- ナノ -

私は貴方に首ったけ!!
「于禁」
「……はい」
「少し顔が赤いな、酔うたか?」
「いえ……。問題ございません」

いや、問題は大ありだ。頭がくらくらとする。一口飲んだ時点で、喉がひりついた。胃が熱くなり、次いで体全体が腹を発信源として熱を帯びていき、今では耳まで熱い。
まだ、まだ盃の一杯目を空にもしていない。どうにか、僅かずつ飲んではいる。曹操殿は面白いぐらいにどんどんと盃に継ぎ足しているが、もう信じられないほどだ。
少しでも気を抜くと思考がぶれてしまいそうで、せっかくの酒の席だというのにしかめっ面しかできない。眉間の皺はますます深く刻まれるばかりだ。

「酒が進んでいないな、美味くはないか?」
「そんなことは、ございません。ただ、私は酒にあまり、強くなく」
「そうか。なら、ゆっくりでよい」

笑みを作る曹操殿に、惚れそうになる。そもそも惚れているので、更に惚れてしまう。惚れ直すとかではなく、更に惚れてしまう。曹操殿沼はどこまでも深く広い。流石曹操殿!!!
と、やばい。駄目だ。その思考回路はおそらく、散々曹操殿を称賛した後に「生まれてきてくださり、感謝いたします!!!!!」とかのたまってしまうパターンだ。それはならぬ。絶対にやってはならぬ。

どうにか曹操殿から目をそらし、酒の水面を見る。

「以前からおぬしに聞きたいと思っていたことがある」
「は、なんでしょうか」

水面を眺めて精神統一をしていれば、曹操殿から声を掛けられる。
聞きたいこと。なんだろうか。曹操殿からの質問ならば、何が何でも答えなければならない。聞き逃してはならない。顔を上げて、なんでしょう。と構えていれば、曹操殿が僅かに口角を上げた。

「おぬしは、わしをどう思っている?」
「――と、殿を、ですか」

驚きに呆ける。だが、どうにか確認の言葉を発した。
それに、曹操殿はそうだ。と当然のように答える。
ど、どう思っているって、どうって――、どうって。
言葉が出ずに、思わず時間稼ぎのように酒を一口飲んだ。喉がカッと熱くなり、次いで体がさらに熱くなった。頭が働かなくなり、逆効果だと気付く。だが、もう時間はない。どうにか、答えを。

「――一生を捧げ、尽くしていきたいと、思っております」
「それはなぜだ?」

な、なぜ!? なぜ、何故とは、そんなことは決まっている。だが、なんと答えればいい。
主従として、家臣としておかしくない物言いをしなくては。
焦りで手に汗をかく、口が乾いて、仕方なく酒で濡らした。頭が回らない。

「尊敬しております。その強さや聡明さ、全てが王に足る、人々を導くお方だと」
「それだけか?」

そ――そんなわけはありません!!!
私は、私は、貴方にあえて本当に、一生でも命でもなんだって――ああ、駄目だ! 何を口走ろうとしているんだ。口を閉じろ、ここは現実だ。目の前に曹操殿がいるのだ。下手なことは言えない。おかしなことを言って気味悪がられてしまえば終わりだ。それこそ私の人生が。
やっと酒の量が半分ほどのなった盃を握りしめる。頭がくらくらする、今立ち上がれば確実に倒れそうだ。しっかりしろ、しっかりしてくれ私の体!

必死で念じていれば、曹操殿が酒瓶を手に取った。

「少なくなったか。美味いだろう」
「は、はい」
「もっと飲むといい。――おぬしのための酒だ。おぬしと飲むための、おぬしだけの酒だ」

……私だけの。
トクトクと曹操殿自らの手で注がれる様子を黙って見つめた。
――どうして、私はこのように曹操殿に手厚く労っていただけるのだろう。
路頭の石であればよいのに、そのように、まるで、いつか殿が宴の場で言った、宝のように扱われてしまえば、私は。

「于禁、どうかしたか」
「……いえ」

曹操殿の問いかけに答えられずに、酒を煽った。
一口だけだ。けれど、多く口に含まないようにしていた今までとは違って、酒が口内に留まらず喉を通ってそのまま流れ込んでいく。
甘い、果実のような酒だった。とても美味しい。

「私は」

考えがまとまらない。けれど、今の私が駄目なのはわかる。
敬愛する方と共に酒を飲む機会を頂き、私のために酒を用意していただいた。これに、喜ばない者はいないだろう。けれど、私はそこまでの人間ではないのだ。不愛想で、会話もうまくない。さらには理性で抑え込んでいなければ本当にただの、平和呆けした役立たずなのだ。そんな私に、どうしてここまで良くしてくださるのだ。そんなことをされてはならぬ。私などに、私は、ただ

