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メアリー成り代わり(Id)
ゲルテナの展示会が行われるらしい。
ゲルテナとは6000年代を生きた芸術家で、既になくなってはいるものの、その技術や才能は死後評価され、一般には知れ渡っていないもののマニアに強い人気を誇る芸術家のことである。
その絵は抽象的なものが多く、人の感性に訴えかけるものだ。しかしあまり光りは当てられないが、ユーモア溢れる肖像や彫刻。数少ない人物を忠実に描いたものも存在する。
どれもこれもセンス・配置・設計に鋭才さが溢れ、彼の技能の高さや能力が窺えるものである。

そのゲルテナの展示会が、とあるヨーロッパの小さな美術館で行われる。
小さなと言っても二階建てであり、ゲルテナの代表的な作品を飾るだけのスペースはあるが、ゲルテナが生涯手がけた作品は大量だ。それの全ては入りきらず、人目に触れられずに地下へ収納されることになっていた。
ゲルテナ展というものがこのような小さな美術館で行われるのは希である。メジャーな芸術家でなくとも人気のある彼の作品は巨大な会場を借りて全部を開示するように出展するのが今までの出展方法だった。
では何故今回に限ってこうした展示会を行うかと言えば、一般にマイナーなゲルテナの作品を広めるための実験の一種であった。
熱狂的なファンの多いゲルテナだが、そのほかの美術に触れる機会の少ない美術にあまり関心のない人にも触れてもらおうと、今回の展示会は開催されたのだ。
良い作品があっても埋もれてしまう芸術家は多い。ゲルテナは死後評価されたものの、今の現状から言えばその評価さえも過小であると判断せざる得ないというファンの意志が強かった。
そのため、ゲルテナ作品の協力団体や一部の力のある芸術家の提案で今回の出展に至ったのだった。

――さて、ここまででゲルテナ、及びゲルテナ作品のことはなんとなく分かっていただけたと思う。
長々と説明をさせていただき、そんなに興味があるのかと私に対して思われただろうが、それなら今回の作品展にも足を運ぶかというと私は観覧には行かない。

実を言えば、ゲルテナという作品のファンであるわけでもない。ゲルテナの作品自体はとても好きだが、芸術面で見て尊敬できる・技能技術があると感服しているわけではないのだ。
いや、あるとは思うが、展覧会に行くほどではない。

なら、どうしてゲルテナの知識があるかといえば、生前の彼をよく知っているから、と答えるしかない。
生前の彼は最後まで作品を描き続けた。評価はされなかったが、子供も孫も授かり幸せそうだった。
しかしその作品意欲は最後まで衰えず、死の間際まで作品を作り続けた。

そろそろ、私のゲルテナ知識の理由をお教えしよう。

「私は飾られないのね。寂しいわー」
「そうねぇ。しょうがないんじゃない? だって表にもまだ出されていない作品でしょ?」
「そうだけどー、そろそろいいんじゃないかと思うんだよね」
「こんなに有名になったしね。私も前回のおっきな展覧会では飾られたし」
「色んな服の女がいっぱい飾られてても迫力あるだけだよ。だったら“メアリー”飾ろうよ“メアリー”」
「自分の作品を自分で勧めるとか、おもしろいわね」

今回連れてこられた美術館の地下の床に座り込みながら『紫の服の女』と話をする。
彼女はキャンパスに描かれた上半身しか額縁の外に出すことが出来ないので、窓から顔でも出すように額縁から上半身を出して腕を組みながらの体制を保っている。
そんな彼女を見ると、額縁を倒してしまいたい欲求を覚えるが、そんなことをした日には数日間拗ねて話をしてくれなくなるのでやめている。実は以前にやったことがあり無視され続け泣きそうになった。

彼女は私の言葉に笑っているが、こちらは笑いたくても笑えない。
私の名前は『メアリー』。ここまでくればお分かりだと思うが、ゲルテナの作品、それも生涯最後まで描き続けた未完成品とも言える絵画の一つである。
目の前の紫色の服を着た長い茶色髪の妖艶ともいえる美しさを誇る彼女は、ゲルテナの財産目当てに言い寄ってきた女性たちを描いたという作品の中の一つである。紫色の服というのはゲルテナの女を描いた作品の中でも珍しく、他に比べれば重宝されていたりするのは余談だ。

