- ナノ -

出会ったことは、生きていることは、間違っていないと私は思いたい。


とりあえず落ち着いて、どうにか話に戻った。
試写会に出ることは伝えて、三人で揃って草木を眺める。

「生江」
「なに?」
「少し席を外す。于将軍、生江を頼んだ」
「……畏まりました」

そうしていると孫権がそれだけ言って、歩いて去ってしまった。
後で何か奢ろう。などと考えて、于文則さんと二人きりになった。
だからといって、特に会話もない。ただ風に揺れる葉や花々を眺めるだけだ。
暖かな日差しが降り注ぎ、いつかの撮影を思い出した。

「『生きていいのではないかという、錯覚を覚えさせてくれる』。そう、貴方は言っていた」
「……ああ、あの草原でのことか。聞こえていたのか?」
「……前世でそう言っていたと、記憶していた」
「私との会話を思い出していたのか」

薄々、思い出しているんだろうとは思っていたが、そうか。その時は聞こえていたのか。
そう、呉は私にとって、暖かな国だった。受け入れてくれた、支えてくれた。だから、生きていてもいいのではないかと、そこにいてもいいのではないかと錯覚できた。けれど、それも途中で思えなくなってしまったが。

「貴方は、なぜ忘れていたのだ」

問いかける于文則さんに、そうだなぁ。と言葉を濁した。
前世の記憶だ。覚えているほうが珍しいと思う。けれど、皆は覚えていた。だが、私だけは全て忘れ去っていた。
どうしてと聞かれると、やはりこれなのでは、と口を開いた。

「辛くて、苦しい。そういう記憶を、人は忘れていくらしい」
「……覚えていたくない記憶だったと」
「そうかもしれないな」

覚えていることが、何も全ていいことではない。
前々世の記憶で救われたことは多いが、同時に悲しくて、辛くなることだってある。もう会えない、もう分かり合えない。その辛さは思い出していなければ感じなかった事柄だ。
そして前世の記憶は、前世で自ら死を選ぶほどのものだった。思い出した今では――いや、今、皆が生きているからこそ、思い出してよかったと思えるが、誰かが欠けていれば私は悔いて、また同じように苦しんでいただろう。

「私も、そうだった」

于文則さんからの言葉に、ただ黙って耳を澄ませる。

「貴方との記憶は、思い出したくは、ないものだった」
「……それは、どうしてだ?」

出来るだけ柔らかく問いかけた。
別に、悪いことではない。思い出したくないと思って当然の記憶だ。辛い中での、生き地獄だったろう。
でも――ただ、私は生きていてほしかった。
于文則さんはゆっくりと言葉を紡ぐ。

「貴方との会話は、酷く暖かなものだった。今の日差しのように、私を溶かすようだった」

思わず于文則さんに目を向ける。于文則さんは目の前の花々に目を向けながら、過去を思い出すように語っていた。

「許されるはずもない私が、許されていくようだった。生きていてもよいのだと、錯覚するようだった」

当たりに沈黙が落りる。
少しして、于文則さんが口を開いた。

「貴方と共に居る時は、確かに心が癒された」

于文則さんの瞳が私を見た。私はただただ、その言葉を聞いているしかなかった。

「貴方が、分かれる寸前に曹操殿を自ら殺したと聞き、貴方を、恨もうとした。だが――恨むことができなかった。貴方を、殺さなければと思えなかった。私は不忠者だ。それがどうしても、許せなかった」
「……貴方ほどの忠義者は、いないだろうに」

だから、私との記憶を忘れていたのか。
自分の主君を殺した者に、心をわずかでも許していたことが許せなかったのか。
ああ、辛い思いをさせてしまった。私が少しでも心休まるようにとしたことは、逆に貴方を苦しめていたのですね。

于文則さんに手を伸ばした。彼は少し戸惑った後に、手を掴んでくれた。
手を握り合って、ただ静かに揺れる草や花を見つめていた。
穏やかで、悲しくて、切なくて。でも確かに私たちは生きていた。
それだけで、十分だった。

私たちが、互いに前世で出会ったしまったのは、不運でしかなかったのかもしれない。
出会わなければ、私は貴方を助けられぬことで全てを投げ出す決意をせずにすんだかもしれない。
出会わなければ、貴方は己を不忠者として許すことができなくならずにすんだかもしれない。

それでも――今ここで手を握り合えているのは、ただただ幸運だから。

出会ったことは、生きていることは、間違っていないと私は思いたい。

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