- ナノ -

あなたは英雄2
子供を引き取った。バーニッシュによって家が焼かれ、両親を失った少年だ。
まだ幼い。親を失った悲しみは心を凍らせるほどのものだろう。けれど少年は、嬉しそうに笑うのだ。英雄が自分を助けてくれたのだと。

吐きそうだった。
私は、僕は、クレイ。クレイ・フォーサイト。
まだ、学生で、司政官ではない。バーニッシュ対策の研究をしている。プロメス博士と共に。博士はまだ生きている。僕は、左腕を失った。少年を助けた代償として。世間ではそうなっている。事実は異なる。

――普通の、一般人だった。
この世界には、バーニッシュと呼ばれる突然変異の人種がいる。
炎を扱えるようになった者たちのことで、感情が高ぶるなどの原因、または故意的な意思により発火し炎上する。その力は強力かつ無慈悲であり、通常の火災よりもたちが悪い。炎は操り手の考えに応じ動き、炎から装備を作り出すことさえできる。ただ、それができるのは一部の者のみ――マッドバーニッシュと呼ばれる炎上テロリストたち――で、だいたいが感情に応じて発火してしまう、または炎を一方方向に噴出させるだけに留まる。
バーニッシュが現れたのはおよそ二十年前。突如現れた多くのバーニッシュと突然変異をしなかった人々の対立が起こり、世界は炎に包まれた。通称、世界大炎上と呼ばれる。
僕は、その数年後に生まれた。世界大炎上により地球の人口は半分にまで減っていた。大炎上が収まり、どうにか復興しようという最中に生を受けた。
だから、知っている。人々がどうにか這い上がろうとするさまを、懸命に生きようとする姿を、歪ながら、より一層の努力を行い、足掻く様子を。
だから、社会に尽くしたいと思った。僕はバーニッシュが生まれる前の世界を知らない。けれど、今のように隣人を疑い、炎に怯え、またバーニッシュたちも弾圧に怯える世界ではなかったのは分かったし、そのような過去の記録をたくさん見た。
沢山勉強をした。片親だったが、父は僕を優秀だとほめてくれた。天才だと頭を撫でてくれた。確かに僕は周囲より抜きんでていたし、事実優れていた。だからこそ、僕ならやれると思った。
バーニッシュたちにより悲しむ人がいない世界を、普通の人とバーニッシュが手を取り合える世界を。昔、大炎上が起こる前のような、人々が手を取り合える未来を、作っていけると信じた。

誰よりも努力した。誰よりも頑張った。
だからこそ僕はバーニッシュ研究の第一人者であるあのプロメス博士の弟子となれた。博士と共に世界に再び平和を取り戻すために尽力する。

そのはずだった。
そのはずだった。
そうなるはずだった。
そうなるべきだった。

なんで、どうして、嫌だ嫌だ嫌だ。
耳元できゃらきゃらと笑い声がする。囁きかけてくる。衝動が身を貫く。燃やそうと微笑みかけてくる。

こんなはずじゃなかった。
違う、違う違う違う。
疲れていただけだった。天才は違った。小さなミスだった。失望の色を見た。あと少しで論理が分かるはずだった。エリスが直ぐに正解を導き出した。少し、うまくいかなかっただけだった。むしゃくしゃしていた。頭痛がしていた。自分の書いた論文を地面に叩きつけたくなった。拳を握りしめていた。

あの日。
あの、悪夢の日。

全部が全部、信じられなかった。
初めて超えられない、努力ではどうしようもない壁にぶち当たる自分も。本物の『天才』である周囲も。無力な自分も。左手のうずきも。止められなかった己も。燃え盛る家も、飛び出してきた、子供も。
腕の中の体温を感じながら、暴れまわる衝動を感じながら、炎が燃え盛るように思い出した、記憶も。


