- ナノ -

04

ホークスからの電話に出た瞬間、鼓膜が破裂するかと思い怒りにまかせて電話を切った。
数秒後また電話がかかってきて、今度はスピーカーで応答した。

『エンデヴァーさん!!』
「うるさい」
『いや、そうじゃないでしょう! 生江君から聞きました、アパートに来たって……!』
「ああ。なんだ扉の件なら来月あたりに事務所の経費として振り込まれているぞ」
『な、そういう問題じゃなくて――どうして、何も言わなかったんですか』
「どういうことだ」
『どういうことだ、って――あ、貴方に関係のある子供が俺のアパートにいたんですよ。なんで何も聞かないんですか、それどころか彼をそのままにして帰ったって』
「あいつも外に出るつもりはなさそうだったしな。お前とあいつの問題だろう。お前が納得しているのなら俺は何も言わん」
『何も、って……』

電話越しに絶句している様子のホークスを想像しつつ、机においた電話を眺める。時刻は深夜、チームアップのために取ったホテルでホークスの叫びを聞いていた。防犯はしっかりしているから聞こえてはいないとは思うが、それにしても声がでかい。

「なんだ、何か問題があるのか」
『問題があるのかって……問題しかないでしょう』
「ならやめればいい」
『やめればいいって、なんですかそれ。どうしてそんなに他人事なんですか』
「俺に関わっているのは分かるが事情は知らん。どうしてそうなっているのか、お前以外から事情を聞いたわけでもない。ならばお前の判断でそうしているんだろう」
『そうですよ。俺の独断ですよ、俺が勝手にやってることです』
「それがいいと思ってしたんだろう」
『それは……』
「なら、俺はお前の判断を信じる。お前が俺の判断を信じて腕を切ったように」

義手を外して軽くなった左腕を見やる。付け根はねじ込まれるように皮膚が丸くつながれ肉が膨らんでいた。今はもう見れるようになったが、あの戦いの最中はなかなかにグロデスクだった。
重心を左にずらしながら、腕の断面に手を寄せる。

「迷っているなら答えが出るまで待ってやる。お前の行動に俺は文句はつけん」
『どうして、どうしてですか。どうしてそこまで信じてくれるんですか』

打って変わって耳を澄まさないと聞こえないほどの大きさになった声にスマホを持ち上げる。
自信なさげな声をしおって――と、ここまで考えて彼はまだ若いことを思い出した。そして自分は四十過ぎ。もっと大人にならないとな、と自分の事ながら思う。
どうして――と尋ねる若者へ、どうしたら伝わるだろう。私の信頼が。

「……お前になら、裏切られてもいい」
『は……?』
「俺は馬鹿ではない。そしてお前も。だから、裏切るのならそれ相応の事情と思惑があるのだろう。それならば俺はお前に裏切られたとて納得することができる」
『……理由になってませんよ、それ』
「む……」

そうかもしれないなと思いながら、これ以上言葉を重ねるのも違う気がして口をつぐむ。
そうしていると、電話越しに乾いた笑い声が聞こえてきた。

『本当に、かないませんね』
「比べる物ではないだろう」
『もう少しだけ考えさせてください』
「許可をとれなど言っていない」

そう言って返事を聞かず電話を切る。
別に、そこまで重要なことではないのだ。今の私にとっては。あれが私の元に戻らなくても、私は私として生きていくことができるのだろう。わずかに物寂しい気もするが、そのままであってもいいと思える。
あいつが良いというのなら、それでいい。




「生江君」
「啓悟、話はどうだった?」
「全然ちゃんと聞いてくれなかったよ。自分で考えろって感じ」
「なんだか、イメージ通りという感じだな」
「そうだね……前はもうちょっと優しかったかも」
「そうか」

そう言って生江君はココアを啜っている。コーヒーとかが好きなのかと思ったけれど、生江君は意外と甘党だった。エンデヴァーさんも葛餅が好きと言っていたから当然と言えば当然なのかも知れないけれど。
自室からリビングへやってきた俺も、そのまま生江君の正面に座る。彼は俺を気にした様子もなく口の端についた泡を舐め取っていた。

彼がここにやってきたのは三ヶ月前――病院から俺が連れてきた。
彼が『発生した』のは本当に偶然だった。医療従事者にそういった個性をもった人物がいただけ。人物の一部を分離させる個性だった。あのときエンデヴァーさんは死にかけていた。様々な人が尽力していたけれど、ボロボロになった身体は耐えきれないだろうと思われていた。そんな中、切迫していた故の自己だった。
都合がいいのか悪いのか、その個性は俺の前で発生した。すぐに現れなかったから、気づいたのは俺と個性の持ち主だった。
現れたエンデヴァーさん――いや、生江君は中学生から高校生ぐらいで俺より身長も低くて、まだ幼さが窺えた。個性の持ち主曰く、現れる一部はその人の抱えているものによって変わるのだそうだ。
人によっては全く同じような人物が発生することもあるし、あるいは赤子が。はたまた、人でなかったりもする。その人が抱えるもう一つの『自分』が現れるのだ。

