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惚れ薬は存在するか否か(BBB・スティーブン・非戦闘員女主)
この世の中には惚れ薬というものがあるらしい。
というかまぁ、ヘルサレムズ・ロットで無い物がある、というほうが信じられないところだが、一般的にはそんなものできないだろう。というものの代表的な薬である惚れ薬も存在しているらしかった。
どうしてそんなことを知っているか、というと。それは別に私がライブラという秘密結社に所属している。という貴重な体験が関係しているわけではない。ある意味で関係があるかもしれないが、些細な点だ。
なら、重要な点は何かと聞かれれば。


「お願いだ。嘘でいいから愛していると言ってくれ」
「スティーブンさん、あの、そんなことより手の縄がめり込んでて痛いんですけど……」

自分が体験しているからだよボケがぁ。
私は本部勤めのライブラ組員ではないから、今日は珍しく集めた情報を伝えにライブラの事務所へと足を運んだのだ。
扉を開けて、広間にいたのはライブラという組織を取り仕切るリーダーであるクラウスさん――の右腕であるスティーブンさん一人だった。彼とは時折情報交換をしたり、仕事の話をするが、その程度の接点しかなかった。
そんな彼ひとりしかその場にはいなかったが、私としては好都合だった。彼に情報が入ったSDカードを手渡してそのまま帰れるだろう、と。少し気がかりだったのは、彼はふと思い浮かんだ仕事を丁度いいからと頼むことがあったので、それだけなければいいな、と思っていたぐらいだった。

『お久しぶりです。スティーブンさん。さっそくなんですが、これ――』
『生江……』
『え? はい。そうですよ――って、え?』

もってきていたバックの中身を探っていれば名前を呼ばれて、何かとスティーブンさんの方を見た。
先ほどまで遠くにいた彼は、瞬間移動でもしたのかと思えるほど気配なく、突然に距離を詰めていた。
あと一歩足を進めればぶつかる位の至近距離に目を瞬かせて、そして見上げた彼の姿に呆気にとられて、声が出た。
彼は、マグカップを持っていた。それは入ってきたときにもう見ていたから知っていた。よくある白いマグカップで、男性用の、量が多く入るような少し大きめのものだった。
それをなぜか彼は上に掲げていた。背の高いスティーブンさんが手を挙げると、見上げなくてはならないぐらいになる。いやぁ、足も長いですけど、腕も長いですね。なんて呑気には口にさせなかった。
その顔が問題だった。無表情というか、能面というのだろうか。表情が抜け落ちたようなその顔と、私を見下げる濁り切った瞳に寒気がして、本能的に逃げなければ、と思った。
そうして、そう思ったのと同時に、そのマグカップを持った手が振り下ろされた。



意識が戻った時は、ああ、やってしまったなーと思っていた。
きっと彼は、ライブラの副官の姿を模倣した、異界生物だったのだ。それで、ライブラの情報を引き出すため、やってきた者の警戒心をそぐためにそんな姿になり、やってきた獲物である私を気絶させた。
ああ、やってしまった。ライブラに入ってから、自分も命を狙われる立場の人間になったのだと(もともとこの街では狙われてなくとも命は消えていくが)考えて警戒を心掛けていたつもりだったのに。
しかし、これからどうなるのだろうか。はっきりしない思考の中でも自分が何かに座らせられて両手両足を封じられているというのはわかった。これから拷問ルートですかねあはははは、なんて現実逃避をしながらも、絶対に口を割らないぞと決心しながら目を開けたのだ。

「ああ、よかった。目を覚ました。これで目覚めなかったらどうしようかと思ってたんだ。あと一時間目覚めなかったら君に毒を飲ませて俺も同じ毒を飲んで死ぬつもりだったんだ。目覚めてよかった」
「…………」

そこにはちょっといかれた笑みを浮かべながら据わった目でこちらを見つめて、そんないかれた言葉を吐き出すスティーブンさん(ワイシャツバージョン)がいた。
えっと、ちょっとつまりどういうことですかね。



