない。それが出来たら私だってやっている。
なによりもプロメアの排除を行うことができない。人類はマントルに潜む地球外生命体に未来永劫恐れながら生き続けなければならない。
もし仮にマグマの活動を抑えられたとしても、そのあとはどうする。人類の人口は止めない限り増え続けるだろう。また二十年前同様の人口密度になるに違いない。バーニッシュはプロメアと共鳴する人なら誰でも起こりうる。止める術は、ないのだ。
燃やしたいという衝動は抗いがたい、人々は火を身に纏い、再び世界大炎上も起こり得るだろう。そうすればもう地球は終わりだ。再びの世界大炎上に地球が耐えられるはずもない。
船を造って全人類と共に空への旅へと出るのか? それを人類が受け入れられるか、バーニッシュを弾圧してきた世界がそれらをエネルギーに空へと旅立つことを両者が受け入れるか。そもそも全人類を乗せて旅立てるエネルギーなど全てのバーニッシュを集めたところで叶わないだろう。人々は争い、バーニッシュたちは憤り、やがて地球は内輪もめで滅びる。

何が、何が定めだ。
何が、生き物はいつか死を迎える、だ。
何が、何が、何が何が何が何が何が

尊敬していた。憧れていた。
類まれなる才能をもちながら、バーニッシュ擁護派として人類とバーニッシュの橋渡しに尽力している、素晴らしい人だと思った。
何も知らなかった僕はそんな彼に感銘を受けて、彼の元で学びたいと思ったのだ。
今でも、敬服している。きっと、未来でも、いつまでも。


「プロメテックエンジンはバーニッシュの命を削る悪魔の発明だ」

そうですね。一緒に作ってきました。

「何、研究が終わったわけではない。また新しい発明をすればいいだけだ」

はい。そうすれば、地球も救えるはず。
バーニッシュとも和解できる。プロメアとも、共存できる。

「クレイ」

はい。

「どういうつもりだ」

はい。

「最初からそのつもりで」


――きゃらきゃらと、笑い声がする――


「そうかも、しれませんね」

耳を劈く音と、白煙と、赤い鮮血が舞う。
美しく腹を貫いた弾丸は背後の機器に衝突して止まった。

そうだったのかもしれない。
私は最初から、知っていて博士に近づいたのかもしれない。
全て分かっていて、全部無駄だと理解していたのかもしれない。

自然と、涙は出なかった。握ったグリップが熱を持っているようだった。
服用した鎮静剤はしっかりと私の感情を抑え込んで、行動をスムーズに行わせてくれた。
落ちた薬莢を屈んで拾う。それから、監視カメラに向かって銃弾を撃ち込んだ。

シンと静まり返った研究室で、床に倒れこむ博士を見つめた。
研究で裾が焦げてしまっていた白衣が真っ赤に染まっている。三日目の徹夜で目の下に少し隈が見える。剃り方を間違えたといっていた髭の端が少しいびつだった。

意外と微笑んでくれる人だった。意外と甘いものが好きな人だった。竹馬に乗っていた時は驚いた。同じ身長だと胸を張って転げ落ちそうになっていた。ブラックコーヒーを少しずつ飲む人だった。専門外なのに時々義手の様子を見てくれる人だった。エリスと僕と、一緒に撮った写真を机に飾っておく人だった。

「ぁ、ぅ、ッ」

研究熱心な人だった。頭の良い人だった。僕がミスをすると、何も感じないような瞳で見てくる人だった。恐ろしい目だった。論文のミスを指摘して、付箋を貼って、そこにアドバイスをくれる人だった。人の間違いを責めない人だった。ビーカーにコーヒーをいれて飲むことがあった。凍結剤の薬品が入っているものを飲んで僕が病院に運んだことがあった。命の恩人だと言われた。

「ヒッ、ぅ、ぁあ」

いつか、息子がいたら君みたいなんだろうなと呟かれたことがあった。

「ぅッ、あ゛ッ、……なんで、なんでなんだ、なんで、僕なんだ……! 誰か、誰か助けて、助けてくれよぉ……!」

どうして、僕は、


全部。消えてなくなればいいと願った。
今この瞬間に地球がマグマに覆われて全員死ねばいいと祈った。
どうしようもない衝動が湧き上がる。全てを焦土に変えたいと心臓がうねった。

――燃やそう、全て――

優しい声が耳元で囁きかける。微笑みを含んだ穏やかな声色は、そうすれば何もかもから解放されると確信している。
目から零れた水は体温の熱に蒸発し、急激な体温の上昇に口から吐息に紛れて炎が零れた。

そうだ。全部。
全部、投げ捨ててしまえば、もう、私は。


瞬間、テーブルに並べられていた銃弾を鷲掴む。書類をまき散らしながら、手に取った銃弾を己の持っているグリップに押し込んだ。

「あ゛ぁ、あ゛ぁあああああああああッッ!!!」

銃口を左肩の付け根にねじ込んでそのまま引き金を引いた。

「ぎっ、がァッ!」

一発、二発目は実弾がそのまま肩に貫通する。だが同時に炎が吹き上がり、傷を途端に治し、血さえ流れない。
だが、次発を撃った瞬間に肩から巨大な氷が生える。冷温が左肩から身体をめぐり、同時に熱が氷を瞬時に溶かしていく。それに、左腕だけでは無理だと悟る。
熱にグリップが融解するのを感じながら、銃口を口へとねじ入れた。


――気付いた時には、炎も氷も何もなかった。
ただ、あるのは左腕部分が焼け焦げた自分の白衣と、床に血を流して伏せる博士だった。

博士を、隠さなければ。
殺したと、察せられてはならない。
この後自分は、博士の研究成果を発表しなければならないのだ。
もっと有名になって、もっと伝手を広げて、もっと、もっと――。

「博士、」

彼を消すには、灰にするのが一番いいのは分かっていた。
そうすることも検討した。
でも、駄目だ。溶けたグリップを握りながら思う。きっと僕は、彼ごとこの建物を焼いてしまうだろう。

銃口を彼に向ける。消せないなら、隠しておこう。
いい案に思えた。それが、彼をもう傷つけたくないという罪悪感からでも、もうなんでもよかった。
それが一番自分にとって楽な道なら、それを辿るしか術はなかった。

「――良い夢を」

私はゆっくりと、人差し指を動かした。

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