- ナノ -

25ああ、声が。


「孫権殿」

ああ、声が。
酷く、聞きたかった声が聞こえる。
耳に響く声は、まるで幻聴のようだった。
もう一度だけでいいと、望んだ声を自ら作り出しているかのよう。

「生江」

再び名を呼ばれて、はっとした。
その名は、絶対にあの人は呼ぶはずがないからだ。
于禁殿。私が孫権として出会い、そして救えなかった人。
でもその名は知らないはずだ。知っているはずがないのだ。
だってそれは、三度目の人生の名。私が孫権でない、一人の女として生を受けた名だから。

ああ、そうか。ここは、三国時代ではないのか。
そう気づいて、重い瞼をゆっくりと上げる。
ならば、悲嘆していることもないじゃないか。だってここは明日人が死ぬような世界ではない。
そうだ、明日には病院へ行って、一通り調べてもらって、于文則さんにお金を返さなければいけないのだから。ちゃんと健康です。心配してくれてありがとうございます。としっかり礼を言うのだ。
会える予定が立つのが、こんなにも幸せなことなんて知らなかった。

「……う、きん、さん」

何故だか声が出にくい。寝起きだからだろう、しかし出した名に自分で笑ってしまいそうになった。
ただの夢で聞こえた声だろうに、それに答えるなんて。
でも、それほどに会いたいのだから仕方がない。前々世からのファンだ。どんなことがあっても大好きだから。
重い瞼を開けば、そこに誰かがいた。だれだろう、と瞼をこすろうとしてしかし手が重たく動かない。
どうにか何度も瞬きをしてみてみれば、うすぼんやりと姿を現したのは、于文則さんだった。
はて、これも幻覚だろうか。と思ったが、何度見てもやはり于文則さんだった。
はて。私はホテルのベッドで寝ていたのではなかったのだろうか。
疑問が頭を占めるが、それよりも嬉しさが勝って、思わず口角が上がった。
于文則さんと言えば、驚いたような顔をして私を見ていた。喜びの中で、思わず声が出た。

「あいに、きて、くれたのですね」

そういうと、于文則さんは顔を大きく歪ませた後に、とても怒っているような、けれど泣きそうにも見える顔をして言った。

「当たり前だ、必ず会いに行くと、言った」

ああ、私は、幸せだなぁ。