- ナノ -

8「……やはり、私では、だめですか」


なんだか孫権に声をかけづらくなり、どうしようかと思っていたところで先に宴会に参加していた呉の人々がやってきたので私はそそくさと退散した。
なんとなーく気まずいし、人がいる中で先程の話はしづらいし。
と言っても呉の人以外に私は知り合いなんぞいない。辛い。ぼっちである。
前世知識で話しかけても優しく対応してくれそうな人のところに行こうか、それとも一人で寂しく料理を食べているか……と悩んでいたところで、とある人を発見した。

(于文則さんだ……)

お、推しが……推しがおるで……。
さっきまでぼっち故にくすんでいた世界が一気に彩を取り戻して更に于文則さん周辺が光り輝いて見えた。
やばい!!目が潰れる!!!目が!!!潰れる!!!カッコイイし美しすぎる。え、もしかして于文則さんは人間国宝だったりするのかな?
そんな国宝な于文則さんは壁の近くにたち、1ミリも楽しくなさげに過ごしていた。ほかの人と話すわけでもなく、ただ宴会の様子を眺めている。

「……」

ど、どうしよう。い、今、絶好のチャンスではないか?
私もぼっちだし、于文則さんも一人だ。今なら声をかけることも出来るかもしれない。いやだがしかし、しかし……で、でも話しかけてみたい!話してみたい!
どうしようと呻いていれば、気づいた時には于文則さんが先程の場所から居なくなっていた。えっ、どこ!?
慌ててあたりを見回してみれば、近くの扉が閉まっていくのが見えた。どうやら外へと出ていってしまったらしい。……トイレだろうか。
そうか、出ていってしまったのか……。もしかして先に帰ってしまったとか? 楽しくなさげであったし、それもありえるのかもしれない。
気になって、とりあえずトイレかどうかだけでも確認しようと扉へはや歩きで近づいていって、少しだけ扉を開けた。
廊下を見てみると、長椅子があり、そこに于文則さんはいた。それにほっと胸をなで下ろす。まだ帰ってはいなかったか。
と、于文則さんを見ていたその時、彼がこちらを向いた。

「は、あっ……」
「……」
「あ、あの……」

長椅子との距離はそれほど離れていない。声も聞こえる程度の距離だ。
完全に目が合ってしまって、そらす暇もなかった。何か言わないとと思った口からは、意味の無い言葉しか漏れでない。
于文則さんは眉間にシワを寄せて尋ねてくる。

「何か用か」
「えっ!? あ、いや……その、帰ってしまったのかと思って」
「……終わりまではいるつもりだが」
「そ、そうですか!」

それは良かった! なんだ、じゃあ心配することもなかったのか。と胸を撫で下ろしていれば、于文則さんの眉間のシワが更に深まった。ひえっ。

「何用かと聞いている」
「あっ、えっ……そ、その、用というか……」
「早くしろ」
「うっ……その、本当に些細なことなんですが……お、お話してみたいと思って……」

しろどもどろにも程がある。けど、正直それしかない。一番好きなキャラだった于禁さんの生まれ変わりである于文則さんと、1度でいいから話してみたい。折角こんな未だに困惑するようなことに巻き込まれたのだから、それぐらいは叶えたい。
でも実際に話してみたら結構辛い。緊張して言葉がうまく出てこないし、何を話せばいいのかも分からないし、たぶんなんだこいつって思われてるし。

「……私は話すことは無い」
「あ、う……す、すいません……」

とりあえず、扉の隙間から話しているのは無礼すぎると廊下へ出た。が、やばい。会話終わった。
いや、それはそうだ。于文則さんからは話すことなんて何も無いだろう。むしろ誰だこいつ状態だ。なにか話すことがあるのは私だも思われているだろう。が、特にこれと言ってない。というか何を話せばいいか検討がつかない。
おかしなことを口走るんじゃないかと思って、何も言い出せない。
というかそもそも話すことは無いって会話拒否の意味では?いやきっとそうだよな?え、でもこのまますみませんでした、で宴会場へ帰るのもあまりにもあんまり過ぎない?
何か、何かその、なにかないかァ!