俺は咄嗟にその個性の主に口止めをした。彼は自分の個性が治療以外では面倒なものでしかないことを知っていたから、できる限り使わないようにしていたらしい。けれど、必要ない今回での使用は完全に事故だった。
俺がどうにかすると言い聞かせてそのまま生江君を連れ去った。自分のセーフティハウスへ。
重要なのは、生まれたそれはエンデヴァーさんが――本体が亡くなっても生き続けることだった。そうはいっても長くて数年。その一部が持っている感情や思考がなくなるまでの間。
逆を言えば、俺がなくならないように努力すれば、彼は生き続けるかもしれない。

たぶん、おかしくなっていたんだと思う。エンデヴァーさんが死ぬかも知れない、遠からず、俺のせいで。
そんなとき、どうしても死んでほしくなくなったのだ。それがヒーローとして正しいあり方としても、俺が望んだ『エンデヴァー』なのだとしても。
俺はあの人に――轟炎司に死んでほしくなかった。

目を覚ました生江君は、個性の持ち主から聞いたとおり記憶が一切なかった。
それを利用させてもらって彼をアパートに閉じ込めた。都合の良い設定と、都合のいい言葉で丸め込んで。警戒していた彼もすぐに信用してくれた。
ヒーローさえ忘れていたのは驚いたが、逆に都合が良かった。エンデヴァーさんに繋がるようなことを知らせないために情報をできるだけ遮断した。
時間は経って、一ヶ月が経過した。大人しく、個性も使えないらしい彼に安堵しながらも不安が常につきまとった。エンデヴァーさんは持ち直して、状態は落ち着いているようだと公安から聞いた。ただまだ余談は許さず、未だに集中治療をしているとのことだった。
そんなときだ。生江君が外に出てしまったのは。

生江君はエンデヴァーさんの一部だ。彼に何かあれば、エンデヴァーさんにも影響があるかも知れない。
――いや、違う。俺はあのとき頭に血が上っていた。あの人が、あの子が逃げ出すんじゃないかって。外を知って、俺から離れていくんじゃないかって。
だから、次の日に俺を伺うような表情をした生江君にしくじったことを察した。
このままじゃないけない。そうおもう気持ちもあった。けれど、それよりも生江君を手放すのが嫌になってしまった。終わりを思い浮かべて、エンデヴァーさんがいなくなってしまった後を勝手に想像して。
生江君は前にも増して大人しかった。けれど一ヶ月後、彼がまた外へ出た。

彼の行動を監視するために部屋には仕掛けをしていたから、出て行ったことはすぐに分かった。
しかし、すぐに捕まえに行くのは躊躇された。彼は逃げた、自分の意思で俺の元から。それは彼が俺を拒否しているという明確な証拠だ。俺は彼を閉じ込めている犯罪者だ。個性の発露である彼に人権があるのならば、俺はとっくに牢屋に入っていなければならないだろう。

だから、羽で位置は把握していても迎えに行ったりはしなかった。できるだけ何をしているかは探らないようにして。ただ祈っていた。――帰ってきてくれと。
そんな都合の良いことが起こるわけがないのに。

しかし――彼は帰ってきた。
羽で感じる位置が、どんどんとアパートに近づいて行くにつれて胸の動機でどうにかなりそうだった。
どうして帰ってくるのか、何も分からなかった。けれど、結局生江君は帰ってきた。俺の元へ。

「ヒーローホークスを信じる」
「俺は、ホークスを――ホークスを信頼していたエンデヴァーを、信じることにした」

ヒーローも知らなかった彼が、そんなことを言う。
何の知識を得てきたのか分からないが、その言葉のどれもが俺に突き刺さる物で、もう何も言えなかった。

そして今日。重体だったエンデヴァーさんが復帰して少し、チームアップのために福岡にやってきた。
エンデヴァーさんは復帰した。俺が生江君を捕まえている理由は、もうない。だって、エンデヴァーさんは帰ってきたのだから。けれど、この三ヶ月間で、俺は彼を手放したくなっていた。
情けない。しかし、彼は俺を必要としてくれた。頼ってくれて、信用してくれて。ともすれば家族のように。決して得られない感情、温かみ――独特の優しさ。
そんな俺の元へ――いいや、生江君の元へ、エンデヴァーさんがやってきた。耐火性の扉を溶かして。そして、何もせずに帰って行った。生江君と少し話して、それだけ。
俺に生江君のことを咎めることもなく、生江君を連れて行くことさえなく。
動揺して、衝動のままに電話をかけた。そうしたら一つも動じていない彼から、こう言われた。