そうして現状に至る。
どうやらこのスティーブンさん、惚れ薬のようなものを飲んだようで。
いかれた表情でいかれたことを言うスティーブンさんを(「君が死ねば俺も死ぬ」「大丈夫です死にません」)宥めつつ(「俺のこと嫌い? ねぇ、嫌い?」「嫌いじゃないです大丈夫です」)宥めつつ(「殴って連れてきてごめんね。痛い? 俺を殴っていいよ」「痛くないです大丈夫です殴りません」)宥めつつ(「一緒に死のうよ」「(ぎゃああああ!)大丈夫です死にません」)宥めつつ……頑張って聞き出した。

「つまり、スティーブンさんは誤って飲んでしまった薬で今の状態になってしまった、と」
「うん。ねぇ、愛してるって言ってくれよ」

座っている私に縋り付いてそんなことを言うスティーブンさんの顔はやっぱりいっちゃっている。
ああ、色男が台無し――とはならず、むしろ変に顔が赤くなっているからフェロモンがダダ漏れだ。女の私にないものが全身から出ている。いつものスーツ姿ではなく、ワイシャツ一枚にネクタイもなく、第二ボタンまで胸元が開かれているので、AV俳優も顔負けな感じになってしまっている。
いやぁそんなスティーブンさんに愛してるなんて言われるなんて役得――なわけがない。
返答を間違えればこの機嫌のよさそうな顔が一変して能面になるのだ。怖すぎる。そしてもう一度聞かれるのだ。「そうなのか?」と、もう怖い以外の何物でもない。コロサレル。

タイミング的にスティーブンさんが持っていたマグカップにその薬が混入していたのではないかと思う。丁度私がライブラへ訪れたときに彼が飲んでいたものだ。何者かが混入させたか、間違って入ってしまったか。どちらにせよ、よい事態ではないことに変わりはない。
バッグの中に入っていた小型パソコンも当たり前のように手元にないし、そもそも体を十分に動かすことができないのだからどうしようもない。
助けが来るまで待つという選択肢が一番現実的だが、そうこうしている間にスティーブンさんに――

「なぁ、何考えてるんだ」
「スティーブンさんのことを考えてました」
「本当かい? 嬉しいなぁ」

殺される、殺される……。敵に立ち向かって殺されるのならばまだいい。そもそも戦闘員ではないのだからそんなことは無いという話はおいておく。しかし、仲間に殺されるのは、本当に勘弁してほしい。しかもこの場合、痴情の縺れというか、なんというか、すごくどうしようもない理由だ。それにスティーブンさんも巻き添えで(心中するって言ってるし)死んでしまったらもう天国へも行けない。
内心泣きべそをかきながら、どうにか怖がったりせずに会話をする。怖がった表情を見せたら、どんな反応が返ってくるか……これでドSだったら目も当てられない。

「こんなことしてごめんね。でも愛してるんだ、しょうがないんだ」

しょうがないってどういう意味でしたっけねぇ。
しかしそこについて反論する気力も勇気もないので聞き流しながら、スティーブンさんに尋ねる。
ただ待っているより、行動しなければ。スティーブンさんが時限爆弾式で、次の日になったら「時間が俺と君を分かつ……しょうがない。死のう」とかなりそう。いや、ならないと思うけど、なりそうなぐらいスティーブンさんの目はいっている。

「私のことは、薬で愛してると言っているだけですよね? なら、心中する必要も、私からスティーブンさんに愛してるっていう必要もないと思うんですよ。それに、さっさと薬を抜いてもらった方がお互いのためになりますよ」
「いやだ」

すげなく断られましたね。
スティーブンさんは私の太ももに顔をこすりつけながら、拘束された腕をなでる。
うおおおお今日スカートじゃなくてズボンでよかったああああ!
そんなことを思っている中で、彼は私を見上げながら続けた。

「なんでこの気持ちを口にしちゃあいけないんだい。どうして君を離さなきゃいけないんだい。どうしてだ、俺は生江が好きだ、愛してる。嘘じゃない、嘘じゃないんだ」

いや、嘘じゃないって、薬の効能で好きになってるんだから、ある意味嘘じゃないですか。
なんて言わない。スティーブンさんの私の手を掴む力が尋常じゃない。恐怖で口が動かないなんてそんなわけないじゃないですかーあはは。
しかし、ここで好きにさせてしまっても現状は変わらない。