「そ、の、宴会は、楽しんでおられますか?」
「このような場は浮かれた者共が騒ぎを起こす。厳粛に取り締まるべきだ」
「そ、そうですか……」

いや……つまり、えっと、楽しんでないってことでいいのか……。取り締まるべきだけど、そういう感じじゃないから、みたいな……?
わ、わかんねぇ、けど楽しんでないっぽいのは察した。そうか、楽しくないのか……。

「私も……楽しくはないですね」

知り合いも少ないし、いたとしても記憶のこととかがあって話しづらい。私以外の皆がなにか共有するものを持っているというのも蚊帳の外という感じで、この場にいたくなくなる。いなくてもいいじゃないかと思うのだ。

「なら帰宅すればよい。最後までいなくてはならぬ理由もあるまい」
「え? いや、でも孫権が……」

ここまでも孫権と一緒に来たし、帰るのもそうだと思っていた。帰れるには帰れるが、たぶん勝手にいなくなったら彼は怒るだろうから。
言い淀んでいれば、于文則さんが僅かに眉をかしげて言った。

「お前は……孫権殿の息女か」
「息女、いやいや!違います!」

孫権の子供というのは無理がある!私が嫌だ!兄とかだったら考えられるが、父などとは思えない。孫堅さんという大きな人がいるというのもあるが、今まで接してきた中でそういう枠組みには間違っても入れられない対象になっているのだ。
孫権は頼りになるが、時折悩み弱気になる。いや逆か、とにかく私の父親のイメージには合わない。やはり兄か弟か、そういう感じだ。実際そのどちらかであるし。
全力で否定してみれば、于文則さんが険しい顔をしているのに気づいて慌てて答えを述べた。

「兄弟です。双子なんです」
「双子? ……だからか、似ていたのは」
「は、はい、よく言われます」

孫権に中国へ連れてこられてから、よく似ていると言われた。見た目は確かに似ている。赤褐色の毛の色と私の女にしては高い身長、隻眼に雰囲気も似ているとよく言われる。私としてはそうは思わないのだが、周囲がそういうのならそうなのだろう。一応、双子だから遺伝子的な何かで中身まで似るのかもしれない。私はそうは思わないけど。
私が愛想笑いをしていれば、于文則さんは少しだけ目を細めた。考え事だろうか。

「お前は誰だ?」
「え、誰っていうと」
「この娯楽を演ずるのだろう。誰なのかと聞いている」

その問いに、思わず詰まる。
私は、孫権が言うには彼の二重人格だが、演じる中では孫権の影武者だ。なんとなく言うのが躊躇われた。だが、ここで名乗らないのもおかしいだろう。なら、誤魔化すしかない。

「役では孫権の影武者役になってます」
「……影武者? そんな者がいたのか」
「ど、どうでしょう、その、私は皆さんと違って、記憶が無いもので……」

嘘ではない。笑って告げれば、于文則さんは少しだけ目を見開いた。そして、なにか安堵することでもあったのか、眉間のシワが僅かに取れた。それでもシワがあるにはあるのだが。
なんだろう、気になる。聞いてもいいのだろうか。そわそわとしていれば、于文則さんがポツリと呟いた。

「お前もか」
「え、う、于文則さんも」
「いや、殆どは覚えている」

もしや、同じ境遇の人が。と喜びかけて、そうではないと手のひらを返され勢いが萎む。
だが、殆どということは覚えていないこともあるということだろう。そこら辺は、人によってまちまちなのだろうか。
于文則さんは、私の姿をじっと見つめて、そしてその覚えていないという事柄を教えてくれた。

