- ナノ -

弐拾壱「すまない、孫権。今までありがとう」


あいつを見つけたのは、ただの偶然だった。
留学の一端で訪れた日本の大学で、大講義室の一番後ろで私を見つめる姿を偶然見かけ――すぐにあいつだと気付いた。
驚愕と、歓喜。その衝動のままに語り掛ければ、あいつは覚えていないという。

それから、さまざまな紆余曲折があり、生江という名になっていた半身を中華へ招き、同じ大学に通うようになった。
記憶がないという生江は、生まれ変わりばかりの周囲にあまり馴染めないようだった。周囲も私の半身であると知らぬために、突然現れた双子に戸惑っていたのは事実だ。
そんな中で、今生では大企業の社長をしていた曹操からの提案があった。生まれ変わりたちで映画を撮らないか。というものだ。ある意味で悪趣味で、ある意味で歓迎すべきことだった。我らの生きた証を、確かな形で現代に映し出したい。その気持ちは確かにわかった。現実的に考えても、商業としては間違いのないものだ。
それに――私の半身の記憶も、思い出させることができるかもしれない。

半ば無理やりに巻き込んで、生江をかなり怒らせた。
あまりに強引すぎたためだろう。しかし、私は一人、焦っていた。
そうはならないだろうとは、理性では分っていた。生江は実体のある人だ。あの時とは異なる。

前世でのあいつは私の二重人格――とはまた違った存在であった。
いうなれば、亡霊であろうか。遠見ができるというのも、異なる。
あいつは自分で、己は別の世界から来た部外者だと名乗っていた。そして、常々私の中にいるのがよくないことで、早く出て行かなければと言っていた。それを私は何度も否定した。あいつは、私が私として意識したころからいた友であり、私の半身なのだ。それが、どこかへ行くなどとは考えられなかった。
そして世が乱世へと染まっていくと、あいつのその想いはさらに加速していくようだった。あいつは、行く末を知っていた。何が起こるかを理解していたのだと思う。終わりをいつも見据えていた。
けれど、私があいつに助けを求めた。この乱世を、共に終わらせてはくれまいかと。

あいつはそれに悩んだが、しかし了承した。

そして私たちは歴史に立ち向かっていった。おそらく、あいつが動かなければ父上と兄上はなくなっていたのだろう。必死で戦い、道を示すあいつに何度も救われた。
しかし、戦いに勝利し、蜀と同盟を組み――時が進むにつれて、あいつは生気がなくなっていった。
やるべきことはもう少ないと、薄く笑っていた。

しかしその中で、于将軍が呉へと引き取られた。
あいつは、動揺し、そしてどうにか于将軍を魏へ戻せないかと苦悩した。
これまで呉の事柄で動き、必死になる姿は見てきたが、それ以外の、他国の者に対してここまで働きかけようとする姿は見たことがなかった。
だが、あいつもわかっていたことではあろうが――于将軍を魏へと戻せたのは、大戦が終わった後。つまり、曹操が死んだ後だった。
于将軍は、魏へと戻った後、少しして病に倒れ、亡くなった。


あの時とは違う。けれど、それでも不安なのだ。
お前は私を、私たちを置いて死んでいった。
結局私は――呉という国は、お前にとって、生きていく理由にはならなかったのだと、痛感した。

私と同じ衣服を着て、目の前に立つ生江の姿を見つめる。
于将軍との撮影を終えて、思い出したよ、と告げた生江の笑みは、どこまでも澄んでいた。
いつかのような謝罪もなく、生江は私の前に立つ。

