- ナノ -

02
現在一歳である私はどうやら生まれてからずっと現実逃避をし続けてきたために、この世界が前世で愛読していた漫画の世界だと気づくことが出来ていなかったようだ。
しかしヒーローや個性はいい。だが、私の名前が緑谷出久だということが問題だった。私の親の名前は緑谷インコという名前で見た目も漫画でみたまま、父親も優しそうな人で私の縮れ毛はこの人から遺伝したのだと分かった。他は完全にインコさん――母親似だ。
しかし、主人公の名が私の名なんて、まるでこれは――私が『彼』になったようではないか。
嫌な予感がする。具体的に言えば、私が出久になったことで本来の主人公がいなくなってしまっているという予感。
それは――非常に困る。だって『僕のヒーローアカデミア』の主人公がは緑谷出久だ。その主人公がいないとなると、物語は進まないし、進んだとしても漫画のような結果にならない、つまり悪がはびこる世界になる可能性がある。
平和の象徴が倒れ、悪が世界を覆う。そんなバカみたいな話が現実になる可能性があるのだ。
それは――不味い。非常にまずい。折角平和な世界で落ち着いているのに、そうなってもらっては困る。
けれど、私に双子の弟などいないし、次いで弟が生まれてきそうな予感もない。出久という人物は私一人であるし、そうなると認めたくはないが、とても認めたくはないが、私があの物語の主人公という事になる。

………………いや、無理だ。
無理だ。絶対に無理だ。あんな危険なことはできない。馬鹿みたいに努力して、阿保みたいに怪我をして、糞みたいな命の危険を経験して、嘘みたいに狙われて。
そんなこと、そんな勇気のある事私にできるわけがない。
だって私は一度死んでいるのだ。あの感覚は忘れられない、そして全て無くなった後の消失感は絶対に忘れられない。いや、忘れてなるものか。あんな恐ろしい経験を、二度とするものか。親しい人が全てなくなる恐ろしさ、大切な人にもう二度と会えない悔しさ、人の命がなんだ、未来ある子供がなんだ。
もう、私は、あんな馬鹿なことはしない。あんな馬鹿なことをする代表のヒーローなんかに憧れるものか。
私にはできない。あんな立派なことは、もう絶対に、できないし、しない。

「まーまー」
「どうしたの出久? また絵本かしら」

私がこの世界を現実として見れるようになって自分が主人公の立場になったと気づいたのが一歳を過ぎたころ。
それから私はこの世界の情報を集めるようにした。このまま原作通りに進むのならば私は個性無しの『無個性』だ。そのハンディキャップは激しい。個性が重視されるこの世界は酷く歪でそして強固だ。強い個性があるものが上に立ち、弱い個性の者は下につく。世界の格差と同じだ、貧乏な国が低い労働賃金で働かせられるのと同じ。法律があるだろうが、それでも『無個性』の肩書は酷く重いだろう。
それゆえ原作でも主人公は酷く苦しんでいた。と言っても、ヒーローの存在があるせいか集団虐めで自殺に追い込まれるほどというわけではなかったようだが。いや、爆豪少年あたりの強さは酷かったか。
しかしある意味環境や状況が一歩違えば自殺だってあり得る――それほどのハンディキャップだと思う。
例えば性同一障害のように、例えば腕や足が使えない障がい者のように。『個性』がないというのは、当たり前のことが出来ないと称されているのと同じなのだと思う。そして例に出した二つのように受け入れられようとはしているけれどどこかで差別の残る、誰かは必ず気にする事柄の一つなのだろう。

だからこそ、私は知識を欲していた。力がないなら、力に頼られなければいい。私は原作通りヒーローになるつもりはないからNO.1ヒーローのオールマイトからワン・フォー・オールを受け継ぐことはない。つまり生涯無個性のままというわけだ。それに悲観することはない。二割の人間は皆無個性なのだし、昔は無個性が当たり前だったのだ。無個性であるということで差別されることはあるだろうが、多少の個性と比べたらあるなしはあまり関係がない。
それに一般的な事務仕事なら無個性でも個性ありでも関係がない。個性のある人間と比べて顕色ない結果を出せばいい。
それに、個性が何かに特化しすぎていてそれゆえに一つの職業に縛られてしまう人もいるだろう。それと同じだ。それに少し違った見方をすれば無個性ゆえに閉ざされた道もあろうが、無個性ゆえに進める道もあるというわけだ。

「そしてオールマイトは――」

私を寝かせたベビーベッドに向かってヒーローが出てくる絵本を読んでくれている母に思う。
無個性だとしても、本人が気にしていなければ関係がないのだ。
だから、私が無個性であることを悲しまないでね。お母さん。


にしても、絵本にまで侵食してるのか、ヒーローは。

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bkm