「愛してるって言ってくれ、ずっと傍にいてくれ。お願いだ」
「そうですか。でも、薬の効果が切れて私のことを好きじゃなくなったとして、私がずっと傍にいたら邪魔じゃないですか?」

結局は薬による一過性のものだ。それをきちんと意識してさえくれれば正常な理性を働かせることも出来るだろう。彼は理性的な人間のはずだ。それが薬によって感情に振り回されているだけだ。

「大丈夫だよ。それでもずっと一緒にいる」
「……ほ、他にスティーブンさんに好きな人ができたら」
「その人を愛しながら君と一緒にいる」

おいいいいいい! それ駄目でしょう! 普通に人間として駄目でしょう!
惚れ薬やばすぎる。あのスティーブンさんをここまでハチャメチャにしてしまうとは。
スティーブンさんは床に座り込んで、私の足や腕、顔をぺたぺたと触っている。それが嬉しいのか、おもちゃを与えられた子供のような顔をしている。まぁ目は据わっているけれど。
色気たっぷりだが、何処か幼さを残した様子にこの人が人を愛するとこうなるのか、とふと思う。いつもはあんなに冷静沈着な人なのに、愛や恋でここまで我を失ってしまうとは。やはり愛や恋は恐ろしいもののようだ。

「嘘でもいいんだ、嘘でも……」

繰り返す言葉はナイーブで、本当に似合わない。
自信満々ってわけではないけど、余裕綽々な印象なのに。意外と気を張り詰めているのかもしれない。ライブラなんて組織の参謀だもんなぁ。そりゃあ気も張るって話か。

「……嘘でもいいんですか?」

すぐに助けが来る。きっと来る。そう信じて、少しだけ口車に乗ろう。
同情とか、憐れみとか、かけられるだけ迷惑だろう。でも、ここまで言われちゃあ心も揺らぐ。
彼は色男で優男なのだ。かっこいいぐらい思うし、間違いでも愛を囁かれたら嬉しい。それにライブラが活動できているのは彼のおかげであるし、こういう時位いい思いをした方がいい。まぁ、今この時だけでも喜んでもらえれば。
スティーブンさんはこちらを見上げた。どこか呆けた顔をして、こくこくと首を上下に動かす。大丈夫かなこの人。

「じゃあ、目、閉じてください」

そういえば、人を拘束した人と同一人物だと思えないほど素直に従う。
なんというか、この調子で私の拘束もとって外に出させてらえないだろうか。
内心溜息をつきつつ、私は首を動かした。

「……」
「私の精一杯です」

口には出さない。それは本当に嘘だから。嘘は、本当に人を傷つけるから。
でも、行為ならばちょっとは許されるだろう。誤魔化しも効く。だから、体の自由がきく上半身を動かして、目を閉じるスティーブンさんの傷跡部分に唇を押し当てた。しかし、言ってしまえばこれもすべて嘘だ。でも、貴方を尊敬してて、これぐらいしてもいいとは確かに思ってるから、まぁ、ぎりぎりセーフなんじゃないかな?
そう思って自分に言い訳をしていれば、瞼を開いたスティーブンさんの瞳がなんだかキラキラ光ってきた。なぜだろうかと見つめていたら、そのキラキラは涙の膜で、それは水面張力で納まりきらず、そのまま頬へ零れ落ちた。

……泣いた。

「え゛」

なんで泣くんですか。え、そ、そんな悪いことしましたか私。アウトだったんですか、アウトだったんですか!
私が一人で慌てていれば、スティーブンさんが泣き止まぬまま、私の手を握った。

「生江」
「な、なんですか。泣き止んでください」
「やっぱり、一緒に死のう」

あああああああああああ!! やっぱり地雷だったああああ!!
変な同情心を出すんじゃなかった! この物語はバットエンドですねわかります!!