メアリーというのは私の名前だ。
自分で作っていいというのなら他に名前があるにはあるが、この世界で与えられた唯一の名前は作品名であるメアリーである。
金髪のふわふわの髪に、宝石のようなほの暗い青い瞳。白人系の白い肌に、深緑色のワンピースに青色のスカーフ。革靴を履いて白い靴下を履いた幼い姿の少女――それが今の私だ。
正直鏡を見るたびに誰だこの美少女は? となるのだが、自惚れではない。ゲルテナは理想の幼女でも描きたかったのか、無邪気で溌剌、美しく可愛らしい美少女をキャンパスの中に描いたのだ。
しかし、残念なことに精神はそんな美少女に似合うようなものが入り込まなかったらしく、結果私という状態なのだが。
ゲルテナに描かれた私だが、それでも彼の思考は理解できなかった。ただ、一心不乱に描く彼の姿を見つめていただけであり、彼は作品に魂を込めるだけで話しかけたりはさすがにしなかったからだ。
そんな私は、どうやらお蔵のお宝的な立ち居地らしく、何故か作品展が開催されたとしても出展されない。
それどころか、世間にはわたし自身公開されていないらしく、他の作品に話を聞いても熱狂的なファンからもその名前は出ていないらしい。
そうして、それは今回の小さな展覧会でも同じようだった。

そういえば、とんとん拍子に話を進めてしまったが、一番大事なところを忘れていた。
どうして作品であるはずのお前が動いて話している?――それである。

ゲルテナ氏は生前、物に魂が宿る。ということを信じている人だった。まぁジンクスのようなものだ。
ならば、と。自分の作品にも魂を込めれば、同じく魂が宿ると考えていたのだ。
だからこそ、彼は自分の作品に直球で全力だった。
そうして、その願いは彼の見えないところで果たされることとなった。
絵画や像などの美術作品は、いくら素晴らしいものであっても、所詮は作品、『物』だ。
それは永久に変わらない事実であって、変えられない現実である。

そう、現実では。
なら、仮想の世界ではどうだろうか?
彼の作った作品には、確かに魂が宿っていた。しかしそれは現実世界に侵食できるようなものではなかった。
だが、ちょっと手を出して何かを“引きずり込んだり”するには、十分足りていたのだ。
結果、彼の作品たちは自分たちで自分たちだけの世界を作り上げた。
仮想の世界として、現実にはない自分たちだけの世界として、奇妙で楽しい自分たちだけの世界・空間。
そうしてそこへ、現実の人間を放り込むようになった。
何せ外にちょっかいを出せるぐらいの能力はあったのだ。
彼らは楽しいことが好きだ。なんにでも興味を示して、遊ぼうとする。
そして、ここの女性たちは総じて強欲だ。なんでも欲しがろうとする。
それはゲルテナ氏が生前にそういう人や感情を込めてキャンパスに女性たちを描いたからだろうとは思うのだが、いかんせん、それが強すぎる。
外から人を引きずりこんで、楽しんで外に返すのならいい。
しかし、彼らは強欲すぎた。楽しさに相手への配慮を怠り、遊びにかまけ相手の命の消耗に気付かない。
それで欲しがりだから、なんでも剥ぎ取って、いつの間にか相手が命を落としていることなどざらだ。
さすがにそんなことが続けば、ゲルテナの作品に曰くがつきかねないので気付いた範囲では外に出す協力をしているが、何せ作品たちが多いので手が回らないことも少なからずある。
それでも外で騒がれていないのならば、まぁ、うん。こちらの工作で気付かれていないのだろうが。

結局、一度仮想の世界へ入り込んでしまったら、その人も仮想になる。
だから、ある意味で完全犯罪が成立するのだが――そこは昔の良心を奮い立たせるわけだ。

「そうそう。みんなが気に入った人、招きいれたみたいよ」
「招きいれた? 攫って来たの間違いじゃないの?」
「まぁそうだけど。色んな作品を真剣に見てたらしくて、たぶん美術関係の人だと思うんだけど、その姿勢をみんな――特に女の子たちが気に入っちゃったみたいで、引きずり込んで好き勝手やってるわ」
「そうなるわよねー……情報提供ありがとね」
「いいえ。あ、それからあと一人お客様がいるみたいよ」
「もう一人? ……難しいわね。一日でも時間が過ぎればこっちの世界に取り込まれちゃうのに」
「ふふ。でもあなたにとっては喜ばしいことよ」
「……どういうこと?」
「難しい顔しないで。貴方が気になっていた、赤い目の女の子が招き入れられたのよ」

