- ナノ -

11彼は少しだけ、目を見開いた気がした。


撮影だが、全てが全て順調にいった。というわけでもない。
なんというか、アクシデントが滅茶苦茶多かった。最初はお父さんこと孫堅さん。これがやばくて――機材に押しつぶされかけた。いやこれほんとやばかった。気付いて慌てて腕引っ張って逃げられたけど、よかった案件過ぎて何も言えない。孫策さんも撮影の仮眠中に魘され始めてなんか呼吸もおかしくなってたから、たたき起こして救急車で運んでもらったし。
あと、なんとなく嫌な予感がして撮影に来てみたらちょうど曹操社長こと曹操軍の撮影だったんだけど、安全を確保されて使われているはずの矢の発射装置が誤作動を起こして夏侯元譲さんにぶっ刺さりかける案件を目撃した。その時はちょうど近くにいたので庇って私の服が破けるぐらいでどうにかなかったが、顔面に向かっていたので当たっていたら事だ。ちなみにそのあと孫権にめちゃくちゃ怒られた。なんでや、人命救助やん。

その後も色々とアクシデントがあった。しかし、こうも続くと分かってくる。
――これ、歴史に沿ってません?
孫堅さん、孫策さんが死にかけたのも、夏侯元譲さんの顔に矢が当たりそうになるのも。
その後も、なんとなく嫌な予感がすると、誰かが死にかけたり、誰かが怪我をしそうになったり、顔色が悪くて気になって主君勢に告げ口してみたら大病が早期発見されたり。
そんなことをしていたら、いつの間にかいろんな人に感謝されるようになっていた。いや……みんな無事なのはいいんですけど、もっと気を付けてほしいというか。
しかし、こうもアクシデントが続くと前世の死因や怪我は今生でも引き継がれるものなのだろうかと思われてくる。
そうなると心配な人がちょいちょいいるので、まだ気は抜けないが。

だが、撮影自体はスムーズに進んでいた。
意外というかなんというか。撮影というものは何年もかけてようやく完成するものだと思っていたのだが、7つもの映画を撮るのに全くそんなことはなかった。正直一つの作品が1〜2か月で取り終わってしまう。こんなに早く終わるものなのか、と拍子抜けするレベルだ。台本もどうにか撮影には間に合うように上がって、台本を作りつつとっているというのに見事な仕上がりになっていると思う。流石は天才軍師たちだ。
しかし、準備が万端な曹操社長の制作チームと、潤沢に使える資金があってこそであるとは思う。全く、凄まじい。
実際、公開されるのは編集やCGなども全て作り終えてかららしいので、撮り終わっても劇場で放映されるのは1年後らしい。それもそれで編集等がどれほど大変なのか分かる。

撮影は進み、ついにクランクアップもだんだん近づいてきていた。
なんというか、ある意味拍子抜けだ。ちなみに記憶は、まだ思い出せない。
撮影がまだ残っていたので、広間でのんびりと待つ。台本を見てみると、かなり佳境だ。
ガラス越しに、雨が降る外を眺める。かなり天気が悪く、雷の音も聞こえる。今日は雨のせいで撮影箇所が変わってしまって、せっかく覚えてきた箇所とは違う部分になってしまった。
雨がガラスをたたく音をBGMに台本を読んでいれば、誰かが広間にやってきた。
広間は控室から施設の玄関へ出る途中にあり、帰る際には必ず通る。誰かが帰るのだろうかと顔を上げれば、そこには于文則さんがいた。驚いてなぜか台本を閉じる。

「お、お帰りですか」
「……ああ、私が出る場面は終わった」

それについては知っていた。于文則さんが撮影しているとき、ずっと見学していたからだ。
別に、見学は禁止されていないし、そりゃあ見るだろう。大好きな人が撮影してるんだぞ。見るだろう。
それもあって私の心はとても満たされていたのだが、雨のせいでちょっと気分が沈んでいたところだった。
于文則さんは、当たり前だが撮影時とは違う普通の服を着ていた。サラリーマンをしているようで、スーツを着ている。とても似合っているし、写真に撮りたいぐらいだ。
チラリと台本を見て、それからなんとなく外を見た。雨が強い。

「あ、あの」
「なんだ」
「その、もし、この後に予定がないようでしたら、台本を覚えるのを手伝ってくれませんか……?」

何言ってるんだ。何言ってるんだ私!!! だんだんと語尾が小さくなっていって自身がないのがもろばれである。
いや、でも!! 正直、一人で覚えるより誰かに合っているかどうか聞いていてもらったほうがやりやすい! それに! 于文則さんと、宴会以降全然話ができていない!! し!! それに!!