「……お前になら、裏切られてもいい」
「俺は馬鹿ではない。そしてお前も。だから、裏切るのならそれ相応の事情と思惑があるのだろう。それならば
俺はお前に裏切られたとて納得することができる」

少し、躊躇したかと思ったら、すらすらと出てきた言葉に呆気にとられた。
それからはどうにか会話を繋いでいたが、しびれを切らしたエンデヴァーさんに電話を切られてしまったらしい。ツーツーという音だけが耳に響いていた。

「本当に、なんだよあれ……」

机に突っ伏して腕の中に顔を埋める。
なぜそこまで信頼するのか、分からなかった。事情も知らないくせに、俺のこと、知らないくせに。

「啓悟」

この三ヶ月間で、鷹見さんから啓悟呼びに変わった生江君が俺を呼んでくる。
今では彼しか呼ばない俺の名前。幼さ故か、甘い響きにつられて顔を上げればコップを差し出す手。

「少し休め。飲みかけで悪いが」

差し出された手に、耐えられずに自分の手を重ねた。俺と比べてもまだ小さな手。柔らかくて、戦った事なんてないような柔い子供の感触。

「生江君はさ」
「ああ」
「エンデヴァーさんになりたい?」

この少年はどこまで分かっているんだろう。聞いていないけれど、エンデヴァーさんに会ったのだからもしかしたら察しているのかも知れない。個性で発生した一部と本人は無意識のうちに互いを認識すると個性の持ち主は言っていたし。
生江君は目を瞬かせた後にきっぱりと告げた。

「なりたくない」
「え」
「そもそもヒーローになりたくない」
「え?」
「ヒーローって危険なんだろう。俺は戦いとか嫌いだ」
「そ、そうかもしれないけど」
「それに指揮を執ったりするのも苦手だし、人の上に立つってのが滅茶苦茶嫌だ。だったら引きこもってた方がましだ」
「え、え」
「そういうのは向いている人がやればいい。俺は啓悟とここでのんびり暮らす」
「……そ、それ本気で言ってる?」
「本気も何も、本心だが」

誇らしげにさえ思えるほど明瞭に告げた彼に、開いた口が塞がらない。
彼は、エンデヴァーさんの一部だ。つまり――つまり、エンデヴァーさん、ヒーローになりたくなかった?
けれどエンデヴァーさんはヒーローになってすぐにNo.2にまで上り詰めて、それからは誰よりもヴィランを検挙して、そして今回の作戦ではオールマイトともに前線で活躍さえした。
ヒーローが天職のようなあの人が、ヒーローが嫌だなんて。

「……じゃ、じゃあ、何して過ごしたい? 何になりたい?」
「何に……なんだろう。普通に……普通の会社に就職して、給料もらいながら自分の趣味を楽しんだりとか」
「趣味って?」
「小説とかゲームとか。漫画も好きだから漫画もたくさん買いたいな」
「ま、漫画?」
「ああ。アニメとかもみたい」
「そんなこと、今まで言ってなかったよね」
「聞かれなかったし。それにそれより小説とゲームをするのに忙しかったからな」

淡々と語られる真実に、衝撃で動けない。少し眠いのか、暖かな子供の体温がじわじわと手に広がってくるのだけを感じる。

「そこに啓悟がいてくれればあとは、いいかな」
「それって」
「俺はこの生活で満足してる。俺から何かアクションをすることはない。あるとしたら啓悟、お前からだ」
「……」
「あんまりに居心地がいいから、別にどうしようとする気もない。エンデヴァーも何も言わなかった。だから俺はこれでもいい。後は、啓悟がどうしたいかだ」
「俺が……」
「ああ。俺は正直子供だし、判断力はそんなにない。そしてエンデヴァーも啓悟に委ねてるんだろう。なら、啓悟の思うままにすればいい」

エンデヴァーさんと同じ事を言っているのに、こちらは随分とお優しい。それでも厳しいことには変わりなかったけれど。
生江君の言い分はその通りだ。彼に判断材料を与えていないのは俺。けれど、彼が言っているのはそういうことではないような気もする。
彼のまだ少年の手を握って、ぽつりと呟く。

「エンデヴァーさんは、どう思ってるんだろう」
「別に、いいと思ってると思うぞ」

打てば響くようにすぐに返ってきた返答。エンデヴァーさんも具体的にどうなっているか感じてはいてもしっかりと把握はしていないはずだ。いいはずがない、のに。どこか納得してしまう自分がいる。
ヒーローになりたくない生江君。その感情を、今のエンデヴァーさんがいらないと言ってもおかしくはない気がする。その感情はヒーローをやる上では余計な物、だろう。

「けど、残念には思ってるかもな」
「残念?」
「だって、小説も漫画もアニメも、興味がないんだろう」

勿体ないよなぁ。そう言って机に置いていたミステリー小説を見やった生江君に、そうかもしれないね。とだけ返すのが精一杯だった。
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