頭の中で一人の幼女が連想される。
赤い目――それは確か、今回の展覧会にやってきていた可愛らしい女の子のことではなかったか。
こげ茶色の髪に、ルビーのような赤い瞳。上等な服を着ていて、白のブラウスに赤のスカーフ、赤いスカートに赤い靴。黒い靴下を履いて、一人空間から浮いたようだった女の子。
確かに可愛いな。と思って、――それと、少しの羨ましさもあって他の作品たちを経由して目に留めていたが、どうしてこんなところで彼女が出てくるのだろうか。

紫の服の女が、ちゃめっけたっぷりにウインクをして、私に言った。

「貴方が興味がありそうだからって、他の作品たちが招き入れたのよ」
「ですよねー!」

ぶっちゃけ気付いていたが、悟りたくなかったが分かっていた。
私は一応、作品の中での最年少なわけであるが、足も思考回路も正常なわけなので結構他の作品たちと交流がある。
基本ここの作品たちは仲間同士で仲はいいが、それでも作品が大量にあって知らない作品同士などもある。
だが、私は好きに歩き回れドアも開けられるし、言語も話せて意思疎通が出来るので、いつの間にか全ての作品たちと仲良くなって、彼らも私に目をかけてくれるようになったのだ。
まぁ数百年あればそうもなるが。

そうしてそんな仲間想いの作品たちが、親切心で私が興味を持っていた人物をこの世界に招き入れたというのだ。
なんというか、すごく、ありがた迷惑です……。
作品たちには後で注意するとして、そんな私の心境を察している目の前の彼女は、労わるような目付きをして、何も言わずに私の手をそっと握った。
彼女は強欲な女たちの作品の中でも、欲が少なく見っとも無い有様をあまり見せない良識的な女性だ。
他のみんながアレだというわけではないが、落ち着いて話をするにはうってつけの相手。そして、私の気持ちもしっかり分かってくれる人だ。
彼女のその静かな気遣いに、胸がきゅっと締め付けられる。
なんだかんだといって、私は結構この仮想の世界で引きずり込まれた人が帰れるように色々と奔走している。それは結構疲れることで、めんどくさくなったり、嫌になったりすることだってあるのだ。
私は気遣ってくれる彼女に、多大なる嬉しさを感じると共に、彼女のような作品がいることに感謝した。

「ありがとう! 私、頑張る!」
「うんうん。頑張ってね」

ガバッと上半身だけの彼女に抱きつく。
抱きつくといっても下半身の足りない彼女に抱きつくと、首に手を回して抱きしめる形になるのだが、彼女はそんな私を慰めるような背に手を回してポンポン、と背を叩いてくれた。

そんな感動のシーンのときだった。
客人が自ら現れたのは。


「きゃ、きゃぁぁぁあああ!」
「「!?」」

悲鳴と共に、身体がぐわぁ!と持ち上がる。
両脇に手を入れられ、逆高い高いのように持ち上げられた私は、驚きと完全に油断していたこともあって女の身体を離してしまった。
驚きに目を白黒していると、女が驚愕したようにこちらを見ているのが視界に入った。
何かいわなくては、と口を開こうとすると、急激な衝撃で舌を噛んだ。
視界に映る背景がぐるりと変わり、180度回転する。
訳が分からずされるがままになっていれば、そのままひょい、と抱きかかえられる。
かなり強引だったが、力が強く混乱していることも相まって抵抗が出来なかった。
そのまま駆けるようにこの部屋の奥にある扉まで距離が迫っていく。
だんだんと身体に衝撃が走り、かなり居心地が悪かった。一生懸命這って、誰かの肩から向こうの場所を見れば、先ほどまで話を聞いてくれていた彼女がこちらをポカンと見ていた。
私も何をどうすればいいか分からず、ただ見つめあう。
ガチャリと背後で扉が開く音がして、ようやく彼女が動いた。手を突き出し、拳を作り親指を突き出した。なんというサムズアップ。
一瞬真っ白な空間が脳内を通り過ぎ、同じように、固まっていた手を突き出して、サムズアップを返した。



主を拉致ったのはギャリーさんで、ギャリーさんは女の子が絵画に襲われていると思いなけなしの勇気を振り絞って助けたわけでした。

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bkm