「お前の主と交わした会話を、何故か覚えていない」
「……孫権との、会話を」
「良くして頂いたということは分かる、だが、私が覚えているのは――孫権殿が殿を亡き者にしたということだけだ」

その言葉に、酷く動揺した。
于文則さんの瞳が私を映している。私はどんな顔をしている。どんな顔を、すればいい。
そうだ、曹操は孫権が殺した。それは純然なる事実だ。対立し、追い詰め、理解せずに終わった。だから、どうした。淡々と言葉を述べた于文則さんからは、感情が読み取れなかった。言葉を紡いで、閉ざした口からは続きの言葉は出てこない。どういう意図で言っている、何を、伝えたがっている。
止まっていた息を吐いて、まとまらない頭の中で言葉をこぼした。

「恨んで、いますか。孫権の事を」

人生を捧げた主君を、殺した存在を、恨んでいますか。
――ああ、私は今、どんな顔をしているのだろう。

于文則さんの視線がずれる、そして考えるように眉間にシワがよった。忙しない心音を聞きながら返答を待っていた。

そこに、足音が響く。

「ここにおったか、生江とやら」
「っ、そ、曹操社長」

背後から声をかけられ、心臓が喉から飛び出したかと思った。
思わず振り返った先にはこの企画と宴会を催した曹操――いや、曹操社長がいた。
彼はニヤリと口を弧にする。

「ふ、孫権の影武者とやらのお主にそう言われると何やらおかしな気分だな」
「で、でも、私はただの一般人なので……」
「ほう、奥ゆかしいな。孫家は皆、勇猛かつ獰猛かと思っていたが、おぬしのような者もいるのだな」

と、ふとある意味で孫家が侮られるような物言いをされたことに気づく。褒めてもいるが、聞く人が聞けば、いい捻りの聞いた返事をしそうなセリフだった。それにどうしようか迷い、弁明した方がいいか悩み、結局同意することにした。

「……そうですね。一人ぐらいは」
「怒らぬか、話が合いそうだな」
「いえ……曹操社長はご聡明ですから、私などでは話が及ばないかと」

というか、正面切って話はしたくない。色々聞かれたくないことを聞かれそうな気しかしないし、言葉に出したことも本当だ。自分の頭の悪さを露呈されて終わる気がする。
丁寧に遠慮させていただけば、やはり曹操社長は愉快そうに笑みを浮かべていた。

「まぁいい、来い。主役がおらねば宴を終わりにすることは出来ん」
「え? 主役って」
「孫権とお主で呉の主賓だろう」

なんだそれ!聞いてないぞ!
また怒り案件が出てきたが、とりあえず戻った方が良さそうなのは確かだった。
そこで、于文則さんからの返事を聞けていないことに気づいた。突然の曹操社長で、話題が思い切り逸れてしまった。
振り返れば、于文則さんはこちらの様子をどこか遠くを見るように眺めていた。それに、完全に意識が先ほどの質問から離れていることに気付いた。
――于文則さんにとって、曹操社長は。
戻るのなら、于文則さんも。そう思うが、なんと声をかければいいか分からず私が足を止めていれば、曹操社長が于文則さんの方を見て言った。

「おぬしもここにおったか。戻るぞ、宴会も終いだ」
「……はっ、畏まりました」

まるで、過去の武将のように厳かに礼をとった彼に、胸に冷たい風が通ったような気分になった。
立ち上がった于文則さんは曹操社長を見ており、曹操社長は堂々と背を向けて会場へと歩き出す。
私が立ち止まっていれば、曹操社長の背を追う于文則さんに追い抜かれていった。
扉に消える二人の姿を見つめる。なぜだろう、なんだか寒い気がする。
于文則さんと話したい、まだ話していたい。けれど、于文則さんは行ってしまう。
何か、引き留めるために口を動かそうとして、よくわからない言葉が出た。

「……やはり、私では、だめですか」

扉の奥へその背中が消える一瞬、彼が振り返ったような気がしたのは、きっと私の願望だったのだろう。