「……家で仕事をする予定だ」
「でも!……その、雨も強いですし」

于文則さんの眉間に皺が寄って、それからその目が窓を見た。
私もつられてみてみれば、なんだかどんどんと雨脚が強くなっていっているように思う。
雨というよりも、バケツをひっくり返しているように窓もなってしまっている。
于文則さんを見てみると、窓から目線を戻して更に眉間の皺を深くした。

「30分のみだ。それ以上は付き合えん」
「っ、あ、ありがとうございます!」

出てきたのは許可の言葉で、驚きと嬉しさにその場で飛び跳ねてしまった。
雨で撮影箇所が変わったのは悪い出来事だったが、于文則さんと練習できるなら僥倖にもほどがある!

雨音を聞きながら、台本を于文則さんに渡して確認してもらいながら言葉を辿っていく。
他の演者は慣れてきたのか、それともその時代をよく思い出してきたのか、自分の台詞を物にしている。私と言えば、台詞を忘れた時にぽん、と言葉が出てくることはあるが、それ以外はやはり覚えたものを必死で声に出しているだけだ。周囲はそうは思ってはいないようだが、私としては自分の言葉のように思えるが、同時に他人が自分を模して書いた言葉のようにも思えてしまう。
その文字は確かに私だった。三国時代に私が孫権の二重人格として生きていたならば、こう思っていただろう、こう感じていただろうという、想像ができる私だ。だが、その私が何を考えているのかが分からない。何を思って、その言葉を口にしているのか。時折なんといっていいのか分からない感情が湧き上がることがある。けれど、それが何か分からないのだ。

「もう間もなく乱世は終わるだろう、……どうしてそんなことがいえる? ……それは、」
「効率が悪い、孫権殿の言葉は私が述べる。お前は続きを読め」
「あ、はい。ありがとうございます」

話の流れを思い出しながら台詞を述べていれば、于文則さんにそう提案――というより注意だろうか――を受け、少し戸惑ったが有難く頷いた。
台本越しであるが、于文則さんと話せていると思うと嬉しくなった。

「もう間もなく乱世は終わるだろう」
「どうしてそんなことが言える?」
「既に準備は整いつつある、呉は幾多の苦難を乗り越えて強靭となった。まるで勇猛な虎のように」
「ああ、だが、問題は山積しているぞ。天下を一つにするには、まだまだ時が必要だ」
「一つか、それを果たすのならば、我々は道半ばで死ぬだろう。いいや、そもそもこの時代が終わるかもしれぬな」
「ならば何を持って乱世が終わると予言するのだ」
「……遠見さ、私には遠くが見える。――終わりが見える」

相変わらず意味深な影武者に、孫権が問いかけをする。
その問いかけの声が孫権ではなく、于文則さんの声で響く。
まるで彼とこのような会話をする場面でもあるかのようだ。
于文則さんは、台本を見つめながら次の言葉を出そうと口を開く。その姿をじっと見つめていた。

「どんな終わりが見えるのだ」

すっ、と彼の目が台本から私の方へと向く。
黒い瞳の中に、孫権の姿をした私が映る。その自分を見た瞬間に、頭の中で何かがねじれたような痛みが襲ってきた。鋭い痛みではないが、確かに思考を乱すそれに目元が歪む。咄嗟に目を閉じて、閉じた先の暗闇に、白髪の彼が映った。頭を振って、それを振り払った。違う、台詞を、思い出さなくては。

「――沢山の、終わりが見える。夢を抱き、望んで果てた人々の姿が浮かぶ。誰もかれもが報われず、誰もかれもが誰かへと夢を託して消えていく。ああ、私には」

目を開く、そこには黒髪の眉間に皺を寄せた于禁さん――いや、于文則さんがいる。スーツを着て、台本を持っている。
私は知っている、本来の史実を知っている。この世界の物ではなく、私の前世にあった史実だ。そこでは、あまりにも報われるものが少なかった。悲しみの中で歴史が刻まれていった。幸福はいつか終わりを迎え、次代が夢を引き継いでいく。
その中で――いいや、この世界の歴史の中でさえも。

「お前の、終わりも見える」

頭痛に意識が蝕まれる中で、孫権に告げているはずの言葉が、どうしても目の前にいる彼に対しての言葉に思えて仕方がなかった。
彼は少しだけ、目を見開いた気がした。