「スティーブンさん待ってください命を大切にしましょう私まだ死にたくないしスティーブンさんも死んじゃダメですから!!」
「いいんだ。君と一緒なら死んでもいい」

だぁから私が嫌なんだって!!
スティーブンさんは私の言い分を都合のいいところだけ聞いて返答し、そのまま立ち上がった。
そうしてこの部屋の唯一ある鉄製の扉へと近づいていく。
この部屋はコンクリート固めで、私が座っている椅子と部屋を照らす電灯しかない。そんな中で一人おいて行かれるのか。

「ど、どこ行くんですか」
「薬、持ってくるね。大丈夫、調整して、甘い味にするから」

味の問題じゃないんです!! 嫌だこれ本当にやばいやつだ。どうしよう、ほ、本当に、殺されるかもしれない。

「スティーブンさん、待って!」
「大丈夫だよ、生江」

扉を開けるスティーブンさんに、叫び声を上げる。彼は、こちらを笑顔で振り返るが、やはりその目は据わっていた。
そして、その笑顔の後ろ側――扉を開けた隙間から、漆黒の服を着る幽霊のような何かが見えた。
――私、幻覚まで見えるようになったか。

ゴンッと鈍い音が響いた。
驚いて、口を開いてその光景を見ていた。スティーブンさんが、扉の隙間から現れた黒服の鈍器によって頭を殴りつけられ、その場に倒れ伏していく。
そのまま体を床に打ち付けたスティーブンさんに目を瞠った。

「す、スティーブンさんッ!!!」

倒れ伏してピクリとも動かないスティーブンさんに声を荒げた。
やられた、スティーブンさんが。嘘でしょ。こんなバカらしい事態でライブラの参謀を失うなんて。
扉を開けて、音もなく入ってきた黒服の人間は、スティーブンさんに手を伸ばす。
必死で拘束を抜け出そうと体を動かした。スティーブンさんに触るなこの野郎、今すぐぶっとばして……は無理だから、早く助けを呼ばないと……!
どうやっても抜け出せなくて、スティーブンさんの無駄な技術の高さが憎々しくなる。どうにもならなくて、力いっぱい体を揺らしたら、椅子がぐらりと揺れて、そのまま椅子ごと倒れこんだ。
横っ面を床にぶつけて、痛みに涙目になる。ああ、もう、最悪だ。

瞑っていた目を薄く開ければ、そこには黒い足があった。
息を飲む。ああ、最悪だ。本当に最悪だ。
どうして私はあの場にいたんだろう。惚れ薬で見る相手が違う人だったら、強い人だったら、スティーブンさんの強行をいなして正気に戻せたのに、こんなことにならずに、スティーブンさんをこんな目に合わせずに済んだのに。

「……くそっ」

もう駄目だ。いや違う、スティーブンさんを助けなければ。あの人は必要な人だ。ある意味で私のせいでこんな状況になったんだ。助けなくちゃ、どうにかしなくては。
黒服の手がこちらへ伸びてくる。それだけで心が折れそうだった。

「大丈夫ですか」
「……」
「怪我はありませんか? あの人からは何かされては?」
「……えっと」

……なんでこの人はこんなに身を気遣ってくれるんだろう。
伸ばした手は、私の椅子をつかみ、そのまま立ち上がらせてくれた。倒れたせいで体の節々とぶつけた横っ面が痛い。
スティーブンさんの方を見てみると、壁に寄り掛かるように座らされていた。意識は戻っていないみたいだった。

「……あの人って」
「スティーブン・A・スターフェイズです。強力な自白剤を任務の中で摂取してしまい、普段と変わりはなかったのですが安全のためにライブラ本部で待機とのことだったのです。しかし、どうやら貴女を見て理性が振り切れてしまったようですね」
「……じはくざい?」
「はい。とりあえず、拘束を解きます」






聞けば、あの人たちはスティーブンさんの私設部隊だそうで。
極秘でお願いしますとのことを言われたが、どうにも口に出したら身が危なそうなので誰にも言わないことは約束させていただいた。
スティーブンさんは自宅謹慎だそうだ。今回のことは私設部隊の人たちで処理するようだった。
いやぁ、怪しすぎて敵かと思ったら、実は助けだったなんて驚いたなぁ。見た目は怪しかったけど、結局簡単な治療もしてもらって、頭のたん瘤用に氷袋までもらってしまった。
……にしても。

「……自白剤」

……まぁ、疲れたし。顔に痣出来ちゃったし、家に帰って寝よう。
いろいろ考えたりなんだりするのは、後でいい。

――ああ、でも。

「さすがのヘルサレムズ・ロットでも、惚れ薬はないみたいね」

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