「お前が望んだ平和だぞ、孫権」
「ああ。そうだ、これからも頼むぞ」

そう笑いかければ、生江は薄く微笑む。
その姿に、過去を思い出し酷く胸が苦しくなった。

「何を言う。もう、私の役目は終わっただろう」
「お前こそ何を言っている。乱世は終われど国は続いてくのだぞ」
「……私がここにいれるのは、乱世が終わるまでだ」

生江が当然のように言う。
乱世が終わるように助けを求めた。けれど、それはそのためだけにお前がいてほしかったわけじゃない。
お前に、消えてほしくなかったから、お前を求めたのに。
終わればもういいのか。もうこの国はお前には必要ないのか。お前は私と共に、生きてはくれないのか。
一歩近づけば、一歩遠のく。触れられぬ距離に、しかしお前は笑う。

「もう、私は必要ないだろう」
「必要だ。お前は、この国と共に生きていくべきだ」
「いいや。この国にもう私は必要ない。お前がいる」
「私には、お前が――!」

叫ぼうとした言葉に、お前は首を振る。
申し訳なさそうな顔をして、事実を告げる。

「私には、もう、耐えられない」

苦しみに耐えかね消え失せるまで、共にいよう、そういったお前は、もう耐えられないという。
泣き出しそうな顔は、まるで子供のようだ。もう無理だと、共に居れないと吐露する。

「助けたいと思っていても、全てを助けられるわけではない。全力を尽くしたとしても、救えない者もいる」
「それでも、それでも残ったものはあるだろう。この国は、お前のお陰でこうして在る」
「……私は貪欲なのだ。だからこそ、もう懲り懲りだ」

お前は一歩、後ろへと進む。
光の当たらぬ、影へと身を潜めて

「すまない、孫権。今までありがとう」

そんな言葉が聞きたかったわけじゃない。
そんな声を出させたかったわけではない。
選んでくれればよかったのだ。消えて行った、亡くなったものよりも。その後悔よりも。今ある未来を、今ある希望を、受け入れてほしかったのに。お前はそれよりも無いものを惜しみ、そして悔いた。
お前を温かく迎え入れてくれる呉はで駄目だったのか、死ぬまで共にいる私ではならなかったのか。

お前はそうやって消えていった。呉に平穏を齎し、そして一人、寂しくいなくなった。

カット、という言葉が聞こえる前に、耐え兼ねて駆け出した。
ぶら下がっていた手を握る。その手は熱いほどに温かく、目の前に迫った生江の顔は驚きに染まっていた。

「そんなことを言うな……! そんな、ことを……私は、お前に、生きていて、欲しかった……それだけだった!」

視界が歪む、驚いた生江の面持ちが見えなくなっていく。
握った生江の手が、握り返されて嬉し気な声が聞こえた。

「泣くな、孫権。先ほどのは――嘘だ」
「……は」
「あのな。死ぬわけがないだろう。今生では誰も死んでなどいないし、そもそも依然と違い意思の弱さで死ぬような私ではない」
「……」

仕方のない奴め。という風に話す生江だが、その声はやはり嬉しそうだ。
愉快そうに笑った声が聞こえ、慌てて目元を拭えばやはり笑っている生江がいた。

「お前のお陰だ。ありがとう、“私”」

それは、なんのことを言っているのだろうか。いろいろなことが頭を過り、分からなくなる。
けれど、前世はお前は私の努力のかいなく、消えてしまった。
だが――今生は、確かに生きているのだな。

「当たり前だ。……もう、どこにも行かないでくれ」
「ははは! 愛が重いな。だが、答えよう。もう、どこにもいかない。ずっと一緒にいよう、孫権」

にっこりと、純粋な年若い笑みでそう告げた生江に、思わず同じように笑みが零れる。
消えた者は、何よりも栄光を放つ。記憶の中だけに住み、何よりも得難いものとなる。どんな宝物よりも、どんな平和よりも。何を得ようとその人物は戻らない。救おうと必死で足掻き、そして取りこぼしたお前は、私にとってどんな故人よりも大きく、そして得られぬ空洞だった。
けれど――もう、こんな思いは、しないでいいのか。

再び泣き出しそうになりながら、笑いながら抱きしめてくる生江を、強く抱きしめ返した。