- ナノ -

17,「……また後にしてくれ」
……夢じゃなかった。

そう言われて、安心したような絶望したような、不思議な気分だった。
ここは夢じゃないらしい。
そんなの怖い。今までずっと夢だと思ってきた。今だって半分ぐらいはそうなんじゃないかと思っている。
本当はひと眠りしているだけで、ここで首を掻き切れば直ぐにでも元に世界に戻れるんじゃないかって。
だってここはゲームの世界だった。三國無双という、俺の大好きなゲームの世界。画面の向こう側。コントローラーで操作する、仮想の世界。
けど、この世界はもうその世界とは別のものになってしまった。俺が好き勝手暴れたから。死ぬ奴が死なないで、天下は魏に早々に統一されてしまった。何もかも史実とは、演義とは異なる。

俺、ちゃんとここでやってけるのかなぁ。
今までは、本当に夢だと信じていて。でも、もうそうだとは思えない。
きっと俺がここで首を掻き切ったら、あいつらが悲しんでくれるんだと理解できる。
曹操だって、夏候惇だって。夏侯淵なんて、俺がずっと病気になっていたと思って、ずっと心配してくれていた。ずっと俺の目を覚まそうとしてくれていた。
皆心配してくれていて、俺が真面目モードから元に戻ったら歓迎してくれた。

ああ、俺、きっと今、幸せなんだ。
ゲームで勝って嬉しい! みたいな、そんな簡単な幸せじゃなくて、もっと深いところで感じるべき幸せ。
戦って、武器を振り回して、人を殺していた時とは確かに違う。
あの時は、夢だってのに頭がぐるぐるして、時々記憶がぶっとんで、今でも思い出せない部分が多い。
だから誰を助けたとか、誰が生きているとか、全然分からなかった。
夢を生きているのか、現実で夢見ているのか。本当にふわふわしていて、宙に浮いているみたいだった。そりゃあ皆も心配するか。

でも、今は平和だ。
これからどうなるかは分からない。けど、今なら現代っ子な俺でも適応できるぐらい、平和な世の中になってる。
誰が死ぬとか、誰が怪我をするとか、そうやって心配する必要もない。
夢なのに苦しむからと、真面目に人殺しをする必要だってない。

この平和がいつまで続くか分からない。だからこそ、俺も生きよう。この世界で。夢かもしれない、けど、現実かもしれないこの世界で!

――というわけで。


「書簡を持ってきたぞ。何処の置けばいい」
「お……っと、生江将軍じゃないですか。……お体の調子はどうなんですか?」
「ああ。変わりはない。それで、書簡は何処に」
「いやぁ、郭嘉殿が心配していましたよ。子供がまた鬼に戻ってしまったと」
「そうか。それで書簡は」
「……あんた」

とりあえず書簡を置きたいんだけども。頑張って俺仕事したからさ。
ほら、曹操とか平和になってから遠乗りとか遊んでばっかりやん? だから俺ぐらいはしっかり仕事しないとさ。
まだ仕事残ってるからとりあえず書簡をだな。

書簡を持ったまま、関係のない話題を出してくる賈クにもしかして嫌われてるんじゃないかとびびりつつも、じっと見つめてみる。以前から賈クは俺と出会うとこうやって俺の事を煙に巻こうとして話題を振ってきていたりしたものである。
例えば、死が怖くないのかとか、死ねば人はどうなると思うとか、そういう哲学的な事を聞いてきて、困った覚えがある。俺にとって死とは眠りから覚めることだったから、答えようがなかったのだ。
あの時はどう答えたんだったかなぁ。確か――

交わった視線が、急に狭まる。簡単に言えば、賈クが思ったよりも近づいてきていて、少し驚いた。

「あんた、まだ“死ねば覚めるだけだ”なんて思ってるのか」
「……」

ああそうだ。確かそう言った覚えがある。
だって本当にそう思ってたんだもんなぁ。
そうだなぁ、今は。

「……死ねば、皆が悲しむのだろうな」

うん。そう思った。
俺のいなくなった世界で、彼らは悲しんでくれる。たぶん。
こんな変な奴だけど、それでも心配だってしてくれたから、きっと悲しんでくれる。
それを言えば、賈クの顔がまるで苦い物でも食べたみたいに歪む。どうしたのかと声を掛けようとして、後ろから声を掛けられた。聞き覚えのある声に後ろを振り向く。

「やぁ、奇遇だね生江」
「郭嘉。丁度いい、書簡だ。受け取ってくれ」
「ああ。勿論」

今ではすっかり病の影も消えた郭嘉に書簡を託す。
まだ部屋には仕事が残っている。文官や軍師たちが集まるここにいつまでも居ても邪魔なだけだろう。
踵を返し、部屋を出ようとすると郭嘉がこちらへウインクを飛ばした。

「この後、抜け出して女性を愛でに行かないかい?」
「すまないが、まだ仕事が残っている」

郭嘉すげぇ。すぐ目の前に賈クいるのに。
郭嘉は眉をハの字にした後に上目遣いで言った。

「そんな。私は生江ともゆっくりと話がしたいのに」

……。

「……また後にしてくれ」

俺は逃げるようにその場を後にした。

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