「殿を、唯一のお方だと思っております。貴方がいなければ、私はただの民として、世を呪いながら過ごしていたでしょう。貴方に従いたいと、少しでも貴方のお役に立てればそれだけで生きている意味があると、考えております。単純な力の強さだけなら、頭脳だけなら、秀でるものはいるでしょう。ですが、殿の生き方や世を平安にしたいと尽力される姿は、貴方だけのものです」

そしてその夢が道半ばで耐えようとも、貴方の大切な者たちが戦や病で亡くなろうとも。
それでも、光を失わずに最後まで自らの平和を望み、手を伸ばし続けた、貴方が好きだった。
ただ、好きだった。

「私のこの想いは、妄信であると、分かっております。殿のほかに、何も、見えないのです。私に、殿を満足させることは、できませぬ。褒美を頂き、これ以上返せるものがございませぬ」

褒美など、いらないのです。貴方に仕え、貴方のためと微塵でもなれるなら、それだけで生きている意味があるのです。ですから、これ以上私に与えないでください。私には、これ以上はないのです。

不甲斐なくて泣きそうだった。
これだけ良くしていただけているのに、私は何を言って、何をしているんだろうか。
別に、曹操殿もそんなことまで考えていたわけではないだろう。ただ、私がいたから酒に誘っただけかもしれない。他の誰でもよかったのかもしれない。
けれど、まるで特別扱いのような今に、耐えられなかった。
私は結局のところ、本来の于文則のような、厳粛で、厳正な常勝将軍ではないのだ。前世の記憶がある、大儀も何もない普通の一般市民なのだ。
それが、どうにか曹操殿に近くありたいがために必死に足掻いているだけだ。
戦で勝利することが我が国の助けになることも分かり、そのために武器を振るう。だが、私の根源は曹操殿なのだ。画面の向こう側の、仮想の人物。望んでやまなかった人。実在しないはずの、ゲームの中の人間。
貴方に会いたいがためだったのだ。だから、こんな俗物は、路頭の石でいい。そうでなくてはならない。

唇を噛んで、頭を支配する混沌とした感情を耐えていれば、ふと何かが唇に触れた。

「あるぞ、おぬしだけに出来ることが」
「殿……?」

曹操殿が愉快気に微笑んでいる。私に手を伸ばし、唇を親指でなぞった。
思わず噛むのをやめる。触れている、曹操殿に触れられている。
私は、夢でも見ているのだろうか。ああ、曹操殿。お慕いしているお方。
曹操殿が椅子から立ち上がり、私を見下ろす。その姿を仰ぎ見て、どうしてかデジャヴを感じた。

「おぬしの願いをいうのだ、于禁」
「私、の」

願い。
そんなもの、私はもう満足している。曹操殿の元で仕えている。それだけで充分だ。
樊城でも敗北せずに、私はここにいる。曹操殿のために働くことができる。それ以上、何を望むというのだ。
けれど、曹操殿は私に願いがあることを信じて疑っていない。
曹操殿の指先が、耳の裏を擽って、頭が真っ白になりそうになる。

「わ、たしは」

私の望み、私の願い。
分からない。分からない、だが、どこかで私はそれを口にしていた気がする。
どこかで口を滑らせた。どこだ、曹操殿の問いの答えは、どこで口に出した。
回らない頭で記憶を掘り起こす、霞みぼやけ、正常に再生されない。
だが――そうだ。私は……以前も曹操殿の前でその答えを言っていた。
とても気分がよくて、とても曹操殿が近くにいて。褒美をいらないと言った。だが、曹操殿が何をやればいいと仰った、だから、私は――。

「貴方様に、必要と、されたい……」

失望させたくない、してほしくない。路頭の石でいい、けれど、私を人としてみてくれるのなら。
なんでもいい、必要としてほしい。私からこれ以上何かを返すことはできないけれど、何かを必要としていただけるならば、それを実現しようと努力ができる。返すことができる。
貴方のためになることが、私の生きる意味なのです。だから、私は、業突く張りと分かってはいるが、貴方に必要とされたのなら、どこまでも捧げることができるから。

「ああ、約束通り――」

曹操殿の声がどこか楽し気であるように気がした。
いつの間にかぼやけた視界で、しかし曹操殿だけははっきりと映っていた。その曹操殿が、私に近づく。目と鼻の先にまでなった後、親指が離れ、別の感触が唇に触れた。
わけもわからず呆然としていれば、曹操殿がまるで獣のような笑みで言った。

「おぬしを欲してやろう」

ゾワリと背筋が震えた。
何を欲されるのだろうか、未知の恐怖はあったが、それでもきっと私は何もかもを捧げてしまうのだろう。


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bkm