責任
逃げた。 怖くて逃げた。 あの人から逃げた。 四捨五入で三十路。前世含めたらエンデヴァーさんとそれほど変わらないくせに、逃げた。恐ろしくて。 自分から機会を作ったのに、自分から話題を持ち出したのに、自分から逃げ出してしまった。 答えの結果によっては、私の人生のほぼ全てが否定されてしまうから、あの人ともうああして顔を合わせることができなくなるから、大げさに言ってしまうと生きている意味がなくなる可能性まであったから、勝手に自己完結して本人からの答えを聞かずに逃亡した。 あーあ、あーーあ! 今までうまくやってきたと思っていたのに! ああ、ヒーローホークス! No.2ヒーロー! 鷹見啓悟! 生江! お前は本当、大事なところでヘマをする。だから前世でも呆気なく死んだんだ! でも仕方がないだろう。それでも知りたかったのだ。義務感もあった。私のせいなら、それは知っておかなければならないと思った――いや、違う。それもなくはなかったが、私は、私はただ、
逃げて逃げて逃げて、活動中ではないので空を飛び回ることはできず、低空飛行で住宅街の路地という路地を駆け回って、正気に戻って地に足をつけた。はっとして持ち物を確認して安堵の息をつく、鞄を持たない人間で良かった。必要最低限のものは持っていたから、このままでも福岡へ帰れるだろう。 エンデヴァーさんには……酒を飲み過ぎて覚えてないと言い張ろう。それがいい。それだけを頑なに主張すれば、さすがに突っ込んで聞いてはこないだろう。 漸く落ち着いて、時間を確認しようとポケットに入っていたスマホを取り出せば、画面を向ける途中に黒い液晶に丸い光が映った。 思わず見上げれば、そこには丸い月が浮かんでいて、唾でも吐き出したい気分になった。お前のせいだって。
「違う」
そう、違う。あれはただの切っ掛けであって、いつか私は気づいただろう。 誰よりもあの人を見ているつもりだった。見ていたいと思っていた。そりゃあ気づく、距離をとっていれば良かったものを、羽が燃えるほどに近づいてしまうから。
「何が違うんだ」 「ッ!?」
ほぼ反射で飛び立とうとして、素早く腕を捕まれた。 たこあげの紐のように腕だけが掴んだ持ち主のところへとどまって、身体がぐわりと浮かんで揺らぎ、どうにか元の地面へと着地する。 目を向けなくとも、その大きなガタイは嫌でも視界に入ってくる。どうして、なぜ、そもそもなんで私は気づかなかった。様々な思考が錯綜する中で、ただただ憔悴だけが身体を蝕んでいた。
「ホークス」
その声は、私の羽の慌ただしい羽音よりも、全くもってこの夜分に相応しい、染み入るような落ち着いた声だった。言外に顔を合わせろと言われている気がして、ゆっくりと、まるで空気に重量があるかのような感覚に抗いながら頭を上げる。 そこには声色と違わず、静かな瞳が鎮座していた。月明かりに照らされて、反射する青が、綺麗だと思った。 腕を捕まれたままの私は、どうすることもできないままその瞳を眺めるしかできなかった。けれど、エンデヴァーさんも口を噤み、音は続かない。 言葉に悩んでいるのか、それとも無様に逃げ出した私の言い訳を待ってくれているのか。 どちらにしても、限界だった。 誤魔化したはずの問いが再び喉をせり上がってくる。 告げてはならないと警告を鳴らすのに、冷たい海水は自然の摂理のようにこぼれ落ちた。
「俺のせいですか」
――貴方が、私を好きになっていたとして。
俺が貴方の幸せを、家庭に見いだした未来を、ぶち壊しましたか。
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