- ナノ -

私は貴方に首ったけ
何故だ。宴会の記憶がすっぽり抜けているんだが。
次の日になり、床の上で起きて鈍器で殴られているような感覚に呻きながら、頭を悩ませる。余計に頭痛がひどくなる。
だが、曹操殿にお褒めの言葉をいただいた後から、記憶がすっぽりとない。
どうしたことか。嬉しすぎて記憶が吹っ飛んでしまったのだろうか。
しかしどうやっても思い出せないため、仕方がなくいつものように鍛錬へと足を運ぶ。

「于禁殿!」
「起きられたのですね!」
「も、もとに戻ったよな……?」

と、そこにはなぜか合肥三人組がいた。いつもは別々の時間に鍛錬をしているだろうに、珍しい。

「何用だ?」
「……元の于禁殿ですな」

元の于禁殿とはなんだ。私はいつでも于禁殿だが。
しかしそこで、ふと思いついた。私は酒は人の前では飲まない主義だが、曹操殿に手に持っていた杯の酒を、お前のための酒だと言われた気がする。
……んー?

「で、では于禁殿! 私と一緒に酒を酌み交わしませんか!」
「酒は飲まん」
「そういわずに!」

何か思い出しそうになった時に、楽進が勢いよく話しかけてきて思考が逸れる。
酒は人の前では飲まない。当たり前だ。いつもは理性の力でどうにか衝動やらなんやらを抑え込んでいるというのに、酒を飲んだら全てが台無しではないか。

「じゃあ俺とはどうですか?」
「李典?」
「いい酒場知ってますよ」

李典からの提案に、少し口を噤む。別に、私とて酒が嫌いなわけではないのだ。
色々溜まるものもあるので、定期的にアルコールは摂取したい。それが旨いなら歓迎すべきことだ。だが、人前では残念ながら飲めない。どうなるか私でも分からないのだ。これで絡み酒とかだったら死ねる。

「ならば、酔わぬ程度ならいかがか。楽しく飲むのなら悪くないのでは」
「……む」

酔わない程度、か。だが私は酒に弱い。酔わない程度と思って飲んでも、もしかしたら酔っているかもしれない。だが、張遼や楽進、李典が誘ってくるなど、珍しいし、一度ぐらいは、とも思う。
だが、だがしかし。私の自重の精神は根強い。好みは曹操殿のためだけに! それ以外の娯楽など、酒の肴も同じ! いやまぁ魚もおいしければおいしいほどいいものだが!

「いや、遠慮しておこう」
「そ、そんなぁ」

楽進が残念そうな声を上げるが、しかしなぜこんなにも酒に誘ってくるのだろうか。
何か嫌な予感がして、三人に問おうと声を上げようとしたときに背後から聞きなれた足音がした。

「于禁」
「は……曹操殿」
「ふむ、やはりこちらもこちらで良いな」

名を呼ばれた時と共に振り返る。そこにはやはり、渋いお声の曹操殿がいらっしゃった。
今日も今日とてかっこよくあらせられます曹操殿! しかし、こちらもこちらで、というのはどういうことなのだろうか。私は一人しかいないはずなのだが。
思い当たる節があるようなないようなモヤモヤとした気分になりつつ、曹操殿の言葉を待つ。
曹操殿は愉快気に笑った後に、口を開いた。

「わしと酒を飲まんか?」
「さ、酒でございますか」

曹操殿からの言葉に思わず目を見開く。
まさか、曹操殿から共に酒を、という言葉がでるとは。胸が高鳴る、が、しかしそんなことになれば醜態をさらすのは目に見えている。曹操殿相手では否が応でも酒が進んでしまうだろうし、そうすると自分でも何を口走るか分からない。
どんな厳罰を受けることになろうとも……曹操殿に失望されるのは……せっかく樊城で勝利できたのに……。切り裂かれるような痛みを感じながら、それでも断ろうとすると、曹操殿が私の手を取った。

「わしはおぬしとの時間を欲している。嫌とは言わんな、于禁よ」
「っ! は、はい。つ、謹んで、お受けいたします」

驚いて、そして言葉が出ていた。
それほど、曹操殿の言葉が衝撃的だった。私との、時間。つまり、その、二人きりで飲もうということなのだろうか。いや、それよりも、顔が危ない。崩れる、しかも熱い。どうすればいいのだ、曹操殿に手を握られているから、背を向けることもできない。それに、握られている手も発火しそうに熱い。
了承の言葉以外何も言えずに、口を噤んでいれば、曹操殿の笑い声が聞こえた。

「やはり、おぬしは愛らしいな」

そういって手の甲に口づけた曹操殿に、理性で耐えていた顔面が崩壊した。



prev next
bkm