- ナノ -

9所詮は過去だ。


宴会も締め括られ、孫権と共に帰路につく。
私は学生寮に住んでいるので、実家暮らしの孫権とは途中で道が外れるが、距離は近いのでほぼ同じ帰り道だ。それに、女性なのだからと毎度学生寮まで見送ってくれる。私も大学に通っているとはいえ海外なので、有難くお言葉に毎回甘えさせてもらっている。
しかし、今回は聞かされていないことが多くて孫権に対しては言いたいことが山積みだ。

「孫権、私が怒ってるのはわかってるよね」
「……だとは思っていた」
「でしょうね」

孫権とは、双子だからなのかよくわからないが、なんとなく意思疎通が容易い。
あ、今どう思っているな。とかが分かる、ような気がする。ただ単に孫権と私が顔に出やすいだけなのかもしれないが、周囲に聞いてみるとそうでもないので、一応二人の間のことだけらしかった。
どことなく目線を逸らす孫権に思わず眉間に皺が寄る。寄った皺を手でなぞって、一つため息をついた。

「すまない、こうでもしないとそもそも来てくれないと思ったのだ」
「なら私を主賓にする必要はなかったし、前に登壇させる必要もなかったし、皆の前で言葉を振る必要もなかったでしょ」
「だが――だが、お前と私で呉の君主だ」

真っ直ぐな碧い瞳で断言されて、口を噤む。
自分だけそう名乗れないということなのだろう。二重人格らしい私を、影武者として無理やり出演させるぐらいには、私と共に呉の主君を名乗りたかったことはわかる。
真剣な表情の孫権に、目を細める。

「孫権は、私に何を求めてるの」
「え……何を?」
「そう、どうしてほしいの」

半ば強制的に撮影に参加させて、私を表に立たせて、何がしたいのか。
いや、なんとなしにはわかっている。けれど。

「記憶を、思い出して、欲しい」
「……どうして? どうして思い出してほしいの」

所詮は過去だ。
しかも生まれる前の話だ。
私には日本で過ごした前世がある。平穏無事な人生だった。この記憶があってよかったと思うほどは多くあった。けれど悲しみや辛さを感じることも、勿論あった。もう会えない、他人の話、人生だ。親も友も存在しない。その記憶は尊くて、同時になくて当たり前のものだ。
忘れているのなら、それは当然のものではないか。無理に思い出させる必要は、本当にあるのか。
思い出して、何を欲している。
孫権は虚を突かれたような顔をして、それから徐々にその表情を歪ませていった。苦しいような、耐えるような顔をして。その碧眼は揺れていた。

「私は……」

徐々に俯いて、かすれた声が零れる。それに流石に心配になって顔を覗き込もうとすれば、素早く腕を掴まれた。
腕がおかしな音を立てるほどに掴まれて、驚きと痛みで声が漏れる。しかしそれに気付かぬ孫権は、顔を勢いよく上げて叫ぶように言った。

「私は、お前に、同じ道を辿ってほしくないのだ……!」
「同じ、道?」

痛みのせいで、声が細くなる。だが、孫権はまるで全身が痛みを発するような悲痛な声を上げていた。
それに、嫌な想像が過る。瞳は水面のように揺れていて、彼の苦しみを代弁していた。

「……ねぇ、私は、どうなったの」

史実の孫権は、寿命で死んだ。
名君として呉の王として、最期まで称えられていた。私が前世で覚えていた歴史と比べると、報われていて、幸福だったといえるのではないかと思う。
その孫権の精神に寄り添っていた過去の私は、同じように幸せであったのではないのか。
歯を噛み締めたあと、小さく息を吸った彼は、

「お前は――私を残して、死んだ」

そう言って、やはり強く私を抱きしめた。