思い出した、記憶。
そこでは、僕は女性だった。日本人、黒髪で華奢。今の僕とは似ても似つかなかった。アニメや漫画といったポップカルチャーを愛している、普通の女の子。彼女は、もう生きてはいない。亡くなっていた。悲しい事故だった。ショッキングだった、けれど、もっと、恐ろしくて、衝撃的な記憶を見る。
――『プロメア』。それは、アニメ映画だった。二時間程度の、ポップで眩しくて、センセーショナルな映画。それはバーニングレスキューという消防隊に属する主人公と、マッドバーニッシュという炎上テロリストのボスの二人が世界を救う、そんな物語だった。
その中に――いた。

僕がいた。
私がいた。

僕は、思い出した。
彼女は、私だった。私はアニメや漫画が大好きだった。展開に一喜一憂して、日々が輝いていた。熱を上げていたのはプロメアという映画で、とても魅力的で完成度が高く、素晴らしい作品だった。
ネットで絵や漫画、小説を見て、喜んでいた。でも、私は死んでしまった。交通事故だった。生きていたかった、無念だった。けれど、跡形もなく命は消えた。

そして私は僕になった。
何も知らずに生きてきた。何も思い出さずに生きていた。
自分がどこから聞いたか分からない知識があるのも、授業で初めて知ったはずのことに聞き覚えがあることも、知らないはずのバーニッシュのいない世界を容易に想像できていたことも。どこか引っかかりを覚えながらも、それでも自覚せずに、人生を歩んでいた。
けれど、思い出してしまった。
僕は、私は、クレイ・フォーサイト。
『プロメア』で主人公の家を焼き、彼を助けたと偽り、まがい物の英雄を演じ、人類を炎生命体から救うために一万人と共に遥彼方を目指した男。バーニッシュを切り刻み、解剖し、データを取り、自身の正しさのために周囲を犠牲にすることを黙認した人。

僕はその人だった。僕は彼だった。私はクレイ・フォーサイトだった。
だって、だって僕は――ガロの家を、家族を、焼いてしまったのだから。


「クレイ?」
「っ、なんだい。ガロ」
「なんか、ぼーっとしてたから」

あの家で唯一焼け残った子供が言う。
リュックを背負って、スクール帰りだ。新しい家までの道のりはまだ不安だろうからと、迎えに行った。
どこか心配気な瞳で見上げる幼い少年に微笑みかける。

「こうして一緒に帰れるのが嬉しくてね」
「えっ、ほんとか? 俺とおんなじだ!」

その場でぴょんと跳ねた彼は、少し照れたような、そしてその何倍もの喜びを表現するような顔をする。
髪がふわりと揺れて、細い腕を少し広げる。元気のよい子だった。

「クレイ、俺、色々手伝うから」
「今までだって手伝ってくれてたろ」
「もっとってこと!」

彼はいい子でいようとする。時折我儘なところはあるが、基本的にこちらに気を遣ってくれていた。
その想いが分かる言葉に少し笑みをぼやかして、揺れる髪の頭を撫でる。

「ありがとう。でも、僕はガロが元気そうにしてるのを見るのが好きなんだ」
「元気そうなのが好きなのか?」
「ああ。僕も元気をもらえる気がしてね」
「……へへ、そっか!」

今度こそ太陽のような笑みを浮かべた彼は、少しスキップして私の前に出る。
歩を止めると、幼い少年が手を大きく広げて声高に宣言した。

「食器洗いも、洗濯物も、片付けも、ちゃあんとやるぜ! それで、いっぱい遊ぼう! 俺も、クレイと一緒だと凄く楽しくて、胸が暖かくなるんだ」

彼の背を照らす日差しが眩しくて目がチカチカとした。
ぴょん、とまた飛んで幼い少年は私のすぐ足元へ来る。そうしてぶら下がっていた右手に手を伸ばした。

「ありがと、クレイ」

青い虹彩に、赤い光が灯っている。

「俺のヒーロー」

拒否されるとは微塵も思っていない手が、私を掴む。
そのまま頬をこすりつけて、羨望をにじませて私を見つめた。


きゃらきゃらと、笑い声がする。


僕は、私は――英雄なんかじゃないんだ、ガロ。

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bkm